第四十四章 六月六日
翌日。
安生は朝早く、沈砚の住む家へ向かった。
着いたとき。
沈砚は庭で薪を割っていた。
安生を見ると、斧を置いた。
「俺に用か?」
「うん。」
「親父のこと?」
「それもある。」
「それから、あんたの父親のことも。」
沈砚は安生をしばらく見た。
「入れ。」
⸻
部屋は簡素だった。
机の上には古い本が何冊か置かれている。
壁際には木箱が一つあった。
安生が腰を下ろすと、沈砚は二杯の水を注いだ。
「何を聞きたい?」
「六月六日のこと。」
沈砚の手が止まった。
「どうした?」
「あんたの父親は、その日、帳場へ行ったのか?」
「たぶん。」
「どうして分かる?」
沈砚は少し考えた。
「母から聞いた。」
「母さんは、自分で見たのか?」
「その日の夜、父が帰ってきたのが遅かったと言っていた。」
「それから?」
「波止場の帳面に問題があると言っていたらしい。」
安生が顔を上げた。
「何と言っていた?」
沈砚は首を振った。
「俺も、まだ子供だった。」
「覚えているのは、いくつかの言葉だけだ。」
「何?」
沈砚は机の上に目を落とした。
「『誰かが帳面をめちゃくちゃにした』。」
安生はすぐには何も言わなかった。
「ほかには?」
「ない。」
「母さんは?」
「母も、それだけしか覚えていない。」
安生は頷いた。
それから、自分がここまで調べてきたことを話した。
六十両。
二十両。
「未収」。
周長順は届いたと言っていた。
その後、許文成の帳面が整理された。
そして最後に、八十両という数字になった。
沈砚は、安生が話し終えるまで口を挟まなかった。
すべて聞き終えてから、ようやく尋ねた。
「今、お前は俺の父親が濡れ衣を着せられたと思っているのか?」
安生は首を振った。
「分からない。」
「じゃあ、どうして俺を訪ねてきた?」
「調べていて気づいた。」
安生は沈砚を見る。
「あんたの父親は、俺たちが今知らない何かを知っていたかもしれない。」
沈砚はしばらく黙っていた。
「俺も、ずっとそう思っていた。」
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沈砚は立ち上がった。
壁際の木箱へ行き、蓋を開ける。
中には衣服が何着か。
古い本。
それから、色の褪せた布が一枚。
沈砚は一番下から、小さな木箱を取り出した。
それを机の上に置く。
「父が残したものだ。」
安生は木箱を見る。
「今まで見せてくれなかったのか?」
「子供の頃は、何が何だか分からなかった。」
「あとで母がしまった。」
「母が亡くなってから、俺に渡された。」
沈砚が蓋を開ける。
中には、いくつかのものしか入っていなかった。
古い筆が一本。
鍵が一本。
黄ばんだ紙が数枚。
それから、木札。
安生が木札を手に取る。
そこには、
波止場 検品
と書かれていた。
安生は一瞬、目を止めた。
「これは、あんたの父親の?」
「ああ。」
「知ってたのか?」
「子供の頃に見たことがある。」
安生は木札を裏返した。
何も書かれていない。
「父親は、検品を担当していた?」
「少なくとも、しばらくはな。」
沈砚が言う。
「あとになって、主に荷物のほうを見るようになった。」
安生は何も言わなかった。
ふと、呉叔の言葉を思い出す。
荷物に問題があれば。
最後に判断できるのは、沈川だった。
そうだとすれば。
沈川の立場は、安生が最初に思っていたより重要だった。
単なる帳面の担当者ではない。
あの頃、荷物が本当に届いたのかを確認できる側の人間だったのだ。
⸻
安生は尋ねた。
「この紙は?」
沈砚が紙を渡す。
一枚目は、数年前に書かれた家族宛ての手紙。
二枚目は、薬代の記録。
三枚目には、数行だけ書かれていた。
安生はゆっくり目を通す。
六月三日。
六十両、到着。
荷、未だ全部そろわず。
安生の胸が動いた。
「これは、あんたの父親が書いた?」
「たぶん。」
「確かか?」
「父の字は分かる。」
安生は続きを見る。
六月五日。
南からの第二便、到着。
六月六日。
記録なし。
六月七日。
川辺で事故。
安生は顔を上げた。
「ほかには?」
「ない。」
「この紙、誰かに見せたことは?」
沈砚は首を振った。
「ない。」
安生は紙を机に戻した。
「八十両について、書いてある?」
「ない。」
「二十両は?」
沈砚は紙を受け取り、もう一度目を通した。
「ない。」
安生は頷いた。
そのことが、かえって少し安心できた。
少なくとも今のところ。
沈川が残した記録は、誰か一人を「八十両」と直接結びつけてはいない。
⸻
「もう一つある。」
沈砚は木箱から、あの鍵を取り出した。
「父が使っていたものだ。」
安生が受け取る。
「何の鍵?」
