表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

72/112

第六十七章:頂に座る男

ようやく、顔を合わせることになりました。

威圧感の塊のような人物ですが、

同時に「父親」でもあります。

屋敷の中は、死んだような静寂に包まれていた。


足音を消して、石造りの廊下を歩く。


廊下の先。テラスへと続く半開きの扉から、光が差し込んでいる。


ヴァンの足が、ピタリと止まった。


(……なんだ、これは)

(……この屋敷の管理者名義は空白だった。だが、定期的に手入れされていた。——なるほど、そういうことか)


外に人がいる。


日向に向けられた椅子に座り、ただ背中を向けているだけだ。


ただの、背中。


それなのに、視界に入った瞬間、ヴァンの呼吸が浅くなった。周囲の空気の質量が、急激に跳ね上がったかのような錯覚。


理屈ではない。


本能が告げていた。

——これは、同じ生き物じゃない。


アクィラ・ソル。


帝国最高執政官。武装部隊総司令。


そして俺の、父親。


(……なるほどな)


ヴァンは小さく息を吐き、強張る筋肉を無理やりほぐした。


(こういうのが、頂点に立つのか。触れなくても分かる。圧が違う)


一秒だけ間を置き、ヴァンはテラスへと足を踏み出した。


「……失礼します、大元帥閣下」


ヴァンは、わざと軽い調子で声をかけた。


「ヴァン・ラークです。このたびはご挨拶が遅れまして」


アクィラは振り返らない。日向の中に、ゆっくりとティーカップを傾けていた。


「何用だ」


低く、地を這うような声だった。それだけで、ヴァンの鼓膜がびりりと震えた。


「散歩です。帝都の路地を歩いていたら、ここまで来てしまいました。風景が独特だったもので、ついふらりと」


「続けろ」


「はい?」


「でっち上げを、続けろ」


ヴァンは、少し間を置いた。


「……やっぱり無理でしたか」


「この『空白の屋敷』に、正面から生きて入れる人間は限られている。シカランの矢をくぐり抜けた貴様が、迷い込んだとは思えんな」


見透かされている。

——嘘を重ねる気は、起きなかった。


ヴァンは小さく肩をすくめた。


「……まあ、そうなりますよね」


アクィラが、ここでようやく振り返った。


金色の目だった。


静かで、深く、一切の感情が読み取れない。ただ獲物の急所だけを正確に見据える、猛禽の眼光。


「座れ」


ヴァンは全身にかかる重圧に耐えながら、向かいの椅子を引いて静かに座った。


しばらく、沈黙が続いた。


アクィラは帝都の屋根瓦を眺め、ヴァンはその横顔を観察した。


「……恨んでいるか」


唐突な問いだった。


「幼い頃、一度も顔を見せなかった。帝都に呼び寄せてからも、会おうとはしなかった。余を恨んでいるか」


怒りも、謝罪の色もない。ただの状況確認のような、冷徹な声。


「……はい」


ヴァンはまっすぐに見返して答えた。


「あります」


「正直だな」


「取り繕っても一秒で見抜かれる相手に、嘘をつくのは効率が悪いので」


アクィラは、少しだけ目を細めた。


「貴様の身分は二重に厄介だ」


アクィラは視線を外さずに言った。


「私生子というだけで、旧貴族には目障りな存在になる。その上、貴様はフィロメラの子だ」


声の温度が、ほんのわずかに変わった気がした。


「フィロメラの遺産を欲しがる者は星の数ほどいる。フィロメラの子だ、貴様は。それだけで的になる。余が近づけば、的に印をつけるのと同じだった」


弁解ではない。謝罪の言葉など一つもない。


(……変な親父だ)


ヴァンは内心で毒づいた。


(だが、理にかなっている)


「母のことを、聞いてもいいですか」


アクィラは視線を虚空に向けた。


「……よく、笑う女だった」


岩みたいな声が、ほんの少しだけ緩んだ。


「誰も気にも留めないものを見て、突然笑い出す。理由を聞くと、長々と理解不能な理論が始まる。余には半分も分からなかった。だが、退屈はしなかった」


アクィラの目が、現在ではなく、十数年前の過去を見ている。


「天才というのは、常に何かを見つけている。あの女の隣にいると、世界が少しだけ広く見えた。……特別な女だった」

「……旧貴族が反乱を起こした年でしたね」

「余は前線にいた。あの女は身重で、逃げる体力がなかった。……それだけのことだ」


ヴァンはテラスの石畳を見つめた。


(分かっていた事実の確認だ。なのに、妙に胸が詰まる)


