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第六十四章:小さな手の才能

今回は、手を動かすことで見えてくるもの、という回でした。


得意なことや出来ることは、

案外、自分では気づきにくいものかもしれません。

戦棋盤を部屋の隅から引っ張り出してきたリヴィアは、一手一手を真剣に考え込んでいた。


眉を寄せ、唇を小さく結んだまま盤を覗き込む。

そのたびに、銀糸の髪がさらりと落ちた。


(……真剣なのは分かる)

ヴァンは盤を挟んだ対面で、頬杖をつきながら彼女を眺めていた。


(でも正直、エレナの半分も手強くない)

義妹のエレナは強い。鋭い。補給線の概念を教え込んでからは、特にえげつない兵糧攻めを仕掛けてくるようになった。


それに比べて、目の前のリヴィアは――


「……あの」

「何だ」

「今、わたしの『騎士』を、わざと見逃しましたか?」

「気のせいだろ」

「……絶対に見逃しました」


リヴィアが、少し上目遣いでヴァンを見た。

責めているというより、あからさまな手加減をされて恥ずかしがっている顔だった。


「……そんなに、下手ですか。わたし」

「下手じゃない。まだ定石に慣れてないだけだ」

「……嘘が下手ですね、ヴァンさん」

「俺は嘘が上手い方だぞ」

「今は下手です」


ヴァンは思わず小さく笑った。


「……そうか」


ヴァンは自分の駒を一つ、わざとリヴィアの陣地に無防備に進めた。


「ほら、隙だらけだぞ」


「っ……! ヴァンさんの意地悪」


リヴィアが小さく頬を膨らませながら、その駒を取るのを、ヴァンは黙って見守った。




いつしか盤面は二の次になり、話しながら指すという形になっていた。

盤面よりも、言葉の方が多くなっていた。


「お兄様は……ヴァンさんのこと、嫌いでしたよね」


リヴィアが、駒を持ったままぽつりと言った。


「俺もお前の兄は好きじゃなかった」

「……正直ですね」

「ここで綺麗な嘘をついても仕方ないだろ」


リヴィアは静かに頷いた。


「この縁談も、お兄様は強く反対していて……でも、わたしに対しては……ひどいことを言うような人では、なかったので」


彼女の白い指が、駒の上で止まる。


「だから……これから、どちらの顔をしてお兄様を思い出せばいいか、分からなくて」


「そうだな」


ヴァンは短く答えた。

余計な慰めは言わなかった。「でも」も「だから」もいらない。ただ、彼女の迷いを肯定した。


リヴィアは少しだけ目を伏せて、駒を盤に置いた。


「……戦争が、始まるんですね」

「ああ」

「お父様も、最近ほとんど家に帰ってこられなくて」

「あの人は帝国の頭脳だからな。今が一番忙しい時期だろ」

「ヴァンさんも……軍の資金調達を手伝ったと、メイドたちから聞きました」

「ちょっと裏で小細工をやっただけだ」

「……凄いです」


リヴィアは駒を持ったまま、少し俯いた。


「ヴァンさんは、何でも出来て……戦術も分かって、後方のこともお父様と対等に話せて……」

「リヴィア」

「わたしは……身体も弱くて、お役に立てるような得意なことも……」


「リヴィア」

「……は、い」


ヴァンは立ち上がった。

盤の上から、自分の駒を一つどかし、ゲームを強制終了させる。


「戦棋の続きは後でいい」

「え?」

「モデルを出せ。途中のやつ」


リヴィアがぱちくりと目を瞬かせた。


「……でも、まだお話の途中で――」


「話は、手を動かしながらでもできる」


ヴァンは机の上の工具セットを彼女の前に引き寄せた。


「俺が一緒にやってやる」




リヴィアが棚から出してきたのは、まだ組み上がっていない魔導機兵の胴体パーツだった。

精密な金属部品が、途中まで組まれた状態で止まっている。


「ここ、どこで詰まった」


「……この関節部分の歯車が、どうしても噛み合わなくて……。無理に力を込めると金属に傷がついてしまうので、止まってしまいました」


ヴァンは部品を手に取った。

確かに、合わせ面にわずかなバリがある。


「ヤスリの細目で、ここを少しだけ削る。やってみろ」


「……これで、いいですか?」


リヴィアの細い指がヤスリを動かす。ヴァンが横から手を出して、彼女の手の甲に軽く触れ、角度を修正した。


「もう少し寝かせる。そう、そこだ」


「あっ……」


リヴィアの肩がびくっと跳ねたが、手は止めなかった。


リヴィアの目は真剣だった。戦棋を指すときとは、全く別の顔だ。

指先に迷いがない。細かい作業を一切怖がっていない。


(……こっちの方が、お前の領域だな)

