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『安らかに生きる』 ――原題:『安生』  作者: 亀


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第三十五章 二度記された金

翌朝、安生は波止場へ向かった。


今度は、趙徳全を訪ねなかった。


古い倉庫の前に立ち、川面を眺めた。


六月三日。


六月六日。


最近、何度も目にする二つの日付だった。


六十両が動いたのは三日。


「未収」と記されたのは六日。


その間は、わずか三日しかない。


安生は、ふと思った。


この三日間に、いったい何があったのだろう。


安生は、まだ波止場で働いている老人を見つけた。


姓は呉。


皆からは呉叔父さんと呼ばれている。


「呉叔父さん。」


「安生か?」


「昔、ここで働いてたんですよね?」


「半生をここで過ごした。」


「二十年以上前の、六月六日のことを覚えてますか?」


呉叔父さんは笑った。


「二十年以上前の六月六日?」


「はい。」


「そんな昔のこと、覚えてるわけないだろう。」


安生も失望した様子は見せなかった。


「じゃあ、六月のあの頃のことは?」


老人は長いこと考えた。


「たしか、大雨が降ったな。」


「いつですか?」


「そこまでは覚えてない。」


「あの頃、雨で波止場が休みになったことは?」


「ない。」


「船は?」


「いつも通り出ていた。」


安生はうなずいた。


さらに尋ねる。


「周長順が帳場を任されていた頃、帳場はどこにありました?」


「昔のあの部屋だ。」


老人が川沿いを指した。


そこには、もう使われなくなった小さな建物があった。


戸も窓も取り替えられている。


屋根は半分崩れていた。


「今は使ってない?」


「とっくに使ってない。」


安生はそこへ歩いていった。


戸に錠はかかっていなかった。


中には壊れた板が積まれている。


壁際には、古い箪笥もあった。


安生は勝手に触らなかった。


ただ、入口に立って中をしばらく眺めた。


「当時、帳場には何人いたんですか?」


呉叔父さんも後から入ってくる。


「普段は二人だ。」


「周長順と許文成?」


「ああ。」


「沈川は?」


「よく来ていた。」


「俺の父は?」


「たまにな。」


安生はうなずいた。


父の話と同じだった。


そして、また尋ねる。


「六月六日、この中にいたのは誰ですか?」


呉叔父さんは眉をひそめた。


「何のために聞く?」


「知りたいんです。」


老人は安生を見る。


しばらくしてから、ようやく答えた。


「たしか、周長順はいた。」


「許文成は?」


「分からん。」


「沈川は?」


「来ていたはずだ。」


「俺の父は?」


「お前の父さんも来た。」


安生は一瞬、言葉を失った。


「確かですか?」


「そうだ。」


「何時頃?」


「午後だ。」


「どうして覚えてるんです?」


呉叔父さんは笑った。


「その日、お前の父さんが人と喧嘩したからだ。」


安生はすぐに尋ねた。


「誰と?」


老人は少し考えた。


「周長順じゃない。」


「じゃあ、誰?」


「沈川だ。」


安生は黙った。


また沈川だった。


父は以前、二人が金のことで話をしたと言っていた。


だが、それが六月六日だったとは言っていない。


「どうして喧嘩したんです?」


「分からん。」


「聞いていたんですか?」


「何言かは聞いた。」


「何て言ってました?」


呉叔父さんは首を振った。


「もう、ずいぶん昔のことだ。」


「覚えているところだけでいいです。」


老人はしばらく考えた。


「お前の父さんが沈川に聞いた。」


「どうして、あの金をもう一度帳簿につけたのかって。」


安生の呼吸が、一瞬止まった。


「どの金です?」


「そこまでは分からん。」


「六十両?」


「かもしれん。」


「二十両?」


「それも分からん。」


「沈川は何て?」


呉叔父さんは眉を寄せた。


「自分がもう一度記したんじゃない、と言ってた。」


安生は黙った。


「それから?」


「お前の父さんが聞いた。」


「じゃあ、誰が記したんだって。」


「沈川は、分からないと言った。」


「そのあと?」


「周長順が入ってきた。」


「何を言った?」


「そこまでは聞こえなかった。」


呉叔父さんはため息をついた。


「俺は外で荷を運んでたからな。」


安生は、それ以上聞かなかった。


古びた帳場の入口に立ったまま、


頭の中で、もう一度出来事を並べ直す。


六月三日。


六十両が波止場へ届いた。


許文成が記録を残した。


六月六日。


帳簿に、もう一度「未収」が現れた。


父も来ていた。


沈川も来ていた。


二人は「あの金をもう一度記した」ことについて言い争った。


そこへ周長順が入ってきた。


そして数日後――


自分が川へ落ちた。


沈川が死んだ。


調査は止まった。


安生は、ふと気づいた。


これまでずっと、


「八十両を誰が持っていったのか」


と考えてきた。


だが、今になって思う。


本当に聞くべきなのは、


なぜ同じ金が、二度記されたのか。


⸻


昼。


安生は家へ戻った。


安順河は庭で木桶を直していた。


安生は、さっき聞いたことをすべて話した。


安順河は聞き終えても、表情を変えなかった。


「呉は、間違ってない。」


安生が顔を上げる。


「父さんも覚えてる?」


「覚えている。」


「じゃあ、どうして今まで言わなかった?」


「そのことが、あとで何につながったのか分からなかったからだ。」


「今は?」


安順河は安生を見る。


「今も分からない。」


安生は怒らなかった。


自分も腰を下ろす。


「じゃあ、あの時どうして沈叔に、もう一度金を記したのかって聞いたの?」


安順河は長い間、黙っていた。


「帳簿に、同じ金が二つあったからだ。」


「いくら?」


「二十両。」


安生は目を見開いた。


「六十両じゃない?」


「違う。」


「二十両?」


「ああ。」


安生はゆっくりと姿勢を正した。


「じゃあ、八十両は……」


安順河はうなずいた。


「たぶん、そこから始まった。」


安生は何も言わなかった。


「最初の二十両には、対応する荷がなかった。」


「二つ目の二十両にも、対応する荷がなかった。」


「そのあと、六十両にも問題が出た。」


「最後には、その三つを合わせて八十両になった。」


安生は父を見る。


「つまり……」


安順河が言った。


「当時言われていた八十両は、最初から一つの金じゃなかったのかもしれない。」


部屋の中が静まり返った。


安生は、しばらく何も言えなかった。


ずっと追いかけてきた八十両が、


少しずつ形を失っていく。


金そのものが消えたわけではない。


ただ、


その「八十両」という数字自体が、


最初から自分たちが思っていたようなものではなかったのかもしれない。

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