第六十七章 誰が最初に言ったのか
翌朝早く。
安生はまず許家へ向かった。
許蘭は庭で洗濯物を干していた。
安生を見ると、
「また何か出てきた?」
と聞いた。
「一つ、聞きたいことがある。」
「何?」
「お父さんは昔、こんな言葉を記録していなかったか。」
「どんな言葉?」
「沈家はもう同意している。」
許蘭はしばらく考えた。
「覚えていない。」
「もう少し考えてみて。」
「父は、聞いたことを記録することもあった。」
「誰かが言ったことなら。」
「時々、書いていた。」
安生は頷いた。
「六月十一日前後の記録を探したい。」
許蘭は安生を家の中へ案内した。
⸻
二人で許文成が残した紙を、
もう一度、一枚ずつ調べた。
六月九日。
六月十日。
六月十一日。
六月十二日。
ほとんどは、
荷物の数量だけだった。
そして一枚の小さな紙が出てきた。
そこには、
半分だけ残った言葉が書かれていた。
「周说,沈家已……」
「周が言った。沈家はもう……」
そこで途切れている。
安生の手が止まった。
「これは、お父さんの字?」
「そう。」
「この紙、前に見たことは?」
「ない。」
安生は紙を机の上に置いた。
それ以上は推測しなかった。
ただ言った。
「少なくとも分かることはある。」
「六月十一日前後。」
「誰か、周という姓の人間が。」
「沈家について何か言っていた。」
許蘭は頷いた。
「でも、最後まで書かれていない。」
「そう。」
⸻
安生は次に、
陸成安のところへ向かった。
「陸叔。」
「今度は何だ?」
「一つ確認したい。」
「言ってみろ。」
「前に言っていたよな。」
「誰かがお前に。」
「沈家はもう同意している、と。」
「ああ。」
「その人は周という姓だった。」
「ああ。」
「知っている人か?」
陸成安は少し考えた。
「知っている。」
「名前は?」
「周長順だ。」
安生は黙った。
初めて、
誰かが「周という男」を、
はっきり周長順だと指した。
だが、それでもすぐには結論を出さなかった。
「間違いない?」
「間違いない。」
「どうして?」
「昔から、よく貨行に来ていた。」
「何をしに?」
「碼頭の荷物のことだ。」
「ほかには?」
「時々、未払いの帳尻を処理しに来ていた。」
安生が聞いた。
「六月十一日。」
「周長順が来た。」
「沈家は同意している、と言った?」
「そうだ。」
「本当に、その言葉だった?」
陸成安は眉を寄せた。
「二十年以上も前のことだ。」
「一字一句までは覚えていない。」
「じゃあ、大体の意味は?」
「覚えている。」
「沈家の荷物は出していい。」
「沈家のほうでは、もう話がついている。」
安生が聞いた。
「誰から聞いたのか、言っていた?」
陸成安は首を横に振った。
「言っていない。」
「聞いたことは?」
「ある。」
「何て?」
「聞く必要はない、と。」
安生は眉を寄せた。
「どうして?」
陸成安は苦笑した。
「碼頭のことだ。」
「誰と誰が付き合っているかなんて、皆知っている。」
「あのときは、俺も別におかしいとは思わなかった。」
⸻
安生はそれ以上聞かなかった。
ただ一つ尋ねた。
「もし、あのとき。」
「沈川が署名していないと知っていたら。」
「それでも荷物を出した?」
陸成安は少し考えた。
「出さない。」
「なぜ?」
「それなら話が違う。」
「何が違う?」
「昔は、顔なじみを信用していた。」
「正式な書類がないこともあった。」
「それでも仕事はできた。」
「でも、荷主が同意していないと分かっていたなら。」
「それは別の話だ。」
安生は頷いた。
「つまり。」
「当時、お前が信じた本当の根拠は。」
「札でもない。」
「荷札でもない。」
「周長順が言った、その言葉だった。」
陸成安は黙った。
「そうだ。」
⸻
貨行を出たあと。
安生はすぐに周長順の家族を訪ねなかった。
まず趙徳全を探した。
「趙叔。」
「どうした?」
「周長順は昔から、こう言っていたのか。」
「沈家はもう同意している、と。」
趙徳全は首を横に振った。
「そんな言葉は聞いていない。」
「じゃあ、何を聞いた?」
「沈家のほうは問題ない、と言っていた。」
安生はすぐに聞いた。
「いつ?」
「覚えていない。」
「六月十一日前後?」
「かもしれない。」
「どうして覚えている?」
趙徳全は遠くを見た。
「あとで問題になったからだ。」
「みんなで、あのとき何を言っていたか思い返した。」
「だから覚えている。」
「じゃあ、その言葉を直接聞いたわけじゃない?」
「違う。」
「誰から聞いた?」
趙徳全は少し黙った。
「老馬だ。」
「馬徳順?」
「ああ。」
「周長順が、かなり確信を持っていたと言っていた。」
「沈家にはもう話を通してある、と。」
安生が聞いた。
「老馬は。」
「誰が話を通したのか、言っていなかった?」
「言っていない。」
⸻
安生は、
妙なつながりができ始めていることに気づいた。
陸成安は、
周長順が「沈家は同意している」と言ったと記憶している。
趙徳全は、
周長順が「沈家のほうは問題ない」と言っていたと聞いている。
そして馬徳順のところには、
また別の言葉が残っているかもしれない。
そこで安生は、
馬成林を訪ねた。
「馬叔。」
馬成林は庭で薪を割っていた。
