3 Kızgınlık Pençesi(憤怒の爪)
【2025年7月24日 聖テレーザ教会】
聖テレーザ教会では、昼の祈りが行われていた。
「……Büyük ganimet bulan biri gibi, sözün beni sevindiriyor.……」
12時ちょうどに始まり、使徒職や他の聖務で外出中の者以外の司祭と修道士が全員参加している。エキンジ司祭もクルチュ神父も他の修道士と一緒に列になって並び、詩編を交代で唱えていた。
「……Yalandan iğreniyor, tiksiniyorum, ama senin yasanı seviyorum.……」
ヴィは3件の家庭訪問を無事に終え、ルノーで連帯センターへの帰路にあった。ジェイは祈りの間は盗聴しても得るものはないと考え、アリーとともに昼食を取っていた。
礼拝堂では、クルチュが詩編を詠唱する順番が来た。クルチュは列から一歩踏み出し、朗々と詠唱を始めた。
「……Kötülere karşı beni kim savunacak? Suç işleyenlere karşı kim benden yana çıkacak?(誰が私とともにいて、悪を行う者に立ち向かってくれるだろうか。誰が私の味方となり、不法を働く者に立ち向かってくれるだろうか?)」
修道士達は騒めいた。詠唱された詩編が、あらかじめ決まっていたものではなかったからだ。通常、150編ある詩編は、教皇庁が定めた4週間のローテーションによって、日付け、時間帯でどれを詠むか決まっていた。世界中どこの教会でも、同じ詩編が詠唱されることになっていた。
「クルチュ神父。どうされました?」
エキンジが不審な表情でクルチュに、棘のある口調で尋ねる。
「……あ、すみません、詩編を間違えました」
クルチュはそれだけ言って、列に戻った。エキンジを見たクルチュの目の奥に、微かに光があった。主が私を支えてくださらないのであれば、私は沈黙の闇に堕ちるだろう。主は必ず支えてくださる。
修道士たちはすぐに静かになり、次の者が正しい詩編の詠唱を始めた。だがエキンジは、クルチュをじっと見つめていた。光を失った瞳で。
ジェイが昼食から戻ったのは、その直後だった。退屈な仕事に不満げなアリーをなだめて、また教会の屋根で盗聴器になってもらう。アリーは強い日差しを避けて、鐘楼の影に止まった。
最初に聞こえてきたのは、修道士たちの足音だった。昼の祈りが終わり、昼食のために食堂に移動している。
(アリー。まだリラックスしてていいよ)
(りらっくす
りょうかい)
ジェイは木の陰に身を隠すと、目を閉じた。集中するためではなく、少し眠るためだった。寝ていても何かあればアリーが起こしてくれるし、なんならアリーも居眠りしても大丈夫だ。何かあれば、アリーは必ず目覚める。
クルチュは食欲がなかった。隣にエキンジが座ったからではない。先ほどの祈りで、もう覚悟は決まっていた。
エキンジはスープを飲み干し、牛肉とインゲン豆の煮込みを取りに席を立った。クルチュには目もくれずに。食事を済ませたらエキンジは事務室に行って、留守中に溜まった書類とかを受け取り、それから司祭の執務室で仕事を片付けるはずだ。その時だ。主と共に在らんことを。
デザートとチャイが出ると、エキンジはチャイだけを手に持って食堂を後にした。クルチュはその後ろ姿を、じっと見つめていた。
ジェイとアリーはうとうとしていた。教会の門を開ける音がして、先に目覚めたのはジェイだった。
あのシスターだ。使徒職から帰ってきたのだろう。
(こわいおんな
こわいおんな)
アリーも目覚めたが、その思考にはからかいの響きがあった。意識を覗いたんだろう。それに気づいたことは思考に乗せないよう気をつけて、ジェイは聴覚に集中した。
ヴィは空腹だった。朝食のアチュマは食べた気がしなかったし、もう13時を過ぎていた。汗もかいたし出来るならシャワーを浴びたかったが、それよりまずなにか食べたい。
