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第八十一章:勝者の幕引き

今回は、宴の決着回です。


言葉で戦った夜に、ようやく幕が下ります。

「その小難しい理論が全部貴様のものだとして――それで、あの戦術がノストラからの『盗品』でない証明になるというのか!?」


ルートヴィヒの場違いな怒声が、広間に空しく響き渡る。


上質の水晶シャンデリアが、微かに揺れた。


「控えろ、愚息が」


コンラート・アイゼンハルトの鋭い一瞥が飛んだ。父親の底冷えする眼光に刺され、ルートヴィヒはビクッと肩を震わせると、青ざめた顔でそそくさと口をつぐんだ。


そこへ、静寂を縫うように忍び込んできたのは、ルキウス・ソルの押し殺したような笑い声だった。


「ふふ」


端正な顔に薄い笑みを貼り付けた第二軍団長は、白手袋に包まれた指先でワイングラスの縁をなぞりながら、楽しげに語る。


「戦争とは政治の継続であり、摩擦と霧の中で重心を攻める技術である――」


すらすらと、まるで芝居の台詞でも暗唱しているように。


「これほどの慧眼を持つ者が、わざわざ他国の戦術書を盗み見る必要があるのでしょうか」


目は、微塵も笑っていない。


「仮にあの戦術が使えなかったとしても、彼ならば別の手をいくつも出してくる……私はそう踏んでいますがね」


言い終えて、ルキウスは静かに赤ワインを口に含んだ。


――ヴァン・ラークはその間、一言も発さなかった。


近くの卓へ歩み寄り、自身のグラスに静かに赤を注ぐ。一切の焦燥を見せず、悠然とした足取りでエリアス・ベリサリウスへと向かった。


ヴァンはエリアスを見据え、静かに言った。


「――戦場だけが、戦争じゃない」


揶揄でも、侮辱でもない。


「世論という戦場もある。情報という戦場もな」


ヴァンはグラスを軽く持ち上げた。


「今夜の一幕。エリアス導師は、この舞台において――少々、後れを取られましたな」


ヴァンが老人のグラスに自分のグラスを当てると、チリン、と細い音が鳴った。


エリアスは、ヴァンの目をじっと見返した。銀白の睫毛の下、歴史の生き証人たる瞳が、静かに細められる。


そして――ゆっくりと、一度だけ頷いた。


わしの完敗、という顔をして。




上座で、アクィラ・ソルは腕を組んでいた。


相変わらず、表情は石のように動かない。


動かないのだが。


口の端が。


ほんの僅かだが。


上がっていた。


幕僚長は、その顔を一瞥して、そっと視線を逸らした。


長年仕えていて、初めて見る顔だった。


どこか、得意気な顔だった。



ヴァンは視線を流す。


広間の隅。コルネリア・フォン・ローゼンクロイツが立っていた。


視線が交差しても、彼女は完璧な笑みを崩さない。だからこそ、酷く底冷えがした。


ヴァンは視線をエリアスへ戻し、言葉を続けた。


「――前導師ほどの方が、今夜この場に立たれた。それ自体には敬意を表します。ですが」


一拍。


「今宵の件――どうやら、どなたかに利用されてしまったようで」


広間の空気が、ぴりついた。


コルネリアの微笑が、ほんの一瞬だけ、揺らいだ。


エリアスは、何も言わなかった。否、言えなかったのだ。ノストラの迎賓として招かれた彼がここで内幕を暴けば、国際問題の火種になりかねない。


だからこそ、ヴァンは追い打ちを止めなかった。


「そこまでして、誰かが隠したいものがある。今夜改めて――」


ヴァンが次の言葉を紡ごうとした、まさにその瞬間だった。


どさり。


重い音を立てて、エリアスが崩れ落ちた。派手な倒れ方ではない。ただ、操り人形の糸が切れたように、唐突に意識を手放したのだ。


「導師!」

「誰か軍医を呼べ!」

「治癒術師はいないか!」


広間がざわつきに包まれた。その喧騒の中、ヴァンはグラスを傾けながら、倒れたエリアスを見下ろした。


(……食えない長耳だ)


心の中だけで、そう思った。


体内の魔力を逆流させ、失神を装う。

長生きの余技だろうか。

それとも、修羅場を生き延びた老兵の知恵か。


(助かったぜ。あんたも、俺も)

(宴の場での舌戦は、ここで幕を引くのが最善だった)


宴は、静かにお開きとなった。


人払いがされた上座の間だけが、しばらく静かだった。


アクィラは立ち上がらなかった。


幕僚長が一礼して、膝をついた。


「閣下。記録班より報告です。今夜の一連の発言、概ね速記が完了いたしました。若干の欠落はございますが――主要な論点は全て記録済みとのことです」


アクィラは、答えるまでに少し間を置いた。


「そうか」


それだけだった。


しかしその二文字に、珍しい色が混じっていた。


幕僚長は、その色に気づいていたが、何も言わなかった。


アクィラは誰もいなくなった宴の跡を見下ろし、深々と上座の椅子に背を預けた。


「帝国の戦術がじり貧になりつつあることは、余も感じてはいたが……」


誰に言うでもなく、重い唇が動く。


「あやつが盤面に上がれば――軍団長共のバランスも、少しは面白い動きを見せるやもしれん」


指先で、玉座の肘掛けを静かに叩いた。




同刻。ヴァレリアン邸。


「うぃー……ただいま戻りましたぁ……」


玄関の扉が開き、わざとらしい千鳥足でヴァンが転がり込んできた。酒の匂いをぷんぷんさせ、顔を真っ赤にしている。


「兄さん!? ちょっと、どれだけ飲んだんですか!」


待ち構えていたエレナが慌てて駆け寄り、ヴァンを支える。


「んふふ、大元帥の秘蔵ワイン、最高でしたよぉ……Zzz」


言い終わるや否や、ヴァンは応接間の長椅子に倒れ込み、たちまち高い寝息を立て始めた。


「もう、しょうがない人ですね……風邪、引いちゃいますよ」


エレナはため息をつきながらも、甲斐甲斐しく彼に上着を掛ける。


その一部始終を、ベルンハルトとフリーダは静かに見守っていた。ヴァンが完全に『寝落ち』したのを確認してから、エレナが青い瞳に心配の色を浮かべて振り返る。


「父上。まさか何か問題でも起きたのですか?」


ベルンハルトは、長椅子で死んだふりをしている養子をちらりと一瞥し、ふう、と深く息を吐き出した。


「……大事(おおごと)だ」

「は?」

「大事が起きた」


椅子から立ち上がったベルンハルトの瞳には、かつて前線で奇跡を起こした時のような、ギラギラとした熱が宿っていた。


「大元帥の宴席、大陸一の戦略家、そして軍団長連中のド真ん前でだ……」


興奮のあまり、ベルンハルトの言葉遣いが荒くなる。


「あいつは……帝国の旧びた戦術論を、根っこからひっくり返しやがった! ワシの……いや、ワシらの息子は、とんでもない化け物だぞ!」




【第八十一章・終】

あと、酔っ払いを演じながら帰宅するヴァンは、

たぶん戦場より家のほうが演技してます。


面白いと感じていただけましたら、

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