第六十八章:三枚目、行き詰まり
欠片集めは、一歩前進。
ですが、その分だけ状況は素直に進んでくれません。
時間だけが過ぎていく中で、
別の問題も顔を出し始めます。
二枚目の欠片は、あっさり見つかった。——いや、『フィロメラの手帳』を読めば、そこにしかないと分かった。
大元帥に「掃除でもしていけ」と言われた、あのフィロメラの故居だ。
かつて母が使っていたであろう私室。長年放置された書架の裏側。
ヴァンは書架の裏、ただの物理的な『壁の隙間』に指を差し込んだ。
カチリ。
埃にまみれた小さな金属片が、そこにあった。魔力的な偽装は一切ない。完全にただの「物理的な死角」に隠されていたのだ。
ヴァンはそれを手のひらに乗せた。
一枚目と同じ魔力素材。同じ鈍い光沢。パズルみたいに、妙に噛み合う形をしている。
「……二枚になりました」
背後に立つシンカクが、静かに言った。
「あと一枚です」
だが、そこからの一ヶ月は泥沼だった。
はっきり言えば、ひたすら空振りが続いた。
フィロメラが関わったとされる場所を、軍情局の権限を使って片っ端から探った。
帝都魔導技術院の旧棟。郊外の試験工場跡。廃墟になった旧貴族の別荘。
全部、外れだった。
ヴァンは靴底をすり減らしながら、制服を埃まみれにしながら帝都の路地を歩き回った。
(フィロメラという人間は、一体どれだけの場所に痕跡を残したんだ)
(もはや宝探しではなく、遺跡発掘調査だな)
そんな徒労が二十日ほど続いた頃。
「ヴァン! ヴァン!」
執務室のドアを乱暴に開けて、ローランが飛び込んできた。
「あの、例の戦棋の拡張パック、そろそろ発売できるんじゃないかと思って!」
「ちょうどいい。持っていけ」
ヴァンは引き出しからずっしりとした革袋を取り出して、机の向こうへ滑らせた。
「えっ、もう完成してたの!?」
「『戦争迷霧』だ。視界制限ルールと夜間戦闘システム。マニュアルと新型の駒は中に入っている」
ローランは袋を開け、中身のコンポーネントをぱらぱらと確認した。
目の色が、一気に変わった。
「……これ、天才じゃない? 完全に盤上の前提が覆るよ!」
一瞬の後、ローランの目つきが変わった。
「……初回限定版、百部。定価の倍で完売できる。増刷は三週間後、その間に品薄の噂を流す。軍関係者向けに『戦術研究用』の名目で別ルートも——」
ローランの瞳が、ゴールドの形に輝いた。
「基本セットが12ゴールドだろ? この『拡張パック』は初回限定版として百部だけ刷る。定価の倍、いや30ゴールドでも完売できるね! 分かってるって! 僕の得意分野だからね!」
「うるさい。さっさと行け」
「了解!」
ローランは風のように部屋を飛び出していった。
廊下の向こうから、何かを企むような下品な笑い声が聞こえた気がする。
ヴァンは窓の外を眺めた。
(……あいつに任せとけば、金は回る)
(それはそれとして、問題は三枚目だ)
ヴァンは資料の山を前に、深く腕を組んだ。
「……行き詰まったな」
シンカクが、部屋の隅の椅子に座っていた。
最近、こうして同じ部屋にいることが増えた。特に会話をするわけでもなく、ただ静かに座っている。石像のようだった。
だが、そこにいると分かっているだけで、ヴァンの思考は妙に冴えた。
「シンカク」
「何」
「フィロメラが帝都で過ごした場所で、まだ俺たちが探っていない場所はあるか」
シンカクは少しの間、沈黙した。
目を閉じるわけでもなく、ただ静かに、過去を探っていた。
「……一つ」
「言ってみろ」
「元帥府」
ヴァンの視線が、鋭く上がった。
「あそこに出入りしていたのか。フィロメラが?」
「工房が、帝国と正式な兵器納入の契約を結ぶ前の話。技術資料の閲覧で、何度か」
「具体的に、どこだ」
「書架のある棟」
ヴァンは組んでいた腕を解き、指先で机を叩いた。
(元帥府……大元帥の執務を直接支える中枢機関。軍の最高意思決定機関に隣接している場所だ)
(簡単に入れる場所じゃないな)
ヴァンは頭の中で、今使える手札を引き出した。
「行けるか確認してみる」
「難しい?」
「一般的な施設なら、特別監察官の身分と理屈で押し通せる。だが、元帥府は別格だ。大元帥の足元だからな」
