第六十一章 二つの倉
翌朝。
安生はまず、東倉へ向かった。
そこはもう、何年も使われていない。
戸板は雨にさらされ、黒ずんでいた。
入口には、途中で折れた木札が一枚残っている。
そこに書かれていた字は、もう読めなかった。
趙徳全がそばに立っていた。
「昔、東倉には何を置いていたんですか?」
「入ってきたばかりの荷だ」
「まだ検品していないもの?」
「ああ」
「検品が終わったら?」
「荷札を見る」
「問題がなければ、西倉へ移す」
安生が尋ねた。
「じゃあ、臨時倉は?」
趙徳全は、さらに奥を指した。
「西側だ」
「ただ、一つの倉じゃない」
「西倉の中を仕切って使っていた小さな場所だ」
安生は眉を寄せた。
「つまり」
「東倉は検品前」
「西倉は検品済み」
「臨時倉は別扱い?」
「だいたい、そうだ」
「だいたい?」
趙徳全は少し笑った。
「お前が今調べているようなことをな」
「当時の人間は、そんなにはっきり分けていなかった」
安生は反論しなかった。
その言葉は、
もう何度も聞いている。
⸻
東倉には、古い木棚が何列か残っていた。
一番下の段に、浅い刻み目がある。
かすかだったが、
まだ読めた。
六月九。
その横に、数字が一つ。
三。
安生はしゃがみ込んだ。
「これは記録ですか?」
趙徳全が目をやった。
「たぶんな」
「昔、荷を運ぶ人間は」
「棚にこういう印をつけることがあった」
「どうして帳面に書かなかったんです?」
「荷を動かしている時は、そんな暇がない」
「先に印をつける」
「夜になってから帳面を補う」
安生は聞いた。
「もし、補わなかったら?」
趙徳全は安生を見た。
「誰にも分からなくなる」
安生は、それ以上聞かなかった。
それだけで、
いくつものことが説明できる気がした。
⸻
次に、西倉へ向かった。
西倉は東倉より少しだけ状態が残っていた。
壁際には、古い棚が何列かある。
その一つに、
かすれた字が残っていた。
「臨」。
趙徳全が言った。
「ここが昔、臨時に荷を置いていた場所だ」
安生は棚を見た。
「六月十二日」
「ここから荷が出た可能性はありますか?」
「ある」
「六月十四日は?」
「それもある」
「じゃあ、六月十二日の南貨三包は」
「ここから出た可能性がある?」
「可能性はある」
「六月十四日の二包は?」
「それもある」
安生は頷いた。
やはり、
「可能性」だった。
⸻
昼。
安生は古い帳場へ向かった。
許文成が残したものは、許蘭が一度整理していた。
それでも、細かな紙切れがまだいくつか残っている。
安生は一枚ずつ目を通した。
六月十二日の完全な記録は見つからなかった。
その代わり、
小さな紙が一枚出てきた。
そこには、短い言葉が三つだけ書かれていた。
筆跡は許文成のものだった。
「東倉 三」
「西倉 二」
「札、違う」
日付は残っていない。
安生は、その三つの言葉をじっと見つめた。
許蘭が隣から尋ねた。
「父が書いたものですか?」
「たぶん」
「どういう意味ですか?」
「分からない」
安生は、それ以上説明しなかった。
彼にも分からない。
ただ、
許文成が同じ時に、
東倉三つ。
西倉二つ。
そして、
札が違う。
そう記していたことだけは確かだった。
⸻
午後。
安生は再び趙徳全を訪ねた。
「趙叔」
「ん?」
「昔の出庫札は、倉ごとに違ったんですか?」
「ああ」
「東倉と西倉では札が違う?」
「そうだ」
「じゃあ、臨時倉は?」
「臨時倉は、普通は臨時札だ」
安生は尋ねた。
「臨時札には何が書いてあったんです?」
「決まった番号はない」
「どうして?」
「臨時だからだ」
「使い終わったら返す」
「誰に固定して渡すものでもない」
安生は黙った。
それから聞いた。
「じゃあ、六月十二日に」
「一人の人間が東倉の札を持っていたとして」
「西倉の荷を出すことはできますか?」
趙徳全は首を振った。
「普通なら無理だ」
「誰かに出せと言われたら?」
「それなら出せる」
「誰が言えば?」
「倉を管理している人間」
「あるいは、管事だ」
安生は頷いた。
「じゃあ、臨時札なら?」
趙徳全は少し考えた。
「臨時札のほうが厄介だ」
「なぜ?」
「昔はな」
「顔を知っている人間なら」
「それだけで出してしまうこともあった」
安生は趙徳全を見た。
「つまり」
「臨時札そのものだけでは」
「誰が許可したのか、証明できない?」
「そういうことだ」
⸻
家に戻った安生は、
今日分かったことを、すべて書き直した。
