第五十一章 出庫記録がない
翌日。
安生は波止場へ向かった。
まず老梁を探した。
「老梁」
「ん?」
「六月九日」
「また六月九日か?」
「はい」
安生は王記の帳面を取り出した。
「南布三反」
「米一石と交換した記録です」
老梁は一度目を通した。
「これが波止場と、どう関係する?」
「分かりません」
「だから聞きに来ました」
老梁は笑った。
「お前も、ずいぶん聞き方がうまくなったな」
安生も笑った。
「分からないから」
「聞きに来たんです」
老梁は帳面を受け取った。
しばらく見ていたが。
「六月九日……」
目を閉じて考える。
「この日」
「東倉から一度、荷を出したはずだ」
安生はすぐに聞いた。
「何の荷です?」
「南貨だ」
「何包?」
「分からん」
「誰が受け取った?」
「分からん」
「出庫票は?」
「あるはずだ」
安生が聞く。
「どこに?」
老梁は首を振った。
「昔の倉庫の出庫票はな」
「帳場へ回したものもあった」
「倉庫に残したものもあった」
「持ち出されたものもある」
「今、どれだけ残っているかは」
「誰にも分からん」
安生は頷いた。
「じゃあ、探してみてもいいですか?」
老梁は安生を見る。
「いいぞ」
⸻
二人は古い帳場へ向かった。
今度は木箱を探したのではない。
出庫記録を探した。
一時間あまり。
ようやく、薄い紙の束が見つかった。
一番上に、
六月九日。
と書かれている。
安生の胸が、少しだけ強くなる。
紙を取り出した。
一枚目。
何もない。
二枚目。
何もない。
三枚目。
そこには、
東倉。
南貨。
三包。
と書かれていた。
その下には、ぼやけた印が一つ。
安生はしばらく見つめた。
「これですか?」
老梁が受け取る。
「分からんな」
「誰のものに見えます?」
「倉庫の印みたいだ」
「人の名前では?」
「違う」
安生は続きを見た。
その下に、もう一行。
西倉へ移す。
安生が顔を上げた。
「西倉へ?」
老梁は頷いた。
「そうだ」
安生は自分の記録を取り出した。
六月九日。
もともと見つけた記録には、
東倉より二包、西倉へ移す。
とある。
だが、今見つけた紙には。
三包。
と書かれている。
安生は何も言わなかった。
老梁も何も言わない。
しばらくして、老梁が聞いた。
「前の記録は?」
安生が取り出す。
二枚の紙を並べた。
一枚には二包。
もう一枚には三包。
日付は同じ。
倉庫も同じ。
移された先も同じ。
違うのは。
数量だけだった。
安生は眉を寄せた。
「どちらが本当なんです?」
老梁は首を振った。
「どっちも本当だ」
安生が顔を上げる。
「どういう意味です?」
「当時の記録はな」
「最初の紙は仮に書いたものだったりする」
「あとで正式に書き直すこともあった」
「じゃあ、どうして数量が違うんです?」
「誰かが数え間違えたのかもしれん」
「あとから一包増えたのかもしれん」
「最初は三包運んで」
「そのうち一包を戻した可能性もある」
安生は黙った。
せっかく一本の線が見えたと思えば。
別の記録が現れて。
こう告げてくる。
――物事は、お前が考えているほど単純ではない。
⸻
安生はさらに紙をめくった。
三枚目の裏側に。
小さな文字がいくつか残っていた。
水に濡れたらしく、ほとんど読めない。
かろうじて、
「周……」
とだけ見える。
安生は何も言わなかった。
老梁が見て、
「慌てて決めるなよ」
と言った。
「分かっています」
「一字だけじゃ、何も証明できん」
安生は頷いた。
紙を机の上に置く。
「もし三包とも西倉へ移ったなら」
「その後は?」
老梁が言った。
「続きを探す」
「何を?」
「西倉の入庫記録だ」
二人はまた紙を探し始めた。
今度は、かなり時間がかかった。
ようやく一枚見つかった。
六月九日。
西倉入庫。
南貨三包。
安生は、その三つの数字を見つめた。
三包。
すぐに王記の帳面が頭に浮かぶ。
三反の布。
だが、安生は喜ばなかった。
そのまま続きを見る。
下には一行。
整理待ち。
名前はない。
値段もない。
出所もない。
安生は、その紙を脇へ置いた。
そして聞く。
「六月十日は?」
ない。
「十一日は?」
ない。
「十二日は?」
ようやく記録があった。
南貨六包。
安生はしばらく見ていた。
「この三包は?」
「書いてない」
「なぜ?」
「分からん」
「西倉三包」
「十二日は六包」
「一緒になった可能性は?」
老梁は首を振った。
「分からん」
「どうして?」
「一緒なら、九包と書くはずだ」
「だが、ここには六包としかない」
安生は頷いた。
少なくとも帳面上では。
六月十二日の六包に。
