↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『安らかに生きる』 ――原題:『安生』  作者: 亀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

73/110

第七十三章 誰が言葉を持ち帰ったのか

六月十二日。


午前。


誰かが呉順に尋ねた。


「南貨は先に出せるか?」


呉順は答えた。


「沈家に聞いてくれ」


これが、今残っている最も早い記録だった。


だが午後になると、


荷はすでに出ていた。


臨二も返却されていた。


その間に何が起きたのか。


誰にも分からない。


安生は、いちばん簡単な問いから始めることにした。


誰が沈家へ聞きに行ったのか。


⸻


まず趙徳全のところへ行った。


話を聞いた趙徳全は、首を振った。


「それは分からん」


「その日は東倉にいた?」


「いた」


「午前も?」


「いた」


「東倉から誰か出ていったか?」


「いた」


「誰?」


趙徳全は考えた。


「梁成だ」


安生が顔を上げる。


「確かか?」


「確かじゃない」


「また不確か?」


「あの日は人が多かった」


「ただ、奴が出ていったのは覚えてる」


「いつ?」


「昼前だったと思う」


「どこへ?」


「そこまでは見てない」


安生が聞いた。


「札を持っていた?」


趙徳全は首を振った。


「分からん」


「誰か一緒だった?」


「たぶん、いなかった」


安生はそれ以上聞かなかった。


ただ、書き留めた。


梁成――午前、東倉を出たことがある。


その後ろに、


小さな疑問符を付けた。


⸻


次は呉順だった。


すでに亡くなっている。


だから、呉平に聞くしかない。


呉平は父親の「臨時札雑記」を取り出した。


「お父さんは」


「誰が沈家へ聞きに行ったか、書いてないか?」


「ない」


「じゃあ」


「誰が戻ってきたかは?」


呉平は何ページかめくった。


「名前はない」


「時間だけだ」


「見てくれ」


六月十二日。


午前。


「誰かが聞く。南貨は先に出せるか。」


昼。


「返事、まだ見ず。」


午後。


「臨二、遅れて返却。」


安生は二行目を見つめた。


「返事、まだ見ず」


この四文字。


その前の、


「沈家に聞いてくれ」


と合わせると、


意味はかなりはっきりしてくる。


呉順は昼になっても、


沈家からの明確な返事を確認していなかった。


安生が聞く。


「この帳面は、その日に書いたものか?」


呉平は頷いた。


「たぶん」


「どうして?」


「親父はそういう人だった」


「その日のことは」


「その日に書いていた」


安生は、


「たぶん」を「確か」に変えなかった。


ただ、そのまま読み続けた。


⸻


「じゃあ」


「その後、誰が荷を出していいと言ったのか」


「親父は何か言ってなかった?」


呉平は首を振った。


「言ってない」


「誰かの名前は?」


「一人だけ」


安生が顔を上げる。


「誰?」


「周という姓だ」


「周長順?」


「たぶん」


「何と言ってた?」


呉平は長いこと考えた。


「こう言ってた」


「誰かが、札を渡せと言った、と」


安生が聞く。


「誰が?」


「分からない」


「親父は書いてなかった」


「じゃあ、どうしてお前はその言葉を覚えてる?」


呉平は苦笑した。


「子供の頃、親父から聞いた」


「あの日は大変だった、と」


「急かす人間がいて」


「聞きに来る人間もいて」


「それから、沈家のほうはもう知っている、と言う人間もいた」


安生はすぐに聞いた。


「『知っている』?」


「それとも『同意した』?」


呉平は一瞬、言葉に詰まった。


「分からない」


安生は頷いた。


「それでいい」


「この二つは混ぜられない」


⸻


午後。


安生は王福の家へ向かった。


「お父さんは聞いていないか?」


「六月十二日に、誰かが沈家へ聞きに行ったこと」


