表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

85/109

第七十九章:宴会の中傷

今回は、華やかな宴会の場で、


静かな会話ほど、時に鋭く刺さるものですね。

果たしてこの場を、ヴァンはどう切り抜けるのか。

元帥府の宴会場は、華やかな熱気に包まれていた。

笑い声、グラスの触れ合う音、香り立つ酒精。停戦を祝う空気の中で、将官たちが好き勝手に杯を煽っている。


ヴァンはその喧騒を背に、壁際でグラスを弄びながら、廊下の構造を頭の中でなぞっていた。


(あの近衛兵たちを、どうやって動かすか……)


何か口実があればいい。

たとえば――誰かが派手に騒いでくれれば。


(いや、駄目だな。警備が余計に固くなるだけだ)


頭の中で無数のシミュレーションを回し続ける。


その時だった。


宴会場の入口付近で、さざ波のようなざわめきが起きた。


ヴァンは視線だけを向けた。


人垣が割れていく。

静かに、しかし確実に。

まるで巨大な石が水面に落ちたように、畏怖の波紋が会場全体に広がっていく。


人垣の中心にいたのは――白髪の青年だった。


(……なんだ?)


ヴァンは一瞬、目の前の人物が本当に本人なのか疑った。

百年以上を生きる「生ける伝説」だと聞いていた。当然、腰の曲がった皺だらけの老人を想像していたのだ。

だが、そこに立っていたのは、三十代から四十代にしか見えない、優雅で整った顔立ちの男だった。


(あれが、エリアス・ベリサリウス?……長命種か)


だが、その違和感はすぐに消し飛んだ。

若々しい外見に反して、その瞳は何も映していないような、乾いた静けさをたたえていた。


周囲の人間が、重力に吸い寄せられるように集まっていく。将官も、旧貴族も、新興の文官も。年齢も身分も関係なく、誰もがその男に道を譲る。


(ノストラの人間が、この軍事帝国でこれだけの扱いを受けるか)


あの男には、それだけの重みがあった。


(さて、どうやって近づくか)


正面から行くには、取り巻きが多すぎる。

かといって待っていれば、抜け出す機会を逃す。


ヴァンが思案していると――


「……ヴァン・ラーク?」


隣にいた文官が、ひそひそと声をかけてきた。


「あの、エリアス閣下が……あなたを探しておいでですよ」


ヴァンは耳を傾けた。

人垣の中から、エリアスの声が聞こえた。

決して大きくはないが、不思議と会場の隅々まで通る声だ。


「……ヴァン・ラークという少年がいると聞いている。わしの目には、この眩しい会場ではなかなか見つけにくくてな。どなたか、ご存知かな」


ヴァンは、グラスを口に運んだまま動きを止めた。


(俺の名を、名指しで出した?)