ヴァンは立ち上がった。
「少し、走ってくる」
ヴァンは、どうにか元帥府の敷地に潜り込んだ。
近衛統領であるガイウスの顔と、特別監察官の権限をギリギリまで使った結果だった。
だが、成果はゼロだった。
(無理もないか)
ヴァンは自室に戻り、重い息を吐いた。
行動範囲は、ほとんど縛られていた。
入れたのは一般資料室だけ。
——好き勝手できる状況じゃない。
三時間かけて、目で確認できる範囲の書架を端から端まで見たが、欠片の反応はなかった。
(おそらく、本命は北棟だ。あそこには立ち入り制限がかかっている)
(フィロメラが出入りしていた当時の古い資料区画も、あっちにあるはずだ)
(だが、今の俺の身分じゃ、北棟の扉に触れることすらできない)
下調べは済んだ。あとは、あそこに堂々と足を踏み入れるための「口実」と「権力」を手に入れるしかない。
そんなことを考えていると、扉が控えめにノックされた。
「旦那、ちょっとよろしいですァ」
扉が開き、ワイルドが滑り込んできた。
その顔には、いつものへらへらとした愛想笑いが、薄気味悪いほど張り付いていた。……だが、目の奥が笑っていない。
「どうした。顔が引き攣ってるぞ」
「前線の戦果の方は、ですァ……順調でございます。昨日、ノストラの城郭都市が落ちやした。若旦那が公債で回した補給線の効果が、早くも出ているようで」
「……前置きはいい。本題を言え」
ワイルドは一瞬だけ口をつぐみ、扉の外を気にするように視線を泳がせた後、声を限界まで潜めた。
「ノストラ国内に張っていた帝国の諜報網が……まるごと、蒸発しやした」
ヴァンの目が、すっと細まった。
「諜報網が全滅したのか」
「壊滅に近い状態でさァ。向こうに潜らせていたスパイの頭が捕縛されたとの情報が、さっき局に入りやして。それも、極秘作戦の最中に、ですよォ」
(……なるほど)
ヴァンは背もたれに深く寄りかかった。
(内部に裏切り者がいたか、あるいはノストラ側に異常な索敵能力を持つバケモノがいるか。どちらにせよ、これで帝国の『目』は潰れた)
国家レベルの諜報網の崩壊。
軍情局局長であるヴィヴィアンあたりは、今頃執務室で舌打ちをしながら頭を抱えているだろう。
特待生にすぎないヴァンが、直接しゃしゃり出てどうこうできる次元の国家問題ではない。
前提が崩れたな。
「分かった。国家の諜報網再建は局長たちに任せておけ。お前は今、俺の目と足だ。引き続き、動ける範囲で情報を集めろ」
「へい、若旦那。仰せのままに」
ワイルドは深く一礼し、足早に部屋を退出していった。
ヴァンは机の前に座ったまま、引き出しを開けた。
二つの欠片を取り出し、手のひらの上で並べる。
薄く光を反射する、二枚のピース。
(三枚目は、元帥府の北棟)
(だが、正規の手続きでは入れない。正規でなければ……)
ヴァンは欠片を握り込み、引き出しに放り込んで鍵をかけた。
(今は無理だ)
前線が動いている。後勤の土台が揺さぶられている。
フィロメラの遺産は喉から手が出るほど欲しいが、目の前で崩れ始めている現実の盤面を放置するわけにはいかない。
「ヴァン」
部屋の隅から、シンカクが静かに声をかけた。
「欠片を探しながら、他の大きな問題も抱え込んでいる顔」
「……仮面越しに、俺の顔色が分かるのか」
「眉間に皺が寄っている」
ヴァンは深い、深いため息をついた。
「問題は一個ずつ片付けたい主義なんだが、世の中のタスクは空気も読まずに同時並行で降ってくるもんだな」
「そう」
「分かってるなら、同情くらいしてくれ」
「同情できる」
「できるのか」
「した。それだけ」
ヴァンは一瞬きょとんとし、それから思わず吹き出した。
短く、だが、はっきりと声に出して笑った。
「……そうか。慰めになったよ、ありがとう」
シンカクは何も言わなかった。
ただ、肯定するように少しだけ、銀色の仮面を傾けた。
窓の外で、秋の風が木々の梢を揺らしていた。
三枚目は、まだ遠い。
【第六十八章・終】
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