表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

86/110

第八十章:戦争論

今回は、ついに宴の空気が変わります。


祝宴の席で始まる、思わぬ告発。

追い詰められるヴァン。

剣ではなく、言葉で戦う夜。

沈黙が、一瞬だけ宴会場を支配した。


三十年前の手稿。ノストラの大導師による「盗用」の告発。


四面楚歌の状況下で、ヴァンはグラスを持ったまま、エリアスの深い瞳を真っ直ぐに見返した。


「一つだけ、聞かせてください」


穏やかな声だった。


急いでもいないし、焦ってもいない。


「その三十年前の貴方の教え子の手稿には――『鎌計画』や『シュリーフェン計画』といった構想も、記されていましたか?」


エリアスが、ピタリと動きを止めた。


老賢者の目に、初めて明確な戸惑いが浮かぶ。


「……何だと?」


「似たような発想の構想が、他にもその手稿にあったかどうか、ということです」


エリアスは短い沈黙の後、訝しげに答えた。


「……いや。わしの知る限り、その手稿一冊だけだ。そのような名の計画は聞いたことがない」


「そうですか」


ヴァンはそれだけ言って、ゆっくりとグラスに口をつけた。


周囲が、ざわめいた。言い訳すらせず、余裕を見せる少年の態度に戸惑っているのだ。


すかさず、コルネリアがエリアスに向かって、ひどく憂慮したような表情を作った。


「お待ちください、閣下。似たような機動戦術の構想など、兵法の歴史を紐解けばいくらでも転がっているのではなくて? ヴァンが過去の戦史から独自にそれを組み上げた可能性も、十分にあるはずですわ」


エリアスは首を横に振った。


「……表面的な類似ならば、わしも口は出さぬ。だが、この手稿にある兵站の細部、行軍の順序、その思想の『根』が恐ろしいほど一致しているのだ。ただの偶然で片付けるには、あまりにも不自然すぎる」


「だとしても、これだけで『盗用』と断じるのは証拠として弱すぎますわ。帝国の英雄を、状況証拠だけで罪人扱いしようなどと……いくらノストラの導師様であっても、少し横暴ではありませんこと?」


「わしは彼を断罪しに来たのではない、コルネリア殿」


エリアスは、厳しい声で言い放った。


「ただ、真実を知りたいだけだ。この恐るべき戦術の『本質』を、この年端もゆかない少年が、本当に理解して運用しているのかどうかをな」


二人の言葉が、巧みに絡み合う。


赤と白。攻めと守り。

だが、その両方がヴァンを「盗用者」として追い詰める刃になっていた。


そこへ――


「聞こえたか、貴様ら!」


突如、癇高い声が響いた。


人垣を乱暴に掻き分けて前に出てきたのは、第一軍団のルートヴィヒだった。


片手にワイングラスを握りしめ、隠しきれない興奮と歓喜で顔を真っ赤に紅潮させている。


「ふざけるな! ノストラの手稿をどこからか不正に手に入れていたとなれば――それはもう戦術の盗用では済まん! 敵国との内通ではないのか!」


勝ち誇った顔。今すぐヴァンを断罪したくてたまらない、ひどく急いだ足取り。


ヴァンは、その醜悪な顔を眺めながら――ああ、と思った。


(なるほど。そういうことか)


今日の昼。主棟の入口で彼が吐き捨てた言葉が、一本の線で繋がった。


『今夜、覚悟しておけ』


『貴様の化けの皮が剥がれる瞬間を、この目で見届けてやる』


あれは――今夜のこの「大導師による告発劇」を、事前に知っていたからこそ出た言葉だ。


ヴァンは静かにグラスを置いた。


「ルートヴィヒ閣下」


静かに、はっきりと、声を通す。


「エリアス閣下が私の戦術を問題視しているという事実を、あなたは『いつ』お知りになりましたか?」


ルートヴィヒの勝ち誇った笑みが、一瞬ピタリと止まった。


「今日、私がここに来た時――あなたはすでに『今夜、化けの皮が剥がれる様を見届けてやる』とおっしゃっていた」


ヴァンは、逃げ道を塞ぐように言葉を継ぐ。


「今夜のこの告発が事前に分かっていなければ、そうはおっしゃれないはずです。ではお聞きしますが――あなたは一体『どこで』、それをお知りになったのでしょうか?」


宴会場が、水を打ったように静まり返った。


ルートヴィヒの顔から血の気が引き、みるみる青ざめていく。


(まずいことを言った)と気づいた時には、すでに遅かった。


大元帥アクィラが、冷たい目でルートヴィヒを見た。


コルネリアも、内心で舌打ちをしながら静かに視線を向けた。


エリアスが、緩やかに目を細める。


その圧倒的なプレッシャーの中、コンラート教授が、ゆっくりと息子の前に進み出た。


「……場が、少々荒れすぎているな」


低い、感情を完全に殺した声だった。


権力闘争を生き抜いてきた老獪な貴族特有の、酷薄な声だ。


コンラートは無言のまま、ルートヴィヒの肩を万力のような力で掴み、ギリッと握り潰さんばかりに指を食い込ませた。


「ルートヴィヒ。下がれ」

「し、しかし父上、こいつは――」

「下がれと言っているッ!」


二度目は、いかなる拒否も許さない、周囲の空気ごと凍らせるような一喝だった。


ルートヴィヒが恐怖に唇を噛み、後ずさりする。


コンラートはすぐにヴァンに向き直った。


「戦術の剽窃という問題は、個人の因縁などという些細なことではない。一つの戦術が戦場を変え、何万もの命が左右されるのだ。それを誰の功績とするかは――帝国の未来に関わる重大事である」