教会の昼食は、誰かがわたしの分をちゃんと除けておいてくれてるはずだ。ヴィは礼拝堂に入ると奥の祭壇へ行き、そこで一礼してから食堂へ向かった。
修道士が数人、列を作って食堂から出てくる。食後の祈りを捧げるために礼拝堂へ行くのだ。すれ違いざま、何人かがヴィに会釈した。後方の一人が、食堂に戻って水を持ってきてくれた。
食堂には、クルチュ神父が1人だけ、まだ座っていた。スープの皿の前で、項垂れている。
……お父様?具合でも悪いの?教会では黙食が決まりだ。しかもお父様は、何か考え事をしているのか、顔もあげない。ヴィは声をかけるのを躊躇い、少し離れた席に座って、クルチュ神父の様子を気にしながら食事を始めた。
スープを食べ終わり、肉料理を取りに席を立った時、クルチュ神父がヴィに気づいた。黙って頷く。ヴィは声をかけたいのを我慢して、微笑み返した。クルチュ神父は立ち上がると、手付かずのスープをテーブルに残したまま、出ていってしまった。
変だ。黙食だから言葉を交わさないのはいい。でも、食べ物を残し、後片付けもしないで立ち去るなんて、神父としてありえない。本当に体調が悪いのか、それともなにか、重い悩みがあるのか。クルチュ神父は教会の経理事務責任者だ。なにか問題を抱えているのだろうか。
【同時刻 カイセル・バクシュ】
「誰だ。財務担当者か」
ズィヤは聖テレーザ教会のことはよく知らなかった。確か4,5年前に1度、デミルの母親に頼まれて連れて行ったことはある。それだけだった。
「誰か?まではわかりません。まだ。でも横領犯じゃないとしても、財務担当者なら気づくはずですよね。調査するならそこからですかね?」
「調査だと?俺にやらせたいのか?」
パヴルは大げさに両手をあげた。
「いやいや、そうは言ってません。でもあんたみたいな人が手伝ってくれたら、心強いなあ」
「断る」
ズィヤはもう充分と言うように手を振り、椅子を引いた。
「待って待って!もし教会ぐるみで不正してるとしたら?教会ってのは信者の献金とかで成り立ってるんでしょ?あと……募金とか」
ハチュル遺族への募金。貧困救済のための募金。
「2,000万は不動産の賃料と言ったじゃないか」
「いやそうですよ?そうですけど、その金が送金されなくなってからもう1年以上になります。それだけの入金予定がなくなったら、大問題になるでしょ?普通なら。とっくにニュースになってなきゃおかしい」
「誰かが穴埋めしてるのか」
パヴルが片手で蕾のように指をまとめて振った。テュルキエのグッドサインだ。
「それです。穴埋め。そんな大金を穴埋め出来る資金源なんて募金しかない。ハチュル遺族に配られるはずの募金です。許せますか?」
「許せるはずがない」
汚れた服を着替えられない子ども。
「だからと言って――」
「はい。こんなの許せません。まあ今に始まった事じゃないけど。あいつらは……教会は、搾取してるんですよ?僕らの金を」
ズィヤは目つき鋭くパヴルを睨んだ。
「おまえの金じゃない。おまえはただ、正義漢ぶって動画の再生数を稼ぎたいだけだろう」
パヴルはまた大げさに、胸を抑えるポーズをする。
「うわーおっしゃる通り!図星です。でもね。僕の動機なんかかわいいもんでしょう?教会のやつらはもうずっと昔から、人の信心を利用して搾取してきたんだ。その金で豪華な宮殿を建てたり、贅沢な暮らしをしたり。戦争まで仕掛けてる」
パヴルは立ち上がった。人差し指を振り、熱の入った演説を始めた。
「そろそろ止めなきゃ!誰かが。いや誰かじゃない!僕だ!ネットの力で、バビュールが教会の悪事を暴いてやるんだ!」
「おい。落ち着け。付き合いきれん。帰る」
「待って待って待って!あんただってそう思ってるんじゃないっすか?聞いてくださいよ。ハチュルだってそうだ。イエロソリマ?聖地?知ったこっちゃないですよ。みんなそう思ってる。フィリスティンだってスヴェイシュだって、侵略戦争だ!大宮殿のやつらの。そうでしょう?あんたらはやつらに利用されてるだけ。それで死んだ人は犬死にだ‼︎」
ズィヤは反射的に椅子を蹴り飛ばし、パヴルの胸ぐらを掴んで持ち上げた。右手拳を振り上げる。
