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第六十章:戦争を回す紙一枚

今回はお金の話です。


……といっても、作者は金融に詳しいわけではありません。

それっぽく書いていますが、もしおかしなところがあれば、そっと見逃すか、優しく指摘していただけると助かります。

ベルンハルトは、ヴァンが差し出した紙を手に取った。


険しい顔で眺め、裏返し、また表を見た。


「……これが、建設費用を捻出するための資金調達の答えか」


「はい」


「紙一枚だぞ。……『戦時公債』の青写真ではないか」


「そうです」


ベルンハルトは整えられた八字髭をゆっくりと撫でた。

何かを言いかけて、やめ、また紙を見た。


「……説明しろ」




ヴァンは机の上に紙を広げた。


「公債は三つの段階に分けます。買う者の懐具合によって、値段もリターンも変える」


指で、一番下の段を示した。


「まず底層。『銅級』。少額です。一般の庶民向け」


「その日暮らしの庶民が、軍の紙切れなど買うと思うか!」


「買わせるんです」


ヴァンは一拍置き、滑らかな口調で言った。


「公債を買った者には、軍部発行の立派な『愛国奉仕の証』という証書と、玄関に飾れる小さな硬木の門牌をおまけで配ります」


「……は?」


「ただの安い木の板です。でも、そこに帝国の紋章が刻印されている」


「……」


「これの意味が分かりますか、院長」


ベルンハルトは、しばらくヴァンを見ていた。


「……つまり」


「……隣の家の扉には、国への忠誠を示す立派な飾りが懸かっているのに、自分の家にはない。……さあ院長。この血の気の多い軍国主義の帝都で、彼らはどうすると思いますか?」


ベルンハルトの顔が、少し引きつった。


「……貴様、同調圧力で脅迫する気か」


「『愛国心』と呼んでください。庶民は、非国民の烙印を押されて石を投げられないための『免罪符』を、喜んで百ゴールドで買いますよ」


ベルンハルトは低く唸り、忌々しげに顔をしかめた。道徳的には最低の外道だが、理にかなっていて反論の余地がない。


「次、二段目。『銀級』」


ヴァンは指を一段上げた。


「中産層や裕福な市民向けです。額は大きい。入隊した子弟を、技術系部隊へ『特科士官候補』として優先配属させます。前線で子供を死なせたくない親は、血を吐いてでも払います」


ベルンハルトの眉間がさらに深くなった。


「そして三段目」


ヴァンは最後の段を指した。


「『金級』。大商会向けです。軍の物資徴用を免除される『準軍属』の認可証と、戦後の『占領地資産の優先購入権』を与える」


「…………」


「商人にしてみれば、ノーリスクで巨大な特権がついてくる『軍への預け金』です」


ベルンハルトは腕を組んで、天井を仰いだ。

悪魔のような錬金術の構造が完全に理解できたからだ。


「……公債の値段は」

「銅級は一口百ゴールド。銀級は一口五万。金級は百万から上限なし」

「……それで、目標額は幾らだ」

「この補給線大改革を完成させるための総予算。二千万ゴールドです」

「二千万だと!?」


ベルンハルトは思わず机を叩いた。


「貴様、ふざけているのか。そんな額、集まるわけがないだろう!」


「ええ、すぐには集まりません。ですが、まずは『着手金』が必要です。総長を動かすための」


「……どういうつもりだ」


ヴァンは唇の端を上げた。


「今からローランに帝都の大商会を回らせます。『軍務総長ロルフ・リンドガルド閣下の特別許可を得た、二千万規模の極秘プロジェクトだ。枠は限られている』と吹聴させて、『仮契約』だけ取ってくる」


「なに……?」


「手ぶらで総長のところへ行っても、『よしやろう』と言ってもらえるはずがないでしょう? 机の上に、『もう話が動いている』という証拠を積まなければ交渉になりません」


ベルンハルトの顔色が、みるみる青ざめた。


「まさか……総長の名を騙る気か!?」

「騙るのではありません。『これから』許可をいただくんです。そのための交渉材料です」

「ふ、ふざけるな! そんなの詐欺――」

「義父上」


ヴァンの声が、静かに遮った。


「今の帝国の国庫に、この改革を始めるための金は一ゴールドもありません。だったら、外から持ってくるしかない。手段を選んでいる余裕はないはずです」


「……」


ベルンハルトは、口を開けて、閉じた。

反論したい。だが、その通りだった。




その日の午後、ヴァンは宿舎に戻り、疲れ果ててベッドに倒れ込んでいるローランを呼び起こした。


「ローラン。仕事だ」

「……まだ何かあるのかよ。僕、今日だけで商会を五件も回ったんだぞ」

「六件目だ」


ヴァンは机の上に一通の書類を広げた。


「軍務総長の許可が下りた。『帝国戦時公債』、二千万ゴールド規模のプロジェクトだ」


ローランの目が瞬時に覚醒した。


「……本当か?」


「本当だ。ただし、まだ正式な発行手続きには少し時間がかかる。それまでに、大商会から『仮契約』を取っておきたい。金の受け渡しは正式発行後でいい。彼らには『先着順で枠が埋まる』と言って、今のうちに署名だけでも取ってきてくれ」