王福は首を振った。


「聞いてない」


「じゃあ、周長順が」


「沈家は同意した、とお父さんに言ったことは?」


「親父は、そんなこと言ってない」


「確かか?」


「確かだ」


「じゃあ、どうして六月十二日に南布を受け取った?」


王福は答えた。


「周長順に米の借りがあった」


「誰かが荷を持ってきた」


「だから親父は受け取った」


安生が聞く。


「荷を持ってきたのは誰?」


「二人」


「どちらも知らない人間だった」


「碼頭の札を持っていた」


「一人は東倉」


「もう一人は西倉だった」


「お父さんは」


「それが沈家の荷かと聞かなかった?」


「聞いた」


「相手は何と言った?」


王福は少し考えた。


「碼頭から出していいと言われた荷だ、と」


「ほかには?」


「それだけだ」


安生が聞く。


「沈家が同意したとは?」


王福は首を振った。


「誰も言ってない」


「なら、『沈家は同意した』という言葉は」


「少なくとも、親父のところから始まったわけじゃない」


⸻


安生は再び沈家へ戻った。


ここまでの話を沈砚に伝える。


沈砚は聞き終えると、尋ねた。


「じゃあ、今なら」


「父は同意していなかったと決められるか?」


安生は首を振った。


「まだ無理だ」


「なぜ?」


「今分かっているのは」


「呉順が明確な返事を受け取っていないこと」


「王家も、沈家が同意したという話を聞いていないこと」


「それだけだ」


「お父さんが周長順に個人的に伝えていた可能性は残っている」


「ただ、誰も記録していない」


沈砚は黙った。


安生は続けた。


「だから今、一番重要なのは」


「やっぱり周長順だ」


「でも、もう死んでいる」


「ああ」


「なら、当時そばにいた人間を探すしかない」


沈砚が聞いた。


「誰だ?」


安生が言った。


「馬徳順」


「もう死んでいる」


「それから梁成」


「見つからない」


「ほかには?」


安生は答えなかった。


一人の名前が頭に浮かんだ。


陸成安。


⸻


二人は再び順豊貨行へ向かった。


陸成安は話を聞き終えると、


少し複雑な表情をした。


「今度は」


「六月十二日の午前、周長順がどこへ行ったかを聞きたいのか?」


「ああ」


「それは分からない」


「じゃあ、周長順はお前のところへ来たか?」


陸成安は黙った。


しばらくして、


言った。


「来た」


安生はすぐに聞いた。


「いつ?」


「午前だ」


「何と言った?」


「沈家のほうから、もう話が来ている、と」


安生が聞く。


「そのままの言葉か?」


「だいたいは」


「『話が来ている』?」


「ああ」


「『同意した』ではない?」


「違う」


安生はさらに聞いた。


「誰から聞いたと言っていた?」


「言ってない」


「沈川の名前は?」


「出していない」


「何か持っていた?」


「何も」


「書類は?」


「なかった」


陸成安は首を振った。


「ただ、そう言っただけだ」


安生が聞く。


「それから?」


「俺が聞いた」


「何という話なのか、と」


「奴は」


「先に荷を処理してくれ、と言った」


「誰の責任だと聞いた」


「奴は」


「自分だ、と」


安生は少し間を置いた。


「沈家はもう同意した、と言ったか?」


陸成安は長いこと考えた。


「後になって」


「言った」


「後というのは、いつ?」


「午後だ」


「誰がいた?」


「俺だ」


「ほかには?」


「覚えていない」


「梁成?」


「たぶん、いた」


安生はそれ以上聞かなかった。


その「たぶん」だけで、


陸成安自身の記憶も、


完全ではないことが分かったからだ。


⸻


「じゃあ、どうしてあの時、信じた?」


陸成安は安生を見る。


「周長順だったからだ」


「それに」


「あの頃の碼頭では、そういうことが珍しくなかった」


「顔見知り同士なら、一言で済ませる」


「荷は先に動かす」


