第九十八章:砲雨
包囲殲滅と言えば「全部囲んで一気に潰す!」みたいなイメージがありますが、演習だとそう単純でもありません。
なので今回は、完全包囲したあとに“砲撃で圧殺する”形になりました。
……まあ、囲まれた側からすると、たぶん違いはあまりありません。
――あれから、まだ十分も経っていない。
コーマンは、氷のように冷え切った思考で、その絶望的な事実を噛み締めていた。
ほんの、十分間だ。
十分前まで、自分たちはヴァン・ラークの防線を穿つ寸前だったのだ。圧倒的な暴力で、あと一歩で敵将の首に手が届くはずだった。
だが、陣形が歪んだ。
両脇を締められた。
退路を塞がれた。
そして今、こうなっている。
四方八方。視界のすべてが、不気味な赤い光に満ちていた。
だが、彼らはただの死体ではない。
発光した兵士の周囲には防護用の障壁が展開され、彼らはその場から動くことも、離脱することもできない。踏まれても死なない、馬が踏み越えても骨一本折れないという絶対的な保護。
それが、皮肉にも最悪の障害物と化していた。
発光する「死体」が折り重なり、まるで赤い光を放つ低い壁のように周囲を埋め尽くしている。
もはや自軍の兵か、敵軍の兵かすら判然としない。
生き残った者たちは、その壁につまずき、足を絡めとられ、陣形をさらに圧縮していく。
ギュンターは、しばらく黙っていた。
コーマンも黙っていた。
二人とも、幾度もの死線を潜り抜けてきた実戦派の男だ。パニックなど起こさない。だが、目の前の絶望的な盤面を前に、言葉を失っていたのは事実だった。
「――慌てるな!!」
ギュンターが、腹の底から怒声を飛ばした。
「ヴァン・ラークの首はすぐそこだ! 全軍、正面突破! このまま力で叩き潰せ!!」
だが、怒号は虚しく宙に消えた。
すぐに気づいた。
誰も動けないのだ。動こうとしているが、物理的に動けない。
致命的なまでの、過剰密集。
漏斗型に押し込まれた陣形は、今や身動き一つ取れない肉壁の塊だった。
肘を上げようとしても、隣の兵の鎧にぶつかる。
剣を振ろうとしても、刃を引く空間すら存在しない。
呪文を詠唱しようにも、呼吸をするための胸の膨らみすら圧迫されていた。
「だ、駄目です! 魔法が……詠唱できません!」
「間合いが取れない! 味方の背中しか見えない!」
「……押されてるだけで動けない……!」
前へ進もうとする後方の圧力と、「死体」の壁に挟まれ、帝国軍は敵軍の推進と自らの重みで自壊し始めていた。
ギュンターがギリッと歯を食いしばる。
「……最初から、こういうつもりだったのか」
低く、しぼり出すように呟いた。
「ギュンター殿」
コーマンが静かに、事実だけを告げる。
「このままでは、ただすり潰されて消耗するだけです」
「強化魔法で強引に突破するか」
「……あるいは、友軍への被害を無視してでも、前へ出るか」
ギュンターは一瞬だけ考えた。本当に一瞬だけ。
彼の中で、ひとつの覚悟が決まった。
「――コーマン。指揮を代われ」
「……ッ! ギュンター殿!?」
ドスのきいた声で、言い切った。それは、生還を放棄した特攻の宣言に他ならなかった。
「全軍聞けェ!!」
ギュンターの声が戦場を揺らす。
「俺が道を切り拓く! ランクB以上の兵士、跳べ! 俺に続いてヴァン・ラークの中軍へ直接飛び込み、陣形ごと叩き斬れ!!」
だが、この密集状態では、まともに助走をつけることすら不可能だ。ランクBの兵士たちは、足元に広がる魔力泥濘に足首まで埋まり、一歩も動けない。
「閣下……ッ! 脚が沈んで、跳べません!!」
絶望に満ちた部下の声。
コーマンの目が、かっと見開かれた。
(泥濘は、突撃の速度を遅らせるためだけではなかったのか。跳躍による奇襲すら封じるための……!)
だが。
指揮官たるギュンターには、まだ「足場」があった。
ギュンターは自らの軍馬の鞍の上に立ち上がり、残存する全魔力を脚部に集中させた。
「おおおおおおおッ!!」
ギュンターの巨体が宙へ弾け飛んだ。
Aランクが誇る、理不尽なまでの身体強化。
重い鎧を纏ったまま、一気に七メートルもの高空へ躍り出る。
眼下にはヴァン・ラークの中軍。
人の波の向こうに、憎き指揮旗が見える。
あそこだ。あいつだ。あの首さえ獲れば――!
