第六十六章:旧居
フィロメラの足跡を辿った先で、
思わぬ形の「番人」が姿を現しました。
今回は、とある「旧居」を巡る話になります
数日が経った。
ヴァンが作業机で「戦争迷霧」の仕上げ調整に取り組んでいた、昼過ぎのことだった。
ドアが、ノックもなしに開いた。
「ヴァン」
「……その前に一つ確認していいか。ノックという文化を知ってるか?」
「知ってる」
シンカクは平然と答えた。
「知ってて開けたのか」
「急ぎだったから」
彼女の顔を覆う銀の仮面が、ヴァンをまっすぐに見据えた。
「……場所、思い出した」
ヴァンはペンを、静かに置いた。
「……フィロメラの旧居か。工房ではなく、住んでいた場所の方」
ヴァンは机の上の地図を広げた。
「どこだ」
「帝都南東。軍の記録では、現在の管理者名義は空白」
(……空白。すでに押さえられている、ということか)
「行くつもりで来たんだろうな、お前は」
「そう」
シンカクの口調は、硬かった。揺らがない。
ヴァンはため息をついてから、立ち上がった。
「待て。先に俺が動く」
シンカクが一瞬だけ、沈黙した。
「理由は」
「情報がない。戦力も見えない状態で踏み込むのは、ただの無謀だ。監察官の身分で近づけば、様子は見れる……触ってから考える」
「……面倒だけど、わかった」
帝都南東。
そこにあるのは、広大な敷地を持つ邸宅だった。
人の気配はなく、ひっそりと静まり返っている。だが、決して「廃墟」ではなかった。風雨に晒されてはいるものの、門扉の蝶番には油が差され、庭の雑草も最低限に刈り込まれている。
誰かが、定期的に手入れをしている痕跡があった。
(……いるな。確実に)
背筋を、何かが走った。ヴァンは木立を出て、砂利道を踏み出した。
正門まで、まだ十分に距離があった。百メートルは軽く超えている。
ズォン!!
空気を叩き潰すような轟音。ヴァンの足元、わずか十数センチ先の石畳が爆発したように抉れた。
突き刺さっていたのは、通常の矢ではない。まるで攻城用の破城槌を思わせる、極太の魔力の矢だ。掠っただけでも、足首から下がまとめて消し飛ぶような威力の代物。
狙いは、ヴァンの足先。遊んでいる。
ヴァンはその場で足を止めた。
(威嚇か。射程の誇示か。……来るな、ってことか)
ヴァンはゆっくりと、声を張り上げた。
「特別監察官、ヴァン・ラークだ! 正式な用件がある! 管理者に取り次いでください!」
沈黙。
一秒。
二秒。
返事の代わりに来たのは、第二射だった。
ヒュッ
今度の軌道は、明確に、ヴァンの足先を狙っていた。
反応するより速く。横から手が伸びた。
ガン、と。矢が地面に叩き落とされた。
シンカクだった。素手で、叩き落としていた。
何も言わなかった。仮面の奥の視線が、ヴァンに向いた。それだけだった。
木立の影に戻りながら、ヴァンは掌の冷汗を服で拭った。
「……ランクSか」
「恐らく。遠距離特化型。世間では稀と呼ばれる系統」
「シンカク、さっきの第二射の狙い、見えたか」
「見えた。足先を射抜くつもりだった。遊んでる」
(遊んでいる、ね。それはつまり、本気を出せばもっと速い、ということだ)
ヴァンは木立越しに外壁を確認した。
石壁。正門の道には遮蔽物がない。死角が、ほぼない。
「案が二つある」
ヴァンは指を立てた。
「一つ。俺が引いて、お前が潜入する」
シンカクは答えなかった。
「二つ。お前が注意を引き、俺が別ルートで入る」
シンカクがわずかに首を傾けた。
(……お前の言う『潜入』が、物理的に目撃者を全員『排除』するストロングスタイルなのは知っている。庭が血の海になったら、問題以前に掃除が面倒だ)
「二択目だ」
ヴァンは言った。
「俺が迂回して入る。お前は」
シンカクはしゃがみ込み、地面に落ちていた魔力結晶の大きな破片を拾い上げた。
バキ、と。彼女の掌の中で、硬質な結晶がいとも容易く砕かれる。
シンカクはそれを、無数の鋭利な「礫」になるよう指の間で調整した、片手一杯に握り込んだ。
「迂回ルートは東の木立沿い……全部、すでに把握済みか」
「当然」
シンカクは立ち上がり、左足を高く上げた。投擲に備えるような、大きく開いたフォーム。
ドンッ!!