「学院で、己を証明しろ」


アクィラの声が、再び冷徹な総司令のものに戻った。


「箔をつけてから出て来い。貴様のその異端の戦術、軍団長を張れるだけの地力はすでにある。そうなれば、次期大元帥候補の一人として盤上に乗せてやる」


ヴァンは顔を上げた。


「……俺は、そんな野心はありませんよ」


「そうか」


アクィラは、今度は明確に、少しだけ笑った。




その頃、屋敷の外壁の向こう側。


シカラン・レイセンは、抉れた、へし折れた木立の中心に立っていた。


周囲一帯の地形が変わるほどの破壊痕。だが、標的の肉片はおろか、血の一滴すら残っていない。


(……消えた?)


背筋が冷える。

——違う。あれは陽動だ。


では、本命の標的はどこへ向かった?


(この奥におられる、大元帥閣下ッ!!)


シカランは血相を変え、屋敷の正門へと全速力で駆け戻った。


右目の魔導器が限界まで赤く輝き、索敵を一気に広げる。


屋敷の奥、テラスの付近。


いた。大元帥の巨大な魔力のすぐ傍に、見知らぬ魔力反応が一つ、張り付いている!


(私の目を掻い潜って、閣下の懐まで……!?)


「大元帥閣下!!」


シカランは叫びながら、屋敷の庭に躍り出た。


「ご無事ですか!!!」


走りながら、すでに両腕を広げている。


空間が悲鳴を上げ、莫大な高圧魔力が一瞬で極太の弓と弦を編み上げる。狙うはテラスの侵入者。引き絞られた絶弓は、放たれればテラスごと不審者を蒸発させる。


その矢尻が、侵入者に向けられた、その瞬間。


ズン、と。

テラスの縁に、岩山のような巨影が立ち塞がった。

アクィラだった。


大元帥は何も語らない。ただ静かに、一歩前へ出た。

——それだけで。

シカランが引き絞っていた『絶弓』の射線が、その圧倒的な背中によって完全に塞がれた。


無言の、「撃つな」という圧力。


「シカラン」


低い声が、庭全体を震わせた。


「弓を下ろせ」


シカランの指が止まった。


「……し、しかし、不審者が!」


「余の客だ」


圧倒的な一言。


シカランは唇を噛み、手の中の巨弓を霧散させた。


「……申し訳、ありません」


深々と頭を下げた。




アクィラはヴァンを玄関まで連れて歩いた。


扉を開けると、そこには弓を収め、彫像のように直立するシカランが待機していた。


アクィラが立ち止まり、口を開く。


「シカラン。こいつはヴァン・ラーク。軍情局特別監察官だ」


次に、ヴァンを見る。


「ヴァン。こいつはシカラン・レイセン。コルネリアの猟犬だ」


それが、ヴァンとシカランの初めての対面だった。


シカランの右目の魔導器がカチリと音を立てた。残った左眼が、射抜くようにヴァンを睨みつける。


「……ヴァン・ラーク。あなたが、御大姉の憂慮の種ですか」


ヴァンは不敵に笑い返した。


「光栄だな。面識もないのに、随分と気にかけてもらっているらしい」


一触即発の空気が流れる。


アクィラはそんな二人を意にも介さず、ヴァンに向かって言った。


「この屋敷は封鎖されている。余の許可なく入れる者はいない」


「はい」


「だが……貴様が来る分には構わん」


ヴァンは瞬きをした。


「どうせ埃を被ったまま放置されている。来るついでに、少し掃除でもしていけ」


それだけ言うと、アクィラは踵を返した。どこにも振り返らず、傷だらけの大きな背中を向けて、屋敷の奥へと消えていった。


(……あれが、帝国の頂点)


ヴァンはしばらく、その背中が消えた暗がりを見つめていた。


屋敷を出て、石畳の道を歩き出す。


背中にシカランの鋭い殺気を感じたが、追ってくる気配はなかった。大元帥が「客」と呼んだ以上、彼女に手を出せるはずがない。


(今日は、フィロメラの遺品も工房の手がかりも手に入らなかった)

(……次は、来ていいらしい)


ヴァンは小さく息を吐いた。


石畳の道を歩き出すと、木立の陰からシンカクが現れた。

無傷だった。

それ以上は、互いに何も言わなかった。




【第六十七章・終】

面白いと感じていただけたら、フォローや★評価で応援よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