第六十四章 梁姓の男
翌朝早く。
安生は埠頭へ向かった。
趙徳全のところへは行かなかった。
先に、老梁を訪ねた。
「梁叔」
老梁は入口で干し魚を並べていた。
声を聞いて、
顔を上げた。
「また来たのか?」
「はい」
「今度は誰を調べる?」
「梁という姓の人です」
老梁は笑った。
「埠頭には梁姓がけっこういるぞ」
「名前は分かりません」
「ただ」
「六月十二日に臨時札を持ったことがある人間だと」
老梁の手が止まった。
「誰から聞いた?」
「梁叔からです」
「俺がいつ言った?」
「昨日です」
老梁は眉を寄せて考えた。
それから首を振った。
「昨日俺が言ったのは」
「あの日、臨時札が二枚あったということだけだ」
「誰が持ったかまでは言っていない」
安生は頷いた。
「だから、確認しに来ました」
「覚えていますか?」
「そのうち一枚を誰が受け取ったのか」
老梁はすぐには答えなかった。
しばらくして、
「東倉のほうなら」
「覚えている」
と言った。
「誰です?」
「梁成だ」
安生は尋ねた。
「埠頭の人間?」
「まあ、そうだ」
「何をしていた人です?」
「荷運びだ」
「荷運び専門?」
「何でもやった」
「船への積み込み」
「荷下ろし」
「倉への運搬」
「時には貨行の使いで荷を運ぶこともあった」
安生は聞いた。
「臨時札を受け取る権限は?」
老梁は首を振った。
「本人にはない」
「では、なぜ受け取れた?」
「誰かが口を出した」
「誰が?」
老梁は安生を見た。
「そこが問題なんだ」
⸻
安生は腰を下ろした。
「誰が口を出したんです?」
老梁はすぐには答えなかった。
「当時の埠頭ではな」
「いろんなことを、一人だけで決めていたわけじゃない」
「倉の人間が言うこともある」
「貨行の人間が言うこともある」
「管事が言うこともある」
「臨時札が出てしまえば」
「後は、札だけを見る」
「誰が持ってこいと言ったのかまでは、いちいち聞かない」
安生は尋ねた。
「梁成が札を受け取った時」
「誰か一緒にいましたか?」
「いた」
「誰です?」
「貨行の人間だ」
「姓は?」
「沈だ」
安生は一瞬、
言葉を失った。
「沈家?」
「分からない」
「ただ、沈姓だった」
「若い人ですか?」
「若かった」
「沈川では?」
老梁は首を振った。
「違う」
「どうして分かる?」
「沈川とは知り合いだった」
「あの頃には、もう何年も埠頭にいた」
「その男ではない」
安生は頷いた。
それ以上は聞かなかった。
「沈姓」というだけでは、
まだ何の証明にもならない。
⸻
安生はさらに尋ねた。
「では、西倉の臨時札は?」
老梁は長いこと考えた。
「西倉のほうは」
「誰が持っていったのか、俺は見ていない」
「だが、返しに来た人間は覚えている」
「誰です?」
「同じく梁姓だった」
安生は眉を寄せた。
「梁成ですか?」
「たぶん」
「たぶん?」
「あの時はもう暗くなりかけていた」
「梁姓の男を見ただけだ」
「同じ人間かどうかまでは分からない」
安生は頷いた。
「つまり、今のところ確実なのは」
「六月十二日」
「少なくとも一人、梁姓の人間が関わっていた」
「ああ」
「二人いた可能性もある」
「ある」
「一人だけだった可能性も?」
「ある」
⸻
安生は老梁のところを離れた。
すぐには家へ戻らなかった。
今度は貨行へ向かった。
順豊貨行は、もう別の店になっていた。
古い表札だけが残っている。
中では木材が売られていた。
安生は何人かに尋ね、
ようやく陸という姓の老人にたどり着いた。
「梁成という人を知っていますか?」
老人は首を振った。
「聞いたことがない」
「昔、順豊貨行にいた人です」
「それなら、俺には分からないな」
「では、昔、貨行に梁姓の使い走りがいたことは?」
老人は少し考えた。
「いた」
「名前は?」
「梁二」
「梁成ですか?」
「分からない」
安生は聞いた。
「何をしていた人です?」
「荷を運ぶ」
「それだけ?」
「時には荷を受け取ることもあった」
「どこから?」
「埠頭だ」
安生は尋ねた。
「臨時札を受け取る資格は?」
老人は笑った。
「使い走りに、そんな資格があるわけない」
「ただ」
「貨行の伝票を持っていれば」
「倉の人間も荷を出してくれる」
安生は頷いた。
「つまり、本人が持っていたのは貨行の伝票で」
「臨時札そのものではない?」
「そうだ」
「臨時札は、倉から荷を出すための証明?」
「まあ、そういうものだ」
⸻
その言葉に、
安生は一度立ち止まった。
そして聞き直した。
「では、貨行の人間が伝票を持ってきて」
「倉から臨時札を受け取った場合」
「本当の出庫許可を出したのは、貨行ですか?」
老人は首を振った。
「そうは言えない」
「なぜ?」
「貨行が証明できるのは」
「誰かが荷を取りに来させたということだけだ」
「倉がなぜ荷を出したのかは」
「倉の側の判断だ」
安生は老人を見た。
さらに尋ねた。
「では、荷が貨行の所有物でなかった場合は?」
老人は笑った。
「それは面倒だ」
「どう面倒なんです?」
「貨行の人間は」
「自分が荷を取りに来たことは証明できる」
「でも」
「なぜ、その荷を渡していいのかまでは」
「証明できない」
安生は、それ以上聞かなかった。
