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『安らかに生きる』 ――原題:『安生』  作者: 亀


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第四十一章 途切れた時間

翌朝早く、安生はまた波止場へ向かった。


今度は、趙徳全のところへは行かなかった。


呉叔のところにも行かなかった。


船頭たちが昔住んでいた場所へ、まっすぐ向かった。


そこには、もう何人もの人が入れ替わっていた。


それでも、一軒だけ古い小屋が残っていた。


取り壊されず、そのままになっている。


戸口では、一人の老人が壊れかけた竹籠を直していた。


安生は声をかけた。


「叔さん。」


老人が顔を上げる。


「昔の船頭たちを知っていますか」


「何人かはな。」


「六月七日のことは?」


老人の手にしていた竹の細片が止まった。


「何年の六月七日だ?」


安生は年を告げた。


老人はしばらく考えた。


「その年か……」


「覚えてる。」


安生は老人のそばに腰を下ろした。


「どうして覚えているんですか」


老人は安生を見た。


「川で人が落ちたからだ。」


安生の胸が重くなった。


「誰が?」


老人はすぐには答えなかった。


「お前だ。」


安生は一瞬、言葉を失った。


老人は安生を見る。


「覚えてないのか?」


安生は首を横に振った。


「そのあと目を覚ましたことしか。」


老人は小さく息を吐いた。


「あの日は、波止場がひどく騒がしかった。」


「最初に船が来た。」


「それから、誰かが叫んだ。」


「そのあと……」


老人は言葉を止めた。


「川で事故が起きた。」


安生は何も言わなかった。


七歳のとき、自分が川に落ちたことは知っている。


そのために沈川が死んだことも知っている。


けれど今日になって初めて。


その出来事が、六月七日という一日と重なった。


「叔さん。」


「ん?」


「あの日、入ってきた荷物は?」


老人は眉を寄せた。


「荷物?」


「六月七日に来た、あの荷です。」


老人は少し考えた。


「布だ。」


「布が一批、来たんですか?」


「ああ。」


「誰が検品したんです?」


老人は首を振った。


「最後まで見た者はいない。」


安生の胸が締まった。


「どうして?」


老人は川のほうを見た。


「みんな、川へ走っていったからだ。」


⸻


安生は長いあいだ座っていた。


やがて、口を開いた。


「あの荷物は、そのあとどうなったんですか」


「中へ運んだ。」


「誰が?」


「何人もいた。」


「数を確認したのは?」


「最後まで確認した者はいない。」


「そのあと?」


老人は安生を見る。


「そのあと、あんなことが起きたんだ。」


「誰が荷物のことを気にしていられた?」


安生は目を伏せた。


ようやく分かった。


六月七日の、


「貨到、数量待核」


という記録は、わざと曖昧に残された言葉ではなかったのかもしれない。


本当に、そうだったのだ。


荷物は届いた。


けれど、まだ確認が終わっていなかった。


その最中に、川で事故が起きた。


⸻


安生は立ち上がった。


「叔さん。」


「まだ何かあるか?」


「もう一つだけ。」


「言ってみな。」


「沈川は、あの日、波止場にいましたか?」


老人は頷いた。


「いた。」


「荷物を見に行ったんですか?」


「たぶんな。」


「いつ頃?」


「朝だ。」


「見たんですか?」


老人は首を振った。


「そこまでは分からん。」


「そのあと、どこへ行きました?」


老人は川面を見た。


「川だ。」


安生は、それ以上聞かなかった。


答えは、もうすぐそこまで来ていた。


⸻


家へ戻ると、安生はあの紙をもう一度取り出した。


六月七日。


その下に、一行を書き加えた。


荷物は届いたが、検品は終わっていない。


さらに、その下に書いた。


同日、安生が川へ落ちる。


沈川が死亡。


書き終えたところで、安生の手が止まった。


そばにいた安平が、その数行を見た。


「前から、同じ日だと知っていたのか?」


安生は首を振った。


「誰も言わなかった。」


「親父も?」


「言わなかった。」


安平はしばらく黙っていた。


「たぶん、知られたくなかったんだろう。」


安生は答えなかった。


ただ、その紙を見つめていた。


六月六日。


周長順は「先に記しておけ」と言った。


六月六日。


沈川は「俺が書き直したんじゃない」と言った。


六月七日。


荷物が届いた。


数は、まだ確認されていなかった。


六月七日。


自分が川へ落ちた。


沈川が人を助けるために川へ入った。


そして、死んだ。


もし、これらがすべて事実なら。


あの「八十両の昔の勘定」は、


六月七日を迎える前から、すでに全体を説明できる形では残っていなかったのかもしれない。


そして事故が起きたあと。


調査そのものが、完全に途切れた。


⸻


安生は突然立ち上がった。


「親父のところへ行ってくる。」


安平は止めなかった。


⸻


安順河は部屋の中で、古い服を整理していた。


安生が入ってくる。


「親父。」


「ん?」


「今日、一つ分かったことがある。」


