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『安らかに生きる』 ――原題:『安生』  作者: 亀


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第五十二章 補われた一枚の伝票

翌日。


安生はまた、古い帳場へ向かった。


六月九日の三枚の紙を、もう一度並べる。


そして老梁に尋ねた。


「もし荷物が西倉に入っていて」


「そのあと正式に出庫されたとしたら」


「ほかに、どんな紙がある?」


老梁は少し考えた。


「出庫伝票だな」


「それ以外は?」


「荷受けの記録」


「ほかには?」


「帳場にも一筆残る」


安生はうなずいた。


「じゃあ、まず出庫伝票を探そう」


老梁はため息をついた。


「お前も本当に諦めないな」


「ここまで調べたんだから」


「最後まで見ないと」


二人はまた帳面をめくり始めた。


今度は、ずいぶん長くかかった。


日が暮れかけたころ。


老梁が棚のいちばん下から、木箱を一つ取り出した。


「これは、俺も前に見たことがない」


安生が受け取る。


木箱は軽かった。


中には、紙が数枚入っているだけだった。


一枚目。


日付がない。


二枚目も、白紙だった。


三枚目を開いたところで。


安生の手が止まった。


そこには、こう書かれていた。


六月十二日。


西倉。


南貨 一包。


その下に、名前が一つある。


周長順。


安生は何も言わなかった。


老梁が横から覗き込む。


「出庫伝票だ」


「確かか?」


「書式を見れば分かる」


「昔はこういう書き方だった」


安生はさらに下を見る。


出庫理由の欄には、


米との相殺。


と書かれていた。


安生は眉を寄せた。


「米との相殺?」


「そうだ」


「誰が受け取った?」


その欄には、名前がない。


あるのは、周長順の三文字だけだった。


「これ、周長順が受け取ったのか?」


老梁は首を振った。


「そうとは限らない」


「なぜ?」


「周長順が許可しただけかもしれない」


安生が尋ねる。


「じゃあ、実際に受け取った人は?」


「本来なら別の欄に書く」


「ここにはない」


「書かなかったのかもしれない」


安生は、その三文字を見た。


そして日付を見る。


六月十二日。


六月九日から、三日後だった。


すぐに王記のことが頭に浮かんだ。


六月九日。


南布三反。


米一石と交換。


六月十二日。


西倉。


南貨一包。


米との相殺。


二つの出来事が、少しずつ近づいているように見えた。


だが、それでも同じものだとは証明できない。


安生は紙をしまった。


「まだ探そう」


――


それから半刻ほどして。


ようやく、もう一枚が見つかった。


六月十二日。


西倉。


南貨 二包。


その下には、


受領済み。


とだけ書かれていた。


名前はない。


周長順の名もない。


安生は二枚の紙を並べた。


一包。


二包。


合わせれば、ちょうど三包になる。


何も言わない。


老梁も何も言わなかった。


しばらくして、安生が尋ねた。


「この二枚は、同じ荷か?」


老梁は首を振った。


「分からない」


「日付は同じだ」


「そうだ」


「倉も同じ」


「そうだな」


「品名も同じだ」


「それでも、分からない」


老梁は一枚目を指した。


「こっちには周長順の名前がある」


「もう一枚にはない」


「しかも、片方には米との相殺と書いてある」


「もう片方は、ただ受領済みとだけある」


安生はうなずいた。


「つまり」


「三包まとめて出た可能性もある」


「別々の人間が、それぞれ受け取った可能性もある」


「そういうことだ」


「じゃあ、どうして受け取った人の名前を書かなかった?」


「昔はな」


老梁は少し考えてから言った。


「倉の者が、受け取る人間を知っていることが多かった」


「だから、書かなくても分かると思ってたんだろう」


安生は顔を上げた。


「それじゃ、出庫伝票には何の意味がある?」


老梁は笑った。


「荷物が出たことを残すためだ」


「誰が持っていったかは」


「その場では、みんな知っている」


「あとになれば、誰も分からなくなる」


安生は黙った。


その言葉が、ひどく嫌だった。


老梁の言っていることが間違っているからではない。


むしろ。


あまりにも筋が通っていたからだった。


――


安生は二枚の伝票を王記へ持っていった。


王福は紙を見ると、わずかに顔色を変えた。


「どこで見つけた?」


「波止場だ」


「六月十二日」


「西倉」


「南貨三包」


「この荷に覚えはあるか?」


王福は答えなかった。


安生がもう一度尋ねる。


「六月九日に、お前のところへ来た三反の南布」


「米と交換した」


「こっちには、米との相殺と書いてある」


「同じものなのか?」


王福は紙を手に取った。


長いこと見つめていた。


やがて言った。


「分からない」


安生はうなずいた。


「俺もそう思う」


王福はふいに言った。


「ただ」


「何だ?」


「あのときの米との交換でな」


「親父が決めたんじゃない」


安生が顔を上げる。


「誰が決めた?」


「店に来た人間が言ったんだ」


「波止場の荷を、布で米と相殺することになったから」


「米を先に用意してくれって」


「誰が言いに来た?」


王福はしばらく考えた。


「たしか、若い男だった」


「名前は?」


「知らない」


「姓は?」


「それも分からない」


「何か持っていた?」


「木札を一枚」


安生の表情が変わった。


「どんな木札?」


「波止場の札みたいなものだった」


「何か書いてあった?」


「よく見てない」


「お前の親父は?」


「見た」


「何と言った?」


王福は少し黙った。


「こう言ってた」


「波止場の荷なら」


「帳面どおりにやればいい」


安生は目を伏せた。


「つまり」


「親父は、その男を信用した」


「そうだ」


「なぜ?」


「前にも、そういうことがあったからだ」