喜ぶべきか。

警戒すべきか。


直感が、後者だと告げていた。

理由はない。ただ――老賢者の声の温度が、背筋が凍るほど冷たい気がしたのだ。


「あちらに」


誰かが、ヴァンの方向を指した。


人垣の一部がほどけ、道ができる。

エリアスと数人の随行者が、こちらへ向かって歩き始めた。


沿道の来賓たちが、自然に身を引く。

飲みかけのグラスを持ったまま、談笑を中断して、ただ粛々と道を空けていく。


「ヴァン」


隣にいた人物が、ヴァンの腕を小突いた。

「早くグラスを置きなさい。大導師様に対し、失礼でしょう」


ヴァンは無言でグラスを置いた。


エリアスが、目の前に立った。


近くで見ると、その男がまとう『時間』の重さが肌を刺すように伝わってくる。

感情の読めない瞳が、ヴァンを静かに、しかし正確に見据えた。


「あなたが、ヴァン・ラークか」


「はい」


「英雄は若いうちに育つというが――なるほど、確かに若い」


エリアスは小さく頷いた。


「『幽霊進軍』の戦術。見事だった」


会場にいた人間の何人かが、息を呑んで耳をそばだてるのがわかった。


「作戦の歯車が巧みに噛み合い、敵の予測を次々と裏切る。これほど完成度の高い機動戦術の構想を、この年齢で、よくもまあ。――天賦の才というものは、確かにあるらしい」


最大級の賞賛だ。

それは間違いない。周囲にいた人々の間に、小さな驚嘆のざわめきが広がった。

どこからともなく現れた第二軍団長ルキウスが、「まったくその通りです」と嬉しそうに頷いている。


ヴァンは軽く頭を下げた。


「過分なお言葉です。私など、まだまだ――」


「謙遜はいらない」


エリアスが、穏やかな口調で遮った。


そして――


「ただ」


一呼吸。


「少し、早すぎたとも思う」


ヴァンの意識が、鋭く研ぎ澄まされた。


「子供が背伸びをするのは悪くない。だが、高い場所に手を伸ばすのは成長だ。……届くかどうかは別だがな」


エリアスの声は、依然として穏やかだった。

だからこそ――言葉の刃が、抵抗なくすっと滑り込んでくる。


「三十年前のことだ。ひとりの教え子が、こんな手稿を持ってきた。機動戦術の構想だ。補給線を断ち、戦線を流動させる――あの『幽霊進軍』によく似ている」


(何だと?)


ヴァンは表情を動かさないまま、思考を走らせた。


(そんなものが、存在するのか?)


あり得ない、と思った。この世界の戦術体系は、まだそこまで発展していないはずだ。自分が参考にしたのは、前世の地球の知識だ。それが三十年前に、この世界に既にあったとでもいうのか?


(いや、待て。罠か? 捏造か? あるいは――)


「その手稿を見た時、わしは思ったものだ。この発想は、まだ時代が追いついていない、とな」


エリアスは続けた。


「だからこそ――」


賢者の目が、初めてわずかに険しい光を帯びた。


「これほど若い少年が、その恐るべき構想を戦術研討会とはいえ、完全に理解し、寸分違わず再現してみせた時。わしは感心すると同時に、深く憂慮したのだ」


その言葉が落ちた瞬間。


「お待ちください、ベリサリウス閣下」


深紅のドレスを纏ったコルネリアが、グラスを片手に優雅な足取りで進み出てきた。


「それはあまりにも、ヴァンに対して不公平な物言いではありませんか?」


表向きは、若き俊才を庇うような、たおやかで美しい声だった。


「たとえ似た発想が過去にあったとしても、彼はそれを独自に編み出し、先の戦いで見事に運用してみせましたわ。偶然の一致を『真似事』と決めつけるには、少々早計ではありませんか?」


コルネリアはヴァンに同情的な視線を送り、さらに言葉を重ねた。


「彼が誰かの戦術を盗用したと仰るのなら、それ相応の『確たる証拠』がなければ、帝国の軍人たちは納得いたしませんわ」


(……見事な手際だな)


ヴァンは一瞬でそれを見抜いた。

庇っているのではない。挑発だ。コルネリアはエリアスを袋小路に追い込み、決定的な証拠を出さざるを得ない状況へと誘導しているのだ。


エリアスは、彼女の言葉に小さく溜め息をついた。


「……最後に難民の波を用いた隠蔽戦術。あれは、この年端もゆかない少年が、自力で考えたものとは思えない」


静かに、しかし断言するように。


「冷酷で、精緻で、人命の重さを平然と切り捨てる。……あれは、本来この歳で出せる発想じゃない」


そして老賢者は、懐から折りたたまれた紙束を取り出した。


ひどく黄ばんでいる。

明らかに、年代を経た本物の古紙だ。


「これが、三十年前の手稿だ」


それを、来賓たちに向けて、静かに広げてみせた。


周囲が、一斉にざわめいた。


ヴァンは、そのざわめきを聞きながら――グラスのない右手を、静かに握り込んだ。


(完全に、チェックメイトだ)


あの手稿に何が書かれているか、本物かどうかなんて、今はどうでもいい。

問題は――『エリアス・ベリサリウス』という絶対的な名前が、その紙切れに抗いがたい重力を与えているという事実だ。


証拠の信憑性より、告発者の権威が先に機能する。


周囲の視線が、一斉にヴァンに集まっていた。

将官たち。貴族たち。文官たち。

さっきまで嫉妬と称賛を入り交じらせていた目が、今は明確な疑念と軽蔑に染まり始めている。


宴会場の喧騒が、水を打ったように静まり返った。


その時。

壁際で、軍務総長ロルフと杯を傾けていた大元帥アクィラ・ソルが――初めてこちらを向いた。


帝国軍の頂点たる男の双眸が、射抜くようにヴァンを捉える。


そして重く、静かに口を開いた。


「……ヴァン・ラーク」


その声が、宴会場の空気を一段冷やした。


「貴様、何か言うことはあるか」




【第七十九章・終】

面白いと感じていただけましたら、

ブックマークや評価で応援していただけると励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