第六十九章 札は返った、人はどこへ行った
翌日。
安生はまた碼頭へ向かった。
今回は、
最初から趙徳全のところへは行かなかった。
先に、
呉平を訪ねた。
呉平は庭で木を削っていた。
安生を見ると、
手にしていた木材を置いた。
「また調べに来たのか?」
「ああ。」
「今度は何だ?」
安生は回りくどい言い方をしなかった。
「梁成。」
呉平は一瞬、動きを止めた。
「どうして急にあいつを?」
「六月十二日。」
「一つ記録を見つけた。」
安生が言った。
「梁成、札返却済み。」
呉平は手を拭いた。
「お前の父親が残したものか?」
「沈川のだ。」
呉平はしばらく黙っていた。
「それなら、厄介だな。」
「どうして?」
「親父は、あの人を知っていた。」
「でも、もうここにはいない。」
安生は一瞬驚いた。
「死んだ?」
「いや。」
「引っ越した。」
「どこへ?」
「分からない。」
⸻
呉平は腰を下ろした。
しばらく考えてから言った。
「子供のころ、親父から聞いたことがある。」
「梁成は、正式な碼頭の人間じゃなかった。」
「仕事があればやる。」
「荷物を運んだり。」
「届け物をしたり。」
「使い走りをしたり。」
「人手が足りなければ、誰かが呼ぶ。」
安生が聞いた。
「臨時札を受け取ることはできた?」
「普通なら。」
「できない。」
「じゃあ、どうしてお父さんは、あいつのことを記録していた?」
呉平は首を横に振った。
「親父は言っていた。」
「あのころは碼頭に顔なじみが多かった。」
「正式な人間じゃなくても。」
「正式な人間より仕事をしている奴もいた。」
「臨時の手伝い。」
「臨時に札を受け取る。」
「昔は、それを誰もおかしいとは思わなかった。」
安生は黙っていた。
これまで聞いてきた話と、
よく似ている。
規則そのものはあった。
だが実際に動かすときは、
多くのことが顔なじみという関係に頼っていた。
⸻
「お父さんは言っていなかった?」
「六月十二日に梁成が札を受け取った、と。」
呉平は少し考えた。
「そこまでは直接聞いていない。」
「じゃあ、何を聞いた?」
「一度だけ言っていた。」
「誰かが札を持って出ていった。」
「戻ってくるのが遅かった。」
「荷物はもう届けた、と言っていた。」
安生が聞いた。
「それは梁成?」
「分からない。」
「親父は名前を言わなかった。」
「どうして?」
「こういうことは。」
「札を記録しておけばいい。」
「人まで記録する必要はない、と。」
安生は眉を寄せた。
「じゃあ、誰が札を持っていったか、どうやって分かった?」
「顔なじみだからだ。」
「顔を見れば分かる。」
「名前じゃない。」
安生は、
その瞬間に分かった気がした。
まさにそこが問題だった。
札には番号がある。
記録されるのは札だ。
だが、
人の名前は残らないことがある。
後になって問題が起きれば、
ある札が一度持ち出されたことは分かっても。
それを実際に持っていった人間が誰だったのか、
分からないことがある。
⸻
安生が聞いた。
「お父さんは、札の番号を残していなかった?」
呉平は首を横に振った。
「札自体は残っている。」
「記録もある。」
「でも六月十二日は。」
「二枚の臨時札とも返ってきた。」
安生は頷いた。
「それは分かっている。」
「じゃあ、分からないのは何だ?」
呉平は安生を見た。
「誰が持っていったか。」
「それと、何のために使ったか。」
安生はそれ以上聞かなかった。
答えはもう、
かなりはっきりしていた。
⸻
呉平のところを出ると、
安生は老梁の家へ向かった。
老梁は庭で魚を干していた。
安生を見ると、
先に聞いた。
「また梁成を調べているのか?」
「ああ。」
「前にも言っただろ。」
「梁成は昔、碼頭で働いていた。」
「そう。」
「お前は、あいつが臨時札を受け取るところを直接見た?」
老梁は少し手を止めた。
「見ていない。」
安生は頷いた。
「じゃあ、どうして関わっていた可能性があると言った?」
「あのころ。」
「あいつは東倉によく出入りしていた。」
「人の代わりに荷物を取りに行くことも多かった。」
「それに、知り合いが多かった。」
「誰?」
「周長順。」
「馬徳順。」
「陸成安。」
「それから沈家の人間。」
安生が聞いた。
「沈川?」
「会っている。」
「仲が良かった?」
老梁は首を横に振った。
「そこまでは分からない。」
「ただ、話をしているところは見た。」
「梁成は沈川に何か届けたことがある?」
「あった。」
「いつ?」
「覚えていない。」
「六月十二日?」
「そこまでは確定できない。」
安生はそれ以上聞かなかった。
代わりに尋ねた。
「梁二という人間を知っている?」
老梁が顔を上げた。
「梁二?」
「ああ。」
「知っている。」
「梁成のこと?」
老梁は少し笑った。
「そこは俺には言えない。」
「どうして?」
「梁という姓は珍しくない。」
「梁二はあだ名だ。」
「梁成は名前だ。」
「梁成を梁二と呼ぶ人もいる。」
「そう呼ばない人もいる。」
安生は頷いた。
「つまり、梁成と梁二が同じ人間だとは。」
「確定できない?」
「ああ。」
「少なくとも、俺からはそう言えない。」
安生は書き留めた。
梁成 ≠ 梁二。
その横にもう一行。
「本人または直接の記録が見つからない限り、確定できない。」
⸻
午後。
安生は順豊貨行へ向かった。
陸成安はまだそこにいた。
梁成の名前を出すと、
眉を寄せた。
「まだあいつを調べているのか?」
「ああ。」
「前にも言っただろ。」
「六月十二日。」