「分からない。」
「試したことは?」
「ある。」
「見つからなかった。」
安生は鍵を見る。
すでに錆びている。
形も、どこにでもありそうな普通のものだった。
「どうして、ずっと残してる?」
「母が言っていた。」
「父が最後に残したものだからって。」
「捨てるなと言われた。」
安生は頷いた。
それを、重要な手がかりだとは考えなかった。
ただ、元の場所へ戻した。
そして尋ねる。
「あんたの父親が亡くなった日。」
「朝、会っていた?」
沈砚は黙った。
「会った。」
「いつ?」
「朝だ。」
「何か言っていた?」
「家にいろ、と。」
「どうして?」
「今日は波止場が荒れているから、と。」
「俺が理由を聞いた。」
「そうしたら……」
沈砚は少し間を置いた。
「『今日、どうしても片づけなきゃならないことがある』と言った。」
安生は顔を上げた。
二人の目が合う。
しばらく、どちらも何も言わなかった。
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長い沈黙のあと。
安生が聞いた。
「あんたの父親は、あのとき、すでに帳面に問題があると知っていた?」
「たぶん。」
「調べるつもりだった?」
「たぶん。」
「じゃあ、どうして死んだ?」
沈砚は首を振った。
「分からない。」
安生も、それ以上は聞かなかった。
今、二人が持っているものが示しているのは。
一つだけだった。
沈川は帳面に問題があることを知っていた。
そして、それを確かめようとしていた。
その日に、川で事故が起きた。
沈川は死んだ。
ただ。
この三つの出来事のあいだに、もっと深い関係があったのか。
それを示す証拠はない。
⸻
安生は立ち上がった。
帰ろうとしたとき。
沈砚が呼び止めた。
「安生。」
「ん?」
「もし、最後まで調べて。」
「俺の父親が、本当に何か間違ったことをしていたと分かったら?」
安生は少し立ち止まった。
「それなら、分かったことをそのままにする。」
「もし、何もしていなかったら?」
「それも、分かったことをそのままにする。」
沈砚は安生を見た。
「お前の親父の友達だからって、庇わないのか?」
「庇わない。」
「俺の父親だからって、見逃さない?」
「見逃さない。」
安生は少し考えた。
そして付け加えた。
「今はただ、あのとき何が起きたのか知りたい。」
沈砚は頷いた。
「俺もだ。」
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安生が戸口まで行った。
そこで、ふと振り返る。
「あの木札。」
「ん?」
「もう一度、見せてもらっていいか?」
沈砚は木札を渡した。
安生は手の中でそれを裏返した。
古い木札だった。
角はすっかり擦り減っている。
裏には、やはり何も書かれていない。
返そうとしたとき。
木札の側面に、ごく浅い傷がいくつかあるのに気づいた。
文字には見えない。
数字を書いたような跡だった。
安生は指先でなぞる。
「ここ、前は何か書いてあったのか?」
沈砚も受け取って、傷を見る。
「分からない。」
「父親が使ったあとに残ったもの?」
「たぶん。」
安生は、それ以上推測しなかった。
「ひとまず、残しておいてくれ。」
沈砚は頷いた。
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帰り道。
安生は、あの数枚の紙のことを考え続けていた。
六月三日。
六十両、到着。
荷、未だ全部そろわず。
六月五日。
南からの第二便、到着。
六月七日。
川辺で事故。
ただ、六月六日だけが。
何もない。
なのに、この日に。
許文成は書いている。
二十両、未収。
一方で、周長順は言っている。
届いている。
安生は道の途中で足を止めた。
ようやく分かった。
本当に欠けているのは。
帳面のどこか一冊ではないのかもしれない。
六月六日、そのものだ。
あの日には、沈川の記録がない。
完全な帳面もない。
検品の結果もない。
残っているのは。
何人かが、それぞれ別のことを言った記憶だけだ。
安生は再び歩き出した。
周長順の親族のところへは行かなかった。
父親のところへも、すぐには戻らなかった。
先に探すものがある。
六月六日当日の、船荷の記録。
もし、あの二十両に対応する荷物が本当に届いていたのなら。
船には、必ず何らかの記録が残っているはずだ。
もし、船の記録にそれがなければ。
「届いている」という言葉そのものを、もう一度考え直さなければならない。
今度は。
誰かの話を聞くだけではない。
安生は、自分の目で確かめるつもりだった。
あの荷物が。
本当に船に積まれていたのかを。




