第五十二章:黒幕は逃げた
名前を出すだけの、簡単な確認作業。
……のはずだったんですが。
思っていたよりも、相手が正直でした。
手提げの木箱は、思ったより重かった。
修復を終えた魔導機兵の腕部パーツ。昨夜ヴァンが自ら組み直したものだ。
(悪くない口実だ)
帝都の高級住宅街。磨き上げられた銅の門扉の先に、軍務総長リンドガルド家の豪奢な邸宅がそびえ立っている。
(でかいな)
「――ヴァン」
背後から、抑揚のない声がした。
振り返ると、仮面をつけたシンカクが立っていた。銀色の長い髪が風に揺れている。
「……お前、いつの間に」
「いつも背後にいる」
相変わらず、気配というものが全くない。ヴァンは小さく息を吐いた。
「リヴィアの兄上に会いに行く」
シンカクが、わずかに沈黙した。
「……親族への接触」
「そうだ」
また、沈黙。
シンカクが、口を開きかけて――止まる。
珍しい。
「……私も、行く」
「今回は遠慮してくれ」
「理由は」
「義理の兄に会いに行くのに、女を連れて行くのは筋が悪い」
「……義理の兄上」
「義理の兄だ」
またしばらく、シンカクは黙った。
「……理解した」
「戦いが始まれば、私がやります」
「それはダメだ。俺が呼ぶまでは、絶対に手を出すな。相手の本音を探るための場だ。下手に介入したら、証拠も掴めなくなる」
「……了解」
壁の影にスッと溶け込み、そのまま石像のように微動だにしなくなった。
(……本当に便利な護衛だ)
ヴァンは苦笑し、門扉に向き直った。
出迎えた初老の執事は、極めて礼儀正しかった。
「ヴァン・ラーク様でいらっしゃいますね。どうぞ、こちらへ」
だが、広い応接室に通されたヴァンの前に現れたのは、目当ての少女ではなかった。
浅茶色の髪を乱れ一つなくオールバックに撫でつけ、私邸でありながら首元まで軍服のボタンをきっちりと留めた男。
リヒャルト・リンドガルド。
その暗い金色の瞳が、虫でも見るかのようにヴァンを見下ろしていた。
「お初にお目にかかります、リヒャルト少佐。本日はリヴィア嬢に頼まれていたパーツをお届けに――」
「リヴィアは自室で休んでいる。貴様に会わせる必要はない。座れ」
挨拶を遮り、リヒャルトは対面のソファに腰を下ろして足を組んだ。
(面倒なタイプだな)
リヒャルトは、軍服のシワを一度だけ神経質に払い、対面のソファに腰を下ろして深く足を組んだ。
「単刀直入に言おう。貴様が妹に近づくこと、そしてあの忌々しい婚約の件……本官は一切認めていない。今日、リヴィアを貴様のようなドブネズミに会わせるつもりはない」
冷酷な宣告だった。
(会えないか。まあ、過保護な兄なら当然の反応だ)
ヴァンは表情を崩さず、静かに腰を下ろした。
「貴様のやり方は気に入らん。補給線を焼き、流言を操り、難民を盾にする。汚い。そんな下劣な振る舞いをするドブネズミに、我がリンドガルドの令嬢は渡さん」
「手厳しいですね。ですが、戦場では勝つことが最大の誉れかと」
「ふん。やはり底辺の思考だ」
鼻で笑い、リヒャルトは出された紅茶のカップを手にした。
沈黙が落ちる。
ヴァンは室内をさりげなく視線で流した。壁の戦場地図、調度品の配置。そして、扉の外に潜む複数の気配。
(――そろそろ、本題に入るか)
「一つ、聞かせてください」
「何だ」
「『オグラ』という名に、心当たりはありませんか?」
カチャリ。
リヒャルトがソーサーにカップを置く音が、ほんのわずかに、だが必要以上に大きく鳴った。
暗金色の瞳が、一瞬だけ硬直する。
(……当たりか)
「……いかにも三流の小悪党が名乗りそうな名だな。聞いたこともない」
リヒャルトは微かに声を低くし、冷徹に言い放つ。だが、その指先がカップの取っ手から離れていないことを、ヴァンの目は見逃さなかった。
「そうですか」
ヴァンは内心で口角を吊り上げたが、表面上は穏やかな微笑を崩さない。
「諜報の世界では多少知られた名でしてね。ノストラのスパイです。先日、軍情局が帝都で捕縛しました。その男が吐いた供述の中に――」
ヴァンは目を細め、リヒャルトの瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「リヒャルト少佐。あなたの名前がありましてね」
重苦しい沈黙が応接室を支配した。
リヒャルトの暗金色の瞳の奥で、明らかな『動揺』と『殺意』が渦巻くのが見えた。感情を殺そうとしているが、隠し切れていない。
「……間諜の戯言を信じるというのか」
「ええ、まさか」
ヴァンは軽く肩をすくめた。
「先方の証言だけで帝国軍の将校殿を動かせるはずがない。上には、まだ上げてない。今はな」
リヒャルトの表情から、わずかに緊張が解けた。――代わりに、冷徹な計算がその目に宿る。
「……何が目的だ」
「誤解を解きたかっただけです。もし本当に無関係であれば、正規のルートで申告されることをお勧めします。先手を打てば証明になる」
ヴァンは立ち上がった。
「お時間をいただきありがとうございました。パーツの箱は置いていきます。リヴィア嬢によろしくお伝えください」
踵を返す。
その瞬間、リヒャルトの声が低く響いた。
「待て。貴様は、このまま帰れると思っているのか?」
応接室の奥の扉が開き、重武装の私兵たちが五人、一斉に雪崩れ込んできた。
リヒャルトは立ち上がり、演説でも打つかのように声を張り上げた。
「帝国軍将校に対する名誉棄損、軍務に対する干渉、さらには敵国諜報員との癒着! ヴァン・ラーク、貴様にはここで事情を聴取する必要がある。本官の目の前で、一歩でも動いてみろ!」
ヴァンは一歩だけ足を止めた。
(まさか、このまま手を出すのか?)
