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第六十二章:総長の私用

戦争も、お金も、全部大事ですが――

それだけでは人は動けません。


たまには、こういう話も必要ということで。

枢機院。


ヴァンはその廊下を歩きながら、胸の内で数字を反芻していた。

三日間。

最終集計――九千万ゴールド。


(……上出来、か)


重厚な扉の前で立ち止まる。衛兵が敬礼した。

ヴァンは軽く頷いて、執務室の中へ入った。




ロルフ・リンドガルドは、窓を背にして立っていた。


深色の将官服。一糸乱れぬオールバック。両鬢の白髪。

モノクルの奥の冷徹な目が、静かにヴァンを捉えた。


ヴァンは胸を張って、軽い調子で口を開いた。


「どうです、軍務総長閣下。いや……ここは『お義父さん』と呼んだ方が?」


沈黙が落ちた。

わずかな間。

ロルフの目が、スッと細まった。室温が三度下がった気がした。


「……ベルンハルトは、正式な場での職務呼称を教えなかったのか」

「…………」

「もう一度言ってみろ」


ヴァンは一瞬だけ目を逸らし、咳払いをして姿勢を正した。


「――軍務総長閣下」

「続けろ」

「『戦時公債』の資金調達、完了しました。三日間の最終集計、九千万ゴールドです」


ロルフは何も言わなかった。

ただ、一度だけ、小さく頷いた。

それだけだった。


ヴァンは少し前のめりになって続けた。

「補給線の新設にあたり、最大の障害は既得権益です。現制度で甘い汁を吸っている連中が、必ず抵抗してくる。具体的には――」

「分かっている」

「対策として、いくつか案があります。俺が直接動いて――」

「要らん」


ロルフはモノクルを外し、懐から取り出した布でゆっくりと拭き始めた。


「『ゼロからイチ』は、お前が作った」


静かな声だった。しかし、部屋の空気を支配する絶対的な重さがあった。


「イチからヒャクは、私とベルンハルトに任せろ。そちらの泥仕合は、我々の方が慣れている」


モノクルを掛け直し、ロルフはヴァンを真っ直ぐに見た。


「もしその程度の後始末までお前の手が必要なら、私もベルンハルトも、とっくにこの席には座っていない」


ヴァンは、少し意外だった。


(……正直に言えば、俺一人でもまだ立ち回れると思っていた)


だが。


(帝国の頭脳がそう言うなら、任せておくのが最善手だ)


「……承知しました」


素直に引き下がると、ロルフは視線を机上の書類へと落としかけ――ふと、動きを止めた。


「もう一つ、お前に『任務』がある」


「はい」


ロルフは顔を上げた。

その目が、これまでにないほど真剣だった。一分の揺らぎもない。


「リヴィアの気分が、ここのところずっと優れない」

「……え?」

「お前が何とかしろ」


ヴァンは一瞬、自分の耳を疑った。

(今、帝国の軍務総長が俺に何て言った?)


「……閣下」

「聞こえなかったのか」

「いえ。……お嬢さんを、元気づけろと?」

「そうだ」


ヴァンはロルフの顔をまじまじと見た。

真顔だった。冗談を言っている気配など微塵もない。


(……ああ、この人は本気で言っているんだ)

(この人、本気か)


帝国軍を動かす頭脳が、勤務時間中に、大真面目に娘の心配をしている

ヴァンは小さくため息をつき、立ち上がって胸に手を当てた。


「――承知いたしました」


「よし」


ロルフは満足そうに再び書類へと目を向けた。

そこで、ヴァンが踵を返しかけた時だった。


「待て」


低い声が背中を引き止める。

ロルフは目を上げずに、静かに言った。


「お前の今回の手法。あの奇抜な発想。……フィロメラに、よく似ている」

「…………」

「あの女も、誰も思いつかぬことを当然のように考えた。周囲が追いつく前に、常に先へ行った」


ロルフの声は淡々としていた。感傷はない。あるいは、見えないように奥底へ押し込んでいるのか。


「お前がフィロメラの遺産を取り戻そうとするなら、最大の壁はコルネリアだ」

「……!」

「『フィロメラ工房』の現管理者は彼女だ。今回の公債でも最大の出資者になった。あの女は賢い。自分に必要なものを、迷わず取りに来る」


ロルフはモノクルの位置を、静かに直した。


「……頭の片隅に入れておけ」


(コルネリアが……母さんの工房の管理者)

(なら、あの三千万は単なる利権目当てじゃない。俺の陣地に堂々と楔を打ち込んできたということか)


「下がれ。私も忙しい。お前もやることがあるだろう」


書類をめくる音が響く。謁見、終了。


「……失礼しました」


ヴァンは一礼して、部屋を出た。




大理石の廊下を歩きながら、ヴァンはまだ見ぬ女の姿を頭の中で組み立てていた。


ローランが震え上がっていたという、あの真紅の軍服。

場を支配する静かな威圧感。

そして、三千万ゴールドを躊躇いなく叩きつける異常な金銭感覚と決断力。


(まだ顔も知らない大元帥の養女、か……。間違いなく手強いな)

だが、今は情報が足りない。考えすぎても無意味だ。


(盤面の整理は後だ。今は――)

(まず、リヴィアだ)


枢機院の重い扉が、背後で閉まった。冷たい外気が、頬を撫でた。

曇天。いつ降り出してもおかしくない空だった。


喪中の令嬢を、どうやって元気づけるか。

高価な見舞いの品を持っていけば済む話ではない。「元気を出して」なんて薄っぺらい言葉で、あの子が笑えるはずもなかった。

ならば、あの子が本当に好きなものは何か。


そこまで考えた瞬間、ヴァンの頭の中でパズルのピースが繋がった。


(――ああ、そうか)


答えは、最初からあった。

ヴァンは上着の襟を立てて、歩き出した。向かう先は、枢機院ではない。

帝都の市場だ。




帝都の市場は、昼過ぎでも喧騒に包まれていた。

目当ての店はすぐに見つかった。


「いらっしゃいませ――おお、特待生殿で」

顔見知りの金属細工商だった。

「模型に使う真鍮線と、極薄のプラ板はあるか。可能な限り精度が高いやつだ」

「ありますよ。どのくらいの量で?」

「これくらいだ」


ヴァンが手で大きさを示すと、店主は奥へ引っ込んだ。


(リヴィアの趣味は、魔導機兵の組み立て模型作りだ)

(兄が死んで、塞ぎ込んでいる。なら――)


店主が持ってきた板材を手に取り、重さと精度を確かめる。


(隣に座って、一緒にヤスリ掛けでもすればいい)

(それだけで、たぶん十分だ)


「これをくれ。それと――」

ヴァンは視線を動かし、棚の隅の小さな部品に目を止めた。

「その精密ピン、三種類全部だ」

「また細かいものを……。模型でも作られるので?」

「まあ、そんなとこだ」


会計を済ませて、荷物を抱えた。思ったより重い。

それでも、決して悪くない重さだった。


(それにしても、ロルフのやつ……)


ヴァンは歩きながら、小さく鼻を鳴らした。


(娘を心配してるなら、素直にそう言えばいいものを。わざわざ『任務』なんて勿体ぶった言い方をしやがって)

(ベルンハルトといい、うちの大元帥といい……この帝国の親父どもは、どいつもこいつも不器用で面倒くさい連中ばっかりか?)


呆れながらも、ヴァンの口角はわずかに上がっていた。

帝都の市場の喧騒が、背後に遠ざかっていった。




【第六十二章・終】

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