ヴァンは確信した。


「……はまりました」


リヴィアが、小さく歓声を上げた。

関節が、カチリと綺麗に噛み合った。可動域を確かめるように指先で動かすと、なめらかに駆動する。


「ヤスリ一つで、こんなに変わるんですね……」


「道具が合えば力は要らない。精度で解決できる」


ヴァンは自作の特製ニッパーを手に取った。


「これを使ってみろ」

「……これ、ヴァンさんが今日作ったものですか?」

「ああ。手元の細いパーツ、ランナーから切り離してみろ」


リヴィアは部品を固定し、刃をあてた。

パチンッ。


「……あ」


きれいに切れた。切り口が白く潰れる現象が、全く起きていない。


「凄い……今まで使っていた市販の工具だと、切り口がいつも少し潰れてしまって……」


「刃の角度と薄さの問題だ。片刃仕様にしてある」


リヴィアは無言でもう一つ、部品を切った。そして、もう一つ。

すっかり作業に没頭しているようだった。


ヴァンは手元の『発光する台座』のぜんまいを巻き直した。

カチ、カチ、カチ――カチン。

波打つような光が揺れ始める。


「組めたやつ、ここに置いてみろ」


リヴィアが、途中まで組んだフレームを台座の上に載せた。

揺れる光の中で、金属の魔導機兵が神々しく浮かび上がった。


「……綺麗」


リヴィアが息を呑む。


「お前が組み上げたものだからな」

「……でも、まだ途中です」

「だから続きをやる」


ヴァンは台座の横に肘をつき、彼女を見つめた。


「魔導機兵を完成させろ。それが出来たら、次は『車輪型の重装甲』のモデルを作ろう。戦場で使える本物の兵器の設計を、一緒に考えるんだ」


リヴィアが、弾かれたように顔を上げた。


「……え? 本物の、戦場で?」

「本当だ。魔導機兵は高価すぎる。量産には向かない。だったら別の設計概念が要る。お前が手を動かして設計し、俺が運用コストを計算する」

「わたしが……兵器の設計を?」

「お前のその手は、これだけ精密な仕事ができる。そういう解像度の高い頭がある。それで十分だ」


ヴァンは真っ直ぐに彼女の目を見た。


「それで足りてる」


リヴィアはしばらくの間、呆然とヴァンを見つめていた。

やがて、その大きな瞳が、ゆっくりと水気を帯びていく。


「……ヴァン、さん」

「泣くな。見えなくなるだろ、まずは手を動かせ」

「っ……」


リヴィアは慌てて、手の甲で目元を押さえた。


「……ニッパーを、貸してください」

「どうぞ」

「……ありがとうございます」


声は微かに震えていた。

その手は、もう止まらなかった。




気づけば、夜がすっかり深くなっていた。


「……もうこんな時間か」


ヴァンは立ち上がり、椅子に掛けた上着を取った。


「そろそろ帰る」


「あ……」


リヴィアが顔を上げた。

一瞬、何かを言いかけて、ためらって――それから意を決したように、上着の裾をぎゅっと握った。


「……遅く、なってしまいましたね」

「ああ」

「あの……もしよろしければ、お部屋を、一つご用意しますので……その、泊まっていかれませんか」

「……」


ヴァンが目を丸くすると、リヴィアは顔を真っ赤にして慌てて首を振った。


「べ、別に、変な意味ではないんです! ただ、夜道も暗いですし、うちの屋敷はお部屋がたくさん空いていますので、その、安全のために……!」


早口でまくしたてる彼女の耳は、耳の先まで真っ赤に火照っていた。


ヴァンは少し間を置いて、意地悪く笑った。


「てっきり、もう少し俺にそばにいてほしいから誘ってるのかと思ったが」


「ちっ……違っ……!」


小さな拳が、ヴァンの胸をポンポンと叩く。


「……違います。お部屋が、空いているだけです……」


「分かった分かった」


ヴァンは笑いながら、彼女の頭を軽く撫でた。


「今夜は遠慮しておく。ローランに連絡してないと、あいつが色々と騒ぐからな」


「……そう、ですか」


リヴィアは少し俯き、上着の裾から手を離した。

それから、ほとんど聞こえないような蚊の鳴く声で呟いた。


「……これから、機会は、いくらでもありますから」


「……そうだな」


ヴァンは素直に頷いた。




玄関まで見送りに来たリヴィアの頬は、冷たい夜風に吹かれてもまだ少し赤かった。

玄関の扉の陰から半分だけ顔を出して、こちらを見つめていた。


「また来る」

「……はい」

「モデルの続き、ちゃんと進めておけよ」

「……はい」

「飯も、ちゃんと食え」

「……はい」

「返事が全部一緒だぞ」

「……はい」


今度は、彼女の顔に確かな笑みが浮かんでいた。

ヴァンは踵を返し、帝都の夜道へと歩き出した。




夜の帝都。

誰もいない石畳の通りに、ヴァンの靴音だけが響く。


(……悪くない夜だった)


リヴィアの顔が、何度も脳裏に浮かんだ。

関節部品が噛み合った瞬間の、あの輝くような目。

「機会はいくらでもありますから」と言ったときの、赤い耳。


(こんなことで浮かれてどうするんだ、俺は)

そう自嘲しても、足取りの軽さは誤魔化せなかった。


夜風に吹かれながら歩いていると、ふと、先ほどの会話が蘇ってきた。


『魔導機兵は高価すぎる。量産には向かない。だったら別の設計概念が要る』

『お前が手を動かして設計し、俺が運用コストを計算する――』


ヴァンの歩みが、ピタリと止まった。


(……待てよ)


リヴィアの細い指先。歯車が噛み合う音。

――待てよ。


ローランと話していた、『帝国戦棋』の次回作の構想。

そうだ。ずっと後回しにしていた、あの拡張パック――


「……『戦争迷霧』だ」


構想メモを書いたきり、机の引き出しの奥に押し込んだままだった。


(ローラン、明日には「まだなの?」って言い出すかもしれない)

(……いや、あいつは言わないな。それがもっと辛い)


帝都の冷たい夜の底で、ヴァンは小さくため息をついた。

背中には、わずかな罪悪感と、それに見合うやる気も、ついてきていた。




【第六十四章・終】

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