空中にいるAランクの魔力反応は、白昼の平原で松明を掲げるに等しい。巨大な標的だ。
ヴァン軍の索敵網が、一瞬でギュンターを捕捉した。
(――獲った)
ヴァンの中軍後方から、無数の閃光が走った。
一つではない。
二つ、三つ、十、二十――!
「ッ――!」
マズい、とギュンターが本能で悟った瞬間。
空を切り裂く轟音。
バシュッ――! ゴォン――!! ドン、ドン、ドンッ――!!!
火球。氷錐。光刃。
集中砲火が、頭上のギュンターへ向かって一斉に放たれた。
大方陣の魔力砲撃戦において、突出した個の武力は「的」に過ぎない。だからこそ陣形が必要なのだ。ギュンターはそれを、身をもって理解した。
「舐めるなァァァ!!」
ギュンターは空中で大剣を振るう。
直撃コースの火球を一刀両断し、光刃を強引に弾き飛ばす。Aランクの力は伊達ではない。魔法の殺傷力自体は相殺できる。
――だが。
「……ぐっ、おおおッ!?」
魔法には熱や刃だけでなく、質量と運動エネルギーがある。
爆発の衝撃をいくら受け流しても、空中に足場のないギュンターは、連続被弾の勢いを逃がせなかった。
前へ進む推進力が、空中で完全に殺された。
「クソがァァァ……ッ!!」
ギュンターの巨体が、推進力を失い、空から重力に従って落下する。
落ちた先は、身動きの取れない味方の人の波の中だった。
「ギュンター殿!!」
「どけ! どけどけどけ――!」
「駄目です、動けない! 詰まって――」
周囲の兵が揉みくちゃにされながら、落下してきた指揮官を助け起こそうとする。
無駄だ。押し返すほどの空間が、どこにもない。
ギュンターの特攻は、ただ味方の密集をさらに悪化させただけで終わった。
そして、指揮官を失ったコーマンは気づくことになる。
戦いが事実上止まっているという、最大の錯覚に。
密集し、身動きが取れず。
――だから誰も気づかなかった。
魔法が、上から来ることに。
ヒュゥゥゥゥ――……
最初は、ただの風の音だと思った。
次の瞬間。
ドン。
ドドドドドドドン――!!!!
巨大な火の塊が、頭上の死角から雨のように降ってきた。
「な――!」
「上からっ!?」
「馬鹿な! 魔法は直線にしか飛ばないはずだ!! どうして壁を越えてくる!!」
帝国軍の常識が崩壊する。
人いきれの中では、空に向かって防護結界の詠唱位置すら取れない。
密集した体で、かろうじて魔力強化した肉体で、頭上から降り注ぐ爆撃の直撃をただ受け続けるしかなかった。
「なぜ曲がる……なぜ魔法が曲がって落ちてくる……!!」
コーマンは絶望に歯噛みした。
魔法は直進する。それがこの世界の理だ。誰もその答えを持っていなかった。
少し離れた場所で。
ヴァンは退屈そうに、自陣の魔導師たちへ指示を出していた。
「次の班、準備」
ヴァンが静かに言う。
「三人が火球を一点に合わせろ。四人目は射出の瞬間、横から風場を作れ。さっきと同じだ」
「は、はい!」
四人一組のチームが動く。
三人の術者が火球を一点に集め、圧縮する。パンッ、パンッ、パンッ――三つの魔力が一つになり、直径一メートルを超える巨大な火炎弾となる。
そして発射の瞬間、四人目が横から強烈な風の魔法を叩きつけた。
魔力の風が、火球の表面を包み込む。
回転が始まる。
直進するはずの軌道が、空気の抵抗を受けて緩やかに弧を描いた。
まるで、巨大な投石機のように。
放物線を描いた火炎弾は、味方の陣形の頭上を軽々と飛び越えた。
ヴァンは、空を切り裂く火球を見上げながら、心の中だけで独り言ちた。
(『マグヌス効果』。回転する球の軌道が曲がるのは、流体力学の基本だ。まぁ、こっちの連中に言っても通じねぇけどな)
「次」
「次」
「次」
ヴァンから発せられる淡々とした命令だけが、阿鼻叫喚の地獄へと変わっていく平原に、無慈悲に響き続けていた。
【第九十八章・終】
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