↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『安らかに生きる』 ――原題:『安生』  作者: 亀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/110

第四十三章 六十と二十

翌日。


安生は朝早く、父親を訪ねた。


安順河は庭で薪を割っていた。


安生が近づいてくるのを見ると、手を止めた。


「また帳面か?」


「うん。」


安生は数枚の紙を差し出した。


「親父。」


「八十両っていう数字。」


「親父が最初に知ったのは、いつ?」


安順河は紙を受け取らなかった。


ただ、安生を見ていた。


しばらくして、ようやく言った。


「六月七日のあとだ。」


「具体的には、いつ?」


「覚えてない。」


「誰から聞いた?」


「周長順だ。」


安生はすぐに聞いた。


「八十両足りないって?」


「違う。」


安順河は首を振った。


「帳面が合わないと言われた。」


「それが、どうして八十両になった?」


「周長順が計算した。」


「どうやって?」


「分からん。」


安生は一瞬、言葉を失った。


「そのとき、聞かなかったの?」


「聞いた。」


「何て?」


安順河は少し黙った。


「何筆かの勘定をまとめたら。」


「八十両の差になる、と。」


安生は黙っていた。


自分が考えていたことと、ほとんど同じだった。


それでも、まだ足りない気がした。


「親父。」


「ん?」


「あのとき、帳面を自分の目で見た?」


「見た。」


「元の帳面は?」


「あった。」


「周長順が整理したあとの帳面は?」


「それもあった。」


安生が顔を上げる。


「どこに?」


安順河は首を振った。


「もう分からん。」


「どうして?」


「あのあと、いろいろ起きただろう。」


「いろんなものが持っていかれた。」


「誰が?」


「波止場の上の者たちだ。」


安生は黙った。


「じゃあ、どうして今まで探さなかった?」


安順河は安生を見る。


「沈川が死んだ。」


「お前も、もう少しで死ぬところだった。」


「あとになって聞きに行っても。」


「帳面はもう調べたと言われた。」


「八十両も、もう計算したと言われた。」


「俺に何ができた?」


安生は答えなかった。


ふと気づいた。


父親は、あの頃、何もしなかったわけではない。


途中まで調べていた。


ただ、あるところから先は。


一緒に調べてくれる人が、もういなくなっていたのだ。


⸻


「親父。」


安生が聞いた。


「あのとき、八十両という数字を信じていた?」


安順河はすぐには答えなかった。


「帳面に問題があったことは信じていた。」


「だが。」


「それが、誰か一人に八十両を持っていかれたという意味だとは思っていなかった。」


安生は顔を上げた。


父親の口から、これほどはっきりした言葉を聞くのは初めてだった。


「どうして?」


「何筆かの帳面を、この目で見た。」


「あとで合ったものもある。」


「金じゃなかったものもある。」


「荷物だったり。」


「先に金だけ受け取って、荷物がまだ届いていなかったり。」


「それから。」


「単純な書き間違いもあった。」


安順河は続けた。


「だから俺は、八十両というのは。」


「最後に計算された一つの数字だと思っていた。」


安生は父を見た。


「じゃあ、どうして他の人には言わなかった?」


安順河は苦笑した。


「言った。」


「誰も聞かなかった。」


⸻


安生は、それ以上聞かなかった。


部屋へ戻る。


父親から聞いたことを、すべて紙に書き出した。


その一番上に書く。


八十両――最初に計算したのは周長順。


その下に、もう一行。


安順河は当時、帳面に問題があるとは考えていたが、誰か一人が現金八十両を持ち去ったとは考えていなかった。


書き終えると、しばらく筆を止めた。


それから、周長順の甥の家へ向かった。


男は庭で薪を割っていた。


安生を見ると、明らかに驚いた。


「またお前か。」


「うん。」


「まだ何かあるのか?」


「叔父さんのことを聞きたい。」


「何を?」


「昔、帳面を残していたかどうか。」


男は首を振った。


「ない。」


「本当に?」


「子供の頃の俺には、そんなもの分からなかった。」


「叔父が死んだあと。」


「家で何か整理したか?」


「した。」


「誰が?」


「母さんだ。」


「残っているものは?」


「かなり焼いた。」


安生は眉を寄せた。


「どうして?」


「古い紙だったから。」


「残しても使い道がない。」


安生は黙った。


「ほかには?」


男は少し考えた。


「木箱が一つある。」


「どんな箱?」