今、自分が調べているのは、
まさにその部分だった。
⸻
夕方。
安生は陳二を見つけた。
陳二は道端で麺を食べていた。
安生を見ると、
手を上げた。
「最近、毎日これを調べてるな」
「梁成って聞いたことある?」
陳二は少し考えた。
「知らない」
「梁二は?」
「それなら聞いたことがある」
「どんな人?」
「昔、貨行の使い走りをしていた人間だ」
「今は?」
「知らない」
安生は聞いた。
「知り合いだった?」
「いや」
「誰から聞いた?」
「趙順だ」
安生はすぐに趙順を探した。
趙順は「梁二」と聞くと、
長いこと考えた。
「痩せた奴じゃなかったか?」
「どのくらい?」
「俺より痩せてた」
「若かった?」
「当時は二十代だった」
「よく埠頭に来ていた?」
「ああ」
「順豊貨行の人間?」
「たぶん」
安生は尋ねた。
「六月十二日」
「そいつを見た?」
趙順は首を振った。
「覚えていない」
「札を持っているところは?」
「見ていない」
安生は頷いた。
それ以上は聞かなかった。
⸻
夜。
安生は新しく分かったことを書き出した。
梁成――老梁は名前を覚えている。
梁二――複数の人間が、その呼び名を覚えている。
同一人物かどうかは、まだ分からない。
順豊貨行と関係していた可能性がある。
六月十二日、
少なくとも一人の梁姓の人間が、
出庫の手続きに関わった可能性がある。
実際に臨時札を受け取ったのかどうかは、
まだ完全には確認できない。
書き終えて、
安生はしばらく筆を止めた。
そして、
「梁成」と「梁二」の間に、
一本の点線を引いた。
実線にはしなかった。
今はまだ、
同じ人間だと確認できない。
⸻
翌日。
安生は再び陸成安を訪ねた。
「陸叔」
「どうした?」
「順豊貨行に、昔、梁二という人がいましたか?」
陸成安は少し考えた。
「いた」
安生はすぐに聞いた。
「梁成ですか?」
陸成安は眉を寄せた。
「本名までは知らない」
「何をしていた人です?」
「荷を運んでいた」
「埠頭から荷を受け取ったことは?」
「あった」
「沈家の荷を受け取ったことは?」
陸成安は、すぐには答えなかった。
「なぜ、そんなことを聞く?」
「六月十二日のことを調べています」
陸成安は黙った。
しばらくしてから、
「あの日」
「俺は梁二に行かせていない」
と言った。
安生は顔を上げた。
「確かですか?」
「確かだ」
「どうして?」
「あの日は覚えている」
「梁二は休みだった」
安生は少し驚いた。
「では、なぜ埠頭にいた?」
「分からない」
「後で聞きましたか?」
「聞いた」
「何と言っていた?」
陸成安は安生を見た。
「誰かに荷を取りに行けと言われた、と」
安生は聞いた。
「誰に?」
陸成安は首を振った。
「言わなかった」
「それ以上、聞かなかったんですか?」
「聞いた」
「でも、本人にも分からなかった」
「その後は?」
「荷はもう持ち出されていた」
「札は?」
「返ってきた」
安生は黙った。
また、
この言葉が出てきた。
札は戻ってきた。
⸻
陸成安は続けた。
「だから、あの時は大したことだと思わなかった」
「貨行の伝票はあった」
「札も戻った」
「荷も、実際に誰かが受け取っていた」
「誰が?」
「それは分からない」
安生はすぐに聞いた。
「貨行の人間ではない?」
「違う」
「では、誰?」
「たしか、米を扱う商人だった」
「陳家?」
「たぶん」
安生は黙った。
六月十二日。
南布三反。
米一石。
陳家が受け取った。
札は返った。
荷にも行き先があった。
それでも、
まだ問題が残る。
なぜ、その荷を、
一石の米と引き換えにしてよかったのか。
もし沈家の荷なら、
誰にその権限があったのか。
もし沈家の荷ではないなら、
なぜ沈家の荷と一緒に扱われたのか。
⸻
安生が貨行を出るころには、
もう辺りは暗くなっていた。
それ以上、
誰かを探しには行かなかった。
家に戻ると、
一行だけ書いた。
「今、確かめられるのは、梁成が沈家の荷を持ち出したことではない。」
しばらく考えてから、
もう一行を書いた。
「貨行の手続きを持った人間が、臨時札を受け取り、荷を出した。」
最初は、
「借りて」
と書こうとした。
だが、
その言葉を消した。
そして、
書き直した。
「貨行の手続きを持った人間が、臨時札を受け取り、出庫を完了した。」
安生は、その一文をしばらく見つめた。
今度は、
書き直さなかった。
少しだけ、
当時の流れに近づいた気がした。
だが、
問題はますますはっきりしてきた。
貨行には手続きがある。
倉には札がある。
帳場には記録がある。
米商には受け取った荷がある。
一つ一つを見る限り、
どれも筋が通っている。
ところが、
全部をつなげると、
一つだけ答えのないところが出てくる。
誰に、その荷を一石の米に変える権限があったのか。
安生は顔を上げた。
机の上に置かれた古い紙を見る。
ふと思った。
もし当時の手続きの中に、
そもそも「誰に権限があるのか」という項目がなかったのなら。
この問いは、
最初から誰にも記録されていなかったのかもしれない。
そして、
それこそが、
二十三年前のあの古い勘定を、
今になっても追いきれない理由なのかもしれない。




