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第七十四章:蟻の歯

今回はちょっと地味めな回です。

派手な戦闘も爆発もありませんが、その代わりに——財布と信用が殴り合ってます。


戦線が止まると、次に動くのは人の欲と不安。

そしてそれは、だいたい武器より厄介です。

帰宅すると、ベルンハルトが書斎にいた。

珍しく、書類ではなく窓の外を眺めていた。


「戻ったか、ヴァン」


「ええ、今戻りました」


ヴァンは上着を脱ぎ、椅子を引いた。

ベルンハルトが振り返り、腕を組む。


「戦勝記念日まで、あと少しだな」

「はい」

「分かるか。何が問題か」


ヴァンは少し考えた。


「……戦線の拡大を止めるつもりですね?」


「帝国の慣例だ。記念日前後は戦争を派手にやるもんじゃない。国内の雰囲気が悪くなるからな」


ベルンハルトは短く言い切った。


「前線は段階的に縮小する。一ヶ月以内には、大きな動きはない」


ヴァンの頭の中で、瞬時に数字が弾き出された。


(……まずいな)


戦線が縮む。つまり、物資の消費が落ちる。

前線の消費が落ちれば、構築した兵站ネットワークの稼働率も下がる。

そして——公債の保有者たちが、動く。


(連中、逃げる気だな)


「兵站網の進捗は」

「ほぼ完工だ。一ヶ月余りでよく形にした。ただ、正確な数字はロルフ軍務総長に聞け。あっちの管轄だ」

「分かった」


ヴァンは立ち上がった。

ベルンハルトが、ふと低い声で付け加えた。


「……何か、嗅ぎ回っているようだな」

「まだ仮説の段階です」

「そうか」


それ以上は、何も聞かなかった。




翌朝。

帝都の大通りは、いつもと違う奇妙な熱を帯びていた。


ヴァンは足を止め、通りに面した商会の支店に目を向けた。数人の商人が血相を変えて店員に詰め寄っている。

漏れ聞こえる怒声には、「工房の材料卸しが止まった」「ふざけるな、急に『現金決済のみ』などと——」という切羽詰まった単語が混じっていた。


声が遠ざかっていく。

ヴァンは無言で視線を切った。


(……なるほどな)



コルネリアの工房による、流通の制限と現金決済の強要。


(商人たちは皆、喉から手が出るほど『手持ちの現金』が欲しくなる。そうなれば——当然、公債を換金しに窓口へ殺到する)


大規模な取り付け騒ぎ。


(一気に来られたら、こっちの資金がショートして詰む)


ヴァンは立ち止まらなかった。


(対策は、ある)




リンドガルドの屋敷には、昼前に着いた。

リヴィアは書斎にいた。

机の上に、魔導機兵の細かな金属部品が並んでいる。


ヴァンが入ると、彼女は弾かれたように顔を上げた。


「あ……来てくれたん、ですね」

「邪魔するぞ」

「邪魔なんかじゃ、ないです……ぜったいに」


ヴァンは向かいの椅子に座った。

リヴィアが小さな手でヤスリを動かしながら、おずおずと尋ねてくる。


「あの、何かありました、か……?」

「なんで」

「目が、少し……怖い、です」


ヴァンはふっと息を吐き、目元を緩めた。


「仕事の話だ。今日は忘れることにする」


リヴィアは一瞬だけ顔を上げ、また部品に視線を戻した。


「……そう、ですか。なら、よかったです」


「見せてくれ。今どこまで進んだ?」


それから、日が傾くまで。

二人は並んで、小さな金属の世界に静かに向き合っていた。




ロルフが帰宅したのは、夕刻過ぎだった。

廊下でヴァンを見つけると、厳格な顔の片眉をわずかに上げた。


「……まだいたのか」

「お帰りなさい、軍務総長」

「一日中、娘と遊んでいたのか」

「機兵のモデル組み立てですよ」

「同じことだ」


ロルフは歩きながら、忌々しそうに言った。


「公債が揺れているというのに、随分と悠長だな」


「揺れているのは把握しています」


ロルフが立ち止まった。振り返る目が、刃のように鋭い。


「……ならば何故、ここにいる」


「俺が動けるのは今夜からです。それまでは、どこにいても同じだと判断しました」


ロルフは一秒、ヴァンを見た。


「……総長。現在、そちらで動かせる流動資金はどれほどありますか」


「積立と兵站運営の黒字分を合わせて——一千九百万ゴールドほどだ。既にいつでも動かせるよう手配はしている」


ヴァンは小さく頷いた。


(約二千万。悪くない)


