第七十七章:鍵
今回は、祝祭前の帝都を舞台に、表向きは祝賀会。
ですが、実際のところは――別の意味で、かなり危ない一手です。
帝都アイゼングラード。祝祭を目前に控えた街は、本来なら最高潮の熱気に包まれているはずだった。
だが、ヴァン・ラークが軍情局へ向かう道すがら目にしたのは、どこかぽっかりと穴が開いたような奇妙な静けさだった。
(……活気がないな)
数日前までの、あのガチャに群がっていた熱狂が嘘のようだ。
通りに人の気配はある。だが皆、どこか遠巻きに、あの「英雄」が滞在している迎賓館の方角を見つめていた。
そして、その予感は軍情局の門前で確信に変わった。
「エリアス・ベリサリウス閣下は現在、警護下に入っております。記念日前の一般面会は、全て停止されました」
衛兵の顔に、感情はなかった。
ヴァンは数秒、その言葉を噛み締めた。
(なるほどな。コルネリアの差し金か、あるいはヴィヴィアンの「掃除」の一環か……)
計画が一つ、潰れた。
だが、全てではない。
(観兵式と、その後の祝賀会がある。そこなら「英雄」も姿を現さざるを得ない)
ヴァンは踵を返し、大通りを歩き出した。
頭の中で、次の手――元帥府への潜入プランを組み立てながら。
学院に戻ると、ベルンハルトの執務室は相変わらず書類の山だった。
「入っていいか、義父上」
「……ああ、どうぞ。ノックぐらいはしろと言っているだろう、ヴァン」
返事と同時にドアを開けると、鉄灰色の短髪を揺らし、老将軍が書類から目を上げた。
「なんだ、珍しい。自分からワシの元に来るとは」
「少し、相談したいことがあってな」
ヴァンは遠慮なく椅子に座った。
「近々行われる元帥府の祝賀会、俺も出られるか?」
ベルンハルトが、ぽかんとした顔をした。
それから、ゆっくりと目を細めて――
「……はッ!」
短く、乾いた笑いが漏れた。
「兵站改革の時、あれほど前線に行くのを渋っていた貴様が、今度は自分から祝賀会に出向こうというのか?」
「……あれは仕事だ。こっちは顔を売るための生存戦略だ」
「ふん、相変わらず食えん奴め。アクィラに媚びを売りにいくと言うなら、叩き出してやろうと思ったがな」
ベルンハルトはひとしきり苦笑してから、腕を組んだ。
「まあ、出んわけにもいかん。閣下も、お前の戦術の才は耳に入れておられる。この辺りで一度、正式な場に顔を出しておかんと、逆にお前の印象が悪くなる」
「では、出られるんだな」
「出なければならん、と言っておるのだ。ワシの顔を潰すような真似だけはするなよ」
「善処する」
「お前の『善処』ほど信用ならん言葉はないな」
廊下を歩きながら、ヴァンは別の地図を頭に広げていた。
元帥府。
以前、ルーンの欠片を探して足を踏み入れたことがある。
だが、あの時は立ち入れる場所に限りがあった。
賓客用の区画。警備の目が届く場所だけだ。
(宴会場ならば、人が集まる)
(その隙に——)
問題は、施錠だ。
立ち入り禁止区画の扉は、当然、鍵が掛かっている。
(一人で片づけられる話じゃない)
夕刻。自室に戻ったヴァンの前で、ワイルドがいつもの薄笑いを浮かべた。
「お呼びですか、旦那」
愛想のいい笑顔。
だが、その目はすでに警戒している。
この男は、ヴァンに呼ばれる時が、大抵ろくでもない用件だと学習していた。
「座れ」
「はあ」
ワイルドが椅子に腰を下ろす。
ヴァンは静かに口を開いた。
「元帥府の、立入禁止区画を探る必要がある」
ワイルドの顔から、笑顔が消えた。
「……旦那」
「なんだ」
「そいつぁ……首が飛ぶ話だ」
低い声だった。
笑顔の仮面を外した、素のワイルドの声だ。
「わかってる」
「わかってて言ってんのか、アンタは!?」
「わかってなかったら、お前に話す前に動いている」
ワイルドが額に手を当てた。
「何でそんなこと、あっしに言うんですか」
「知らせておかないと、本気で動かないだろ」
ワイルドが深いため息をついた。
「旦那……あっしにも家族が——」
ヴァンは卓上に、一枚の証文を置いた。
パン、と。
ワイルドの言葉が、止まった。
証文の額面を、彼の目がゆっくりと確認する。
九千ゴールド。
沈黙。
ワイルドの表情が、複雑なまま固まった。
逡巡。葛藤。
それでも——その手は、証文をゆっくりと手に取り、靴の中へと滑り込ませた。
「……何をすれば」
「まず聞く。鍵の話だ」
ヴァンは続けた。
「魔力錠と普通錠、どちらが厄介だ」
ワイルドが少し考えた。
「魔力錠は、対応する開錠魔法が使えないと手の打ちようがありません。普通の錠なら、腕のいい開錠師を連れていけばどうにでも」
「それは俺でもわかる」
ヴァンが短く返すと、ワイルドが眉を動かした。
「……わかってるなら、何であっしに聞くんですか」
「開錠師を元帥府に連れ込めるか」
「……無理ですね」
即答だった。
「ですが」
ワイルドが、少し思案顔になった。
「帝都に、鍵の魔術師と呼ばれる親方がいます」
「鍵の魔術師」
「鍵師の親方みたいな爺さんです。あの人の作った魔導器があれば、一般的な錠前はほぼ開くと聞いています。魔力錠にも、ある程度は対応できると」
ヴァンは短く頷いた。
「それを借りてこい」
ワイルドが、微妙な顔をした。
「……あの爺さんも、最近の帝都のきな臭さを感じ取って、すでに逃げ支度を始めてるようでさァ。魔導器を手配するとなると、相応の上乗せが必要になりやすぜ」
「構わん。それと、魔導器を受け取ったら、お前はその爺さんを連れてしばらく帝都を離れろ」
「……は?」
「念のためだ。何かあった時、お前や爺さんがここにいると足がつく。ほとぼりが冷めるまで、どこか遠くで美味いもんでも食っていろ」
ワイルドは数秒、呆然とした後、力なく笑った。
「……旦那、あっしのことを本気で心配してるんですか? それとも、ただ不便になるのが嫌なだけですかァ?」
「お前に死なれると、後片付けが面倒なだけだ」
「あー……やっぱりそうでやすか。へへっ、旦那らしいや」
ワイルドは証文を靴の中に滑り込ませ、立ち上がった。
「分かりやした。爺さんを説得して、最高の魔導器を引っ張り出してきやす。……それと旦那、当面の資金の話なんですがね?」
「明日、ローランのところへ行け。千から二千ゴールドほど用立てておく」
「ひひっ、話が早くて助かりやすぜ、若旦那! それじゃあ、あっしはこれで」
男は再び影に溶けるように消えていった。
静かになった部屋で、ヴァンは卓に肘をついた。
窓の外、元帥府の方角を見つめる。
(祝賀会は、絶好の煙幕になる)
表では「期待の戦術家」として権威に擦り寄り、裏では禁域の扉をこじ開ける。
ヴァンは静かに、深く息を吐いた。
「……やることが多すぎるな。だが、一つずつ潰すしかない」
【第七十七章・終】
今回は、タイトル通り「鍵」がひとつの重要な役割を担う回でした。
表の流れでは祝賀会へ。
裏では立入禁止区画へ。
やることが増えるほど、ヴァンはどんどん危ない方向へ自然に進んでいきますね。
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