第二十一章:父と子の夜話
第二十一章です。
久しぶりに、戦場ではない夜を書きました。
静かな食卓と、
月明かりの下の父と子。
派手さはありませんが、
物語の芯に触れる章になったと思っています。
帝都の貴族街。 整然と並ぶ豪奢な屋敷の数々。その一つが、ヴァレリアン家の邸宅だった。
高い石塀、重厚な鉄格子の門、そして広大な敷地。さすがはベルンハルト将軍の屋敷だ。
ヴァンが門をくぐると、前回来た時とは明らかに空気が違った。
広大な庭園の手入れをしている使用人たちが、ヴァンに気づいて足を止め、深々と一礼してくる。無視や値踏みするような視線ではない。むしろ、身内に対する丁寧な敬意だった。
「お帰りなさいませ、ヴァン様」
「すぐにお部屋へご案内いたしま――」
使用人の言葉を遮るように、屋敷の奥からパタパタと慌ただしい足音が響いてきた。
「兄さん!」
エレナが駆け寄ってくる。
彼女は、息を切らしながらヴァンの前に立った。
「ご無事だったのですね……!」
「ああ。大丈夫だ」
「本当に? 治安局で何かされませんでしたか? 乱暴されたり、脅迫されたり……」
「何もされてないさ」
矢継ぎ早に質問してくる妹に、ヴァンは苦笑しながら答えた。
「心配しすぎだ」
エレナはホッと胸を撫で下ろし、それからハッとして居住まいを正した。
「……そ、そうですか」
「治安局の者も、少しは弁えているようですわね。我がヴァレリアン家の人間を不当に扱うなど、許されるはずがありませんもの」
少しだけ、外行きの「氷の聖女」の顔に戻る。だが、その青い瞳は隠しきれない安堵と喜びに満ちていた。
食卓。
マホガニーの長いテーブルに、四人が座っている。
ベルンハルト、夫人のフリーダ、エレナ、そしてヴァン。
豪勢な料理が、次々と運ばれてくる。
エレナが、ヴァンの皿に肉を置いた。
「兄さん、たくさん食べてくださいね。家族なんですから。色々あって、お疲れでしょうから」
「いや、別にそんなに疲れては……」
ヴァンが言い終わる前に、今度は温野菜が追加された。続いて焼きたてのパン、そして濃厚なシチュー。
「おいエレナ、少し落ち着け。ヴァンの皿が溢れるぞ」
見かねたベルンハルトが苦笑交じりに嗜めた。
「あ……っ。も、申し訳ありません、お父様。私ったらつい……」
エレナは顔を赤らめ、お嬢様らしく淑やかに頭を下げた。
フリーダも、静かにヴァンの好物を彼の方へ押した。
「これも、どうぞ」
ヴァンは、小山のように料理が積まれた自分の皿を見た。
だが、不思議と悪い気はしなかった。
(……家族、か)
久しぶりだ。
こういう感覚。
シンカクと二人きりだった辺境での生活では、こんな賑やかな食卓はなかった。
黙々と腹を満たし、黙々と訓練する。それが日常だった。
家族という温もりを、ヴァンは今までよく知らなかった。だが、今はその意味が少しだけ分かる気がした。
食事が進む中、エレナが弾んだ声で話しかけてきた。
「学院では今、兄さんの話題で持ちきりなんですよ。先日の戦術研討会で見せた『幽霊の進軍』の戦術がすごかったって」
「そうか」
「あと、帝国戦棋のことも! みんな、あの『幽霊の進軍』を再現できる拡張パックが欲しいって言ってます」
彼女は目を輝かせて身を乗り出した。
「拡張パック……」
「はい! 絶対に売れますよ。早く作ってください!」
「考えとく」
ヴァンはシチューを飲み込み、ふと、あることを思い出した。
「そういえば……ここ最近、トラブル続きでまともに授業に出てないんですが。まさか、出席日数不足で退学、なんてケチなことは言われませんよね?」
その瞬間。
食卓の三人が、一斉にヴァンを見た。
ベルンハルトが、ゆっくりと口を開いた。
「……お前」
「はい?」
「私が誰だか、忘れたのか?」
ヴァンは一瞬、きょとんとした。
「私は後勤総長であると同時に、この軍事学院の『院長』だぞ」
ベルンハルトは呆れたように鼻を鳴らした。
「院長の養子であり、特待生のお前が出席日数ごときで退学になるわけがなかろうが」
