第九十三章:負けてやる義理はない
上層部は人命を数字として扱い、若い兵士たちは「戦争とはそういうものだ」と教え込まれている。
ある意味では、とても帝国らしい構図です。
ただ、ヴァンはあまりそういう割り切り方ができる人間ではありません。
だからこそ最後の、
「大人しく負けてやる義理はない」
「……現在の部隊の編制を教えてくれ。俺に直接報告を上げるのは誰だ」
ヴァンが口を開いた瞬間、周囲を取り囲んでいた士官たちの熱気が、すっと引いた。
ただの学生ではない。
命令を出す側の声だった。
状況を切り分ける、仕事の声だった。
尉官たちが顔を見合わせ、すぐさま散っていった。
数分後。
ヴァンの前に、五人の将校が整列した。
やはり、若い。
二十四、五といったところか。帝国軍の幹部としては異例の若さだ。
「魔導兵大隊長、クレメンスであります」
「魔導兵大隊長、ハルトマンであります」
「重装歩兵大隊長、ゾンマーであります」
「重装歩兵大隊長、ファウストであります」
「騎兵大隊長、リンクであります」
名乗り終えた五人の背筋は、見事なくらいに固かった。
順番に、短く所属と名を名乗る。
先ほどの浮き足立っていた尉官たちとは違い、この五人の声には確かな緊張が混じっていた。
直属の指揮官に対峙する時の、真っ当な緊張感だ。
「隊の状況は把握しているか」
「は。各大隊、点呼と装備確認は完了しております」
「士気は」
「問題ありません」
クレメンスが背筋を伸ばして答えた。
声は落ち着いていたが、緊張のせいか、目の端がわずかに泳いでいた。
(まあ、実務の最低限の合格点というところか)
ヴァンは五人を改めて眺め、静かに問いかけた。
「少し聞かせてくれ」
「……はい」
「お前たちは、どういう経緯でこの部隊に配属された?」
ファウストが少し考え込んでから答えた。
「軍学校の図上演習で、比較的成績が良かった者が集められた、と聞いております」
「実戦経験は?」
「……ありません」
ゾンマーが、少しだけ声を落として言った。
「五人全員か?」
「おそらく、は」
ヴァンは軽くうなずき、さらに核心を突いた。
「麾下の兵士たちも同じか」
「は。ほぼ全員が学校上がりで、訓練所を出たばかりの者も多いです」
短い沈黙が落ちた。
その沈黙に耐えかねたのか、リンクがほんの少し肩の力を抜いて言った。
「あの——率直に申し上げてよろしいですか」
「どうぞ」
「ヴァン・ラーク閣下が指揮を執るなら、我々は必ず勝てると——兵たちは皆、そう信じています」
言ってから、彼は少し照れたように付け足した。
「もちろん、我々大隊長も同じ気持ちです」
他の四人も、力強く小さくうなずいた。
それから、ハルトマンが「あ」と思い出したように顔を上げた。
「——報告の不備、申し訳ありません! 敵情についてですが、我々はまだ何も知らされておりません。敵の状況はどうなっていますか」
「一万だ」
「は?」
「敵は増強旅団、総兵力一万。俺たちの倍だ」
五人が、思わず顔を見合わせた。
クレメンスが困ったように頬を掻いた。
「……それは、また。随分な数ですね」
「まあ、でも」
ハルトマンが苦笑しながら言葉を継いだ。
「ヴァン閣下が指揮を執ってくださるなら、なんとかなるんじゃないですかね」
随分と呑気な声だった。
絶望的な兵力差を聞かされたというのに、悲壮感はない。
それは根拠のない自信というより、もっと単純で、質の悪いものだった。
「一つ聞いていいか」
ヴァンは彼らの楽観を切り裂くように、低い声で尋ねた。
「お前たちの同期や知り合いで、他にこの演習に動員されている者はいるか? 別の部隊に回されたとか、何か噂を聞いているか」
五人が考え込んだ。
しばらくして、リンクが首を振った。
「……いないと思います。我々の世代で優秀とされた者は、おそらく全員、ここに集められています」
他の四人も、同意するようにうなずいた。
(なるほどな)
ヴァンは内心で状況を組み立てていた。
全員、ここに集められた。つまり、敵軍の一万の中に新兵は混ざっていない可能性が高い。
