第七十五章:金貨の壁
今回の第七十五章では、いよいよ“金貨の壁”が本格的に動き出します。
窓口に人が押し寄せ、
大口の商会まで現れ、
ローランは文字通り寿命を削られることになりました。
果たしてこの局面をどう乗り切るのか、
引き続き見守っていただけると嬉しいです。
窓口を開けた初日から、人が押し寄せた。
少しずつ、だが確実に。
列はあっという間に路地の角まで伸びた。
ローランは窓口の内側で、積み上げた『ハッタリの金貨』を背に、一枚一枚書類を照合していた。
署名。身分証の確認。押印。
意図的に、嫌がらせのようにゆっくりと。
夕方、店仕舞いの頃。
ローランが引きつった笑顔のまま、ヴァンに耳打ちした。
「……ヴァン」
「なんだ」
「いい加減にしてよ。ロルフ軍務総長の資金、まだ届かないのかい!?」
「来週には届く」
「今週中……いや、下手したら明日には手持ちが底をつくかもしれないんだよ!?」
「大丈夫だ」
「ほんとに!?」
「……何とかする」
ローランは深々と、寿命が縮むようなため息をついた。
二日後。
偽装の金貨の壁は、すでに半分にまで削られていた。
列は減らない。むしろ増え続けている。
そして——ついに『大口』が来た。
帝都でも中堅以上の商会が、何軒も連れ立ってやってきたのだ。
提示された証文の額面を見て、ローランの顔からスッと血の気が引いた。
「お、お待ちください。順番に確認を——」
「待てるか! こっちは二百万ゴールド分の公債証書だぞ! 今すぐ現金化しろ!」
「うちの商会は三百万だ! 早く払え!」
「本当に払えるんだろうな!? 払えないなら、今すぐその窓口からお前を引きずり出して——!」
窓口の前が、商人たちの怒号で埋め尽くされた。
二百万、三百万。
(ああ、終わった……)
一人でも払い戻せば、手元にある残りの資金が完全に吹き飛ぶ額だ。
ローランは必死に商人の仮面を顔に貼り付けながらも、書類を持つ手がガタガタと震えていた。
(終わった……僕の商人人生、ここで幕引きだ……!)
ゴトン、と。
石畳を揺らす重い音が響いた。
一つではない。連続して、地響きのように。
商人たちが一斉に振り返る。
大通りの角から、重厚な魔導輸送車が現れた。
一台ではない。二台、三台——漆黒の装甲車両の脇を、赤い腕章を巻いた憲兵たちが整然と固めている。
軍情局とは違う、ベルンハルトが動かした帝国軍の正規護送隊だ。
商人たちが、ぽかんと口を開けた。
輸送車の後部ハッチが開く。
——ざあぁっ、と。
木箱から溢れんばかりの金貨が、白日の下に眩い光を乱反射させた。
一生かかっても使い切れないほどの黄金の山が、そこにあった。
列の後ろにいた小口の商人たちが、ゴクリと息を呑む。
先ほどまで怒号を上げていた大口の商人たちも、圧倒されて完全に沈黙した。
ヴァンは窓口の内側に入り、ローランの隣に立った。
「遅くなった」
ローランが、ゆっくりと振り返った。
その目の下には、立派な二日分のクマが刻まれていた。
「……ヴァン」
「手続きが多くてな。総長の決裁に手間取った」
「……ほんっとうに」
ローランは、魂が抜けたような息を吐いた。
「もう少しで、疲れ果てて死ぬ代わりに、撲殺されるところだったよ」
「大げさだ」
「大げさじゃない! あの商人、本気で窓枠ごと僕を引きずり出そうとしてたんだからね!」
ヴァンは小さく笑った。
「苦労かけたな」
ローランも、ようやく少しだけ笑い返した。
その日の夕方。
別の知らせが帝都を駆け巡った。
停戦。
そして、帝国とノストラの正式な講和交渉の開始。
帝国側の最後の攻勢は、戦線をわずか数キロ押し返しただけで見えない壁にぶつかったかのように頓挫した。
そのわずかな戦線の前進と、以前から確保していた二つの小城、そして大した面積でもない土地を交渉材料として——帝国はノストラとの講和交渉のテーブルについたのだ。
