第七十二章:仮説
今回のお話は「仮説」です。
まだ確証はありませんが。
そしてこの仮説、当たっていた場合——
だいぶ面倒なことになります。
「ワイルド」
ヴァンは立ち上がりながら、縁側に声をかけた。
「軍情局まで付き合え」
ワイルドが振り返った。手にはビリィのクッキーが三枚、まだ握られている。
「……へ?」
「今すぐだ」
「今すぐ、ですかァ?」
ワイルドは手の中のクッキーを見て、次に奥で遊ぶリーザとビリィを見た。そして、恨めしそうにヴァンを見上げた。
「若旦那ァ、あっしは今日、娘と遊びに来たんですよォ? ちょっとした娘との休日、みたいなもんでしてよォ……」
「急用だ」
「……」
ワイルドは盛大に肩を落とした。
「へへっ、まあ……若旦那がそうおっしゃるなら、逆らえやしませんがねェ」
ワイルドはアイリに向き直り、卑屈に揉み手をした。
「アイリさん、リーザを少しだけ——」
「……怪我人は足手まといかよ。わかったよ、行け」
アイリはチッと短く舌打ちをしてから。
「どこ行くの?」
リーザが父親の裾を引いた。
「ちょっとお仕事だよォ、すぐ戻るからね」
「ほんとに?」
「ほんとほんと。いい子にしてるんだぞォ」
「わかった」
リーザはあっさり離れ、再びビリィの方へ駆けていった。
石畳の路地を二人で歩く。
夕暮れまではまだ少し間があり、帝都の街はいつも通りのざわめきに包まれていた。
ワイルドが小走りで脇につき、声を潜める。
「で、何を思いついたんですかァ、若旦那」
ヴァンは歩調を緩めず答えた。
「コルネリア・フォン・ローゼンクロイツについて、お前はどこまで知ってる?」
「御大姉さまですか」
ワイルドが眉をひそめた。
「そうですねェ……旧貴族の頭領格であり、大元帥閣下の養女。軍団長連中からも御大姉と呼ばれる実力者——そのあたりは若旦那もご存知でしょうが」
「ランクはD」
「ええ、まあ。魔力が低いのは有名ですわ。ただ」
ワイルドが周囲を窺うように視線を走らせる。
「誰も馬鹿にはしませんねェ。とても口に出せる空気じゃありませんよ」
ヴァンは前を向いたまま言った。
「お前がそう言えるってことは、特別な見方をしてる、ってことだよ」
「……まあ、確かに。ランクDであの立ち位置にいる。普通じゃないとは思ってますよォ」
「あいつ、自分の魔力、気にしてたことあるか?」
ワイルドは頭を掻いた。
「んー……そういう露骨な話は聞きませんがねェ。まあ、あるんじゃないですかね。ないとしたら、そっちの方が不自然だ」
ヴァンは短く頷いた。
「そうだな」
「……若旦那、それ、何のために聞いてるんですか?」
ヴァンは少し間を置いた。
「俺が街頭で襲われた時の傭兵、覚えてるか」
「あの、化け物みたいに暴走した……」
「あの術式だ。アイリの自爆回路もそうだが、術式の構造が妙に似ている」
ワイルドの足が、一瞬だけ乱れた。
「……似ている、とは?」
「回路の組み方が同じなんだよ。つまり、技術の出どころがな」
ワイルドがゆっくりと息を吐いた。
「……それが、コルネリア様と繋がると?」
「仮説だ。確証はない」
ワイルドはしばらく黙った。
石畳に靴音だけが響く。
「……いや、ちょっと待ってくださいよォ……それ、話が飛びすぎてませんかねェ」
ヴァンは無言で頷いた。
ワイルドが帽子を押さえ、小さく呻いた。
「……ひええ、とんでもない泥沼ですよォ、そいつは」
大通りに差し掛かった時、ヴァンは足を止めた。
通りの向こう。
整然と行進する、一団の影。
動きに一切の無駄がなく、周囲の空気ごと切り裂くような異質な気配。
灰燼の如き深紅の装甲。
理不尽な暴力で局の意思を体現する、軍情局最強の猟犬——『赤備』だ。
「赤備か」とヴァンは呟いた。「軍情局、また何か動いてるのか」
ワイルドが首を振る。
「あっしにはわかりませんよォ。今のあっしはもう編成外、ただの若旦那の下っ端ですからねェ」
赤備の隊列が、無言のまま通り過ぎていく。
ヴァンはその背中を一瞬だけ目で追い、すぐに思考を切り替えた。
歩きながら、ヴァンが再び口を開いた。
「シカラン・レイセンは何者だ」
「……ああ、コルネリア様の護衛長ですよ。ランクSです、あの弓遣い」
「大元帥の外出時に、護衛を任されることがあると聞いたが」
「ええ、そうですそうです」とワイルドが揉み手をする。
「ああ、あの規格外の弓遣いですかァ。本来はコルネリア様付きですが、全周囲の索敵能力を買われて、大元帥閣下の外出時にはよく貸し出されてますねェ」
ヴァンは歩調を緩めず、冷たい声で切り込んだ。
「……そこだ。あれほど特殊な能力とランクSの魔力……本当に『最初から』持っていたと思うか?」
ワイルドの足が、一瞬だけピタリと止まった。
「若旦那。まさか、シカランの力も『後から』弄られたものだと?」
ヴァンは黙って前を向いた。
(大弓使いのランクS。それもあの規格外の索敵能力と魔力——本来なら、到達できるランクじゃない)
(あの女の周り、妙に“出来すぎ”なんだよな)
頭の中で、最悪の盤面が組み上がりつつあった。
軍情局の庁舎が見えてきた。
その瞬間、ヴァンの足がぴたりと止まった。
おかしい。
庁舎の周囲の空気が、明らかに違う。
普段なら数名の見張りが立っているだけの玄関に、多くのスパイが集まっていた。
いや、集まっているというより、配置されている。
ざわめきはない。
ただ、行き交うスパイが、互いに視線だけで何かを合図し合い、冷たく張り詰めた空気を漂わせている。
(何が起きた)
ワイルドもピタリと足を止めた。彼の濁った瞳が微かに明滅し、庁舎を覆う異常な魔力の残滓と、ねっとりとした殺気を嗅ぎ取ったのだろう。
すぐに、一歩引くように後退した。
「……若旦那。あっし、ここで待ってますわ」
「どうした」
「あっし、もう編成外ですから。あの中に入って『お前は何者だ』って詰められるのが、一番面倒なんですよォ」
いつものへらへらした口調だったが、目は笑っていなかった。
ヴァンは短く頷いた。
「……そうか」
一人で玄関に向かう。
足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
皮膚に触れるものが違う。圧が違う。声がない。足音すら、必要以上に響かない。
誰もヴァンを止めない。ただ、全員が——見ている。
(何かが起きている。それも——ただ事じゃない規模で)
ヴァンは歩調を変えず、静かに庁舎の奥へ進んだ。
【第七十二章・終】
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