(見事な手際だ)と、ヴァンは内心で感心した。


話題を、強引に「戦術の剽窃」へと引き戻した。


ルートヴィヒの決定的な失言を、帝国の未来という大義名分の霧の中に沈めたのだ。


ヴァンは、再びグラスを手に取った。


残っていた酒を、一息に飲み干す。


(クラウゼヴィッツ先生)


胸の中で、かつて地球に生きた偉大な軍事思想家に、静かに呼びかける。


(あなたの言葉を、少しだけお借りします)


「エリアス閣下」


ヴァンは口を開いた。


「一つ、お尋ねしてもよろしいですか」

「……なんだ」

「『戦争』とは何だと、お考えですか」


宴会場のどこかで、小さな失笑が漏れた。


場を読めていない子供が、窮余の策で突拍子もない哲学を言い出した――そんな笑いだ。


だが、エリアスは笑わなかった。


しばらく、ヴァンをじっと見つめ、やがて重々しく答える。


「……矛盾と紛争を解決するための、究極の暴力的手段だ」


「そうです」


ヴァンは頷いた。


「ですが、私の考えでは――戦争とは、『政治の延長』です」


静かに、しかし絶対的な確信を持って言い切った。


「政治的目的を、別の手段で継続する行為。政治が『頭脳』であり、戦争はその『拳』にすぎない。戦争は独立して存在しない。必ず、政治的文脈の中にあるものです」


エリアスが、黙った。


「意味のわからないことを……詭弁だ!」


ルートヴィヒが背後から口を開きかけたが、ヴァンは構わず続けた。


「では、なぜあの『幽霊進軍』のような完璧な計画が、紙面通りに実行できないのか。なぜノストラの軍は、あの手稿を持ってしても帝国を押し返せなかったのか」


人々が、息を呑んで耳をそばだてるのがわかった。


「どんな精緻な計画も、戦場では必ず崩れる。道はぬかるみ、天候は変わり、伝令は死ぬ。そこに、戦場の霧がある」


ヴァンは言葉に熱を帯びさせた。


「指揮官は常に、不完全な情報の中で判断を下さねばならない。敵の動きは完全には見えない。味方の状況すら把握しきれない。この『不確実性』を前提としない戦術など、ただの机上の空論です」

「そして、戦略が狙うべきは敵の重心だ。敵の戦力を支える核心。それを見極め、そこに持てる打撃を集中する。それが戦略の本質です。あの幽霊進軍の計画が優れているとすれば――それは敵の重心の概念を、直感的に捉え、補給線を断つよう設計されていたからです」


エリアスの眉が、微かに、だが確かにピクリと動いた。


ヴァンは一息ついた。


「戦争を構成する要素は、三つです」


指を、一本ずつ立てる。


「第一に、人民の情熱。第二に、政府の政治的意図。そして第三に、軍の技術と指揮官の判断」


ヴァンは三本目の指を立て、ゆっくりと会場を見回した。


「この三者が『三位一体』を成している。この三つが噛み合わなければ、どれほど優れた手稿でも、決して現実の勝利には結びつかない」


宴会場は、もはや静寂に支配されていた。


先ほどまでヴァンを笑っていた者たちは、誰一人として口を開けなかった。


その時、壁際にいた大元帥アクィラ・ソルが、音もなく動いた。

彼は何も言わなかった。ただ、傍らに控える数名の幕僚将校たちへ、鋭い「視線」を送った。


言葉なき命令。将校たちは弾かれたように背筋を伸ばし、羽ペンと手帳を取り出すと、ヴァンの言葉を一言一句逃さぬよう猛然と記録し始めた。


ヴァンはそれを視界の端で確認した。


(俺の言葉を一言一句、書き留める気か)


構わない。


むしろ、好都合だ。帝国軍の中枢に、現代戦術の基礎を叩き込んでやる。


「次に、攻撃と防御の話をします」


ヴァンは続けた。


「防御は、より強力な戦闘形式である。しかし、消極的な目的を持つ。対して攻撃は、より弱い戦闘形式である。しかし、積極的な目的を持つ」


「――弱い、だと?」


旧貴族派の将軍の一人が、思わず声を上げた。


「攻撃の方が弱いとはどういうことだ! 我が帝国が攻勢をかけた時、大陸の誰が我々の突撃を止められたというのだ!」


「止められなかった、という事実こそが――私の理論の証明です」


ヴァンは一歩も引かずに返した。


「魔導師を例に考えてください。なぜ下位の術者は遠距離魔法を多用し、上位の術者ほど自己の強化を選ぶのか」


『武力こそ正義だ』を信奉する帝国の将官たちの間に、ハッとしたような沈黙が広がった。


「遠距離魔法は、魔力を外に放ちます。空間を伝播する途中で減衰し、空気の抵抗を受け、到達時には威力が落ちる。だが自己強化は、魔力を自分の内側に留める。損失が極めて少ない」


