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第七十一章:静かな午後

平和な回でした。


こういう何気ない時間、書いていて楽しいんですが、

同時に「そろそろ何か起きるな」という気配も濃くなってきます。


コルネリアのことは、棚の奥にしまった。


今はまだ、動くべき時じゃない。

証拠がない。手駒も足りない。

——考えても、今は何もできない。


ヴァンは帽子を目深に引き下げ、帝都の裏路地を歩いた。


足が向かう先は、自分でも決めていなかった。


気づけば、見覚えのある路地の角に立っていた。


(……まあ、いいか)




白漆喰の壁。小さな木の扉。


ワイルドに手配させた民家だ。


ヴァンがノックすると、しばらく間があった。


どたどたと、乱暴な足音。


バンと扉が開く。


「……なんだ、ボスか」


アイリが立っていた。


右肩に白い包帯。だが顔色は悪くない。


目に力がある。


生きている目だ。


(……よかった)


内心だけで、そう思った。


「久しぶり。元気そうじゃないか」


「……まあ、な」


アイリの表情が、微妙だった。


驚いた——というより、何かを隠している顔だった。


視線が少しだけ泳ぎ、すぐに正面に戻る。


ヴァンは目を細めた。


こいつは昔から、感情を顔に出しすぎる。


「何か言いたいことがあるなら、言えばいい」

「……べつに、ない」

「そうか」

「ないって言ってる」

「聞こえてる」


沈黙。


アイリが歯を食いしばった。顎の筋肉がぴくりと動く。


ヴァンは肩をすくめた。


「そんなに護衛が嫌になったか。確か、命を俺に預けるって言ってたよな」


アイリの顔が、かっと赤くなった。


「っ——嫌じゃ、ない」

「ほう」

「嫌じゃないって言ってるだろ!」

「じゃあ、護衛は続けるか」

「……当たり前だろ」


歯の隙間から押し出すような声だった。


二言だけ。


それだけ。


——それで十分だった。


ヴァンは少し目を細め、すぐに軽い顔に戻した。


「……まあ、そのために来たわけじゃないけどな」


「は?」


「見りゃ分かるだろ。ついでだ」


アイリが黙った。


眉がわずかに下がって、何かを言おうとして、言えなかった。


(顔に出すぎだ、こいつは)