「後で問題があれば」


「その時に帳簿を直す」


安生が聞く。


「沈家の荷だと知っていた?」


「知っていた」


「それなのに、どうして出した?」


陸成安は黙った。


「周長順が」


「沈家のほうから、もう話が来ていると言った」


「俺は、もう確認したものだと思った」


安生は頷いた。


「つまり、自分で確認したわけじゃない」


「ああ」


「周長順が確認したと思った」


「ああ」


⸻


貨行を出ても、


安生はしばらく何も言わなかった。


沈砚が隣を歩く。


しばらくして、


「それで?」


と聞いた。


安生が言う。


「新しい線が出てきた」


「何だ?」


「周長順は、最初から『沈家は同意した』と言っていたわけじゃないかもしれない」


「午前、陸成安に言ったのは」


「もっと曖昧だ」


「『沈家のほうから、もう話が来ている』」


「そのあとで」


「『沈家はもう同意した』になった」


沈砚は眉を寄せた。


「じゃあ、誰がそう理解させた?」


「まだ分からない」


「周長順自身かもしれない」


「誰かから聞いたのかもしれない」


「あるいは、沈川が本当に曖昧なことを言ったのかもしれない」


「それを周長順が許可だと受け取った可能性もある」


⸻


安生が突然、足を止めた。


「もう一つある」


「何だ?」


「陸成安は言った」


「周長順は午前に来た」


「そして『同意した』と言ったのは午後だ」


沈砚が安生を見る。


「つまり」


「午前から午後の間に」


「誰かが何かを言った可能性がある」


安生は頷いた。


「そうだ」


「あるいは」


「周長順自身が決めた」


「でも今は」


「少なくとも、調べるべき時間が絞れた」


安生は紙を取り出した。


そこに書く。


六月十二日午前


周長順 → 陸成安


「沈家のほうから、もう話が来ている」


「先に荷を処理してくれ」


その下には、


大きな空白を残した。


最後に書く。


六月十二日午後


「沈家はもう同意した」


安生は、その間に残した空白を見つめた。


何も書かなかった。


沈砚が聞く。


「誰を調べる?」


安生は首を振った。


「まだ人は探さない」


「じゃあ何を?」


「この時間だ」


「誰が出ていったか」


「誰が戻ってきたか」


「誰が札を持ったか」


「誰が周長順に会ったか」


「誰が沈川に会ったか」


「まず、人間をこの時間の中に置いてみる」


「その上で」


「この時間に入れる人間が誰なのかを見る」


⸻


夕方。


安生は再び古い碼頭へ向かった。


太陽は、もうすぐ沈もうとしていた。


安生は東倉の入口に立った。


二十三年前の六月十二日を思い浮かべる。


誰かが尋ねた。


「南貨は先に出せるか?」


呉順は答えた。


「沈家に聞いてくれ」


そのあと。


誰かが出ていった。


誰かが戻ってきた。


誰かが札を持った。


誰かが荷を運び出した。


誰かが帳簿に一行を書いた。


そして一つの言葉も、


その数時間の間に、


少しずつ形を変えていった。


「沈家に聞いてくれ」


から、


「沈家のほうから、もう話が来ている」


そして、


「沈家はもう同意した」


安生は、ふと気づいた。


本当に物事を変えたのは、


誰かが突然、嘘をついたことではないのかもしれない。


一人ひとりが、


自分の聞いた一部分を、


いつの間にか、


すべての答えだと思ってしまった。


安生は長いこと、その場に立っていた。


最後に紙を取り出し、


こう書いた。


「六月十二日、午前から午後。」


「現在、最も重要な時間帯。」


その下に、もう一行。


「まず、周長順に会った者を探す。」


それを書き終えると、


安生は筆をしまった。


今度は、


次にどこへ行けばいいのか分かっている。


六月十二日の当日。


まだ生きている人たちが、


何を覚えているのか。


そこから調べる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。