ヴァンは軍報の紙を折りたたんだ。
特に表情は変えなかった。
(そうか)
ただ、盤面が動いた事実だけを飲み込んだ。
数日後。
大口の換金ラッシュが、ひとまず落ち着きを見せた。
ローランが分厚い帳簿を持ってきた。
「とりあえず、一番大きな波は一回分さばけたよ」
「コルネリアは動いたか」
「……直接は、来ていない」
ヴァンは短く頷いた。
(やはりな)
読み違いではなかった。
大元帥の派閥均衡を乱すリスク。養女という建前。
それが、あの女の足枷になっている。
「いい知らせだ」
「そうだね」とローランは頷き、帳簿を開いた。「ただ——」
ずらりと並んだ数字の末尾を指さす。
「……資産残高は、二百八十万ゴールドほどだ」
ヴァンは窓口の奥を見た。
そこにはまだ金貨の壁がそびえ立っている。保管庫の分も合わせれば、見た目だけは圧倒的で盤石だ。
(総長からの資金を合わせて、元は二千万近くあった)
(それが今は、三百万を切っている)
「これが、今使える流動資金の全部か」
「ああ、全部だ」
店の中は静かだった。
窓口の外、大通りではいつもと変わらず人が流れ、どこかから停戦を喜ぶ市民の喧騒が聞こえてくる。
ヴァンは金貨の壁を見上げた。
高く、整然と積まれている。崩れてはいない。
まだ、崩れてはいない。
(間に合ったか)
心底、そう思った。
全部、綱渡りの紙一重だった。
(だが)
講和が成立すれば、兵站ネットワークの稼働率は完全に落ちる。
民間運営権の価値も、戦時ほどの旨味はなくなる。
次の大波が来た時、手元にある切札は——三百万を切った現金だけだ。
ローランが、静かに尋ねてきた。
「……どうするつもりだい、ヴァン」
ヴァンは少し間を置いた。
「交渉が終わったら、か」
「ええ」
「どうしたものかな」
ヴァンは、正直に言った。
ローランが少し目を丸くする。
彼が「どうしたものか」と迷いを口にするのは、珍しかったからだ。
「……珍しいね、ヴァン。君がそういう顔をするのは」
「そうか?」
「大体いつも、『もう手は打ってある』って腹黒い顔をしてるからさ」
「今回は、運に助けられた部分が大きい」
「……正直だね」
「まあな」
店の外から、夕暮れの光が差し込んでいた。
黄金の壁が、橙色に鈍く光る。
ぎっしりと積まれた、帝国の信用の象徴。
だが、その裏側が——もう、ほぼ空っぽだということを。
この部屋の中にいる二人だけが、知っていた。
沈黙。
ヴァンは金貨の壁から視線を外した。
ふと、窓口の片隅に置かれたガチャの機械に目が留まった。
「……ローラン」
「なに」
「店のガチャ、新ラインナップを追加する」
ローランが眉をひそめた。
「いまさらガチャの話? あれは飾りみたいなもんでしょ」
「限定の彩色済みモデルを混ぜる。超限定の駒だ。魔導機兵の特別カラー、シカラン、コルネリア——」
「ちょっと待って」
ローランが声を潜めた。
「それ、モデル本人の許可取ってないよね。軍情局に捕まらないの?」
「敬意を表したファンアートの範囲内だ。それに——『帝国の士気高揚に繋がるプロパガンダです』と言い張れば、監察部も表立っては文句を言えない」
ヴァンは口元に狡い笑みを浮かべ、声をひそめて言った。
「大穴は埋まらなくても、『日銭』は毎日確実に落ちる。それに——『あの御大姉が自らモデルになって公債を支援している』というプロパガンダにもなる」
ローランは深いため息をついた。
「……君は、本当に悪魔だね」
ヴァンは顎に手をやった。
(まだ、できることはある)
【第七十五章・終】
そして最後に、まさかのガチャ話へ。
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