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第六十五章:三枚の欠片

シンカクが持ってきたあの武器ですが、

フィロメラが作った、ちょっと変わった代物です。

午前の講義は、さぼった。

ヴァンは宿舎の自室で机に向かい、紙と細かい部品、そしていくつもの小型魔導器を広げていた。


窓から差し込む朝の光が、散らかった机の上を照らしている。

同室のローランはとっくに教室へ行った。部屋には、ヴァン一人だ。


(『戦争迷霧』)


昨夜、リヴィアとの対局から閃いた拡張パックの構想は、シンプルかつ苛烈なものだった。

盤面に「見えない場所」を作る。


全部見えている盤なんて、戦争じゃない。


(だから、盤面に霧をかける)


既製品の小型魔導器を流用すれば、コストをかけずに盤面の一部を「見えない領域」として設定できる。

片側からしか光を通さない遮蔽結界。

自分の駒の視界の外は、霧に包まれて相手の駒が見えない。当然、相手も同じ霧の中にいる。


「……よし」


ヴァンは加工した小型魔導器を、戦棋盤の四隅に固定した。


起動。

盤面の中央あたりに、薄い靄のような魔力場が展開された。視界が部分的に遮られ、向こう側に置いた駒が霞んで消える。


自分の駒を一つ進める。

魔導器がそれを感知し、駒の周囲だけ霧が晴れる。


(……完璧じゃないが、使える)


ヴァンは椅子にもたれ、腕を組んで盤面を眺めた。


(これなら、伏兵も奇襲も思いのままだ。今までの定石が全部ゴミになる。ローランの奴、これを見たら発狂するかもしれないな)


「本業を放り出して、小銭稼ぎの模型作りなんてしてないで、早く次の拡張パックを作ってくださいよ」と何度言われたことか。

まあ、これだけのモノが出来たんだから文句はないだろう。


ヴァンは大きく一つ伸びをして、背もたれに体重を預けた。

ペンを机に置いた。肩の力が、少し抜けた。


(……ひとまず、よし。さて、次は商業計画の――)


「ヴァン」


「っ――!?」


ガタッ!と椅子ごと後ろに飛び退いた。


背後。

いつの間にか。真後ろに。

シンカクが、立っていた。


気配がなかった。


「……いつから、いた」

「さっきから」

「さっきから、っていつだ」

「魔導器を盤の隅に固定する前から」

「…………」


ヴァンは深く息を吐き出した。心臓が、まだうるさく鳴っている。


「……せめてノックするか、声をかけろ」

「かけました。反応がなかったので、待機していました」

「集中してたんだよ、俺は。ずっと黙って見てたのか」

「見ていました」

「面白かったか?」

「わからない」


ヴァンは額を押さえた。

シンカクの天然な直球には、どうしようもない。


「それで、何の用だ」

「報告があります」

「聞く」


シンカクは一歩前に出た。

その動作で、ヴァンはようやく気づいた。


腰の横。利き腕の反対側に、何かが下がっている。

太い。重そうだ。金属製の、円筒形の――


(何だあれ)


長さはざっと四十センチほど。直径は握り拳より少し大きい。

片端が少し広がっていて、複雑な構造をしている。もう一方の端には、細かい刻み目のようなものがある。


全体に、細い線刻が走っていた。

ルーンだ。読めないが、帝国の主流とは違う未知の系統の刻み方だった。


ずっしりとした重さを想像させる異様な形状のそれが、シンカクの腿のそばで静かに揺れている。


(……鈍器か?)


鈍器にしては、形が複雑すぎる。儀式用の何かか。

いや、ルーンの様式からすると、魔導器の類かもしれない。


「それ、なんだ」

「フィロメラの遺したものです」

「……母さんの?」

「はい。作業場に置いてありました。金属で出来ています。硬いです」


シンカクはそれを腰から外し、片手で軽く持ち直した。


「打撃に適しています」

「……お前、それを武器として拾ってきたのか」

「はい。刀が欠けているので、当面はこれで代替します」


シンカクはそれを軽く振ってみせた。

ぶんっ。


空気を断ち割る音が、思いのほか大きかった。

鈍い破空音。恐ろしいほどの重量と速度が、音に乗っている。


「……まあ、当たれば普通に死ぬだろうな」

「そうです。実用上の問題はありません」


ヴァンは少しの間それを眺め、奇妙な違和感を覚えた。

(何だろう。あの形、どこかが引っかかる……)

でも、どこがとは言えなかった。

まあいい。母・フィロメラが残したものなら、後でじっくり確かめる機会もあるだろう。


「それで、報告というのは」

「行ってきました」

「どこへ」

「フィロメラが個人で使っていた、帝都外れの作業場です。ヴァンに同行すると言いましたが、ヴァンのスケジュールが空くのを待機していると、待っていると遅いと判断しました」