「叔父が印章とか帳面を入れていた箱だ。」


「今は?」


「母さんが持ってる。」


安生は、それ以上聞かなかった。


「見せてもらえる?」


男は少し迷った。


「聞いてみる。」


⸻


しばらくして。


一人の老婆が家の中から出てきた。


手には古い木箱を持っている。


それを机の上に置いた。


「見ていいよ。」


安生は蓋を開けた。


印章はなかった。


中には、黄ばんだ紙が何枚か入っている。


一枚ずつ目を通す。


ほとんどは、個人的な貸し借りの記録だった。


ほかには、荷物の伝票がいくつか。


六月三日はない。


六月六日もない。


閉じようとしたとき。


一番下に、小さな紙片があるのに気づいた。


そこには、数字だけが書かれていた。


60


20


その横に、ぼんやりとした「已」のような文字。


その下に。


未


安生の呼吸が一瞬止まった。


「これは?」


老婆は首を振った。


「分からない。」


「叔父さんが残したものだ。」


安生は紙を裏返した。


何も書かれていない。


証拠だと決めつけることはせず、ただ尋ねた。


「この紙は、いつ頃のものですか?」


老婆は言った。


「たぶん、あの人が死ぬ前後だ。」


安生は顔を上げた。


「どうして、そう思うんです?」


「覚えてるから。」


「あの頃、あの人は家でよく帳面を計算していた。」


「ある晩。」


「こう言ったこともあった。」


「これからは、波止場の帳面には触るな。」


安生は聞いた。


「理由は言ってました?」


老婆は首を振った。


「ただ、一言だけ。」


「『何度計算しても、結局は分からん帳面だ』って。」


⸻


安生は紙片を木箱に戻した。


「これ、書き写してもいいですか?」


老婆は頷いた。


安生は原本を持ち帰らなかった。


紙に書かれているものを、一字も違えずに写した。


帰り道。


安生は一言も話さなかった。


家に着くと、紙を机の上に広げる。


60。


20。


已。


未。


しばらく見つめる。


それから、これまで整理してきた帳面を取り出した。


六月三日。


六十両。


六月六日。


二十両、未収。


すぐには結論を出さなかった。


二枚の紙を、ただ並べてみる。


もしこの紙が、本当に周長順が残したものなら。


少なくとも。


六十と二十という二つの数字を、彼が一緒に計算したことは考えられる。


だが、それでも。


それが後に言われた「八十両」だったとは証明できない。


六十足す二十は八十になる。


ただ、それだけだ。


数字が同じだからといって。


同じ出来事だったことにはならない。


安生は筆を取った。


その下に書く。


数字は足せる。


だが、出来事は数字が同じだからといって、一つにはならない。


書き終えると、自分で読み返した。


そして、その言葉を丸で囲んだ。


⸻


夜。


安平が帰ってきた。


机の上に広がったものを見る。


「何か見つかった?」


安生は紙片を渡した。


安平は目を通した。


「六十と二十。」


「うん。」


「合わせれば、ちょうど八十だ。」


「ああ。」


安平は少し考えた。


「じゃあ……」


安生は首を振った。


「まだ分からない。」


安平は、それ以上言わなかった。


しばらくして、尋ねる。


「じゃあ、今、一番大事なのは何だ?」


安生は長いあいだ考えた。


「周長順が、八十両と計算したときの総勘定を見つけること。」


「見つからなかったら?」


「そのことを知っている人を探す。」


「誰だ?」


安生は紙片を見る。


「親父。」


「許文成。」


「それから……」


そこで言葉が止まった。


「沈川。」


安平が顔を上げた。


部屋が静かになる。


沈川が死んでから、二十三年が経っている。


それでも。


彼が残したあの時代の記録が。


どこかにまだ残っているかもしれない。


安生は初めて気づいた。


自分はずっと、


あの金を最後に見たのは誰か、と尋ねてきた。


だが、本当に聞くべきなのは。


沈川が死ぬ前に、いったいどこまで知っていたのか。


ということなのかもしれない。


安生は六月六日を、もう一度丸で囲んだ。


あの日。


父親は聞いた。


「それを直したのは誰だ?」


沈川は答えた。


「俺が書き直したんじゃない。」


そして、周長順は。


そのあとに現れた。


安生は筆を置いた。


今度は、周長順の残したものをすぐに探しに行かなかった。


先に、一人に聞くことにした。


沈砚。


もし沈川が死ぬ前に、まだ何かを知っていたのなら。


そのことを、子供の頃から少しでも聞いていたかもしれない人間は。


沈川の息子しかいない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。