ローランは書類を手に取り、食い入るように見た。


「……これ、総長の副署入りか?」


「当たり前だ。こんな二千万規模の機密文書の原本を、学生の俺が持ち歩けるわけがないだろう」


ヴァンは平然と嘘を吐いた。


「原本はすでに枢機院の金庫の中だ。これは総長が俺に託した『写し』だよ。商人どもにはこう言え。『総長の決裁はすでに下りている。正式な証書が発行される前に、先行して枠を押さえないか』と」


「商売のチャンスだ。お前の取り分は二割五分。どうする?」


ローランは一瞬で決断した。泣きそうな顔ではなく、ギラついた商人の目で。


「……やる。やらせてもらう。ただし、絶対に正式発行は遅れるなよ。約束してくれ」


「約束する」


ヴァンは軽く手を挙げて応じた。

その日のうちに、ローランは帝都の大商会を片っ端から回った。

ヴァンは、ベルンハルトを連れて枢機院へ向かった。




ロルフ・リンドガルドの執務室は、枢機院の最奥にあった。


一切の無駄がない整然とした空間。

一糸乱れぬオールバックの髪に白髪が交じり、冷徹なモノクルの奥の瞳が、入ってきた二人をゆっくりと捉えた。


ヴァンは、ベルンハルトの机から拝借した膨大な計画書の束と、ローランが本日集めた「仮契約書」の束を、無造作にロルフの机の上に置いた。


ロルフは書類を一枚一枚、静かに確認していく。

執務室には、紙をめくる音だけが響いていた。


やがて、ロルフは顔を上げた。


「……私の名を無断で使い、帝都の大商会から資金をかき集めたと」


声に怒気はない。だが、それが逆に恐ろしかった。

ベルンハルトの背筋に冷や汗が流れる。


「詐欺など、恐れ多い」


ヴァンは、ロルフの視線を真っ向から受け止めたまま、静かに言った。


「これは、帝国への『献上品』です。帝都の商人どもは、すでに『軍務総長の偉大なる新政策』に二千万の価値を見出し、列を成しております。あとは閣下がこの紙切れにペンを走らせるだけで——帝国の兵站を変える資金が、合法的に閣下の手中に収まります」


ヴァンは口角をわずかに上げた。


「サイン一つで二千万。……悪くない取引かと」


ロルフはモノクルを外し、布で拭きながらヴァンを見た。


「目標は二千万と大見得を切りながら、集めたのは仮契約ばかり。実際の現金はまだ一枚も動いていない。それを『着手金』だと?」


「ええ。現金はまだ一枚も動いておりません」


ヴァンは不敵に笑った。


「ですが、この仮契約書の束があるからこそ、俺は総長の前に『話が動いている証拠』を積めている。サイン一つで、これが本物の金になります」


「……」


「兵站の改革は、枢機院にとって長年の課題だったはずです。金がないから止まっていた。だが今、目の前にその『動く兆し』がある。サイン一つで、帝国の補給線は生まれ変わります」


ロルフは机の上の書類に目を落とした。


やがて、ロルフは顔を上げた。モノクルの奥の瞳が、ヴァンを射抜く。


「この公債、戦後は額面通りに返済すると書いてあるな」

「はい」

「二千万を戦争に注ぎ込んで、戦後、どこからその金を捻出するつもりだ? まさか、新たな公債を発行して返すのか?」


ヴァンは、微かに笑った。


「返済が必要なのは、あくまで『換金したい者』だけです」

「……どういう意味だ」

「三段目の『金級』を購入する大商会の連中は、現金よりも『占領地資産の優先購入権』と『準軍属特権』が目当てです。彼らは返済を求めません。むしろ、こちらから現金を返そうとしても『いや、特権のままでいい』と言うでしょう」


ロルフは腕を組み、口を閉ざした。


「それに」


ヴァンはさらに言葉を重ねた。


「この補給線改革が完了すれば、年間で少なくとも数百万ゴールドの無駄が削減できます。運搬の損失、馬や人の消耗、腐敗させた食料の廃棄……今は当たり前のように消えている金が、確実に軍の懐に戻ってくる。その浮いた金で、公債の償還は十分可能です」