父親の名前を聞くと、
手を止めた。
「また昔のことを調べているのか?」
「うん。」
「親父はもう、ずっと前に死んだ。」
「分かっている。」
「何を聞きたい?」
「六月十一日前後。」
「周長順が沈家の同意を口にしたこと。」
「親父は何か言っていなかった?」
馬成林は眉を寄せた。
長い間考えていた。
「言っていた。」
安生の胸が少し動いた。
「どんな言葉?」
「親父が言っていた。」
「周長順が。」
「沈家のほうでは、もう頷いている、と。」
安生が聞いた。
「お父さんは、周長順本人がそう言うのを直接聞いたの?」
馬成林は首を横に振った。
「分からない。」
「じゃあ、どうして知っている?」
「親父が帰ってきてから話した。」
「いつ?」
「夜だ。」
「そのとき、自分が周長順に会ったと言っていた?」
「言っていない。」
安生は黙った。
これでは、
馬徳順が本当に周長順本人から聞いたのかどうかさえ、
確定できない。
⸻
安生は庭に座った。
しばらくしてから聞いた。
「お父さんは、ほかの誰かについて言っていなかった?」
「誰のことだ?」
「沈家の人間。」
「言っていない。」
「沈川が直接同意したとは?」
「それもない。」
馬成林は首を横に振った。
「俺が覚えているのは一つだけだ。」
「何?」
「周長順が沈家はもう頷いていると言うなら。」
「とりあえず、その話で進めればいい。」
安生は一瞬、言葉を失った。
「誰が進める?」
「分からない。」
「お父さん?」
「かもしれない。」
「倉の人間?」
「それもあるかもしれない。」
⸻
家に戻るころには、
もう日が暮れていた。
安生は皆の話を、
もう一度紙に書き出した。
第一段。
陸成安。
周長順が、
「沈家はもう同意している」
と言った。
第二段。
趙徳全。
周長順が、
「沈家のほうは問題ない」
と言っていたと聞いた。
第三段。
馬成林。
父親が帰ってきて、
「周長順が、沈家はもう頷いていると言っていた」
と話した。
第四段。
許文成。
残された一文。
「周说,沈家已……」
安生は四つの記録を見つめた。
それらを一本につなげなかった。
なぜなら、
ある大きな問題があることに気づいたからだ。
許文成の記録が、
一番早いものかもしれない。
だが、
それも誰かから聞いた話を書いただけかもしれない。
陸成安の記憶も、
二十年以上の時間を経ている。
記憶そのものが変わっている可能性もある。
馬成林が覚えているのは、
父親から聞いた話だ。
趙徳全も、
誰かから聞いた話だった。
つまり今、
皆が同じ一つの言葉を繰り返している。
それなのに、
その言葉が最初に沈川から出たものだと証明できる人間は、
一人もいない。
⸻
安生は筆を取った。
一番上に書いた。
「現在、証明できること。」
「周長順が、何人かの人間に、沈家がこの荷物を処理することに同意していると思わせた。」
そして、その下に。
「証明できないこと。」
「沈川本人が同意した。」
少し考えてから、
さらに書いた。
「また、周長順が、沈川の同意がないことを知っていたとも証明できない。」
書き終えて、
安生は長い間それを見つめた。
ふと気づいた。
この件には、
まったく違う三つの可能性がある。
一つ目。
沈川は本当に同意していた。
ただ、その手続きだけが残らなかった。
二つ目。
沈川は同意していなかった。
周長順は、同意していると思っていた。
三つ目。
周長順は正式な同意がないことを知っていた。
それでも、
「もう同意している」
と人に伝えた。
この三つは、
最後に起きたことだけを見れば、
同じ結果になる。
荷物は出た。
米の帳尻は合った。
札は返された。
だが、
それぞれの責任は同じではない。
⸻
安生は、
三つの可能性のどれか一つを選ばなかった。
そのまま全部を書き残した。
そして一番下に、
一行だけ加えた。
「次に調べるのは、周長順が何と言ったかではない。」
「沈川が、当時何を知っていたのか。」
紙をしまう。
夜は静かだった。
机の上の油灯は、
もう半分ほどしか残っていない。
安生はふと、
沈砚のことを思い出した。
もし、
沈川があのとき本当にこの話を知っていたかどうかを、
一番知ることができる人間がいるとすれば。
それは碼頭でもない。
貨行でもない。
王家でもない。
沈川自身が残したものだ。
特に、
六月十一日から六月十二日の間。
何かを書いていないか。
誰かに会っていないか。
何か一言、
「同意した」
あるいは、
「同意していない」
と残していないか。
安生は立ち上がった。
翌日、もう一度沈家へ行こうと思った。
だが、
戸口まで来たところで、
ふと足を止めた。
振り返る。
机の上の紙を見る。
そして、また椅子に戻った。
安生は「周長順」という三文字を丸で囲んだ。
その横に書いた。
「彼が言ったからといって、彼が知っていたとは限らない。」
書き終えて、
安生は少し笑った。
昔の自分なら、
もう周長順の息子を探しに行っていた。
父親は嘘をついたのか、と。
今は違う。
ようやく分かってきたからだ。
ある人間が、
ある言葉を口にしたことと。
その人間自身が、
その言葉が本当だと知っていたことは。
最初から、
同じことではない。




