第五十五章 誰の荷だったのか
翌日。
安生は、まず西倉へ向かった。
馬成林が入口で帳面を日に当てていた。
安生を見ると、何も言わずに脇の場所を空けた。
安生はそこに腰を下ろした。
「昨日の六月十二日の記録だけど。」
「もう一度見たい。」
馬成林は帳面を渡した。
安生はその頁を開く。
そこには、やはり三つの文字があった。
南貨三包。
その下に、
周。
安生が尋ねた。
「お父さんは、どうして『周』としか書かなかったんだ?」
馬成林は首を振った。
「分からない。」
「昔の記録は、みんなこんな書き方だった?」
「ときどきな。」
「荷が他人のものだった場合は?」
「名前を書くのか?」
「普通はな。」
「管事自身の荷だったら?」
「それでも書く。」
「じゃあ、どうしてこの紙にはない?」
馬成林は少し考えた。
「たぶん、みんな知ってたんだろう。」
安生は顔を上げた。
「みんな知ってた?」
「ああ。」
「だから書かなかった?」
「昔は、そういうこともあった。」
安生は帳面に目を落とした。
そのとき、ふと思った。
「みんな知っている」。
昔の帳面で、これほど厄介な言葉はない。
「みんな」と言われた瞬間、
最後には誰一人として説明できなくなる。
⸻
「馬哥。」
「ん?」
「お父さん、荷主の一覧を残してないか?」
「ある。」
「どこに?」
馬成林は後ろの棚を指した。
「ただ、全部じゃない。」
安生が立ち上がる。
二人で棚を開けた。
中には古い紙がぎっしり入っていた。
黄ばんだものもあれば、
鼠に端をかじられたものもある。
安生は一枚ずつめくっていった。
やがて、小さな荷札が一枚出てきた。
そこには、
「南貨、十二包」
と書かれていた。
日付は、
六月六日。
安生の手が止まった。
「これだ。」
馬成林も身を寄せる。
「この荷か?」
「まだ分からない。」
安生は続きを読んだ。
その下に、小さな字があった。
「荷主:沈記」
安生は一瞬、動きを止めた。
沈。
また、この姓だった。
「沈記?」
「知ってるか?」
馬成林は首を振った。
「昔、波止場には沈姓の商人が何人もいた。」
「一人じゃない。」
安生はもう一度、荷札を見る。
十二包。
六月六日に船から降ろされた荷の記録と、数は同じだった。
それでも、同じ荷だとは証明できない。
船の番号もない。
具体的な品名もない。
受取人の名前もない。
ただ、
「南貨十二包」
とあるだけだった。
安生は紙を脇へ置いた。
「この紙。」
「持っていってもいいか?」
馬成林は安生を見る。
「持っていけ。」
「ありがとう。」
⸻
安生はすぐには家へ戻らなかった。
そのまま順豊貨行の跡地へ向かった。
今は、別の雑貨屋になっている。
店主は安生を知らなかった。
いくつか尋ねると、
「ここは昔、確かに順豊だったよ」
と答えた。
「陸成安?」
「たしか、そうだった。」
「その人は、その後どこへ?」
「南のほうへ移ったと聞いた。」
「何か残していないか?」
「何もない。」
安生は礼を言って店を出た。
店先まで来たところで、
ふと足を止めた。
陸成安。
孫福。
沈記。
この名前は、これまでにも何度か出てきた。
けれど、まだ一つにつながってはいない。
安生は、もう一度孫福を訪ねることにした。
⸻
孫記雑貨店では、
孫福が帳面をつけていた。
「またお前か。」
「うん。」
「ここを役所か何かだと思ってないか?」
安生は少し笑った。
「あと少しだけ聞きたい。」
「言ってみろ。」
安生は六月六日の荷札を机の上に置いた。
「沈記を知ってるか?」
孫福は紙を見ると、
わずかに表情を変えた。
「知ってる。」
「誰だ?」
「商号だ。」
「何を扱ってた?」
