第七十八章:開宴
今回は、いよいよ祝宴の幕が上がります。
華やかな式典。集まる重鎮たち。
そして、そんな裏でこっそり動き回るヴァン。
果たして彼は、狙った場所までたどり着けるのか。
朝から、帝都アイゼングラードはざわついていた。
鼓笛の音、蹄の響き、行進の足音。
大通りには人垣ができ、沿道は旗と歓声で埋め尽くされている。
吟遊詩人が即席の賛歌を歌い、画家たちはスケッチ帳を広げて軍人たちを描き留めていた。
マルクスとルキウスの両軍団長も、帝都に戻っていた。
式典への出席だろう。
だが、今のヴァンには気にする余裕がなかった。
今日の彼に、余計な情報を処理している時間はない。
自室の卓に、魔導器が一つ置いてある。
煙草入れほどの大きさの、無骨な金属の箱だ。
だが、ワイルドが多額の裏金を使って借り受けてきたそれは——裏社会で『鍵の魔術師』と呼ばれる爺さんが手掛けた、帝都最高峰の開錠ツールだった。
ヴァンはそれを手に取り、重さを確かめた。
(開ける手段は手に入れた。あとは、場所だ)
元帥府の構造は、以前の潜入である程度把握している。
だが、三枚目のルーンの欠片がどこにあるかは別の話だ。
広大な屋敷の中を、手当たり次第に探すわけにはいかない。
ヴァンは短く声をかけた。
「シンカク」
音もなく、銀色の仮面をつけた少女が部屋の隅に現れた。
「呼びましたか、ヴァン」
「ああ。今夜、元帥府の立入禁止区画に入る。ルーンの欠片を探すためだ。
母親の形見に、心当たりはないか」
シンカクは仮面の奥で、表情は一切読めないが、その沈黙には彼女なりの明確な強硬さが宿っていた。
「私が同行します。単独で行けば、簡単に死にます」
「却下だ。元帥府の検問は厳しい。お前の反魔力体質が、スキャンにどう引っかかるか分からない。それに、隠密ってのは扉を粉砕することじゃない」
「……ヴァンの決定なら、受け入れます」
シンカクの声は、一切の感情を帯びていない。だが、その頑なな態度は、彼女なりの心配の形だった。
「欠片の場所は、東棟の突き当たり。休憩室です」
「休憩室?」
「はい。フィロメラは、疲れた時によくそこで休んでいました。後で錬金台や機材も持ち込み、工房の延長として使っていました」
(なるほど。それなら合点がいく)
ヴァンは脳内の地図を広げた。東棟、突き当たり。方角と距離の計算はつく。
「助かった。行ってくる」
「生存を最優先してください、ヴァン」
シンカクはそれだけ言うと、再び影の中に沈んでいった。
午後。
ヴァンは学院から支給された礼服に着替えた。
着慣れない窮屈な代物だが、文句を言う場面でもない。
卓上の魔導器を手に取る。
ヴァンはそれを、首から下げる身分証の裏側に重ねて貼り付け、上着の胸の内ポケットに収めた。
こうすれば、検問で魔力スキャンを受けた際、魔導器の微弱な反応を「身分証の魔力」として誤魔化せるはずだ。
(行くか)
元帥府は、すでに人で溢れかえっていた。
正門から続く石畳の上に、礼装の人間が列をなしている。
金糸の肩章。各師団の勲章。
将官クラスの顔ぶれが、愛想笑いを交わしながら流れていく。
ヴァンは粛々と検問を通過した。
荷物の確認。身分証の提示。そして、魔力反応の簡易検査。
内ポケットの魔導器が一瞬、スキャンの波紋に触れた気がした。
だが、検問の衛兵は「確認しました」と短く告げ、道を空けた。
(通った。身分証と重ねたのは正解だったな)
主棟の入口をくぐった瞬間だった。
「——貴様」
聞き覚えのある、神経質な声。
ヴァンが立ち止まると、そこには見事な礼装に身を包んだ金髪の青年が立っていた。
整った顔立ちだが、その目は明確な憎悪でヴァンを睨みつけている。
(誰だ?)
ヴァンは記憶を数秒掘り返した。
(……ああ)
「お久しぶりです、ルートヴィヒ閣下。そういえば、以前、路地裏でひどい目に遭ったと伺いましたが……お怪我と、あと頭の具合はもう完治されましたか?」
ヴァンは旧友に話しかけるように、相手の肩をぽんと叩いた。
ルートヴィヒの顔が、怒りでどす黒く染まった。
「貴様ァッ……! よくも白々しいことを! 私があんな屈辱的な目に遭ったのは、すべて貴様の差し金だろうが!」
ヴァンは内心で首を傾げた。彼が裏通りでボコボコにされた件など、ヴァンは一切関与していない。
「誤解です。私は特に何も——」
「言い訳など聞かん!」
ルートヴィヒの声が、一段高くなった。
周囲の貴族や将校たちが、好奇の目を向けてくる。
「今夜、覚悟しておけよ!」
ルートヴィヒは、ヴァンの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで低く唸った。
「貴様のその『化けの皮』が剥がれる瞬間を、この私が見届けてやるからな!」
(化けの皮?)
ヴァンはその言葉を、右から左へと聞き流した。
「ルートヴィヒ」
低い声が、横から割って入った。
彼の父親、コンラート・アイゼンハルト教授だ。無表情のまま、息子の腕を掴む。
「場所をわきまえろ。恥を知れ」
「しかし父上! こいつが——」
「来いと言っている」
それだけだった。
ルートヴィヒはギリッと唇を噛み、父親に引きずられるようにして去っていく。
(相変わらず、コントのような親子だな)
ヴァンは肩をすくめ、その背中を見送った。
祝宴の開始まで、まだ少し時間がある。
会場には続々と帝国の重鎮たちが集まりつつあった。
ヴァンは、通りかかった給仕を呼び止めた。
「すみません。お手洗いはどちらですか」
丁寧に案内された方向を確認してから——ヴァンは周囲の目を盗み、全く逆の方角へと歩き始めた。
廊下を進む。
角を曲がる。
等間隔に並ぶ扉。
東棟の奥へ進むにつれ、喧騒が遠ざかり、人の気配が薄くなっていく。
そして。
廊下の突き当たりに、武装した近衛兵が二人、彫像のように立っていた。
ヴァンは歩調を変えずに進んだ。
近衛兵の一人が、無言のまま片腕を横に伸ばした。
扉を塞ぐように。
「これより先は通行禁止区域です」
声に、感情はない。
「来賓の方は、立ち入りをご遠慮願っております。お戻りください」
ヴァンは立ち止まった。
頭を下げながら、近衛兵の背後にある「扉の把手」を、一瞬だけ鋭く観察する。
(……最悪だ)
金属製の頑強なシリンダー錠。
さらにその周囲には、複雑に絡み合った真っ赤な『魔力紋』が刻まれている。
(物理錠と魔力錠の二重構えか)
鍵の魔術師の魔導器が、この二重の障壁を同時に突破できる保証はどこにもない。
突破に時間がかかれば、巡回に見つかる。
「失礼しました。お手洗いの場所を間違えたようです」
ヴァンは素直に頭を下げ、踵を返して元の廊下へと戻った。
(かなり厄介なことになったな……)
万能鍵が通じない可能性。
選択肢は、まだある。
周囲では、華やかな祝宴の幕が上がろうとしていた。
【第七十八章・終】
ルートヴィヒのような存在は、
本当に場をややこしくしてくれるので助かります。
いろいろな意味で。
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