第六十三章:小さな光の台座
こういう回を書くのは、けっこう好きです。
大きな話が動く中でも、
ほんの少しだけ、立ち止まる時間があるといいなと思います。
枢機院を出た後、ヴァンはまっすぐ宿舎には帰らなかった。
裏路地の工具屋に寄り、次に消耗品を扱う雑貨屋に寄った。
買ったのは、小さなものばかりだった。
細い金属棒に、小さな歯車がいくつか。
レンズの欠片と、薄い銅板。
……最後に、ばね。
店主は首を傾げていたが、ヴァンの手は迷わなかった。
宿舎の自室。机の上に買ってきたものを全部広げる。
「……よし、やるか」
まずは工具の自作だ。
模型用ニッパー。軍の工具箱から拝借した鉄材を削り出し、刃の角度を調整する。
同室のローランが、ベッドから身を乗り出して目を丸くしていた。
「……ヴァン、何を作ってるの?」
「ニッパー」
「模型用の?」
「そうだ」
「……誰のために?」
ヴァンは答えなかった。ローランは察したように、それ以上深くは聞かなかった。
次はヤスリだ。粗目から極細まで四種類、木板に貼り付けて裏に番手を書く。
(あの子が今、どの番手のヤスリを使っているか知らないが……持っていて損はない)
組み上げたニッパーの刃を確かめる。
スパンッ。悪くない切れ味だ。
カチ、カチ、カチ――。
最後が、一番時間がかかった。
『発光する台座』だ。
条件は一つ。「魔力を使わず、機械仕掛けで光らせること」。
魔力式は、あの子には使えない。
だから、機械で光らせる。
歯車とばねを組み、反射板とレンズで光を拾う。
動力源は、巻き上げ式のぜんまいだ。
「……これ、本当に光るの?」
ローランが覗き込んでくる。ヴァンはぜんまいを巻いた。
カチ、カチ、カチ――。
カチン、と止まる。
手を離すと、歯車が回り始めた。
台座の中心部から、温かみのある薄い光が溢れ出した。
反射板が回転するたびに、光が波打つように揺れる。水の底から見上げる月みたいに、ゆらいでいた。
「……すごい」
ローランが感嘆の声を漏らす。
「魔力ゼロで、これが作れるの?」
「基本の構造を知ってれば、そんな難しくもない」
「いや、普通は思いつかないって」
ヴァンは台座を手に取り、光の揺らぎを確かめた。
(悪くない)
気づけば、外はすっかり日が落ちていた。
リンドガルド家は、帝都の高級区画に広大な敷地を構えている。
ヴァンが門を叩くと、衛兵は顔を確かめてから通した。
「ご用件は?」
「軍務総長閣下の御命令で、リヴィア様の様子を見に来た」
衛兵は一瞬だけ戸惑ったが、すぐに中へ取り次いだ。
(ロルフめ、ちゃんと根回しはしていたか)
廊下を歩く。屋敷は静かだった。嫡男を失い、開戦を目前にした軍務総長の家――それだけの空気だ。
案内された先で、初老の執事が深々と頭を下げた。
「ヴァン・ラーク特別監察官殿。……閣下から伺っております。リヴィア様は、現在お部屋に」
ちょうどその時、廊下の奥からメイドが銀のトレイを抱えてやってきた。
スープの湯気が、かすかに揺れている。
ヴァンは手を差し出した。
「俺が持っていく」
執事が目を瞬かせた。「……よろしいので?」
「ああ。部屋はどこだ?」
「突き当たりを右に曲がって、二番目の扉でございます」
メイドからトレイを受け取る。意外と重かったが、顔には出さなかった。
廊下の突き当たり。右。二番目の扉。
ヴァンはトレイを片手で支え、空いた手でノックした。
三回。
返事はなかった。
もう一度、少し強めに叩く。
「……っ、どうぞ」
細く、掠れた声だった。
ヴァンは扉を開けた。
部屋の中は薄暗かった。
窓のカーテンが半分引かれ、帝都の夜の灯りだけが頼りなく差し込んでいる。
大きなベッドの上。
リヴィアが、膝を胸に抱えてうずくまっていた。
高価なレースのナイトウエア。ゆるく解けた銀糸のような髪。
顔は膝の上に埋まるようにして、完全に伏せられている。
来客がメイドではないことに気づいていないのか。あるいは、気にする余力もないのか。
ヴァンは部屋に入り、足で静かに扉を閉めた。
「リヴィア」
「……っ!?」
彼女が、ビクッと肩を震わせて顔を上げた。
薄暗がりの中で、大きく見開かれた瞳がヴァンを捉える。
「ゆ、ゆう……っ、夕食、の……え、な、なんで、ヴァンさんが……っ」
「飯の時間だ」
ヴァンは静かに部屋に入り、トレイを机の上に置いた。
スープ、パン、温かい肉料理。湯気がゆっくりと立ち上る。
リヴィアは慌ててベッドの端から足を下ろした。
床に転がったスリッパを探し、もたもたと足の指先を突っ込もうとしている。そのぎこちない動きが、妙に彼女らしかった。
ヴァンは振り返らずに、あえて意地悪く言った。
「食べさせてあげようか」
ピタッ。
音が、止まった。
スリッパを履こうとしていたリヴィアの足が、空中で完全に硬直した。
ヴァンが振り返ると、彼女は片足だけスリッパを引っかけた不格好な姿勢のまま、耳の先まで真っ赤にして固まっていた。
(……少しからかいすぎたか)