(相手は正規軍の練度を持った一万。対するこちらは、実戦経験ゼロで指揮系統もガタガタの五千。……殺しに来ているな、完全に)
「明日、戦闘だ」
ヴァンが告げると、五人は同時に「は!」と踵を鳴らし、部隊へ戻ろうとした。
「待て。もう少しいいか」
踵を返しかけた五人の足が止まった。
ヴァンの視線が、彼らを射抜く。
「怖くないか」
少しの間があった。
不意を突かれたような顔をした後、クレメンスが答えた。
「演習ですから」
「演習の中で勇敢なところを見せれば、上層部の目に留まります」
ハルトマンが誇らしげに続けた。
「怖い、という感覚は——正直、あまりないです」
「そうか」
ヴァンはうなずいた。
「では、これが本物の戦場ならどうだ」
今度は、長い間があった。
彼らの顔から、少しだけ「学生」の甘さが消えた。
「……怖いとは、思います」
ゾンマーが、絞り出すように言った。
「でも——帝国のために敵を倒せるなら」
「評価も、勲章も、ついてくるかもしれません」
ファウストが、教科書通りの真面目な顔で言った。
「軍人として、それが当然の役目だと思っています」
リンクが最後に、静かに締めくくった。
「実戦となれば、死ぬ者も出るでしょう。ですが……戦というのは、そういうものだと教わりました」
誰も、それに反論しなかった。
当然のことを言うような、淡々とした口調だった。
誰も、その「犠牲」を疑っていなかった。
「そうか」
ヴァンは短く言った。それ以上は何も問わなかった。
「全員、部隊に戻って整列させろ。俺が直接話をする」
「は!」
五人が散っていった。
ヴァンは一人になった。
平原を、乾いた風が吹き抜けていく。
五千の兵が、あちこちで集まり始めていた。
隊列を作ろうとしているのか、うまくいっていないのか、あちこちで若い声が飛び交い、右往左往している。
(負けても、別にいい)
最初はそう思っていた。
この演習の意図なんて、最初から透けて見えている。
理論ばかりのヴァン・ラークを実戦の泥沼に引きずり出して、兵力差で叩き潰す。
善戦すれば宣伝に使い、惨敗すれば机上の空論だったと切り捨てる。
どちらに転んでも、上層部には都合がいい。
(分かってる。権力者の盤面に乗せられるのは、受け入れてもいる)
だが。
先ほどの大隊長たちの顔が、言葉が、ヴァンの頭の中で反響していた。
もっと言えば、今この瞬間も、無邪気に隊列を組もうとしている五千の若い兵士たちの顔が。
彼らは戦場に出れば、勇猛に突っ込んでいくだろう。
帝国の『力こそ正義』という狂った信仰に従って。
上官の『死地に赴け』という命令に従って。
そして、そのうちの何割かは、二度と戻ってこない。
栄光と信仰を胸に突撃し、なんの疑問も持たないまま、平原の泥の中に沈んでいくのだ。
『戦とはそういうものだ』と、自分自身を納得させながら。
その無垢な命の消費を。
コルネリアのような安全圏にいる上層部の人間が、自分の政治的算段のためだけに使い捨てにする。
彼らにとって、末端の兵士などただの『数字』だ。
目的のためなら、味方すら背後から刺す。
(ブルーノ。ディーター)
ヴァンの脳裏に、路地裏で死んでいった二人の顔が浮かんだ。
彼らもまた、コルネリアの冷酷な算段によって、理不尽な伏兵の前に散った。使い捨ての駒として。
(——腹が立つ)
理屈じゃない。
もっと単純で、もっと腹の底に来る種類の怒りだった。
命を数字としか見ない連中にも。
死ぬことを「当然の役目」だと教え込まれている若い兵士たちにも。
そして何より、その理不尽な盤面で、大人しく負けてやろうとしていた自分自身にも。
ヴァンは長く、熱い息を吐いた。
軍服のポケットに突っ込んでいた両手を引き抜く。
前方に目を向ける。
五千の兵が、ようやく整列し、こちらを見つめていた。
若い顔が並んでいる。
緊張している。期待している。
(大人しく負けてやる義理は、ない)
【第九十三章・終】
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