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第五十八章:戦争機械の歯車

いよいよ物語のスケールが一段階上がる章に入りました。

静かな日常の余韻が消え、再び物語は加速していきます。

外城へ向かう道は、石畳が荒れていた。


帝都の内城から一歩出れば、街の顔が変わる。

豪奢な建物はなく、煤けた工房や古い倉庫、安酒場が軒を連ねている。


雑踏は多いが、誰も彼らに目を向けない。

ヴァンは外套の襟を立てながら、隣を歩くシンカクに低い声で尋ねた。


「一つ聞いてもいいか」

「何でしょうか」

「ヴィヴィアン・クラウスを知っているか」


シンカクは、歩調を崩さずに数秒だけ沈黙した。


「……顔は、はっきりとは覚えていません。でも、確か」


「確か、何だ」


シンカクは前を向いたまま、抑揚のない声で答えた。


「炎の夜、ヴァンを連れ出した直後、彼女は動きました」

「動いた?」

「帝都で、旧貴族に対する大規模な粛清が行われました」


ヴァンは歩みを止めず、ただ眉間を寄せた。


「貴族が、たくさん死にました。フィロメラを殺そうとした者、それに手を貸した者。家族も、使用人も、全部です。一晩で、血の海でした」


「……」


(フィロメラが死んだ直後に、そこまでやったのか)


「当時の彼女に、それだけの軍事力と権力があったのか?」

「分かりません」

「親父……大元帥はそれを黙認したのか」

「分かりません」

「お前、分からないことが多いな」

「はい。頭の中を、ごっそり削り取られているからです。わざとです」


ヴァンはしばらく黙って歩いた。


(あれは、本当に“報復”だったのか)


ヴィヴィアンは先日、「旧貴族の叛乱よ」とだけ言った。

深みに入るほど、あの毒蜘蛛が張った巣の底が見えなくなる。


(……今は、目の前の盤面に集中しろ)




目的地は、外城の外れにある鍛冶屋だった。


小さな店だ。看板は傾き、窓は煤で黒ずんでいる。

だが、鉄を叩く音は力強く、煙突からは細い煙が上がっていた。


シンカクが足を止めた。


「ここです」


「確かか」


「方角と周りの景色から、たぶんここだと思います。この建物か、そのすぐ下にあるはずです」


シンカクが一歩前に出た。


「私が先に入ります。気配を消せば、店主に気づかれずに中を見て回れます」

「待て。却下だ」

「なぜですか。それが一番早いです」

「お前が中に入って、もし本当に兵器の隠し部屋を見つけたらどうする。隠し扉ごと物理的にぶち破るだろうが」

「……探すのに、何か問題がありますか?」

「それを世間では住居侵入と窃盗と呼ぶんだ」


シンカクは一瞬、小首を傾げて沈黙した。


「……分かりました」


ヴァンはシンカクを制止し、自ら店の扉を押した。

ギィ、と錆びた蝶番が鳴った。




中は薄暗かった。

鉄と炭の匂いが充満している。

奥で、がっしりした体格の男が金床に向かっていた。


「いらっしゃい」


男は振り向きもせずに言った。


「武器の注文なら二週間待ちだ。修理なら今週末に仕上がる」


「注文ではありません。少し、お話を伺いたいんですが」


ヴァンは愛想のいい学生の顔を作って尋ねた。


「この店が建つ十数年前、この場所に何があったか、ご存知ですか」


男がようやく振り向いた。

四十がらみ。目つきが鋭く、腕の筋肉が隆起している。


「……なんだ、お前ら。役人か?」


「いえ、軍事学院の学生です」


ヴァンは適当な嘘を並べ、懐から銀貨を数枚取り出して台に置いた。

男は銀貨と、仮面を被ったまま微動だにしないシンカクを交互に見て、重いため息をついた。


「……俺がここを居抜きで買ったのは十二年前だ。当時のことは知らんし、前の持ち主も行方不明だ」


「建物の中を、少し見せていただいても?」


「勝手にしろ。だが、商売道具には触るなよ」




店の中を一通り見て回った。


鍛冶道具、炭の山、工具棚、床下収納。

何もなかった。

十二年という時間が、フィロメラの痕跡を完全に上書きしていた。


シンカクは壁を手でなぞり、床の響きを確かめ、小さく首を振った。


「ありません」


「そうか」


「隣の建物の地下か、もっと深い場所にあるのかもしれません」


「今日はここまでだ」


シンカクがヴァンの方を向いた。


「……まだ日が高いですが」


「他の場所は日程を改める。焦って騒ぎを起こす必要はない」


シンカクは少しだけ間を置いて、頷いた。


「分かりました」


店主に礼を言い、外へ出る。

(また別の日に、少しずつ探るしかないか)

そう思っていた矢先、ヴァンの懐で使い魔の通信具が小さく振動した。




宿舎に戻ると、見慣れた金髪のルームメイトが大量の荷物を抱えて床にへたり込んでいた。


「ヴァン!」


「戻ったか、ローラン」


「戻ったよ! っていうか、話が全然違うじゃないか!」


ローランは立ち上がり、綺麗な顔を顰めて抗議した。


「ノストラとの新しい『外貿ルートの開拓』だって言ってたのに、なんで僕が夜逃げする家族の護送なんかやらされてるのさ!? しかもおばあちゃんから赤ん坊まで、総勢8人もついてきたんだぜ!?」