「冗談だ。俺もまだ飯を食ってない。先にこちらのお屋敷の食堂で済ませてくる」
「あ……は、はい……っ」
もちろん、食堂には行かなかった。
廊下の壁に背を預け、腕を組む。十分。いや、もう少し。
十五分ほど経ってから、ヴァンは再びドアをノックした。
ノック。
「……どうぞ」
今度は、すぐに応答があった。
中に入ると、リヴィアは机の前の椅子にきちんと座っていた。
大きなトレイの前で、小さな体をさらに小さくしている。
スープの量が少し減っていた。パンも、半分ほどかじった跡がある。
「食えたか」
「……はい」
「腹一杯か?」
リヴィアは少し間を置いて、気まずそうに頷いた。
「……はい」
ヴァンは机を見た。パンとスープは無理をして口に運んだ形跡があったが、重い肉料理の皿は手付かずのままだった。
「これ、どうする」
「勿体ないな」
ヴァンは皿を手に取った。
「俺が食ってやろうか。残り物の処理係を引き受けよう」
「っ……! そ、それは……! メイドに言えば、すぐにヴァンさんの分を温め直しますから……!」
「冗談だ」
ヴァンが笑うと、リヴィアの顔が羞恥と少しの怒りで赤く染まった。
彼女は立ち上がり、小さな拳でヴァンの胸をポンッと叩いた。
「……軽薄、です」
「そうか」
全く堪えていないヴァンの態度に、リヴィアはぷいっとそっぽを向いてしまった。
ヴァンはトレイを持って部屋を出て、廊下で待機していたメイドに渡した。
戻ってきても、リヴィアはまだ拗ねたように視線を逸らしていた。
ヴァンは、持参した布包みを机の上に下ろした。
「ほら」
リヴィアが、ちらっとこちらを見る。
ヴァンは包みを開き、中身を並べた。
「前回買ったって言ってた、魔導機兵の新しいパーツ。それの予備の精密ピンと、真鍮の極小歯車だ」
「……え?」
リヴィアの目が、少しだけ見開かれた。
「それから、これ」
ヴァンは自作の工具を並べる。
「模型用の特製ニッパーと、四種のヤスリ。今日、俺が作った」
「ヴァンさんが……これを?」
「ああ。それと、極めつけはこれだ」
ヴァンは、ぜんまいを巻いた。
カチ、カチ、カチ――カチン。
台座が、光り始めた。波打つような、揺れる光が部屋を照らす。
リヴィアが息を呑んだ。
「……魔力、ですか……?」
「ゼロだ。ぜんまいと歯車だけの、純粋な機械式」
「……」
リヴィアはしばらく、その台座を見つめていた。
ゆらゆらと揺れる光の中に、何か遠くの優しいものを探すような目だった。
「……綺麗、です」
消え入りそうな、小さな声だった。
「一人でいると、色々と余計なことまで考えるだろ」
ヴァンは椅子を引き、彼女の隣に座った。
「モデルを組むか。それとも戦棋にするか。ただ話をするだけでもいい」
リヴィアは少しの間、沈黙した。
それから、静かに口を開いた。
「……戦棋を、してください」
「分かった。モデルはいいのか?」
リヴィアは一度、言葉を切った。
台座の揺れる光が、彼女の青白い横顔に影を落とす。
「……お兄様が、ずっと反対していたんです。『リンドガルドの直系たる淑女が、油まみれで鉄屑を弄るなど言語道断だ。今すぐ捨てろ』って……」
声が、微かに震えていた。
「いつも大声で、軍隊みたいに叱るから……怖くて、大嫌いだったのに。でも今は……その小言が、もう聞こえなくて……」
「……慣れないか」
「……はい」
リヴィアは膝の上で、両手をきつく握りしめた。
「ずっと反対されて、隠れてやっていたのに。怒る人がいなくなると……なんだか、ぽっかり穴が空いたみたいで……」
それ以上は言わなかった。言えなかったのかもしれない。
重い沈黙が、部屋に落ちた。
台座の光だけが、二人の間でゆらゆらと揺れ続けた。
しばらくして、リヴィアがゆっくりと顔を上げた。
目元が、少しだけ赤かった。
でも、彼女の口元には、微かな力が宿っていた。
「……ヴァンさん」
「何だ」
「あの……わたしのことで、一緒に暗い顔をしないでください。お願いします」
「俺、そんな顔してたか?」
「……していません。でも、ヴァンさんは優しいから、してしまいそうで」
ヴァンは少し間を置いた。
「お前が心配するな。俺はそんな繊細な男じゃない。損得勘定でしか動かない俗物だ」
「……本当ですか?」
「本当だ。それよりさっさと戦棋を出せ。ハンデをくれてやる」
「……最初からわたしが負ける前提なのは、ひどく失礼だと思います」
「じゃあ、なるべく手を抜いて負けてやる」
「それも失礼です」
「注文が多いな」
リヴィアは小さく、くすっと笑った。
ほんの一瞬の、短い笑いだった。だが、紛れもない本物の笑顔だった。
「……戦棋、取ってきますね」
彼女は立ち上がり、棚の方へ歩いていった。
台座の光が、静かに揺れている。
ヴァンは机の上に肘をつき、頬杖をつきながらその光を眺めた。
(悪くない)
ヴァンは、ゆっくりと息を吐き出した。
【第六十三章・終】
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