安生は、それ以上聞かなかった。


そのとき初めて気づいた。


これこそが、問題だったのかもしれない。


もし当時、それが普通のやり方だったのなら。


一人の人間が波止場の札を持ってきて、


「布三包を米と相殺する」


と言ったとしても。


米屋がそれを信じても、不思議ではない。


誰も思わなかっただろう。


二十年以上も経ってから。


その三包の布が、本当は誰のものだったのかを尋ねる人間が現れるなどとは。


――


波止場へ戻ると。


安生は趙徳全を探した。


「趙叔」


「ん?」


「昔、この波止場には木札があったか?」


「木札?」


「荷物の持ち主を証明するようなものだ」


趙徳全は考えた。


「あった」


「誰が出していた?」


「管事だ」


「荷物ごとに?」


「そうとは限らない」


「どういうときに使う?」


「臨時の出庫だ」


「普通の取引じゃないときだな」


安生は尋ねた。


「たとえば、帳尻を合わせるとき?」


趙徳全は安生を見る。


「そうだ」


安生は黙った。


「じゃあ、六月十二日は?」


「木札があったかどうか、覚えてるか?」


趙徳全は首を振った。


「覚えてない」


「誰なら覚えてる?」


「周長順だろうな」


安生は黙って趙徳全を見た。


「でも、もう死んでる」


趙徳全はため息をついた。


「だから、お前が今調べてることは」


「こんなに難しいんだ」


――


夜になって。


安生が家へ戻ると、父はまだ起きていた。


安生は二枚の出庫伝票を机の上に置いた。


「親父」


安順河は紙を一目見ると、顔色を変えた。


「どこで見つけた?」


「古い帳場だ」


「六月十二日」


「西倉」


「南貨三包」


父は何も言わなかった。


安生が尋ねる。


「この三包の荷を知ってる?」


安順河は長いこと黙っていた。


「知ってる」


「誰の荷だ?」


「分からない」


「誰が持っていった?」


「分からない」


「なぜ米と相殺した?」


「分からない」


安生は父を見る。


「親父は、あのときこの伝票を見たのか?」


父は答えなかった。


安生も急かさなかった。


しばらくして。


安順河がようやく言った。


「見た」


「いつ?」


「六月十二日より後だ」


「誰が見せた?」


「周長順だ」


「何と言った?」


父は少し間を置いた。


「この勘定は、もう片がついた」


安生は眉を寄せる。


「片がついたって、どういう意味だ?」


「もう追わなくていい、ということだ」


「なぜ?」


「分からない」


「聞かなかったのか?」


「聞いた」


「何て言った?」


安順河は窓の外を見た。


「荷物は誰かが持っていった」


「米も誰かが受け取った」


「だから、帳面にはもう書かなくていい」


安生は黙った。


その言葉は、どこにでもありそうなものだった。


だが。


だからこそ、妙に引っかかった。


「親父」


「ん?」


「じゃあ、あのとき」


「どうして、もっと調べなかった?」


安順河はすぐには答えなかった。


長い沈黙のあと。


ようやく口を開く。


「あの頃はな」


「もう、これ以上調べても」


「何も出てこないと思ったんだ」


安生は黙って聞いていた。


父は続けた。


「沈川が死んだ」


「許文成は病気になった」


「周長順も、もう何も話そうとしなかった」


「お前の母さんは、毎日お前につきっきりだった」


「お前だって、いつも俺に聞いていた」


「いつ家に帰ってくるのかってな」


安順河は目を伏せた。


「だから俺も、もういいと思った」


安生は父を見た。


このとき初めて。


父が当時、何も気づかなかったわけではないと分かった。


気づいたあとで。


止めたのだ。


その選択には、父なりの理由があったのだろう。


それでも。


調べ切れなかった勘定が、一つ残った。


――


その夜。


安生は一人、机に向かっていた。


二枚の出庫伝票が目の前にある。


六月十二日。


南貨三包。


一包。


二包。


そのうち一枚には、周長順の名前がある。


もう一枚には、受領した人間の名前がない。


王記にも、同じ日、あるいは近い時期に南布と米を交換した記録が残っている。


だが。


それが、この三包の荷だったという証拠はない。


安生は筆を取り。


紙に書いた。


現在、確認できること。


六月十二日、西倉から少なくとも三包の南貨が出庫された記録がある。


確認できないこと。


一、六月九日に西倉へ移された三包と同じ荷だったのか。


二、王記に渡った三反の南布と同じ荷だったのか。


三、三包を実際に受け取ったのは誰だったのか。


四、周長順は出庫を許可しただけなのか、それとも自分で荷を受け取ったのか。


五、なぜこの荷について、最後まで帳面に記録が残らなかったのか。


安生はしばらく筆を止めた。


そして最後に、一行だけ書き足した。


だが、父はこの伝票を見ていた。


その一文を、長いこと見つめていた。


やがて筆を置く。


今度は。


周長順のことも。


王福のことも。


これ以上は追わなかった。


代わりに、別の人間のことを思い出した。


許文成。


六月十二日に、誰かが三包の荷を持ち出していたのなら。


どうして帳場には、完全な記録が残っていない?


もし周長順が本当にこの荷を処理したのなら。


許文成は、そのことを知っていたのか?


そして。


もし許文成が知っていたのなら。


なぜ、あの小冊子には六月十二日の記録がない?


安生は立ち上がった。


木箱から、許文成の古い手帳を取り出す。


六月の頁を開く。


六月三日。


六月五日。


六月六日。


六月七日。


そのあと。


いきなり六月十五日になっている。


その間が、一頁まるごと抜けていた。


安生の手が止まった。


それが答えだとは。


まだ思わなかった。


ただ、その破れた跡を見つめた。


長いこと。


そして、静かに呟いた。


「なくなっているのは」


「二包の布だけじゃない」

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