「商売の基本は信頼関係の構築だ。彼らは今後の重要な取引先になる」


「それはそうかもしれないけど……もう少し事前説明が欲しかったよ!」


ローランは大きくため息をつき、椅子にどっかりと座り込んだ。

疲労は見えるが、怪我はないようだ。


「全員、無事に国境を越えられたか」


「できたよ。でもさ、一緒についてきた軍情局の連中、護衛って言うより国境付近で勝手に散開して別行動を取ってたんだ。まるで事前に何かを仕込むみたいに」


ローランは少し声を潜め、ヴァンを上目遣いに見た。


「……ヴァン、まさか僕を何かヤバい裏仕事の隠れ蓑に使ったわけじゃないよね?」

「お前は優秀な商会の子息だ。ただの視察旅行にしか見えない。完璧なカモフラージュだった」

「それ、肯定してるじゃないか!」

「よくやった。約束通り、これからの商売の利益配分はお前に色をつける」


ローランは頭を抱えたが、利益の話が出ると少しだけ目を輝かせた。


「……まあ、約束は守ってよ」




その夜、ヴィヴィアンから呼び出しがかかった。


軍情局、局長室。

カシャ、カシャ、という義肢の微かな駆動音。

ヴィヴィアンは、デスクに両肘を突いてヴァンを迎えた。


「ローランが戻ったわね」


「はい。オグラの家族の移送は完了しました」


「結構。では、約束通りこれからの盤面の話をしましょうか」


ヴァンは用意された椅子に座り、口を開いた。


「オグラが統括していた、ノストラの帝都情報網。あれはどう処理しましたか」


ヴィヴィアンは薄く笑った。


「彼女の暗号を利用して、偽の指令を出したわ。全拠点に対して完全なる『沈黙(サイレンス)』をね。リストを一つずつ潰すより、疑心暗鬼にさせて動きを止める方が効果的よ。事実上、彼らの手足は麻痺した状態になっている」


「……」


情報網が、死んだ。



「局長」


ヴァンは、ヴィヴィアンの目を真っ直ぐに見た。


「ノストラの諜報が死んでいる今。兵を動かす気ですね」


「……」


「大元帥が、動くんですか。ノストラへ向けて」


ヴィヴィアンは満足そうに微笑んだ。


「ええ。開戦よ」


やはりか、とヴァンは胃の底が重くなるのを感じた。


「開戦の口実は何にするつもりですか。ノストラの工作員が、軍務総長の息子を暗殺したから、ですか?」


「帝国が動くのに、そんな理由がいると思う?」


ヴィヴィアンは冷たく言い放った。


「リヒャルトの件は、きちんと『政治的な辻褄(つじつま)合わせ』が済んだわ」


「落とし前、とは」


「帝国政府の公式見解が出るわ。犯人はノストラの過激派工作員、および、不夜城の協力者。リヒャルト・リンドガルド少佐は、凶刃に倒れながらも帝国の威信を守り抜いた名誉の戦死。……以上よ」


一拍。

ヴァンは、奥歯を強く噛み締めた。


「……以前、俺を襲った刺客と同じ括りにして、事実を揉み消すんですか」


「ええ」


「真の黒幕は? 実際にリヒャルトを操り、暗殺の指示を出した黒幕はどうなるんですか」


「これ以上の捜査は行わない。帝国は今、戦時体制に移行する。軍上層部の内輪揉めを露呈させて、士気を下げるわけにはいかないのよ。内部の安定が最優先」


「……」


ヴァンは何も言わず、ただ拳を固く握りしめた。


リヒャルトの死の真相は伏せられる。

自分を狙った黒幕も、お咎めなし。

すべては「国家の安定」という大義名分のもとに、美しい布で覆い隠される。


「不満そうね、坊や」


「……ええ」


ヴァンは低く、地を這うような声で言った。


「俺の部下……ブルーノとディーターが死んだことは? アイリが重傷を負ったことは? 誰の責任にもならないまま、終わるんですか」


「……帝国軍人として、立派な殉職よ。遺族には十分な恩給が出るわ」


その言葉を聞いた瞬間。

ヴァンは――笑った。

ひどく歪んだ、氷のように冷たい微笑だった。


「なるほど。遺族には恩給が出る。実に素晴らしい『大局』の処理ですね、局長」


先ほどまでの怒気を完全に消し去った、不気味なほど平坦な声。


「……これが帝国よ、坊や」


ヴァンはゆっくりと立ち上がった。


「……分かりました。これ以上は聞きません」


「ええ。下がりなさい」


ヴァンは一礼し、扉へ向かった。


「坊や」


背中越しに、ヴィヴィアンの声がかかる。


「リヒャルトの死は、ただの『添え木』よ。帝国が動く理由は、もとから別にある」


ヴァンは足を止めたが、振り返らなかった。


「どういう意味ですか」


「帝国の『戦争機械』はね、理由があるから動くんじゃないのよ」


ヴィヴィアンの笑い声には、どこか自嘲のような響きがあった。


「動き続けるために、理由を探すのよ。一度火が入った炉は、すべてを焼き尽くすまで止まらない」


扉が、重く閉じた。




帰り道、ヴァンは無意識に大通りを外れ、路地を歩いていた。


(……ふざけるな)


胸の奥で、黒いマグマのような憤懣が渦巻いている。


(俺が今までやってきたことは、何だったんだ)


(このまま、終わってたまるか)


ヴァンは立ち止まり、夜空を見上げた。

帝都の空に、星はなかった。


(……この理不尽な盤面を回している奴らを、いつか全員引きずり下ろしてやる)


胸の奥が、焼ける。


ヴァンは再び歩き出した。




【第五十八章・終】

第五十八話までお読みいただき、ありがとうございます。


続きもお付き合いいただけたら嬉しいです。

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