六月十二日。
東倉 三包。
西倉 二包。
札が違う。
六月十四日。
南布 二反。
米二石と相殺。
それから、
陳家の老人が話した、
二度の荷渡し。
二枚の違う札。
安生は、何枚かの紙を並べた。
そこで初めて気づいた。
自分はずっと、
こんなことを聞いていた。
「三包の南貨は、六月九日の三包なのか」
「五包の南貨は、沈記の十二包なのか」
「周札は、周長順が出した札なのか」
だが、
どれも少し早すぎる問いだった。
本当に先に確かめるべきなのは、
六月十二日に、
三包の荷がどこから出たのか。
六月十四日に、
二包の荷がどこから出たのか。
もし二つの日の荷が、
それぞれ別の倉から出ていたのなら、
いわゆる「五包」を、
最初から一つの荷として扱うこと自体が間違っている。
⸻
夕方。
安生は安順河を訪ねた。
父は家の前で、古い腰掛けを修理していた。
「父さん」
「ん」
「一つ聞きたい」
「言ってみろ」
「昔の六月十二日」
「東倉と西倉から、同じ日に荷が出るところを見たことがある?」
安順河の手にした槌が止まった。
「ある」
安生が顔を上げた。
「どうして言わなかった?」
「お前が聞かなかったからだ」
安生は少し黙った。
「誰が出した?」
「分からん」
「何を見た?」
安順河は槌を置いた。
「東倉から三包」
「西倉から二包」
「運んだ人間は別だった」
安生は父を見つめた。
「間違いない?」
「ああ」
「どうして?」
「その時、俺はすぐそばにいた」
「どんな札を使っていた?」
安順河は首を振った。
「そこまでは見ていない」
「署名は?」
「なかった」
「誰が出せと言ったのか、誰か話していた?」
「話していた」
「何て?」
安順河は少し考えた。
「言っていたのは」
「周札だ」
安生は黙った。
それから、もう一度聞いた。
「周長順?」
「分からん」
「周長順に出せと言われた、と?」
「そうは言っていない」
「ただ、周札と?」
「ああ」
安生は俯いた。
その答えのほうが、
かえって少しだけ事情をはっきりさせた。
当時の人間は、
「周長順の許可だ」
とは言わなかったのかもしれない。
ただ、
「周札だ」
と言った。
埠頭にいる人間なら、
それで意味が通じた。
札があれば、
荷は動かせる。
その札を誰が出したのかまでは、
いちいち確かめなかったのかもしれない。
⸻
安順河は息子を見た。
「まだ最後まで調べるつもりか?」
安生は答えなかった。
しばらくしてから、
「最後まで調べられるかは分からない」
「でも、分かるところまでは知りたい」
と答えた。
安順河は頷いた。
「そうやって調べろ」
「少なくとも、早まって間違えることは減る」
安生は少し笑った。
「父さんも、昔はそうやって調べたの?」
安順河は黙った。
やがて、
「昔の俺は、急ぎすぎた」
「どうして?」
「お前が川に落ちたあと」
「沈川が死んだ」
「俺は、誰の問題だったのかを見つけることしか考えなかった」
「でも後になって分かった」
「いろんなことが」
「一人では全部説明できない」
安生は何も言わなかった。
父は再び腰掛けの修理を始めた。
木屑が、
少しずつ地面に落ちていった。
⸻
夜。
安生はもう一度、
六月十二日の記録を整理した。
今度は、
「周長順が荷を出した」
とは書かなかった。
「沈記の荷が持ち出された」
とも書かなかった。
こう記した。
六月十二日。
東倉 三包。
西倉 二包。
二度の出庫で、運んだ人間は別。
使用した札も違う。
「周札」を根拠に荷が出された。
札の発行者は、まだ分からない。
書き終えてから、
安生は長いこと筆を置かなかった。
そして最後に、
一行だけ付け加えた。
「まず札を調べ、それから人を調べる。」
窓の外は、
もう静まり返っていた。
安生は紙をしまった。
その時、
ふと一つの疑問が浮かんだ。
東倉と西倉の札が、
もともと違っていたのなら。
なぜ許文成は、わざわざ、
「札、違う」
と書いたのか。
あの時、
許文成はいったい何に気づいたのだろう。
そして、
なぜその先を書かなかったのか。
その答えは、
もしかすると、
すでに破り取られた六月の帳面の一頁に残っているのかもしれない。
だが、その一頁は、
もう許家にはない。
安生は初めて気づいた。
次に探すべきものは、
札そのものではないのかもしれない。
当時、
札を受け取って、
最後に回収していた人間。
その人を探さなければならない。




