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『安らかに生きる』 ――原題:『安生』  作者: 亀


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第三十四章 あの日の記録

安生が家へ戻ったとき、まだ日は暮れていなかった。


安順河は庭で薪を割っていた。


安生が入ってくるのを見ると、手を止める。


「今日はずいぶん早いな。」


「見せたいものがある。」


安生は懐から、何枚かの古い紙を取り出した。


安順河は受け取った。


一枚目を読み終えても、何も言わなかった。


二枚目を読み終えると、眉間にゆっくり皺が寄った。


最後の一枚を見たところで、手が止まった。


安生は急かさなかった。


しばらくして、安順河が尋ねた。


「これは、どこから?」


「許家。」


「許蘭が渡したのか?」


「ああ。」


安順河はうなずいた。


「まだ、こんなものを残していたのか。」


「父さんは、前に見たことがある?」


「ない。」


「本当に?」


安順河は顔を上げた。


「本当だ。」


安生は紙を指差した。


「ここに、六月三日、六十両。金は見た、荷は揃わずって書いてある。」


「ああ。」


「父さんがあの頃、帳簿を調べたときには知っていた?」


安順河は黙った。


「知っていた。」


「じゃあ、どうして今まで俺に話さなかった?」


「これが最後の帳簿じゃなかったからだ。」


安生は眉を寄せる。


「どういうこと?」


安順河は紙を机の上に置いた。


「六月三日の六十両は、すでに確認された金だった。」


「荷は全部届いていなかったが、金は届いていた。」


「その後、荷が補われれば、この勘定は片づくはずだった。」


安生は下の行を指した。


「じゃあ、六月六日の『未収』は?」


安順河は目を落とす。


「これは分からない。」


「当時、見ていない?」


「見ていない。」


「じゃあ、父さんは何を調べた?」


安順河はすぐには答えなかった。


そして、腰を下ろした。


「六月三日のあと、帳簿にもう一つ、二十両の差が出てきた。」


「対応する荷がなかった。」


「そのあと、誰かがこの二つを一緒にした。」


安生は父を見る。


「誰が?」


「分からない。」


「周長順?」


「かもしれない。」


「沈川?」


「それも、分からない。」


「許文成?」


「可能性はある。」


安順河は言った。


「そこが、あの頃いちばん厄介だった。」


「どの時点で記録が間違ったのか、誰にも分からない。」


「それに、誰が二つの勘定を一つにまとめたのかも分からなかった。」


安生は黙った。


しばらくして言った。


「じゃあ、どうして最後には八十両になった?」


「最後に帳簿を合わせたとき、帳面の上で八十両足りなかったからだ。」


「でも、実際には二つの別の問題だった可能性がある?」


「ああ。」


安生はうなずいた。


何枚かの紙を机の上に並べる。


「じゃあ、これは?」


最後の一枚を指す。


「どうして破られてる?」


安順河は首を振った。


「分からない。」


「破られる前のものを見たことは?」


「ない。」


安生は、それ以上聞かなかった。


そして、ふと別のことに気づいた。


「父さん。」


「ん?」


「父さんがあの頃、帳簿を調べたとき。」


「まず沈叔を調べた?」


安順河が顔を上げる。


「周長順と、どっちを先に?」


「二人ともだ。」


「同時に?」


「だいたいな。」


「じゃあ、どうして最後には、みんな沈叔だと思うようになった?」


安順河はしばらく黙った。


「死んだからだ。」


安生は眉を寄せた。


「死人には、説明できない。」


「ああ。」


「だから、説明されなかったことが、全部あの人に集まった?」


安順河は答えなかった。


だが、安生にはもう分かった気がした。


一人の人間が死ぬ。


その人間の帳簿は残る。


署名も残る。


けれど、その人自身の説明だけがなくなる。


そうなれば、残されたものだけを見て、他の人間が考えるしかない。


安生は父を見る。


「父さんは、沈叔が金を持っていったと思う?」


安順河は首を振った。


「分からない。」


「持っていないと思う?」


「それも分からない。」


安生は父の顔を見つめた。


父が「分からない」と言うのを聞くのは、これで三度目だった。


以前なら、その言葉を聞くたびに、父が何かを隠しているように思っただろう。


けれど今は、そうではなかった。


自分で調べてきたからこそ、少しずつ分かってきた。


分からないことは、分からない。


すべての問いに、すぐ答えが出るわけではない。


⸻


夜。


安平も戻ってきた。


安生は何枚かの紙を見せた。


安平は読み終えると尋ねた。


「これ、許文成の字か?」


「ああ。」


安平はしばらく黙っていた。


「この字、見たことがある。」


「どこで?」


「昔、父さんの物の中で。」


安生はすぐに顔を上げた。


「何?」


「何だったかは分からない。」


「見たことがあるんだな?」


「ああ。子どもの頃に。」


「どこにあった?」


安平は考えた。


「たぶん、父さんの箪笥の中。」


安生は立ち上がった。


「今もある?」


「分からない。」


二人は父の部屋へ入った。


安順河はそこで足を洗っていた。


二人が入ってくると、顔だけを上げる。


「何を探してる?」


「父さんの箪笥にある古い物。」


安平が答えた。


「昔、許文成の字を見たことがある気がする。」


安順河は止めなかった。


壁際の古い箪笥を指す。


「自分で探せ。」


安平が箪笥を開けた。


中には、金目の物など何もなかった。


古い服。


壊れた靴。


使わなくなった縄。


それから、黄ばんだ紙が何枚か。


安平はしばらく探した。


「ないな。」


安生もしゃがみ込んだ。


一枚ずつ、紙をめくっていく。


一番下まで来たときだった。


指先に、硬いものが触れた。


取り出してみる。


小さな木札だった。


表には三つの文字が刻まれている。


「波止場帳場」


裏には、一つの名前だけ。


許文成。


安生は木札を見つめた。


「これ、許叔の?」


父は答えなかった。


安生が振り返る。


安順河は床ではなく、ベッドの端に腰を下ろしていた。


しばらくして、ようやく言った。


「ああ。」


「いつ、父さんがもらった?」


「もらったんじゃない。」


「じゃあ、どうしてここに?」


安順河は木札を見る。


「許が去るとき、俺が預かった。」


「どうして?」


「自分にはもう必要ないと言った。」


安生は木札を裏返した。


名前のほかには、何もない。


「どうして父さんに渡した?」


安順河はしばらく黙った。


「帳場という場所には、もう誰も行かせるな。」


安生は眉を寄せた。


「どういう意味?」


「分からない。」


また、その言葉だった。


安生は父を見る。


だが、今度はそれ以上聞かなかった。


木札を元の場所に戻す。


ふと思う。


もしかすると、父自身にも答えがないことがあるのかもしれない。


今できるのは、


あの頃に残されたものを、一つずつ並べること。


そして、


どれとどれがつながるのか。


どれがつながらないのか。


確かめていくことだけだった。


その夜、安生は自分の部屋へ戻った。


今日見たものを、もう一度頭の中で整理する。


六十両。


二十両。


二つの帳簿。


破り取られた一枚の紙。


死んだ帳場係。


そして、父が二十年以上も保管していた木札。


初めて思った。


この事件に本当に欠けているのは、


一人の人間ではないのかもしれない。


欠けているのは、


あの日一日の、


途切れていない記録なのだ。


あの日、何が起きたのか。


それさえ分かれば、


いくつもの断片は、自然につながるかもしれない。


だが、あの日からもう二十年以上が過ぎている。


覚えている人間は、


もう、少なくなっていた。

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