パヴルはズィヤを見た。
「ご、ごめんなさい!ちょっと興奮し過ぎた。すみません、殴らないで。ごめんなさい」
ズィヤは胸ぐらを掴んだ手で、そのまま無造作に突き飛ばした。パヴルは壁際まで吹っ飛んだが、すぐ上体を起こしてズィヤを睨んだ。
それから、1度深呼吸して、続けた。
「でも僕は知ってますよ。あんたもハチュルに行かされてたんでしょう?ズィヤ・シムシェキ少佐」
沈黙が部屋を支配した。ズィヤはパヴルの目から、視線を逸らす事ができなかった。
「……貴様。何者だ」
「エーミッターです。派遣社員の。スパイとかだったらカッコ良かったですよね」
「ふざけるな。なぜ俺の名を知っている」
「エーミッターって、熱心な視聴者が多いんですよ。それぞれいろんな仕事してて。軍にもたくさんいますよ?バビュールchの登録者やメンバー。なかなかの情報網です」
黙って聴く。というより、言葉が出てこない。
「鍵かけたメンバーだけの配信があって。メン限っていうんですけど。そこでいろいろ、情報が集まるんです。僕はパートナーを探してた。そしたらすぐ、あなたのことを教えてくれました。兵隊さんのメンバーが」
頭がぐるぐるまわる。狭い道で飛び出した子ども。プラカードの女。脱げ落ちた貧困支援の靴。
「俺を嵌めたな」
「嵌めたなんてそんな。1度会ってお話ししたかっただけです。ちなみにライブ配信てのは嘘ですからご安心を」
「貴様のようなやつと話すことなんかない」
「あー犬死にってのは忘れてください。熱くなり過ぎた。ごめんなさい。でも、許せないでしょう?教会。教皇庁。インノケンティウス」
そして、神。偽の神。
「まあ……そんな大それたこと考えてるわけじゃないですけど。でもこの不正な金の動きを暴けば、一矢報いるくらいは出来るんじゃないかなって。突破口になるかもって。そう思ったんです」
ズィヤはパヴルを見据えた。数10秒、ピクリともせずに。パヴルが口を開きかけた。ズィヤが制して言った。
「俺はカルトに入る気はないぞ。審問会はごめんだ」
「……カルト?……あー、僕は違いますって。彼らはただの、僕のファンです。僕は宗教は嫌いです。でも似たようなもんですかね?」
その時、ズィヤのiPortaが振動した。伍長からのメッセージ。待ち切れなくなったらしい。
「車を待たせてる。だが――」
もう一度、パヴルの目を見る。
「連絡先を教えろ。少し考えてみる」
パヴルは破顔した。
「やった!マジっすか?マジっすね!」
ズィヤはパヴルと連絡先を交換して、部屋を出た。ドアを閉める間際に、一言だけ付け加えた。
「2度と俺を嵌めるな」
伍長と連絡を取り、待ち合わせしてダキアに乗った。パヴルに歳は聞かなかったが、たぶんこの伍長とそう変わらないだろう。
「伍長。エーミットは見るか?」
「エーミットですか?はい、たまに観ます」
「バビュールって知ってるか?」
「あー、陰謀論の動画ですかね?名前は知ってますが、観たことはありません」
運転に集中している伍長の横顔からは、ズィヤは何も読み取ることは出来なかった。
後部座席に手を伸ばしてタクティカル・ブリーフを手繰り寄せ、中からiPadaを取り出した。ブラウザを開き、「いにしえの琥珀 カルト」を検索する。パヴルの動画以外のヒットはない。少し考えて、殉教者事業部のデータサイトを開く。関係者以外は見る事が出来ないサイトだ。
「パヴル・エルギュン」、ヒットなし。
「エルギュン」だけならどうか。
1件、ヒットした。
バルシュ・エルギュン。元空軍中佐。2012年、フィリスティンで戦死。
遺族、妻フィリズ。子パヴル、アンキュラ在住。
パヴル。本人も言っていたが、とても珍しい名だ。間違いないだろう。彼にも、ハチュル、大宮殿、インノケンティウスを憎む動機がある。
そして、神を憎む動機も。
【同時刻 聖テレーザ教会】
先ず、動機だ。なぜこんな不心得な仕業をやってしまったのか。それを問おう。
