表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

77/108

第七十二章:仮説

今回のお話は「仮説」です。

まだ確証はありませんが。


そしてこの仮説、当たっていた場合——

だいぶ面倒なことになります。

「ワイルド」


ヴァンは立ち上がりながら、縁側に声をかけた。


「軍情局まで付き合え」


ワイルドが振り返った。手にはビリィのクッキーが三枚、まだ握られている。


「……へ?」

「今すぐだ」

「今すぐ、ですかァ?」


ワイルドは手の中のクッキーを見て、次に奥で遊ぶリーザとビリィを見た。そして、恨めしそうにヴァンを見上げた。


「若旦那ァ、あっしは今日、娘と遊びに来たんですよォ? ちょっとした娘との休日、みたいなもんでしてよォ……」

「急用だ」

「……」


ワイルドは盛大に肩を落とした。


「へへっ、まあ……若旦那がそうおっしゃるなら、逆らえやしませんがねェ」


ワイルドはアイリに向き直り、卑屈に揉み手をした。


「アイリさん、リーザを少しだけ——」


「……怪我人は足手まといかよ。わかったよ、行け」


アイリはチッと短く舌打ちをしてから。


「どこ行くの?」


リーザが父親の裾を引いた。


「ちょっとお仕事だよォ、すぐ戻るからね」

「ほんとに?」

「ほんとほんと。いい子にしてるんだぞォ」

「わかった」


リーザはあっさり離れ、再びビリィの方へ駆けていった。




石畳の路地を二人で歩く。

夕暮れまではまだ少し間があり、帝都の街はいつも通りのざわめきに包まれていた。


ワイルドが小走りで脇につき、声を潜める。


「で、何を思いついたんですかァ、若旦那」


ヴァンは歩調を緩めず答えた。


「コルネリア・フォン・ローゼンクロイツについて、お前はどこまで知ってる?」


「御大姉さまですか」


ワイルドが眉をひそめた。


「そうですねェ……旧貴族の頭領格であり、大元帥閣下の養女。軍団長連中からも御大姉と呼ばれる実力者——そのあたりは若旦那もご存知でしょうが」

「ランクはD」

「ええ、まあ。魔力が低いのは有名ですわ。ただ」


ワイルドが周囲を窺うように視線を走らせる。


「誰も馬鹿にはしませんねェ。とても口に出せる空気じゃありませんよ」


ヴァンは前を向いたまま言った。


「お前がそう言えるってことは、特別な見方をしてる、ってことだよ」

「……まあ、確かに。ランクDであの立ち位置にいる。普通じゃないとは思ってますよォ」

「あいつ、自分の魔力、気にしてたことあるか?」


ワイルドは頭を掻いた。


「んー……そういう露骨な話は聞きませんがねェ。まあ、あるんじゃないですかね。ないとしたら、そっちの方が不自然だ」


ヴァンは短く頷いた。


「そうだな」


「……若旦那、それ、何のために聞いてるんですか?」


ヴァンは少し間を置いた。


「俺が街頭で襲われた時の傭兵、覚えてるか」

「あの、化け物みたいに暴走した……」

「あの術式だ。アイリの自爆回路もそうだが、術式の構造が妙に似ている」


ワイルドの足が、一瞬だけ乱れた。


「……似ている、とは?」


「回路の組み方が同じなんだよ。つまり、技術の出どころがな」


ワイルドがゆっくりと息を吐いた。


「……それが、コルネリア様と繋がると?」

「仮説だ。確証はない」


ワイルドはしばらく黙った。

石畳に靴音だけが響く。


「……いや、ちょっと待ってくださいよォ……それ、話が飛びすぎてませんかねェ」


ヴァンは無言で頷いた。

ワイルドが帽子を押さえ、小さく呻いた。


「……ひええ、とんでもない泥沼ですよォ、そいつは」




大通りに差し掛かった時、ヴァンは足を止めた。

通りの向こう。

整然と行進する、一団の影。

動きに一切の無駄がなく、周囲の空気ごと切り裂くような異質な気配。


灰燼の如き深紅の装甲。

理不尽な暴力で局の意思を体現する、軍情局最強の猟犬——『赤備』だ。


「赤備か」とヴァンは呟いた。「軍情局、また何か動いてるのか」

ワイルドが首を振る。

「あっしにはわかりませんよォ。今のあっしはもう編成外、ただの若旦那の下っ端ですからねェ」


赤備の隊列が、無言のまま通り過ぎていく。

ヴァンはその背中を一瞬だけ目で追い、すぐに思考を切り替えた。




歩きながら、ヴァンが再び口を開いた。


「シカラン・レイセンは何者だ」

「……ああ、コルネリア様の護衛長ですよ。ランクSです、あの弓遣い」

「大元帥の外出時に、護衛を任されることがあると聞いたが」

「ええ、そうですそうです」とワイルドが揉み手をする。


「ああ、あの規格外の弓遣いですかァ。本来はコルネリア様付きですが、全周囲の索敵能力を買われて、大元帥閣下の外出時にはよく貸し出されてますねェ」


ヴァンは歩調を緩めず、冷たい声で切り込んだ。


「……そこだ。あれほど特殊な能力とランクSの魔力……本当に『最初から』持っていたと思うか?」


ワイルドの足が、一瞬だけピタリと止まった。


「若旦那。まさか、シカランの力も『後から』弄られたものだと?」


ヴァンは黙って前を向いた。


(大弓使いのランクS。それもあの規格外の索敵能力と魔力——本来なら、到達できるランクじゃない)

(あの女の周り、妙に“出来すぎ”なんだよな)


頭の中で、最悪の盤面が組み上がりつつあった。




軍情局の庁舎が見えてきた。

その瞬間、ヴァンの足がぴたりと止まった。


おかしい。

庁舎の周囲の空気が、明らかに違う。

普段なら数名の見張りが立っているだけの玄関に、多くのスパイが集まっていた。

いや、集まっているというより、配置されている。


ざわめきはない。

ただ、行き交うスパイが、互いに視線だけで何かを合図し合い、冷たく張り詰めた空気を漂わせている。


(何が起きた)


ワイルドもピタリと足を止めた。彼の濁った瞳が微かに明滅し、庁舎を覆う異常な魔力の残滓と、ねっとりとした殺気を嗅ぎ取ったのだろう。

すぐに、一歩引くように後退した。


「……若旦那。あっし、ここで待ってますわ」

「どうした」

「あっし、もう編成外ですから。あの中に入って『お前は何者だ』って詰められるのが、一番面倒なんですよォ」


いつものへらへらした口調だったが、目は笑っていなかった。

ヴァンは短く頷いた。


「……そうか」


一人で玄関に向かう。

足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

皮膚に触れるものが違う。圧が違う。声がない。足音すら、必要以上に響かない。

誰もヴァンを止めない。ただ、全員が——見ている。


(何かが起きている。それも——ただ事じゃない規模で)


ヴァンは歩調を変えず、静かに庁舎の奥へ進んだ。




【第七十二章・終】

面白いと感じていただけたら、フォローや★評価で応援よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