ヴァンは振り返ることなく、魔力回路を脚部に集中させた。
踏み込む――ガラスが弾けた。夜気が顔を打つ。
「逃がすなッ!」
背後の怒号を置き去りにし、ヴァンは庭の木々を蹴り渡り、高い外壁の石の継ぎ目に足をかけて一気に跳躍した。
タッ、と夜の石畳に音もなく着地する。膝への衝撃は魔力で殺した。
「ヴァン」
すぐ傍らの暗がりから、シンカクが姿を現した。その視線は、壁の向こうの喧騒に向いている。
「追手です。……排除しますか?」
その声には、感情も躊躇もない。ただのシステム的な事実確認だった。
「いや、必要ない」
ヴァンは上着の埃を払いながら、壁を見上げた。
「外じゃ動けない。あいつ、そういうタイプだ」
「了解しました」
シンカクは淡々と頷く。
ヴァンはぽつりと呟いた。
「名前を出しただけであの反応。まるで『俺がやりました』って看板背負ってるようなもんだろ」
「……あの襲撃か」
ヴァンは一瞬迷ったが。
「あの男を、殺しますか」
シンカクは淡々とした声で、極めて物騒な問いかけをした。
「いや。まだだ」
ヴァンは首を振る。
「あいつの背後に、まだ誰かいる。そっちを先に突き止めないと」
「わかった」
「帝都にいる限り、奴は逃げられない」
シンカクは一拍黙った。
「……了解」
それだけ言って、シンカクは壁の影に溶け込んだ。
ヴァンは夜の石畳を歩きながら、思考を整理する。
(証拠はない。だが、あの過剰な反応……完全にクロだ)
オグラの名前を出した瞬間の硬直。弁明ではなく即座の実力行使。無関係な人間の反応ではない。
(ここからどう動く? 奴は軍務総長の息子で、マルクス派との繋がりもある。下手に突けば返り討ちに遭うぞ)
翌朝。
ヴァンの私室のドアが、乱暴に叩き開けられた。
「旦那ァ! 若旦那ァ! 大変ですよォ!」
転がり込んできたのは、ワイルドだった。いつもの胡散臭い揉み手も忘れ、帽子を振り回してパニックになっている。
「朝から騒々しいな。どうした」
「リヒャルトが……昨夜のうちに、帝都から逃げやした!」
ヴァンは、飲んでいたコーヒーのカップを静かに置いた。
「……逃げた? どこへ」
「マルクス第一軍団長の駐屯地ですァ! 夜明け前に、側近だけ連れて馬を飛ばしたそうで……旦那、昨日あの屋敷で何かやらかしやしたかァ!?」
ワイルドの悲鳴のような報告を聞いて。
ヴァンは深く椅子の背もたれに寄りかかり――くくっと喉の奥で嗤った。
「……旦那?」
「いや。これ以上ないくらい『分かりやすい』馬鹿で助かったよ」
(あのプライドの塊のような男が、正規の弁明もせずに帝都を逃げ出した。自ら『俺が黒幕です』と叫びながら走っているようなもんだ)
ヴァンは静かにコーヒーを啜る。
「ここから動かなければ、オグラの自白という不確かな証拠しかなかった。だが、向こうから尻尾を巻いて逃げてくれたおかげで、完全なクロだと確定した」
「で、でも旦那! 第一軍団長様の駐屯地に逃げ込まれちゃ、手出しが――」
「むしろ好都合だ」
ヴァンの鋭い眼光が、窓の外のどんよりとした空を睨みつけた。
「奴一人の首ならいつでも取れたが、それじゃ割に合わない。第一軍団に逃げ込んだということは、マルクスもこの件に一枚噛んでいるか、あるいは奴を利用する気だということ」
(……なるほどな。これでリヒャルト個人の犯罪じゃなく、『派閥争い』に格上げできる。後ろに隠れている『大きな魚』を釣り上げる、最高の撒き餌になったわけだ)
【第五十二章・終】
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