クルチュ神父は、聖テレーザ教会の司祭執務室で、デスクに座ったエキンジ司祭の前に立っていた。デスクの上にはクルチュのノートPCが、画面がエキンジに見えるように置かれている。画面には、教会口座の入出金記録が開いており、PCの横には小切手帳があった。
エキンジは小切手帳を手に取って言った。
「これは私が保管していたはずだが」
「それが間違いでした、司祭。たとえ司祭であっても、個人に保管させるべきじゃなかった」
エキンジは小切手帳をデスクの上に戻す。
「――こういう形で私と話すということは……何が行われたか、全てあなたには解っているということですな」
「はい、司祭。あなたは、小切手を振り出し、教会の慈善活動用口座から現金を引き出した。その現金を、事業口座に入金した。毎月。不動産管理会社から入る賃料と同額の金額を」
クルチュは唾を飲み込んだ。
「事業口座の収支は帳尻が合っている。つまりあなたは、事業口座に生じるはずの欠損を、慈善活動用口座から不正に引き出した金で埋めていた。金額は1,950万リラ、この1年で」
また唾を呑む。
「……なぜです?なぜこんなことを?浮いた金はどこですか?」
エキンジは黙って目を伏せていたが、大きなため息をつくと立ち上がり、窓辺へ行って背を向けた。
「……いずれ、あなたが気がつくだろうとは思っていました」
窓辺には、大きな銀色の儀式用十字架が飾られていた。その縁を撫でながら、クルチュは続けた。
「出張に出かける時、小切手帳を置いていったのは……もしかしたら、気づいて欲しかったのかも知れません」
クルチュの方に向き直る。
「……ええ。あなたのおっしゃる通りですよ、クルチュ神父。私は、教会の金を横領しました」
「ただの金じゃない。信者の方々の善意の献金、募金ですよ⁉︎こんなことは、主もお赦しにならない。なぜです」
「……そうですな。主はお赦しにはならない。理由を言ったところで。あなたは理由が解れば、赦してくださるとでも?」
クルチュは答えなかった。エキンジの言う通りだ。例えその理由が理解できるものであったとしても、赦せることではない。
「なぜ、か。あなたには正直に話しましょう。私には内縁の妻がおりましてな。それから娘も」
もうこの時点で教会法に反している。中世ならともかく現代では、発覚すれば神父としての職を失い、破門されることもある。
クルチュ自身も、その可能性を承知の上でヴィを引き取ることを選んだ。教皇庁にお伺いをたて、正式に許可を得たのだ。それは極めて異例なことだったが、エキンジもそうすれば良かったのだ。だが彼はそうしなかった。
ヴィは食事を済ませた後、いつものように礼拝堂にいた。食後の祈りをあげるためだ。と言っても、今日はいつもの祈りだけで済ませるつもりはなかった。
お父様が、食事を残した。普段ならありえないことで、とても心配だった。追いかけて声をかけたかったが、教会の経理の問題なら、わたしが口出しすることじゃない。それにわたしの性格だと、こういう時強い言葉を使ってしまい、却って傷つけてしまうかもしれない。
幼い頃から、お父様の勧めで護身術を学んでいた。テュルキエ独自の護身術、アスラン道。体術と精神面を鍛えて、危険に強い心で立ち向かうことを重視する、特殊な護身術だ。人体の弱点やツボを熟知して、最小限の打突で相手を無力化する技術と、それを冷静に、正確に実行できるよう精神力を磨くための瞑想。基本をお父様に教えて貰って少女時代にマスターした後は、インターネットで独学で研鑽し、今では指導できる域に達していた。
孤児という生い立ちと友人のいない少女時代は、防衛本能を増長させ、それを強い攻撃性に変えた。時に見せる高圧的な態度や荒っぽい言葉使いが、その現れであった。ヴィはアスランティブでそれらをコントロールし、普段は丁寧過ぎるくらいの喋り方を心掛けてきたつもりだったが、今回のような場合はそのコントロールが、ヴィの行動に制限をかけていた。
攻撃性と無力感。相反する2つの心理が、ヴィの中で葛藤していた。お父様のことがとても心配、だけどわたしの言葉が却って状況を悪くしてしまうかもと思うと何も言えない。どうすればいい?