「南からの荷だ。」
「波止場と関係があった?」
「昔はよく来ていた。」
「この荷は沈記のものだったのか?」
孫福はすぐには答えなかった。
「どの荷のことだ?」
「六月六日。」
「十二包。」
孫福はしばらく黙っていた。
「分からない。」
「見たことは?」
「似たような荷なら見た。」
「つまり、確定はできない。」
「ああ。」
安生は紙をしまった。
「じゃあ、教えてくれ。」
「当時、沈記の人間は、どうやって荷を受け取っていた?」
「自分で来ることもあった。」
「波止場から運んでもらうことも?」
「それもあった。」
「誰が担当した?」
「そのとき次第だ。」
安生は眉を寄せた。
「どういう意味だ?」
孫福はため息をついた。
「昔、南から荷が波止場に入ってくると。」
「荷主自身が来るものもあった。」
「貨行に預けるものもあった。」
「ただ、一時的に置いているだけの荷もあった。」
「波止場は、ただ預かっているだけだった。」
「だから、倉庫にある荷が」
「全部、波止場のものとは限らない。」
安生はうなずいた。
「それはもう分かっている。」
孫福は安生を見る。
「お前が今、調べているのは」
「六月十二日の三包だろう?」
「そうだ。」
「なら、探すべきなのは」
「倉庫じゃない。」
「誰の荷だったかだ。」
安生は孫福を見る。
「知ってるのか?」
孫福は首を振った。
「ただ、言っておきたい。」
「なぜ?」
「昔は、個人の荷を波止場に置いておくことがよくあった。」
「何か問題が起きると。」
「みんな、まず波止場を探した。」
「でも実際には」
「波止場は預かっていただけかもしれない。」
安生は尋ねた。
「じゃあ、六月十二日。」
「誰に荷を出す権限があった?」
「荷主だ。」
「荷主がいなかったら?」
「管事だ。」
「管事には、なぜその権限がある?」
「荷主と貨行の間に約束があったからだ。」
「もし荷主が許可していなかったら?」
孫福は黙った。
「それなら、出してはいけない。」
安生はうなずいた。
「分かった。」
⸻
午後。
安生は陸成安を探しに行った。
だが、本人には会えなかった。
代わりに、かつて順豊貨行で働いていた男を見つけた。
高という姓だった。
かなり年を取っている。
安生が事情を話すと、
老人はしばらく考えた。
「沈記?」
「そうです。」
「あの頃、沈という旦那がいたな。」
「今は?」
「知らん。」
「そこの荷は、よく波止場に置かれていた?」
「ああ。」
「抵帳になったことは?」
老人は少し笑った。
「抵帳なんてのは、昔は珍しくなかった。」
「沈記も?」
「あったと思う。」
「誰と?」
「そこまでは覚えてない。」
安生は、人の名前を追うのをやめた。
代わりに尋ねた。
「抵帳にするとき。」
「誰が荷を出すと決めたんですか?」
老人は安生を見る。
「荷主本人だ。」
「荷主がいなかったら?」
「旦那だ。」
「旦那もいなかったら?」
「その荷には触れられん。」
安生は尋ねた。
「管事には?」
老人は首を振った。
「ない。」
「なぜ?」
「管事は倉を管理するだけだ。」
「荷主の代わりに決めることはできん。」
安生はうなずいた。
「では、もし誰かが勝手に持ち出したら?」
老人は笑った。
「そりゃ、勝手に持っていったってことだ。」
その言葉は、とても簡単だった。
それでも安生は、しばらく動かなかった。
ようやく、一つの確かめられる境目が見えた気がした。
誰が怪しく見えるかではない。
許可があったのか。
それだけだった。
⸻
夜。
安生が家に戻ると、
安順河が庭にいた。
安生は「沈記」と書かれた荷札を机の上に置いた。
「父さん。」
「ん?」
「沈記を知ってる?」