内心だけで苦笑した。




そこへ、路地の奥から声が上がった。


「若旦那ぁ! いらっしゃってたんですかァ!」


のそのそと、大荷物を抱えたワイルドが現れた。


両手に食料の包み。


脇に小さな影がひとつ。


「旦那がおっしゃってたんで、あっしも少しばかり手伝いにですよォ」


「ありがとよ、ワイルド」


ワイルドの隣の小さな影——リーザが、好奇心全開の目でヴァンを見上げた。


「おじちゃん、だれ?」

「おじさんじゃない、お兄さんだ。俺はまだそんなに老けちゃいない」

ヴァンが即座に訂正すると、ワイルドが揉み手をしながら割り込んだ。

「おやおやァ、リーザ。若旦那は落ち着きがあって大人の余裕ってやつがあるから、勘違いしちゃったんですかねぇ。ね、若旦那ァ?」


リーザはにっこり笑うと、そのまま路地の奥へ駆けていった。


民家の中から、トン、トン、と小さな足音が答えた。


ビリィが出てきた。


アイリより頭ひとつ小さい、金髪の子供。


瘦せた体に、まだ包帯が残っている。


だが目だけは姉と同じく、油断なく光っていた。


「……だれ」

「俺だ。ヴァン」

「ボス」

「そうだ」


ビリィはヴァンを一秒ほど見て、それからリーザを見た。


「……遊ぶ」


リーザが飛びついた。


二人はあっけなく、路地の先へ走っていった。




石段に腰を下ろしたヴァンの隣に、アイリが黙って座った。


ワイルドが中に入って、がたごとと台所で動いている。


日当たりが良い。


風が気持ちいい。


路地の奥では、リーザとビリィが何かを拾い合って騒いでいる。


「ビリィは、食えてるか」


「……ワイルドが持ってきてくれてる。多すぎるくらい」


「そか」


アイリが正面を向いたまま続けた。


「……なんで、そんなに気にかけるんだ」


「帝都に来る時、言っただろ」


ヴァンは路地の先を見た。


「——お前の目が、俺と同じだったから。それだけだ」


アイリは押し黙った。


そのまましばらく、二人とも何も言わなかった。




ちょうどその時——路地の奥で、小さな悲鳴が上がった。


「あっ、わたしの!」


ヴァンが素早く立ち上がり、路地の奥へ走り込んだ。

石畳の上に転がった飴を、ヴァンが先に拾い上げていた。

そのまま、ぱく。


「……ボス。それ、わたしの……」


ビリィが立ち止まり、ヴァンの口元を見た。


「あ、美味い」


ヴァンがからかうように言うと、ビリィはしばらくじっとヴァンを見上げた。

抗議するのかと思いきや——彼女は、こくりと小さく頷いた。


「……そっか。じゃあ、ボスにあげる」


寂しそうに目を伏せて、ぎゅっと自分の服の裾を握る。


(……おい待て、これじゃ俺が極悪人みたいじゃないか)


ヴァンの良心が、わずかに痛んだ。


アイリが立ち上がり、ヴァンより低い背丈で必死に彼の背中をバシバシと叩いた。


「このっ——また妹のもん盗ったのか! 何回目だよ! なんで毎回——!」

「いてて、叩く場所が絶妙に痛い——」

「狙ってんだよ! ビリィに謝れ!」


ヴァンはアイリの腕をほどき、ビリィの方を向いた。


「……悪かった」


ビリィは小さく首を横に振った。

そして、アイリの袖をちょこんと引っぱった。


「……お姉、やめろ。ボス、叩かないで」

「だってこいつお前の飴――!」

「……うるさい。ボスが助けてくれたんだろ。飴くらい、いい」

「寛大だな」


アイリが言葉に詰まった。

ヴァンは、さらに良心が痛んだ。

ビリィはヴァンに向き直り、ごく当たり前のように言った。


「回路、また治してくれるから」


それだけ言うと、リーザの方へ走っていった。


アイリがぐっと唇を噛んだ。


何も言えなかった。


ヴァンは苦笑した。


「理屈が通ってるな、あの子は」


「……うるさい」




ヴァンはビリィの前に膝をついた。


「手、出せ」


ビリィが細い手首を差し出す。


目を閉じ、息を整える。


高圧魔力——極限まで圧縮した魔力を、針の穴ほどの制御で、損傷した魔導回路へ流し込む。


指先に、神経を一本通すみたいな感覚。

少しでもズレれば、壊れる。


ぴたり、と。


点が、線になる感覚。


「……痛いか。痛かったら言え」

「……ううん」


ビリィは目を開けず、かすかに首を振った。


「……全然、痛くない……」


アイリが、顔を背けた。


ヴァンは静かに魔力を引いた。右手が小さく震えた。

口の奥に、鉄の味が広がった。――しかし、飲み込んだ。


(……じわじわ、進んではいる。あと何回か)


