第八十七章:その距離、帝国の外
シンカクは笑ったのか問題、引き続き未解決です。
たぶん本人に聞いても「笑っていない」で押し切られます。
そして今回は――
手紙その二、その三です。
銀色の箱の中に、手紙は三通あった。
ヴァンは一通目を読み終えて、静かに裏返した。
シンカクへの手紙。それはもう読んだ。
二通目を手に取る。
封筒の表には差出人も宛名もない。
ただ、几帳面な字で一言だけ書かれている。
―― 『この箱を開けた方へ』
「……『開けた方へ』、ね」
封を切る。短い手紙だった。
用件だけが、明朝体で几帳面に並んでいる。
この魔導磁針を見つけてしまったのですね。
持ったまま外を歩かないでください。
できれば、すぐに壊してください。
あれは、ある方向を指し示します。
その先には、見つかると厄介なものがあります。
お願いします。
ヴァンは読み終えて、箱の中を確認した。
小さな、金属製の魔導磁針。羅針盤から外したような、古風な代物だ。
「……破壊、ね」
それを壊す気は、今のところなかった。
とにかく三通目だ。
最後の封筒を取り出したとき、ヴァンの指先が止まった。
封蝋の上に、細い封印が走っている。魔力の残滓。
古くて、薄い。だが、まだ生きている。
(解除条件は……魔力か)
指先に、ゆっくりと魔力を集中する。極限まで圧縮し――流し込む。
――高圧魔力。
ぱきり、と。
封印が、音もなく砕けた。
封筒を開ける。
書き出しを見た瞬間、ヴァンの動きが止まった。
親愛なるヴァン・ラークへ!
私の大切な子供へ。
それだけの間、静止して、ヴァンは勢いよく立ち上がった。
椅子が後ろに弾き飛ぶ。
「……っ」
声にならなかった。
(俺が生まれたとき、まだ、名前も……)
記憶を辿る。自分が何歳でここへ来たか、何を知っているか。
フィロメラが死んだとき、ヴァンはまだ生まれたばかりだった。
満月を迎えていたかさえ、定かではない。
つまりこの手紙は。
(生む前に、書いたのか)
名前も。
―― ヴァン・ラーク、という名前も。
彼女が、決めたのか。
しばらく立ったまま、ヴァンは天井を仰いだ。深呼吸を一回。
手紙を持ち直す。続きを読む。
まず言わせて。
できれば男の子がよかったな!
女の子だったら『ヴァン』はちょっと変なので、『ラーク』だけにしてあげてください。
『ヴァン』って、いかにも男の子らしい響きだと思いませんか? 少なくとも私はそう信じてます。
「ラーク」という名前には、あなたが雲雀のようにどこまでも自由に、広い空で歌い続けてほしいという願いを込めました。
お母さんからの、ささやかな贈り物です。
(……そっちか)
ヴァンは思わず、呆れたように息を吐いた。
苦笑しながら、続きへと視線を落とす。
でも、どちらにしても。
ここまで読んでいるということは、あなたはきっとすごいことを、たくさんやり遂げてきたんですね。
えらい! 本当にえらい!
母親として、とっても誇りに思います。
「……誇りに思われても」
声が、少し掠れた。それだけだ。続きを読む。
本題に入ります。
磁針のことは、もう一通の手紙で説明しました。
でもあなたが読んでいるということは、きっと破壊していないですよね。わかってた。☆
その磁針、ある方向を指し示しています。
魔力を少し注入すると、距離が出ます。
その先に、私が遺したものがあります。
私の「秘密の武器」です。
ただし、少しだけ厄介なことがあって。
その武器は「魔法の箱」の中に入れてあります。
自分で動き回る箱です。
なので、行くたびに場所が変わっています。ごめんなさい。
磁針がその都度、最新の位置を示してくれるはずです。きっと。たぶん。
(……「きっと、たぶん」で締めるな)
ヴァンは眉間を押さえた。
その武器は、今の戦争の常識を、根本からひっくり返せるものです。
大げさではないです。本当です。
でも、ひとつだけ言わせてください。
もしあなたが、静かに生きたいなら。
探さなくていいです。
あるいは、探し出して、自分を守るためだけに取っておいてもいい。
使い方は、箱の中に全部書いてあります。
あなたなら、きっと読んでわかると思うから。
ヴァンは一度、手紙から目を上げた。
窓の外、帝都の屋根が見える。
(根本から、ひっくり返す)
(母親の言葉で、その規模の武器)
想像が、追いつかない。
続きに目を戻す。最後の段落だった。
それから、もうひとつだけ。
シンカクを、よろしくお願いします。
お姉ちゃんだと思って、大切にしてあげてね。
彼女は不器用だけど、あなたのことを、ちゃんと守ってくれます。
私が保証します。
愛を込めて。
フィロメラより。
手紙の端を、ヴァンはしばらく見つめた。
言うことが、見つからなかった。
(……重すぎる)
情報量が、だ。溜息をひとつ。磁針を拾い上げる。
「……武器か」
「どんな代物なのかは知らないが」
「超位魔法の術式か、それとも」
言いかけたところで。
「探すなら、わたしも行く」
静かな声が、後ろから言った。
ヴァンは振り返った。部屋の入口。
シンカクが、腕を組んで立っている。白い仮面。無表情。
いつからいたか、まったく気配がなかった。
「……盗み聞きか」
「ちがう。報告に来たら、椅子が飛んでいた」
「……」
「だから、待った」
ヴァンは小さく笑った。
「なあ、シンカク」
「なに」
「手紙に書いてあったんだが」
「お前のことを、姉と思って大切にしろって」
「……」
シンカクは、わずかに首を傾げた。
「だから、これからは――姉さんって呼んでいいか?」
「……いらない」
断言だった。
「今まで通りでいい」
「そうか」
ヴァンは特に食い下がらなかった。
(今まで通り、ね)
それでいい、と思った。
磁針を、右手の中心に置く。
ゆっくりと、高圧魔力を注入する。微量でいい。
針の先端が、ぶれた。安定する。
そして表面に、数字が浮かんだ。
ヴァンは、それを見た。
目を細める。もう一度見る。
「……」
「シンカク」
「なに」
「単位を確認するが」
「これは、メートルか」
シンカクが覗き込む。一秒後。
「メートルだ」
1,000,000。
「……」
ヴァンは沈黙した。七桁。
一、十、百、千、万――
「百万、メートル……」
「千キロ、か」
「なあ」
「なに」
「帝都から帝国の国境まで、千キロあるか」
シンカクは即答した。
「ない」
静寂。ヴァンは磁針を見た。
針が、ぴたりと北北西を指している。
揺れない。迷わない。
「つまり」
ヴァンは、ゆっくりと言った。
「帝国の中に、ない」
シンカクは何も言わなかった。
ただ、針の先を静かに見ている。
窓の外。
帝都アイゼングラードの午後の日差しが、広がっていた。
その遥か先に。
死んだ母親が仕込んだふざけた魔法の箱が、今日も勝手に動き回っている。
ヴァンは磁針を握り直した。
溜息は、もう出なかった。
【第八十七章・終】
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