父親は紙を見る。
「知ってる。」
「六月六日。」
「沈記の南貨十二包が波止場に入った?」
安順河は黙った。
「分からない。」
「見たことは?」
「ある。」
「これと同じ荷?」
「そこまでは言えない。」
安生はうなずいた。
「じゃあ、六月十二日。」
「南貨三包が持ち出された。」
「それは沈記の荷だった?」
父親が顔を上げた。
「違う。」
安生は一瞬、言葉を失った。
「確か?」
「ああ。」
「なぜ?」
「沈記の荷は」
「その後、抵帳にはなっていない。」
「どうして分かる?」
「あの荷は」
「その後、俺が検品した。」
「いつ?」
「六月十五日だ。」
安生は勢いよく顔を上げた。
「六月十五日?」
「ああ。」
「何を検品した?」
「残っていた荷だ。」
「いくつ?」
安順河は少し黙った。
「九包だ。」
安生は何も言わなかった。
部屋の中が、急に静かになった。
十二包。
三包。
九包。
ちょうど十二になる。
それでも今回は、
安生はすぐに、
「その三包が、あの三包だ」
とは言わなかった。
ただ尋ねた。
「父さん。」
「六月六日に入った十二包が」
「六月十二日までに」
「ほかの荷と入れ替わっていないと、確かめられる?」
安順河は首を振った。
「分からない。」
「どうして?」
「俺は毎日、倉にいたわけじゃない。」
安生はうなずいた。
「じゃあ。」
「六月十五日に検品した九包が」
「六月六日の十二包の残りだと、確かめられる?」
父親は黙った。
「そのときは、そう思っていた。」
「今は?」
「今は、確かめられない。」
安生は何も言わなかった。
父親が安生を見る。
「お前は」
「俺が、昔からこういうことを全部書き残しておくべきだったと思ってるのか?」
安生は首を振った。
「違う。」
「じゃあ、何だ?」
「今になって分かった。」
「当時は誰も、記録する必要があるとは思わなかったことが」
「いくつもあるんだ。」
安順河は安生を見る。
「だから、こうなったんだな。」
安生はうなずいた。
⸻
その夜。
安生は机に向かい、
今日分かったことをもう一度書き直した。
六月六日。
沈記の南貨十二包が波止場に入った。
六月十二日。
南貨三包が倉から出た。
記録には「周」とある。
六月十五日。
安順河が荷を検品した。
残っていたのは九包。
ただし、その九包が六月六日の十二包の残りだったとは確定できない。
安生は筆を止めた。
その下に、もう一行書いた。
「現時点で確認できるのは、数量が対応していることだけ。」
そして、
「荷物が同じ流れで続いていたことは、証明できない。」
と書いた。
しばらく、その文字を見つめる。
それから、もう一行付け加えた。
「ただし、六月十五日の九包が本当に六月六日の十二包の残りなら、六月十二日に出された三包は、何もないところから消えたわけではない。」
書き終えると、
安生は椅子の背にもたれた。
初めて、
この事件には本当に簡単な答えがないのかもしれないと思った。
誰かが間違えたのかもしれない。
誰かが面倒を省いたのかもしれない。
誰かが許可なく荷を持ち出したのかもしれない。
あるいは、
当時のやり方に従って処理しただけなのかもしれない。
そして、そうしたことが、
二十年以上の時間を経て、
すべて混ざり合っている。
安生は「沈記」と書かれた荷札を机の隅に押さえた。
それ以上は調べなかった。
明日、
一人の人間に会いに行くことにした。
六月十二日に、
あの三包の荷を持ち出すことを誰が許したのか。
そのことを、本当に知っているかもしれない人間。
倉の人間でもない。
帳場の人間でもない。
荷主と波止場の間を取り仕切っていた人間。
陸成安だった。