「ありがとうございます。それだけあれば、少し時間が稼げます」

「稼いで、どうする気だ」

「対処します」

「具体的に言え」


ヴァンは少し間を置いた。


「戦線は縮みますが、完全には止まらない。兵站の『実績』は見せ続けることができます。それを見せ続ければ、商人も慌てて換金しようとはしません。問題は——コルネリアが直接的な妨害に動いた場合です」


ロルフの目が、細くなった。


「彼女が表立って動くと思うか」


「大元帥閣下が、それを許さないと思います」


ヴァンは静かに言った。


「内部の経済不安を閣下が嫌うのは、誰もが知っている。コルネリアが養女である以上、建前というものがある。表立った介入は、彼女自身の立場を危うくします」


ロルフはしばらく無言だった。


「……筋は通っているな」

「はい。だから、奴らは正面からは来ない。蟻のように、じわじわと根元を齧ってくるはずです」

「それを防ぐ手が、お前にあるのか」

「完全には無理です」


ヴァンは言い切った。


「ただ、崩れる速度を落とすことはできる」




その夜。

ヴァンはローランを自室に呼んだ。

机の上に、紙を一枚広げる。


「ローラン。まず、公債の換金窓口にする店舗を一軒押さえろ。できれば大通り沿いで、目立つ場所がいい」

「ヴァン、もう動くのかい?」

「明後日には始める」



ローランが素早くメモを取った。


「そして、窓口の奥に金貨の山を積め」

「……なるほど。視覚による『信用の演出』だね。ある分だけでいい、鏡でもハリボテでも使って、金庫が溢れ返っているように見せかければいいんだ」

「話が早くて助かる」


ローランは楽しげに喉を鳴らした。


「あくどいねえ、相変わらず」


「それだけじゃない」


ヴァンは続けた。


「手続きは厳格にしろ、一人に時間をかけろ」

「なるほど。故意に遅くするんだね」

「文句は出ないやり方にしろ」


ローランがくすりと苦笑した。


「……悪どいねえ、相変わらず」


「それから」


ヴァンは紙に一行書いた。


「『コルネリア様がまだ大量に公債を保有している』という情報を流せ」

「流す、とは?」

「『御大姉はまだ換金していない。あれほどの頭脳を持つお方が、まだ利益が出ると読んでいるんだ』——そう巷で囁かれれば、急いで換金しようとする商人の足は必ず止まる」


ローランが感心したようにため息をついた。


「……敵であるコルネリア様自身を、信用不安の盾にするわけか」

「名前を借りるだけだ。ただ乗りさせてもらう」

「あとは——」


ヴァンは少し間を置いた。


「兵站ネットワークの民間運営権を、最後の切り札に使う」

「民間運営権?」

「換金の代わりに、兵站拠点の運営利権を渡すんだ。現金ではなく、権利で払う。目先の現金より継続的な利益を望む商会が、必ず食いつく」


ローランが頷いた。

だが、その表情が少し曇る。


「……でも、ヴァン」


「分かってる」


ヴァンは紙をパタンと折った。


「全部やっても、所詮は時間稼ぎにしかならない」


それは、二人とも痛いほど分かっていた。

金貨の壁。手続きの迷路。情報の煙幕。権利の代替。

どれも——資金が削られる速度を遅らせるだけの、延命措置だ。

公債の信用を守ろうとすればするほど、手持ちの流動資金は確実に削られていく。


「削られ続けたら、いつかは底をつくよ」


ローランが小さな声で言った。


「ああ」

「それまでに、何とかしないといけない」

「ああ、分かっている」


ヴァンは窓の外を見た。

夜の帝都。魔導灯の明かりが、冷たい石畳の上に反射していた。


(決着の準備は、もう終わっている——あの女はそう言った)

(こちらも、急がないといけない)


蟻が、巨大な象の足を齧っている。

止まらない。


(どちらが先か、だ)





【第七十四章・終】

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