安順河が顔を上げた。


「何だ?」


「六月七日だ。」


安順河の手が止まった。


「俺が川に落ちた日だ。」


部屋が静まり返った。


安順河は何も言わなかった。


安生は続けた。


「あの日は、あの荷物が届いた日でもあった。」


「検品は終わってなかった。」


安順河はゆっくりと目を伏せた。


「……分かったか。」


「どうして、前に教えてくれなかった?」


「お前はあのとき七歳だった。」


「それを聞いてるんじゃない。」


安生は父親を見た。


「俺が聞いているのは。」


「どうして、あれから何年も経ったのに、一度も話してくれなかったのかってことだ。」


安順河は長いあいだ黙っていた。


ようやく口を開く。


「あの日のあと。」


「何もかも、めちゃくちゃになった。」


「帳面もめちゃくちゃになった。」


「人も、めちゃくちゃになった。」


「沈川は死んだ。」


「お前は、もう少しで助からなかった。」


「俺には、あの勘定のことまで考える余裕がなかった。」


安生は聞いた。


「そのあと?」


「そのあと、調べようとはした。」


「どうして続けなかった?」


安順河はすぐには答えなかった。


「許文成が病気になった。」


「周長順も、もう話そうとしなかった。」


「それに……」


そこで言葉が止まる。


「お前の母さんが、もう調べるなと言った。」


安生は驚いた。


「母さんが?」


「ああ。」


「お前は、やっと命を拾ったばかりだ。」


「これ以上調べたら、また何が起きるか分からない。」


安生は黙った。


「だから、調べるのをやめたのか?」


「しばらく止めた。」


安順河は言った。


「それから気づいた。」


「もう、誰にもきちんと説明できないことがある。」


安生は父を見た。


「だから、家に帰ることを選んだ。」


安順河は否定しなかった。


「そうだ。」


⸻


安生は腰を下ろした。


長いあいだ何も言わずにいた。


やがて、口を開く。


「親父。」


「ん?」


「あのとき、俺が川に落ちなかったら。」


「親父は、それでも調べ続けてた?」


安順河は安生を見た。


今度は、すぐに答えた。


「続けていた。」


安生は、そんな答えが返ってくるとは思っていなかった。


「どうして?」


「あの頃は、勘定は最後まで調べなきゃいけないと思っていた。」


「じゃあ、そのあと?」


「そのあと、お前が死にかけた。」


安順河は目を伏せた。


「それで、急に思った。」


「調べるかどうかなんて、もう、それほど大事じゃないこともあるんだとな。」


安生は黙っていた。


安順河が顔を上げる。


「金のことが大事じゃないと思ったわけじゃない。」


「俺が思ったのは。」


「お前のほうが大事だということだ。」


⸻


安生は部屋を出た。


庭先に安平が立っていた。


「聞いたか?」


「うん。」


安生はそれ以上言わなかった。


安平も聞かなかった。


しばらくして、安生がぽつりと言った。


「兄ちゃん。」


「ん?」


「俺、ずっと思ってた。」


「親父が何も教えてくれないのは、俺を信用してないからだって。」


安平は黙っている。


「でも、今は。」


安生は手にした紙を見る。


「そうじゃなかったのかもしれない。」


「ただ、俺には何も知らずに、普通に生きてほしかったんだと思う。」


安平は頷いた。


「そうかもしれない。」


そして、少し間を置いて言った。


「でも、それで親父のしたことが正しかったとは限らない。」


安生は顔を上げた。


「分かってる。」


今度は、父親のために言い訳をしなかった。


責めもしなかった。


ただ、父親があのとき、一つの選択をしたのだと認めた。


その選択は、自分を守った。


同時に、いくつかのことを、二度と最後まで調べられないものにした。


⸻


夜。


安生は再び机の前に座った。


六月三日から六月七日までの出来事を、もう一度すべて書き出した。


最後に、一行を加える。


六月七日以後、もとの調査は連続性を失った。


安生は、その一文をしばらく見つめていた。


そして、ふと分かった。


この昔の勘定が難しい本当の理由は。


誰かが真相を深く隠したからではないのかもしれない。


ただ、あの数日のあいだに、あまりにも多くのことが起きた。


金。


荷物。


帳面。


言い争い。


落水。


死。


一つ一つは、どれも事実だった。


けれど、それらが同じ場所で重なったとき。


もう誰も、それを最後まで記録することができなかった。


だから、何年も経ったあとに残ったのは。


いくつかの数字。


いくつかの名前。


何枚かの紙。


そして、それぞれの記憶に残った、ほんの一部分だけだった。


安生は筆を置いた。


その日は、もう調べなかった。


初めて思った。


すぐに答えが見つからなければ、調べたことにならないわけではない。


少なくとも今は、一つだけ確かなことが分かっている。


あの八十両は、一つの完全な物語の中から消えたわけではない。


それは、一つの事故が起きたあと。


誰も最後まで追い続けることのできなかった時間の中に、置き去りにされたのだ。


そして、その日こそ。


安生自身の人生で、


最も早く訪れた災難だった。

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