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『安らかに生きる』 ――原題:『安生』  作者: 亀


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第五十章 王記の古い帳面

翌朝早く。


安生は王記の米屋へ向かった。


王福は店先を掃いていた。


安生を見ると、少し笑った。


「また来たのか?」


「王叔さん」


「今度は何を調べる?」


「昨日話していた、あの布のことです」


王福は箒を止めた。


「本当に覚えてたのか」


「王叔さんが話したことですから」


「覚えておかないと」


王福は箒を脇へ置いた。


「入れ」


安生は王福の後について店の中へ入った。


米屋の奥には、小さな部屋があった。


米袋や古い木箱、それからもう使われていない帳面が置かれている。


王福が一番奥を指した。


「昔の帳面は、ここだ」


安生はしゃがみ込んだ。


「何年くらいのものです?」


「十何年前のもある」


「二十年以上前のは?」


王福は少し考えた。


「たぶん、まだある」


二つの木箱を動かす。


その下から、黒ずんだ木箱が現れた。


蓋を開けると、中には何冊もの帳面がきちんと積まれていた。


王福が一冊を取り出した。


「自分で探してみろ」


安生は受け取った。


表紙の文字は、すでにぼやけている。


一ページ目を開く。


日付は大晟二十三年から始まっていた。


安生の手が止まった。


あの年だった。


⸻


安生は、すぐに布を探さなかった。


六月から始めて。


一日ずつ、後ろへめくっていく。


六月三日。


米。


油。


塩。


布はない。


六月四日。


なし。


六月五日。


米。


六月六日。


なし。


六月七日。


なし。


六月八日。


なし。


六月九日。


安生の手が止まった。


帳面には、こう書かれていた。


南布三反、米一石と交換。


その下に、一つの姓。


周。


安生はすぐに顔を上げた。


「王叔さん」


「ん?」


「この『周』は、誰です?」


王福が近づいてきて、しばらく帳面を見た。


「覚えてない」


「確かですか?」


「帳面をつけたのは親父だからな」


「お父さんが?」


「ああ」


「その頃も、まだ店に?」


「いた」


安生はその一行を指した。


「ここには『周』とあります」


「周長順という可能性は?」


王福は首を振った。


「そこまでは分からない」


安生は頷いた。


それ以上、追及しなかった。


そのまま続きを見る。


六月十日。


なし。


六月十一日。


なし。


六月十二日。


また一つ記録があった。


南布一反、米と交換。


姓はない。


六月十三日。


なし。


六月十四日。


南布二反、米と交換。


ここにも名前はない。


安生は三つの記録を書き写した。


三反。


一反。


二反。


合計六反。


ふと、古い倉庫の記録が頭に浮かんだ。


六月十二日。


西倉、六包。


だが、安生はすぐには二つを結びつけなかった。


「王叔さん」


「ん?」


「この布は、その後どうなったんです?」


「もうない」


「売ったんですか?」


「交換した」


「いつ?」


「その日か、翌日だ」


「お父さんは、布の出所を記録していませんか?」


王福は首を振った。


「こんな小さな取引だ」


「品物があれば交換する」


「そこまで細かく書くことはなかった」


安生はしばらく黙った。


「じゃあ、この三反の布は」


「一人が持ってきたんですか?」


王福は帳面を見る。


「ここには書いてない」


「覚えていますか?」


王福は長い間考えた。


「たぶん、一人だった」


「男?」


「男だ」


「年は?」


「若かったと思う」


「姓は周?」


「本当に覚えてない」


安生は、それ以上求めなかった。


二十年以上も前のことだ。


普通の人間が、見知らぬ男の顔や名前を覚えていなくても不思議ではない。


⸻


「王叔さん」


「ん?」


「お父さんは、どうしてこれを記録したんです?」


「何を?」


「この『周』という字です」


王福は少し戸惑った。


「その時、知っていた人間だったからじゃないか」


「その人を知っていた?」


「たぶんな」


「お父さんは周長順を知っていたんですか?」


王福は答えなかった。


しばらくしてから、ようやく口を開いた。


「子供の頃、聞いたことがある」


「周長順は、昔ここへ来たことがある」


「米を買ったことがあるって」


安生が聞く。


「いつです?」


「分からない」


「何か話していましたか?」


「何も」


「ただ米を買っただけ?」


「たぶん」


安生は頷いた。


それ以上は聞かなかった。


今、一番大事なのは、周長順が王記に来たことを証明することではない。


六月九日の三反の布が。


いったい、どこから来たのか。


それを確かめることだった。


⸻


安生は帳面を机の上に置いた。


「王叔さん」


「この三反の布」


「南から来たものですか?」


「帳面には、そう書いてある」


「お父さんは、どうしてそう書いたんです?」


「布を持ってきた人が、そう言ったからだ」


「誰が?」


王福は少し考えた。


「運んできた人だ」


「その人が、自分は南から来たと言った?」


「ああ」


「船は?」


「そこまでは知らない」


安生は、ふと思いついて聞いた。


「その人が布を持ってきた時」


「自分で背負ってきたんですか?」


王福は笑った。


「三反の布を誰が背負うんだ」


「牛車だ」


安生の手が止まった。


「確かですか?」


「ああ」


「その頃は、店の前の道が狭かった」