音を置き去りにした衝撃波が弾けた。凄まじい風圧が吹き荒れ、ヴァンの前髪を激しく巻き上げる。
腕が振り抜かれた瞬間、掌の礫が、神の放つ『散弾』となって空間を削り取った。
「なっ……!」
ヴァンが目を細めた先で、邸宅の強固な石壁が、一瞬にして何十もの穴を穿たれて「蜂の巣」と化し――次の瞬間、莫大な衝撃に耐えきれず、砂嵐のように広範囲に崩壊した。粉塵がもうもうと舞い上がる。
シンカクの狙いは明確だった。
『これなら全員の注意が私に向く。行け、ヴァン』
そう言わんばかりの、ド派手な陽動だった。
外壁の向こうで、複数の足音がした。
重装の護衛が数名、正門から飛び出してくる。
その後ろから。スッ、と。
一人の女が現れた。
高い背丈。非対称の戦術服。右目に装着された魔導器。
女の腕の中で、莫大な高圧魔力が凝縮され、極太の弓と弦、そして巨大な矢が実体化する。
シカランの右目の魔導器が赤く光った。
「……驚きました。自分の全周索敵には、貴方の魔力回路が一切捕捉されていません。これほどの『質量』を放ちながら、魔力残滓を完全に隠蔽するとは……よほど手の込んだ古代遺物か、特異な結界術か」
彼女は弓を構えたまま、静かに告げた。
「この大陸において、ランクSの遠距離特化は自分一人だと自負しておりました。先ほどの理外の『投擲』……自分の目で確かめずにはいられなかった」
シカランは、スコープ越しの狩人の目でシンカクを見据え、わずかに頭を下げる。
「シカラン・レイセン。御大姉の影として、此処にある者。その底知れぬ力、見せてもらおう」
シンカクは。
懐から、もう一つ取り出した。先ほど砕いた魔力結晶の、残片。
それを、投擲刃のように指の間に挟み。
ひゅっ、と放った。
シカランの目が鋭く動いた。すでに弦は引かれていた。
パシッ
放たれた魔力矢が、空中で残片と激突した。
火花が散った。残片が弾かれ、木立の葉を数枚切り落として消えた。
右目の魔導器が、赤く輝いた。
「……木立の中ですか」
声は穏やかなままだった。
「全周索敵。隠れた場所ごと、消します」
弦が、鳴った。
一射ではなかった。
ヒュウ、ヒュウ、ヒュウウウ——
空気が、連続して泣いた。
矢が、扇状に広がった。直線ではなく、面で薙ぐ。
木立の一帯が、まとめて消し飛ぶような範囲を、正確に刈り取っていく。
木立が揺れた。幹が砕けた。枝ごと吹き飛んだ。
爆圧が、連鎖した。
「シンカク」
ヴァンは走りながら、一度だけ振り返った。
木立の中で、銀の仮面が動いていた。
(……無事だ。あいつは大丈夫だ。問題ない)
外壁の継ぎ目が、目の前にあった。
ヴァンはそこに指をかけた。
息を、一度、吐いた。
「行くか」
静かに、庭に降り立った。
背後では、まだ何かが炸裂する音がしていた。シンカクの戦場と、シカランの弓。二人の間で激しくなっていく音を、意識の端に留めながら。
ヴァンは足音を消した。石畳の上を、影のように滑った。
(さて)
(フィロメラの家か)
屋敷の玄関を、静かに、見据えた。
風が木々の間を吹き抜けた。何十年も前の、残り香を運ぶように。
【第六十六章・終】
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