ヴァンは少し黙った。


「……勝手に動くな、と言っただろ」

「私たちは一緒に行動しました」

「……」


ヴァンは一瞬、その言葉の意味を咀嚼した。


「そういう屁理屈の問題じゃない」

「問題は何だ」

「俺が心配する」


シンカクはピタリと静止し、少しの間、黙った。


「……それは、考えていなかった」

「覚えておけ」

「了解しました」

「それで、どうだった。母さんの作業場は」

「場所は覚えていました。行けば分かりました」

「荷物は?」

「大部分は既に失われていました。ただ――」


シンカクの白い仮面が、ヴァンの方を向いた。


「これが、残っていました」


シンカクが手を差し出した。

掌の上に、小さな欠片があった。


石か金属か、判別しにくい材質。三角形に近い、不規則な形。

表面に、細い線が刻まれている。

これもルーンだ。


しかし、欠けている。欠片の縁で、複雑な文様が途切れていた。


「ルーンの破片か」

「そうです。手に取った瞬間、失われていた記憶の一部が戻りました」

「何を思い出した」

「これは三つで一組です。合わせると、座標を示す地図の代わりになります」


ヴァンは欠片を受け取り、朝の光に透かした。


「……何の座標だ」

「フィロメラが、最後に残したものを隠した場所です。彼女は、三つのルーンを別々の場所に隠しました。誰かがそれを集めて合わせたとき、初めて座標が分かるように」

「その、隠したものというのは」

「武器です。彼女が最後に完成させた『最高傑作』」


ヴァンは欠片を裏返した。


(……武器、か。あの母さんが『最高傑作』と呼ぶ代物……)


「武器以外に何か、情報はなかったか」


シンカクが少しの間、静止した。


「……あったかもしれません」

「何が」

「個人的な手記が。日記のようなものも、一緒に封印されているはずです」


ヴァンの指が、止まった。

一秒。


「……それは、確かか」


「確かではありません。破損したメモリーの断片です。推論の域を出ません」


ヴァンは欠片を机の上に置いた。

静かに。丁寧に。


(母さんの日記)


何を見て。何を考えて。何を知っていたのか。

それが分かるものが、そこにあるかもしれない。


「残り二つの破片はどこだ」

「分かりません」

「どういう意味だ」

「座標を思い出せません。フィロメラは、自分が長く過ごした場所に置いたはずです。でも、その場所の記憶に、まだ深い靄がかかっていて……思い出せません」

「その『場所』の候補は、複数あるのか」

「膨大です。まだ頭の中の整理が追いついていません」


ヴァンはしばらく、机の上の欠片を見た。


「……分かった。思い出したら、すぐに言え」


「了解しました」


シンカクは欠片をヴァンに預け、踵を返した。


「戻ります」


「ああ」


シンカクが扉の方へ歩いていく。


「シンカク」

「何ですか」

「次に動くときは、事前に言え。それだけでいい」


仮面が、こちらを向いた。

一秒。


「……了解しました」


扉が、静かに閉まった。




部屋に、一人になった。

ヴァンは椅子に深く座り直し、天井を見上げた。

大きく、息を吐いた。


「……やれやれ。次から次へと」


指折り、数える。


公債の裏工作に、補給線の新設。そこにリヴィアとの新型兵器構想が加わったと思えば、今度は母さんの遺産探しときた。


(俺の身体は一つしかないってのによ)

(フィロメラ工房の実権は、今コルネリアが握っている)

(あの女が工房の奥で何かを探しているのだとすれば、それは母さんの遺産と関係があるはずだ)


それから――

(公債の償還が集中した場合の、現金手当て)


これも放置できない火種だ。

戦争が長引けば問題はない。だが二ヶ月、三ヶ月で決着がついた場合。

利益を確定させようと、大口の出資者が一斉に戻しに来る。その時に国庫が干上がっていたら、公債の信用は弾け飛び、俺の首も飛ぶ。


ヴァンはペンを取った。

白紙を一枚、引き寄せる。


(商業計画。次のキャッシュフローを、今のうちに仕込む)

まず書くのは、収入源の整理だ。


戦棋の売り上げ。

拡張パック販売。

軍事周刊の購読収入。


現状、細い。足りない。


(もっと太い柱が要る。戦時中に、大衆が確実に金を落とすものは――)


ペンが、動き始めた。

窓の外では、帝都の昼が静かに続いている。


(母さん)

(あなたは一体、俺たちに何を遺したんだ)


机の隅のルーン欠片。

そのひんやりとした感触が、頭の片隅に引っかかったまま消えなかった。




【第六十五章・終】

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