「牛車は外に止めた」


「布は二人で運び込んだ」


「二人?」


「ああ」


「もう一人は?」


「知らん」


安生は目を落とした。


帳面に残っている姓は「周」だけ。


だが、その時、少なくとも二人いた。


一人が荷を持ってきて。


もう一人が運び込むのを手伝った。


もちろん、それだけで何かを証明できるわけではない。


ただ。


少なくとも、この布は一人の人間がふらりと持ってきて、米と交換しただけの話ではなかった。


⸻


安生は波止場へ戻った。


趙徳全を探す。


「趙叔さん」


「今度は何だ?」


「六月九日」


「王記に南布が三反、入っていました」


趙徳全は、すぐには答えなかった。


安生が続ける。


「あの日、牛車が波止場から出ていなかったか、覚えていますか?」


趙徳全は眉を寄せた。


「そんなことまで覚えてるわけないだろ」


「倉庫の近くに牛車は?」


「いた」


「誰のです?」


「決まってない」


「波止場から荷を運び出す場合」


「普通は記録しますか?」


「正式な出荷ならな」


「個人の運搬なら?」


「必ずしも、とは言えん」


安生が聞いた。


「当時、誰かが倉庫から荷を運び出すことはできたんですか?」


趙徳全は安生を見る。


「勝手にはできない」


「でも?」


「でも、波止場には人が多かった」


「責任者が一言いいと言えば」


「運んでしまうこともあった」


安生は黙った。


趙徳全はさらに言った。


「毎回、三人が署名しなきゃ荷を動かせないと思うなよ」


「あの頃の波止場は、今ほど細かくなかった」


「知り合い同士で一言交わして」


「あとから帳面を直すこともあった」


安生は頷いた。


この話は、もう何度も聞いている。


だが、今日は違って聞こえた。


ようやく見えてきたからだ。


あの時代の問題は。


すべての人が嘘をついていたことではない。


そもそも、十分な記録が残されていないことだった。


⸻


夕方。


安生が家に戻ると。


安順河が庭で洗濯物を干していた。


「父さん」


「ん?」


「六月九日」


父の手が止まった。


「また何か分かったのか?」


「王記に南布が三反」


「米と交換されていました」


「帳面には『周』と書いてある」


安順河は黙った。


安生は父を見る。


「知っていた?」


長い沈黙のあと。


父が言った。


「知っていた」


安生は驚かなかった。


「誰だか分かる?」


「分からない」


「じゃあ、どうして知ってる?」


「昔、誰かに聞いた」


「誰に?」


「周長順だ」


安生は一瞬、言葉を失った。


「何と言っていた?」


安順河は腰を下ろした。


「倉庫の荷だ」


「その後、いくつか見えなくなったものがある」


「でも、盗まれたとは思っていなかった」


「誰かが帳尻を合わせるために、持っていったのかもしれないと言っていた」


安生は眉を寄せた。


「何の帳尻?」


「分からない」


「聞かなかったの?」


「聞いた」


「何て?」


安順河は首を振った。


「帳面がもう乱れている」


「これ以上調べても」


「ますます分からなくなるだけだ、と」


安生は黙った。


「じゃあ、その三反の布は?」


「分からない」


「その後、調べた?」


「王記は調べた」


「どうして俺に話さなかった?」


父は安生を見た。


「その話は」


「お前が川に落ちたあの日とは」


「直接、関係がないと思ったからだ」


安生はすぐには答えなかった。


しばらくしてから聞いた。


「どうして、直接関係がないと分かるの?」


安順河は何も言わなかった。


今度は、父子の間に長い沈黙が落ちた。


安生は、ふと気づいた。


父は何も知らなかったわけではない。


いくつかのことは、あの頃すでに知っていた。


それでも、途中で調べるのをやめたのだ。


答えが存在しなかったからではない。


あの日。


父には、川から引き上げたばかりの息子がいた。


そして、死んでしまった友人がいた。


あの日を境に。


それまで大切だったいくつかのことが。


父にとって、同じ重さではなくなったのかもしれない。


⸻


安生は自分の部屋へ戻った。


その日分かったことを、もう一度書き直した。


六月九日。


王記――南布三反、米一石と交換。


持ち込んだ者――不明。


同行者――不明。


帳面に残った姓――周。


六月六日の二包との関係――証明できない。


最後に。


しばらく迷ってから、一行を書き足した。


安順河はこの件を知っていたが、その後の調査を続けなかった。


安生は、その一文を見つめた。


消さなかった。


父のために説明を加えることもしなかった。


ただ、そこに残した。


今の時点で、それが確認できる事実だったからだ。


父がなぜ調査を続けなかったのか。


それは、また別の問題だった。


安生は紙を折り、木箱の中へしまった。


窓の外は、もう暗くなっていた。


通りでは人々が店を閉め始めている。


誰かが子供を呼んでいる。


誰かが戸を閉める。


誰かが、その日の売れ残った品を家の中へ運び込む。


安生は机の前に座ったまま。


ふと、思った。


ここまで調べてきて。


本当に少しずつ見えてきたのは。


二十三年前、誰が八十両を持っていったのか、ということではないのかもしれない。


あの日のあと。


一人ひとりが、それぞれの選択をした。


調べ続けた者。


途中でやめた者。


帳面を書き直した者。


荷を動かした者。


何もしなかった者。


その一つ一つの選択が。


結局、今日まで残っている。


安生は立ち上がった。


灯りを消す。


明日も。


まだ調べなければならない。

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