「よし。今日はここまで」


ビリィはふう、と息を吐き、それから深く、ぺこりと頭を下げた。


「……ん。……ありがと」

「律儀だな」

「ボスが痛いの取ってくれるから、ちゃんと……」

「そうか」


ヴァンはそっと、ビリィの金色の髪を撫でた。



ビリィとリーザが、また路地を走り回っている。


石段に戻ったヴァンの隣に、アイリが黙って座った。


ワイルドが縁側から首を出した。


「若旦那、お茶入りましたよォ~」


「ありがとよ」


ワイルドが茶を持ってきた。


それから何食わぬ顔で、台所に引っ込んだ。


かさ、かさ。


何かを開く音がした。


アイリの目が、ぴくりと反応した。


「……ワイルド」


「なんですかァ? あっしは今忙しいですよォ」


「その音、なんだ」


「風の音じゃないですかねェ」


「ビリィのクッキー食ってるだろ」


「……失礼な! これは『毒味』ですよォ、毒味! 万が一にでも、幼いお子様たちに毒が盛られていたら一大事ですからねぇ!」


「出て来い」


縁側にワイルドが現れた。


口の端に、クッキーの欠片がついていた。


アイリは無言でワイルドを見た。


「……へへっ、ちょっとだけ味見をォ」


「返せ」


「……食べ、ました」


「は?」


「もう、食べましたァ」


アイリの眉が、ゆっくりと吊り上がった。




(……平和だな)


路地の向こうで、ビリィとリーザの笑い声が上がっている。


ワイルドがアイリに延々と小言を言われている。


日が傾きかけている。


(こういう時間が、毎日あればいいんだが)


ヴァンはお茶を一口飲んだ。


ふと、何かが引っかかった。


(……待て)


思考が、ゆっくりと接続し始める。


アイリとビリィ。


ノストラの施設。


魔導回路の実験体。


——研究施設に収容されていたということは、魔導回路の強制拡張が目的だった。


帝都の街頭で戦った、不夜城の傭兵。


あの特殊な術式。


似てる。

あれは研究の、成果物だ。


そして——。


(コルネリア・フォン・ローゼンクロイツ。ランクD)


魔力の天賦が、極めて低い。それは事実だ。


軍医の記録にある。帝国の公式資料にもある。


だが。


(……あの女は、ランクDで、どうやってここまで生き残った?)


権謀。暗殺。情報と経済の掌握。


それは説明できる。


だが、旧貴族の頂点として帝国権力の中枢に食い込み続けるには——どこかで、個人としての武力が必要になる場面があるはずだ。


ランクDでは、届かない場面が。


(……魔力の補填が、必要だったはずだ)


ヴァンの手の中の茶碗が、静止した。


ノストラの実験施設。


魔導回路の強制拡張研究。


帝国高層の関与。


不夜城の傭兵に刻まれていた、あの術式。


(……まさか)


ヴァンは目を細めた。


一本の線が、ゆっくりと繋がりかけていた。


まさか——




「若旦那?」


ワイルドの声が聞こえた。


「ぼーっとして、どうしましたァ?」


ヴァンは顔を上げた。


アイリがじっとこちらを見ていた。


何かを察した目だった。


「……なんでもない」


ヴァンは立ち上がった。


「長居した。帰る」


「……そか」


アイリは引き止めなかった。


「ちゃんと食えよ。傷が治らなくなる」


「お前もな」


アイリが短く鼻を鳴らした。


ビリィが路地の奥から走ってきて、ヴァンの前で止まった。


「ボス」

「ん?」

「また来る?」

「来る」


その一言を聞いて、ビリィの顔に、今日初めてのとても小さな綻びが浮かんだ。


「……ん。待ってる」


彼女はそれだけ言うと、嬉しそうに踵を返した。

またリーザの方へ駆けていった。





ヴァンは路地を歩き出した。


(コルネリア・フォン・ローゼンクロイツ)


(ランクD。天賦の貧困)


(ならば——自ら、補おうとしたのか)


(ノストラの施設。あの傭兵の術式。帝国高層の関与。まさか)


頭の中で、ピースが一枚一枚はまっていく。


まだ確証はない。


ただの仮説だ。


だが——仮説が事実であれば。


(底が見えないな、あの女)


石畳の路地に、夕暮れの影が伸びていた。


ヴァンは歩調を変えなかった。


ただ、頭の中で——一つの扉が、静かに開いた。




【第七十一章・終】

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