「……数年単位の試算か」


「はい。ですが、戦争が長引けば長引くほど、補給線改革の効果は劇的に上がります。短期決戦になれば、そもそも公債の大部分は返す必要がありません――戦争が終われば、特権目当ての連中は現金化を急がないからです」


ロルフは、ゆっくりとモノクルを外し、布で拭き始めた。


リスクは――ある。

この小僧の言う「特権で代用される」という前提が崩れれば、二千万の現金返済が一気にのしかかる。

だが、その場合でも補給線改革による削減効果でカバーできる領域は大きい。完全な赤字にはならない。


彼は、ヴァンの顔をじっと見つめた。


ロルフは、再びモノクルをかけ、書類に視線を戻した。

長い沈黙。


「……この計画、許可しよう」


ベルンハルトが、驚きでわずかに目を見開いた。


「ただし、条件がある」

「はい」

「二段目の『配属優遇枠』の人事名簿と、三段目の『準軍属特権』の発行については、すべて私が副署する。貴様らに裁量権は渡さん」

「承知しました。完全に合意します」

「以上だ。退出してよろしい」


ロルフは再び書類に目を落とし、羽根ペンを取った。


「あ、それと」


ヴァンが扉に向かいかけ、ふと立ち止まった。


「……一つ、よろしいですか」

「何だ」

「次からは、事前に許可をいただけると助かります。今回は間に合いませんでしたので」


ロルフは顔を上げず、ペンを走らせながら冷たく言い放った。


「結果が出なければ、貴様を国家反逆罪で処刑台に送るだけだ。覚えておけ」


「……肝に銘じます」


ヴァンは小さく肩をすくめ、執務室を後にした。




許可が下りてからが、本当の戦いだった。


翌日、帝都の大通りに「帝国戦時公債」の窓口が設置された。

宣伝は、ローランが事前に回った大商会が率先して行い、最初の一日は上々の滑り出し――に見えた。


だが。


「……五、六十万、だと?」


ヴァンは、ローランが持ってきた集計表を見つめた。


「ああ。銅級はそこそこ売れたけど、銀級と金級はほとんど動かなかった。大商会の連中、『様子見』だってさ」


ローランは疲れた顔で続けた。

「正直に言う。これ、このペースだと……三ヶ月かけても二千万には届かない」


ヴァンは無言で集計表を置いた。

——そして、口元をわずかに緩ませた。


「……上出来だ」

「へっ?」

「三日以内に一千万の目処が立たなければ、この計画は止まる。ロルフはそこまで甘くない」


ローランが顔を上げる。ベルンハルトも、眉をひそめた。


「何をほざいている。目標の二千万に届いていないどころか、五十万にも満たないんだぞ」


「ええ。でも、これは『たった一日で』『実績も信用もない初めての公債』で集めた数字です。俺の予想を……上回っている」


ベルンハルトの目が見開かれた。


ヴァンは集計表を指先でトントンと叩いた。


「明日には、この数字は倍になる。いや、倍以上だ」

「根拠は?」

「大商会の連中は『様子見』している。つまり、興味はあるが、誰も買わないうちは自分も買いたくない、という心理だ。だが——」


ヴァンは振り返り、ローランを見た。


「——誰かが『買った』という実績を見せつけてやれば、一気に雪崩を起こせる。ローラン、明日、大商会の幹部だけを集めた『特別内覧会』を開け。形式は、戦利品の競売のように派手にやれ」


「お、おい……まさか」


ローランの声が裏返る。


「会場には、今日『金級』を一番乗りで購入した『匿名の大商会』が既にいる、という情報を流せ。実際には、俺たちが用意したサクラでもいい。大事なのは『誰かが買った』という事実だ」

「……それって、八百長じゃ」

「商売の基本だ」


ヴァンは涼しい顔で言った。


「商人は、血の匂いよりも『他人が儲ける匂い』に敏感な生き物だ」


ヴァンは窓ガラスに映る自分の顔を見つめ、冷たく笑った。


「誰かが甘い汁を吸っていると錯覚させれば、奴らは勝手に理性を捨てて群がってくる。さあローラン、明日は大芝居だ。商人は、自分だけが乗り遅れることを何より恐れる。……奴らの欲を、そのまま使わせてもらうだけだ」


ベルンハルトは深くため息をついた。


「……お前の頭の中は、いったいどうなっているんだ」

「俺はただ、『人の欲』の正しい使い方を知っているだけですよ、院長。さあ、ローラン。明日の準備だ。寝る時間はないぞ」

「わ、分かったよ……!」


ローランは泣きそうな顔で飛び出していった。


ヴァンは窓の外の帝都の空を見上げた。


(二千万……いや、もしかしたら、それ以上に届くかもしれない)




【第六十章・終】

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