ヴィは祭壇の前で跪き、主ではなく自分自身に問いかけていた。アスランティブに基づき出した答えは、とりあえず何もしないで今は見守る、という消極的な結論だった。それはヴィの無力感に、さらに追い討ちをかけた。
午後からは、また使徒職の予定が詰まっている。戦争孤児たちの放課後の集まり、「ビジム・エヴ」に行かなければならない。それも大切な仕事だった。休むわけにはいかなかった。
ヴィは立ち上がると、責務を果たすことにした。
お父様は今、エキンジと話している。使徒職から戻ったら、さりげなく話しかけてみよう。今のわたしには、それくらいしかできない。
ジェイはアリー経由で、クルチュとエキンジの会話を聴いていた。エキンジの横領は、聖テレーザ教会が初めてではない。
ジェイエルは転生する前に、グリゴリの記録でエキンジの過去の不正を見ていた。地上に来てからグリゴリの記録を見ることはできないので、テレーザでのことは知らなかったが、やってるだろうとは思っていた。1度甘い蜜を吸った人間は、簡単にはそれをやめられない。
グリゴリの記録では、エキンジは横領した金をコンスタンティノープルに献金していた。公式にではなく、自分の出世のための賄賂としてだ。それが、エキンジを"狩り"のターゲットに選んだ理由だった。エキンジからインノケンティウスへの繋がりを追うことも含めて。
今、エキンジは、クルチュに対して嘘の動機を語っている。内縁の妻と娘がいるのはグリゴリの記録でも知っていたが、エキンジは家族のことなど二の次で、自分の権力欲のためだけに横領した金を使っていた。貧しい人々や辛い思いをしている人々のために使われるはずだった金を。
同時にジェイは、クルチュの勇気に感服していた。クルチュは天使でも堕天使でもなく、特別な能力や強い力があるわけでもない、老いた神父に過ぎない。なのに今彼は、たった1人で権力と不正に立ち向かっている。勇気を振り絞って。
ここはクルチュの勇気に敬意を表して、彼に任せてみよう。もう少し様子を見てみよう。
「――あなたのご事情はわかりました。エキンジ司祭」
クルチュはエキンジの目を見て言った。
「ならば、どうかお願いです。主に告解してください。そして、自首してください。そうすれば、今ならまだ、主はお赦しくださいます」
エキンジの目が、すーっと細くなる。
「告解、ですか。今私はあなたに全てを話している。これを懺悔と受け取ってはくださらないのですか?」
「私は、ただの神父に過ぎません。あなたの罪は、私の力では赦すことも裁くこともできません。ですから――」
「それは脅しですかな?」
「脅し?なんのことです。私はただ――」
「自首しろ。さもなくば……なるほど。わかりました。いや、私もそのつもりでしたよ」
クルチュは安堵のため息をついた。
「良かった。自ら罪を認めれば、主もきっと赦しを――」
「いや、あなただ。私はあなたの赦しが欲しいのです」
「――私?いや、私には――」
「こういうのはいかがですかな?クルチュ神父」
そう言うと、エキンジはデスクの引き出しを開け、取り出したものをクルチュの前に放り出した。
札束だった。エキンジは無表情のまま、獲物を前にした蜥蜴のように、ピクリとも動かずじっとクルチュを見つめる。
クルチュは愕然とした。声が出せなかった。どす黒い憤怒が、身体の奥底から迫り上がってくるのを感じた。だが彼は、半世紀もの間、主に仕えてきた神父だった。クルチュは自分自身の憤怒を必死に抑えた。それでもやはり、言うべき言葉が見つからない。右手で、ヴィの腕時計を覆うように左手首を掴んだ。震えているのを見られたくなかった。
「――失礼。少なかったですかな?」
エキンジは、引き出しの奥からまた札束を出して、最初のそれの横に放り出した。ふたつ、みっつ、よっつと。
いつつ目を探して引き出しの中を覗き込み、言った。
「……あー申し訳ない。今はここにはそれしかないんですよ。もし足りないのであれば――」
その口調はまるで、シミットの売り切れを詫びるパン屋のように軽かった。
もう抑えきれそうになかった。我慢の限界を超えそうだった。
「……これが。これがあなたの免罪符だと?」
それでもまだ、クルチュは自制心を保っていた。驚異的な忍耐力だった。
クルチュは札束をなぎ払い、ノートPCと小切手帳を手に取ると、ゆっくりと向きを変えて静かに歩いて執務室を出た。走り出したかったが、今走れば老いた心臓が破裂しそうだった。
クルチュはドアを後ろ手に閉めると、PCと小切手帳を両手で胸の前にしっかりと抱えて、並びにある居住区の私室に戻った。ドクターズバッグにPCと小切手帳、iPortaを詰め込み、神父服のまま部屋を出ると、転ばないように気をつけて螺旋階段を降り、教会を出て行った。
司祭執務室では、エキンジが札束を引き出しにしまい、iPortaでメッセージを打っていた。その指は震えていた。




