第一篇 生い立ち
剣をもって勝ち、言葉をもって結び、三つの国を一つの冠の下に収めた王、講和王レオドール・アルデン三世。その御代の威光を、ここに伝える。
第一篇 生い立ち
講和王レオドール・アルデン三世が生まれたころ、オルデ川の流れる土地は三つの国に分かれていた。中央から西の平原を治めるアルデン王国、南方を治めるサルメア王国、東方から湖水地方を治めるリンドガル王国である。三国はオルデ川を分け合い、川を上り下りする舟から取る関銭と、街道の関所と、ウルの湖から川へ落ちる水とをめぐって、百年あまり争っては和し、和しては争ってきた。
争いの始まりは、王国歴1151年にリンドガルがウルの湖の落ち口に堰を築いたことだとされる。湖の水を舟運のために高く保つ堰で、下流のアルデンとサルメアの水はそれで減った。1176年にはサルメアが南の塩の街道に関所を三つ増やし、アルデンが兵を出した。1198年、三国はカルデの講和を結んで川の関を三国で等しく取ると定め、この和約は二十年あまり保った。1222年に和約が破れると川の関は再び三重になり、以後、小さな戦と和しが交互に続いた。川を下る一つの荷が三度も四度も関銭を取られるのは、このころからの習いである。
レオドールは1219年の花冠の月、アルデンの都の城丘に生まれた。祖父レオドール一世の治世の終わりのころで、父は王太子レオドール、母は西の平原の伯家の娘マティルデである。三つ上に兄アルブレヒトがいて、兄が王太子の跡を継ぐ筋であったから、レオドールは生まれたときに王になる筋の子ではなかった。1228年、祖父が崩御して父がレオドール二世として即位した。レオドールは九歳だった。
1231年、アルデンとサルメアは和約を結んだ。和約には人質の取り交わしが定められ、アルデンからは王の次男、サルメアからは王の甥が、互いの宮廷に三年のあいだ置かれることになった。十二歳のレオドールはこうしてサルメアの都に送られ、サルメア王エステバンの宮廷で三年を過ごした。宮廷では王子ロデリクと同じ学士について学んだ。ロデリクは二つ上で、のちにサルメアの王となり、中洲の卓にレオドールと向かい合って座ることになる人である。学んだのは南の言葉と文字、算術、三国の古い法だった。初めの一年、レオドールは学士の言うことの半分しか分からず、二年目には南の子らと同じ速さで答え、三年目には学士がロデリクに向かって、北の子に負けるな、と言うようになった。伝はこう記す。王はサルメアで南の言葉を自分の言葉のように学んだ。二十五年ののち、王が通詞を岸に残して卓に着けたのは、この三年があったからだと伝は記す。
サルメアの宮廷には古くから書庫があった。のちに学府が開かれる前のことで、まだ学士の数人が守る部屋にすぎなかったが、三国の約定の写しはここにそろっていた。レオドールはカルデの講和の条文を書庫で読み、川の関を三国で等しく取るという一条を諳んじた。人質の子がよその国の書庫で約定を学ぶことを、学士は止めなかった。
1234年、和約は破れた。サルメアの宮廷には、アルデンの人質を留め置いて戦の切り札にすべきだという声があった。十五歳のレオドールはエステバン王に目通りを願い、南の言葉で、自分は自分の足で帰るので、王が礼を破ったと言われずに済む、と言った。王は笑い、護衛をつけて国境までレオドールを送らせた。伝はこのことを長く記し、講和王がのちにサルメア王家を滅ぼさなかった理由の一つに数えている。
都に戻ったレオドールは兄アルブレヒトのもとで軍儀を学び始めた。父王は次男を川の舟手に付けた。舟手はオルデ川の舟を扱う軍で、渡しを守り、関を守り、川を上り下りする荷を検める。兵の数は多くない。舟の数で戦う軍である。川を知らなければ役に立たず、川を知っていれば平原の騎兵より速い。レオドールは七年を舟の上で過ごし、都から河口までの渡しの名を舟手の子のように諳んじた、と伝は記す。櫂を取ることも覚えた。関の帳を読むことを覚えたのもこのころで、どの渡しで何の荷が幾度関銭を取られるかを、帳の上で知った。平原の麦が高いのは麦が足りないからではなく、麦の舟が三度止められるからだ、と若いレオドールが父王に言った、という話を伝は載せている。父王は何も答えなかったが、次の年から舟手の帳を城丘に上げさせるようになった。
1241年、リンドガルとの戦があり、ハルデの渡しで王太子アルブレヒトが戦死した。渡しを押さえようとして東の岸に上がったところを、岸の柵の陰にいたリンドガルの兵に囲まれたのである。兄の舟を岸に着けたのは弟の舟手だった。レオドールは二十二歳で王太子となった。伝は王が兄の死を長く悼んだと記す。ハルデの渡しの名は十二年ののちに再び伝に出てくる。
1245年、二十六歳のレオドールは北の辺境の伯家の娘アデライドを妻に迎えた。南でも東でもない家から妻を取ったのは父王の考えで、三国のどちらにも縁を作らないためだったと伝は記す。1247年、父レオドール二世が崩御し、レオドールは二十八歳で即位してレオドール三世となった。即位の年、王は川の舟手を立て直し、都の穀倉を三つ増やした。戦の備えと見た者が多かった。だが王はそれから六年、戦をしなかった。