「……あ、そういえばそうでしたね」
ヴァンが気まずそうに頭を掻くと、エレナとフリーダが再び楽しそうに笑い声を上げた。
和やかな夕食の時間が流れていく。
食後。
ベルンハルトが、立ち上がった。
「ヴァン。少し付き合え」
「はい」
ヴァンも立ち上がる。それを見て、エレナも慌てて立ち上がった。
「私も行きます……」
「お前は残っていなさい。ここからは、男同士の話だ」
ベルンハルトが即座に制した。
エレナの、表情が曇る。
ヴァンが、エレナの肩を叩いた。
「すぐ戻るから」
「……本当ですか?」
「ああ」
エレナはしぶしぶ頷き、席に戻った。
ヴァンは、無言で歩き出したベルンハルトの背中を追った。
屋敷の奥。庭に面した広い縁側。
夜空には、冷たい月が中天にかかっていた。
ベルンハルトは、年代物の酒瓶と二つのグラスを持ってきた。
「座れ」
「はい」
二人は縁側に並んで腰を下ろした。
ベルンハルトが背後の使用人たちに軽く手を振る。「下がれ」という合図だ。
使用人たちが静かに去り、完全な二人きりになった。
トクトクトク……。
琥珀色の液体がグラスに注がれる。
「まず、一杯だ」
「いただきます」
ヴァンはグラスを受け取り、二人で静かに乾杯した。
強い酒精が喉を焼く。
沈黙。
虫の音だけが響く中、ベルンハルトが口を開いた。
「……あの『幽霊の進軍』の戦術は、見事だった」
「ありがとうございます」
「世辞など言わん。冷酷だが、戦術としては芸術の域だ」
ベルンハルトは、月を見上げた。
「あれは、ワシの目を開かせた」
ベルンハルトは一拍置いて、続けた。
「大元帥も――」
「ええ。エレナから聞きました。『あの小僧は冷酷だ』と評価されたとか」
ヴァンが、遮った。
ベルンハルトは一瞬目を丸くし、そして豪快に笑い出した。
「カッハッハッ! お前ら、いつの間にそこまで筒抜けになったんじゃ」
「エレナは、いい妹ですから」
ベルンハルトは、親として純粋に嬉しそうに頷いた。
「あいつ、お前が治安局に連行されたと聞いた時、顔を真っ青にして飛んでいったぞ」
「……」
「もしワシが捕まったとしても、あそこまで慌てはせんじゃろうな……」
少しだけ拗ねたような、しかし温かい親心のこもった言葉に、ヴァンはグラスを傾けた。
「……ご心配をおかけしました」
「気にするな。家族とは、そういうものだ」
ベルンハルトは自分のグラスに酒を注ぎ足した。
二人はまた、黙って酒を煽る。
少しの沈黙の後。
ベルンハルトの纏う空気が、父親のものから「軍人」のものへと変わった。
「……本題に入る」
ヴァンも姿勢を正した。
「お前も薄々気づいておるじゃろう」
「ええ」
ヴァンは、まっすぐにベルンハルトの目を見た。
「ここ最近の出来事。ルートヴィヒの件も、今日の治安局の件も……すべて、俺を狙ったものです」
「そうだ。それも、ただの嫌がらせではない。軍の上層部が絡んだ、政治的な陰謀だ」
ベルンハルトは重々しく頷いた。
「だからこそ、お聞きしたいんです。俺は軍事学院の一学生であり、ヴァレリアン家の庇護下に入った。それでもなお、強引に俺を排除しようとする人間がいる。……相手は、もっと上の権力者なんでしょう?」
「……お前は、本当に状況が見えとるな」
ベルンハルトは深く溜息をつき、手元のグラスを見つめた。
「理由は、一つだ。お前の『出自』じゃ」
「出自……」
「お前は、あのフィロメラの息子だからだ」
その名が出た瞬間、夜の空気が一段と冷たくなった気がした。
ベルンハルトは、静かに言った。
「彼女は、帝国の魔導技術の先駆者だった。軍情局も、学院も……魔導回路でさえ」
「全部、あの女の影を引きずっている」
ヴァンの脳裏に、母が遺した『フィロメラのノート』の光景がフラッシュバックした。
科学と魔導の融合。高圧魔能の理論。あの常軌を逸した知識の数々。
もしかして、彼女も……
ヴァンは、慎重に言葉を選んだ。
「彼女は……帝国を、変えたんですか?」