「軍隊の攻撃も同じです。戦線を押し上げれば補給線が延び、兵站が細り、予備戦力が薄くなる。一方、防御側は自陣に留まり、地の利を活かし、力を集中して迎え撃つことができる」


「では――」


ヴァンは、会場全体を見渡した。


「世界最強の武力を誇るこの帝国の攻勢が、なぜ局地での勝利を積み重ねながら、未だに決定的な戦争の勝利に繋がらないのか」


誰も、口を開けなかった。


図星だったからだ。


「それは、我が軍が常に『攻勢限界点(こうせいげんかいてん)』を超えているからです」


静かに、しかし痛烈に。


「攻撃には、必ず勢いが尽きる点……進攻の頂点が存在する。そこを超えて無謀に攻め続ければ、今度は自分たちが『弱体化した攻撃者』となり、十分に準備を整えた防御側に容易く叩き潰される」


最前列でワイングラスを握っていたコルネリアの手が、微かに震えた。

彼女は、戦いを知らないわけではない。むしろ、帝国の軍需と経済を支配する者として、誰よりも「数字」としての戦争を見てきた。


(……何なの? どこでこんなものを手に入れたの?)


コルネリアの脳裏に、かつて嫉妬したフィロメラの顔がよぎる。あの女は魔法の理を暴き、帝国の武力の根源を創り出した天才だった。だが――


(違う。これはフィロメラの残した知識の類じゃない。戦場を、人間という種そのものを、高みから見下ろす神の視点……まるで、途方もない血の歴史を実際に見てきたかのような――)


「冗談でしょう……」


コルネリアは無意識に、唇を噛んだ。

彼女が仕掛けた「盗作疑惑」という罠は、ヴァンの圧倒的な弁舌という火炎によって、今や灰すら残らず焼き尽くされようとしていた。


反論は、一切なかった。


それが――彼らがこれまで何度も味わってきた、血塗られた事実だったからだ。


ロルフが、猛然と手帳にペンを走らせる将校たちの方を、満足げに一度だけ見た。


ヴァンは話を止めなかった。


戦争の本質から、戦略の構造へ。

戦略から、戦闘の原則へ。

戦闘から、軍隊の運用へ。

後世に整理される戦争論の要点を、一つずつ、完璧な論理で組み上げていく。


エリアスが、時折深く頷いた。


大元帥アクィラが、最高統帥としての威厳を忘れたような顔で、食い入るようにヴァンを見つめていた。

その表情は――ヴァンが今まで見た、父親のどの顔とも違っていた。


(あれは……)


純粋な驚きと、底知れぬ歓喜。複雑な顔だ、とヴァンは思った。


宴会場の外。石段の上。


護衛として扉の前に立っている近衛統領ガイウスが――目を閉じ、ヴァンの言葉を噛み締めるように小さく頷いているのが、わずかに開いた扉の隙間から見えた。


グラスの氷はとうに溶けきり、食卓の蝋燭はすでに半分以下の長さに縮んでいた。

気づけば、二時間近い時が流れていた。

将官たちは酔いを完全に醒まし、誰一人として咳払いすらしない。


「――以上が、私の考える戦争の全体像です」


ヴァンは静かに締めくくった。


「戦争は政治であり、摩擦であり、霧であり、三位一体の均衡です。どんな天才的な手稿や戦術も、この枠組みの外には存在し得ない」


一息。


「これが、私の目に映る『戦争』です」


ヴァンは静かに、エリアスを見た。


「大導師たるベリサリウス閣下は――三十年前、弟子たちにこのように御教えになっていましたか?」


沈黙が、エリアスの側に移った。


老賢者は、しばらくの間、微動だにせずヴァンを見つめていた。


その古木の底のような目の中に――何かが、激しく揺さぶられていた。


「……」


エリアスの答えが出る、その直前だった。


「――それでッ!」


ルートヴィヒの金切り声が、強引に割り込んだ。


ろれつが、わずかに怪しい。手にしたグラスが、怒りと酔いで小刻みに震えている。


「それで、何なんだと言うのだッ!」


劣等感と酒の酔いが、彼の理性を完全に焼き切っていた。


「その小難しい理論が全部お前のものだとして――それで、あの戦術がノストラからの『盗品』でないことの証明になるのか!?」




【第八十章・終】

ルートヴィヒのような存在は、

本当に場をややこしくしてくれるので助かります。


しかも酔うと勝手に自爆までしてくれる。

便利すぎる。


面白いと感じていただけましたら、

ブックマークや評価で応援していただけると励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