六月九日の三包が含まれているとは書かれていない。
だからといって。
三包がその時点でまだ残っていたとも言えない。
単に書き漏らした可能性もある。
すでに出庫していた可能性もある。
⸻
午後。
安生は王記へ向かった。
王福の前に帳面を広げる。
「王叔さん」
「どうした?」
「この三反の布」
「波止場から来たものではない可能性もあります」
王福は少し驚いた。
「そりゃ、あるだろう」
「なぜ?」
「南から来る荷が」
「波止場だけを通るとは限らん」
安生は頷いた。
「じゃあ、どうして『南布』と書いたんです?」
「持ってきた人が、そう言ったからだ」
「どこから来たと言った?」
「南からだ」
「具体的な場所は?」
「知らん」
「波止場とは言ってない?」
王福は首を振った。
「言ってない」
安生は、それ以上聞かなかった。
ふと気づいた。
また、二つのことを無理に一つにしようとしていた。
南から来た布。
そして。
波止場に入った南貨。
言葉は似ている。
だが。
同じものだという証拠はない。
安生は王記の記録を書き直した。
出所――南から来たと、持ち込んだ者が話した。
そして。
「波止場」
という二文字を線で消した。
王福が安生を見る。
「また、自分の考えが間違っていたと分かったのか?」
安生は少し笑った。
「はい」
「それなら、いいじゃないか」
「何がです?」
「間違ったことを、本当だと思い込まずに済んだ」
安生も笑った。
「王叔さん」
「ん?」
「昔、帳面を調べる時も」
「こんなふうにやっていたんですか?」
王福は首を振った。
「昔は、お前ほど面倒なことはしなかった」
「じゃあ、どうしていたんです?」
「だいたい合ってれば、それで終わりだ」
「なぜ?」
「みんな忙しかったからな」
「金額が小さいものもある」
「荷だって、たいした値打ちじゃないものもある」
「そんなものを、いつまでも調べていられん」
安生は何も言わなかった。
ふと、昔の自分を思い出した。
自分が借金を取り立てていた時も。
三百文。
五百文。
少し少ない。
少し多い。
最後にだいたい合っていれば。
それでいいと思っていた。
誰も時間をかける価値があるとは思わない。
そういう小さなことほど。
最後には。
誰にも説明できない大きな問題になるのかもしれない。
⸻
夜。
安生は、その日の記録を整理した。
六月九日。
一枚目。
東倉、三包。西倉へ移す。
二枚目。
西倉、三包。整理待ち。
三枚目。
出所不明。
王記。
南布三反。出所について分かっているのは、「南から来た」ということだけ。
安生は四枚の紙を並べた。
今度は。
結論を書かなかった。
ただ、一行だけ記した。
現時点では、王記の三反の布が、波止場の三包の荷と同じものだとは証明できない。
書き終えると。
安生は少しだけ肩の力が抜けた。
以前の自分なら。
ここまで来れば、きっと決めていた。
三反の布=三包の荷。
そして。
誰かがその荷を王福のところへ持っていった。
そう考えて、次は誰だったのかを探しただろう。
今は違う。
数字が同じだということは。
ただ。
数字が同じだということだけだった。
⸻
安平が夜になって帰ってきた。
机の上の紙を見る。
「また変わったのか?」
「うん」
「何が?」
「前は、三反の布と三包の荷は同じだと思っていた」
「今は?」
「分からない」
安平はしばらく安生を見た。
それから笑った。
「本当に変わったな」
安生が顔を上げる。
「どこが?」
「前のお前は」
「一度、こうだと思ったら」
「なかなか考えを変えなかった」
「今は?」
「一枚の紙が出てくれば」
「もう一度、考え直す」
安平は座った。
「それなら、いい」
安生は何も答えなかった。
ただ、紙を一枚ずつ整えていく。
しばらくして。
「兄さん」
「ん?」
「俺、昔からこんなだったのかな」
「何が?」
「本当は分かっていないのに」
「分かったつもりになってた」
安平は、すぐには答えなかった。
長い間を置いてから。
「そうだった」
と答えた。
安生は少し笑った。
「じゃあ、今から変える」
安平は安生の肩を軽く叩いた。
「少しずつでいい」
部屋の中が、また静かになった。
窓から入った風が。
机の上の古い紙を動かす。
そのうち一枚が裏返った。
一番下に。
薄く消えかけた文字が残っていた。
「受取」
安生は手を伸ばして、その紙を押さえた。
だが、すぐには意味を決めなかった。
筆を取る。
その横に、こう書いた。
要確認――六月九日の西倉三包について、その後、正式な出庫記録が存在するか。
そして。
筆を置いた。