「帝国だけの話ではない」
ベルンハルトは、月光を反射するグラスを見つめたまま答えた。
その声は低く、重い。
「世界の均衡を、揺らした」
たった一人で。
その言葉の重みに、ヴァンは息を呑んだ。
(母がすごい人だとは思っていたが、まさかここまでの人物だったとは……)
ベルンハルトはグラスを置き、ヴァンの目を鋭く射抜いた。
「シンカクは、帝都を離れておるな?」
「……え?」
ヴァンは一瞬、戸惑いを見せたが、嘘をついても無駄だと悟り、頷いた。
「……はい」
「やはりな。シンカクが傍におらぬ今、お前は無防備すぎる。連中にとって絶好の隙だ」「だから、危険だ」
ベルンハルトは、酒を飲んだ。
「明日から、ワシが直属の護衛をつける。憲兵隊の中から、信頼できる腕利きを選抜してな」
「だが。常に守ってやれると思うな。軍も、ワシも、永遠ではない」
「いや、それは……」
「お気遣いはありがたいですが、憲兵がゾロゾロついて回るのは目立ちすぎます。それに、俺にはアイリという……」
「あの亜人の娘一人では足りない」
ベルンハルトが、遮った。
ヴァンは、固まった。
「……知ってたんですか。アイリのこと」
「当たり前じゃ」
ベルンハルトは呆れたように肩をすくめた。
「お前は確かに賢い。だが、帝都はお前が思うより複雑だ、秘密を守るのは、難しい」
ヴァンは夜空を仰ぎ見て、深く、深く溜息をついた。
「……俺、ただ学校に来ただけなんですけど」
「なんでこんなことに……」
心からの愚痴に、ベルンハルトは堪えきれずに吹き出した。
「カッハッハッ! 全くだ!」
だが、その笑い声はすぐにスッと消えた。
彼は再び月を見上げ、懐かしむように目を細めた。
「……その点では、お前は彼女とは違うな」
「母と?」
「彼女も、お前みたいに考えてくれていたら」
「もしかしたら……」
言葉は、そこで途切れた。
ベルンハルトはそれ以上語らず、ただ黙り込んだ。
ヴァンは養父の横顔を見た。
(何か、隠している)
母の死に関わる、何かを。
「……院長」
「ん?」
「母は、本当はどんな人だったんですか?」
ベルンハルトは答えなかった。
ただ、グラスに残った酒を一気に飲み干すだけだった。
長い、沈黙。
これ以上ストレートに聞いても、この頑固な老兵は口を割らないだろう。
ならば。
「……義父上」
ヴァンは立ち上がった。
「帝国戦棋、やりましょうか」
「……何?」
突然の提案に、ベルンハルトが目を丸くして振り返る。
「俺、あなたに挑戦しますよ」
ヴァンはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「酒も入ってますし、盤上で熱くなったら……もしかして、気が大きくなって何か『口を滑らせちゃう』かもしれませんからね」
ベルンハルトは呆気に取られた顔をし、それから可笑しくてたまらないというようにヴァンを指差した。
「お前という奴は……本当に、食えない小僧だ」
ベルンハルトの顔に、好戦的な笑みが浮かぶ。
「いいだろう。そこまで言うなら、軍事の何たるかを盤上で叩き込んでやる。盤を用意しろ」
「ええ。手加減はしませんよ」
ヴァンは頷き、盤を取りに部屋へと向かった。
一人縁側に残されたベルンハルトは、空になったグラスを傾けながら、小さく、誰に聞こえるでもなく呟いた。
「……本当に、お前は彼女と違うな。ヴァン」
冷たい月明かりが、静かに老兵の横顔を照らしていた。
その表情は、まるで――
遠い昔を、懐かしむように。
【第二十一章・終】
第二十一章までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、家族の時間と、
そして少しだけ帝国の影を描きました。
物語は、少しずつ本題に近づいています。
もし続きが気になりましたら、
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これからもよろしくお願いいたします。