「俺は梁二を行かせていない。」
「分かっている。」
安生は陸成安を見る。
「だから、今は梁二のことを聞いているんじゃない。」
「梁成のことだ。」
陸成安はしばらく考えた。
「梁成。」
「その名前なら覚えがある。」
「貨行の人間だった?」
「違う。」
「臨時で手伝っていた?」
「時々な。」
「六月十二日、貨行の代わりに荷物を取りに行った?」
「行っていない。」
「確か?」
「確かだ。」
「どうして?」
陸成安は答えた。
「あの日、俺は誰も行かせていない。」
「貨行の人間なら。」
「俺が覚えている。」
安生が聞いた。
「じゃあ、後から誰かが取りに来たのは、なぜ?」
陸成安は黙った。
しばらくして、
ようやく言った。
「誰かが札を持っていた。」
「誰かに取りに行けと言われた、と言っていた。」
「誰に?」
「分からない。」
「顔は見た?」
「見た。」
「梁成だった?」
「そこまでは言えない。」
安生は眉を寄せた。
「なぜ?」
「あの日は忙しかった。」
「それに、貨行の人間じゃない。」
「覚えているのは若い男だったということだけだ。」
安生が聞いた。
「梁二だった可能性は?」
陸成安は首を横に振った。
「俺に言えるのは。」
「確定できない、ということだけだ。」
安生は頷いた。
「分かった。」
⸻
帰り道。
安生は、
いくつもの「確定できない」を考えていた。
梁成。
梁二。
札を持っていった人間。
若い男。
言葉だけを見ると、
どれも近いところにある。
だが、
それを直接つなげた瞬間、
別の話になってしまう。
以前の自分なら、
全部同じ人間だと思っただろう。
今は違う。
一つでも間違っていれば、
その後のすべてが、
一緒に間違ってしまうからだ。
⸻
夕方。
安生が家に戻ると、
父親が庭に座っていた。
安順河は安生を見ると聞いた。
「今日は何が分かった?」
安生は、
今日聞いたことを話した。
安順河はしばらく黙っていた。
「お前は今。」
「梁成が重要だと思っているのか?」
安生は考えた。
「可能性はある。」
「でも、まだ確定できない。」
安順河は少し笑った。
「昔のお前なら、そんな言い方はしなかったな。」
「昔なら。」
「こいつだ、と言っていた。」
「そう。」
父親は頷いた。
「じゃあ、一つ覚えたな。」
「何を?」
「事件を調べるっていうのは、一番それらしい人間を見つけることじゃない。」
「それらしくないところまで調べることだ。」
安生は答えなかった。
⸻
安順河が突然聞いた。
「どうして、そんなに梁成を調べる?」
「沈川が名前を書いていた。」
「それに、『札返却済み』と書いてある。」
「だから知りたい。」
「その札を、実際に誰が持っていたのか。」
父親は安生を見た。
「もし、分からなかったら?」
「分からないと書く。」
「もし最後に。」
「札を持っていたのが梁成だと分かったら?」
「それでも、何をしたかまでは分からない。」
「そうだ。」
「それでも調べるのか?」
「ああ。」
「なぜ?」
安生は父親を見る。
「分からないことを。」
「分かったことにして書くわけにはいかないから。」
安順河は笑った。
「それでいい。」
「ようやく、ちゃんと調べるようになったな。」
⸻
夜。
安生は資料をすべて机の上に広げた。
六月六日。
南貨十二包。
六月十一日。
周が来た。
南貨は先に処理してよい。
不明。
六月十二日。
東倉三。
臨時札一。
西倉二。
臨時札二。
札、すべて返却。
六月十二日。
梁成。
札返却済み。
荷物不明。
六月十五日。
九包。
原票を見ていない。
安生は最後の一行を見つめた。
そこで、
一つの問題に気づいた。
もし六月十二日の三包と二包が、
本当に二度の別々の出庫だったのなら。
なぜ沈川は、
自分の記録に、
「梁成、札返却済み」
と一人だけを書いたのか。
もう一度、
最初からめくり直す。
ない。
ほかには何もない。
梁成だけだった。
これは二つの可能性を示している。
一つ。
沈川が、そのうち一枚の札だけに気づいていた。
もう一つ。
もう一枚の札を使った人間を、
沈川自身が知らなかった。
安生は筆を取った。
どちらか一つを選ぶことはしなかった。
ただ書いた。
「六月十二日、二枚の札、二つの荷物。」
「沈川が明確に記録したのは一人だけ。」
「もう一人は誰だったのか。」
書き終えたとき、
安生はふと、
呉平の言葉を思い出した。
――札は全部返ってきた。
――人まで記録する必要はない。
安生は椅子にもたれた。
長い間、動かなかった。
もし当時の碼頭が、
本当にこういうやり方で動いていたのなら。
多くの出来事には、
最初から一人の「裏の人間」がいたわけではないのかもしれない。
誰もが、
ほかの誰かが知っていると思った。
誰かが覚えていると思った。
誰かが、
次の人間に引き継ぐと思った。
そして最後に、
その出来事だけが途切れた。
二十年以上経った今。
残されたのは、
途中までの記録だけだった。
そして安生たちは、
その半分だけ残った過去を、
今になってつなぎ直そうとしている。
安生はもう一度、筆を取った。
紙の最後に、
一行だけ書く。
「まず、二枚目の札を探す。」
梁成とは書かなかった。
梁二とも書かなかった。
誰が荷物を持っていったのかも書かなかった。
ただ、
「札」
とだけ書いた。
今のところ、
確実に存在したと言えるものは、
それだけだった。
そしてそれこそが、
人と出来事をもう一度つなぐための、
一番確かな手がかりになるかもしれなかった。




