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第2話 英雄の名前

王都。


その言葉から、もっと華やかな場所を想像していた。


もちろん、実際に華やかではある。


高い城壁、石畳の大通り。

道の両側には何階もある建物が並び、行き交う馬車と人の数は、私がこれまで見てきた町とは比べものにならない。露店からは威勢のいい声が飛び交い、見たこともない品物が店先に並んでいる。遠くを見上げれば、建物の向こうに王城の尖塔まで見えた。


「すごい……」


思わず声が漏れる。


これが、王都。


十年前。

あの日から、ずっと目指してきた場所。


私は胸の前で、ぎゅっと拳を握った。


ここなら。ここまで来れば、きっと。あの人のことが分かる!


長い赤い髪。

白いマント。


十年前の《大スタンピード》で、私とお母さんを助けてくれた女騎士。


名前も知らない。

所属も知らない。

今も騎士をしているのかさえ分からない。


分かっていることなんて、本当にそれくらいしかない。


それでも。


「絶対、見つける」


私はそう呟いて、王都の大通りを歩き始めた。


まず向かったのは、冒険者ギルドだった。


騎士団へ直接行くことも考えたけれど、名前も所属も分からない人をいきなり探してほしいと言って、相手にしてもらえるか分からない。


それなら、まずは人が集まる場所で情報を集めた方がいい。


冒険者なら各地を旅している人も多いし、何か知っている人がいるかもしれない。


それに、これから人を探して各地を回るなら、冒険者登録もしておいた方が便利だろう。


そう考えて、私は冒険者ギルドの扉を開いた。


中へ入った瞬間、ざわめきが耳に飛び込んできた。


掲示板の前で依頼書を眺める冒険者。

昼間から酒を飲んでいる大男。

大きな剣を背負った女性。


奥にはいくつもの受付が並んでいる。


少し圧倒されながら、その中の一つへ向かった。


「いらっしゃいませ」


受付にいたのは、銀色の髪をした女性だった。


私より少し小柄だろうか。


柔らかな雰囲気ではあるけれど、書類を扱う手つきには迷いがない。


「あの、人を探しているんです」


「人探しですか?」


「はい!」


受付の女性がこちらを見る。


「どなたをお探しでしょう?」


「それが……名前が分からなくて」


「…………はい?」


一瞬だけ、受付の女性の動きが止まった。


「名前が……分からない?」


「はい」


「所属は?」


「分かりません」


「出身地は?」


「分かりません」


「現在どこにいるかは?」


「分かりません!」


「…………」


……何かおかしなことを言っただろうか……。


受付の女性が、わずかにこめかみを押さえた。


「……では、何が分かるんですか?」


「赤い髪です!」


「赤い髪?」


「長い赤い髪の女の人で、白いマントを着けていました。それから、騎士みたいな服を着ていて、剣を使っていて――」


そこまで言ってから、私は少し考える。


「すごく強い人です!」


「あのぅ……もう少し、具体的な情報はありませんか?」


「あります!」


十年前。


《大スタンピード》。


お母さんを助けてくれたこと、私を安全な場所へ逃がしてくれたこと。


そして最後には、一人で上位個体のところへ向かっていったこと。


覚えている限りのことを、私は一気に話した。


受付の女性は途中から口を挟まず、最後まで聞いてくれた。


「なるほど……十年前ですか……」


「はい」


彼女は少し考え込み、そして申し訳なさそうに


「すみません。私もここではまだそれほど長くありませんので、それだけ前となると……当時のことまでは詳しくなくて」


「そうですか……」


少しだけ肩が落ちる。


「ただ、その方が本当に騎士だったのなら、騎士団の方に記録が残っているかもしれませんよ」


と、そんな私を見た受付の女性が励ますように教えてくれた。


「騎士団……!」


顔を上げる。


「王都には騎士団の詰所があります。《大スタンピード》ほどの出来事なら、当時の派遣記録も残っている可能性がありますよ」


「本当ですか!?」


「ええ。場所は――」


受付の女性が道順を教えてくれる。


絶対に忘れないよう、私は何度も頭の中で繰り返した。


「あ、それと。申し遅れました。私、このギルドで受付を担当しております――」


十年前の騎士団の記録。


もしかしたら……。


ついに、あの人の名前が分かるかもしれない!


どんな名前なんだろう。


今も騎士をしているんだろうか。


もし会えたら、最初になんて言おう。


やっぱり、まずはお礼を――。


「――あの……あの! 聞いてます?」


「――はいっ!?」


はっと我に返った。


目の前で、銀髪の受付嬢がじっと私を見ている。


「……聞いてませんでしたね?」


「き、聞いてました!」


「…………」


「…………」


はぁ。


小さなため息をつかれた。


「まあ、いいです」


なぜだろう。


初対面なのに、少し呆れられている気がする。


「ええ。先ほど説明した通り騎士団の詰所でしたら――」


「ありがとうございます!」


「あ、ちょっと――」


私は勢いよく頭を下げ、そのままギルドを飛び出した。


騎士団……騎士団の詰所なら。


今度こそ、あの人のことが分かるかもしれない!



◆



教えてもらった騎士団の詰所は、大通りから少し離れた場所にあった。


入口に立っていた騎士に事情を説明すると、しばらく待つように言われる。


やがて、一人の若い騎士が出てきた。


「十年前の《大スタンピード》に参加していた騎士を探している、と」


「はい」


「名前は不明」


「……はい」


「所属も不明」


「……はい」


「……はぁ……よくそれで探そうと思ったな」


「すみません……で、でも、絶対に会いたいんです!」


そう答えると、若い騎士は少しだけ目を丸くした。


「……分かった分かった。とりあえず調べてみるよ」


古い記録を確認してもらう。


十年前に起きた《大スタンピード》。


赤髪の女性騎士で白いマント。


上位個体への単独行動。


若い騎士は何冊もの記録をめくり、時折、別の資料と照らし合わせていった。


けれど……。


「……おかしいな」


「何かありましたか?」


「あ、いや……」


若い騎士が眉を寄せる。


「《大スタンピード》の派遣記録自体は残ってる。でも、君の話に当てはまりそうな騎士が見つからないんだよね」


「そんな……」


胸が沈む。


やっぱり……十年も前のことだから、もう、分からないのだろうか。


その時だった。


「さっきから何を調べてる?」


奥から声がした。振り返ると、年配の騎士がこちらへ歩いてくるところだった。


「十年前の《大スタンピード》です。この子が当時助けてもらった騎士を探しているそうで」


「ほう」


年配の騎士が私を見る。


「どんな騎士だ?」


私は、もう一度説明した。


長い赤髪の女性で白いマントを羽織り、剣を振るう騎士で私とお母さんを助けた後、一人で上位個体へ向かった人の話をした。


話が進むにつれて。


年配の騎士の表情が変わっていった。


「おい……白いマントと言ったか?」


「はい」


「間違いないのか?」


「絶対に間違えません」


あの背中を忘れるはずがない。


年配の騎士は、しばらく私の顔を見ていた。


やがて、小さく息を吐く。


「……そうか」


そして。


「メアリー・レオンハート」


「……え?」


「お前が探している騎士の名前だ」


時間が止まったような気がした。


メアリー。


その音が、頭の中で何度も繰り返される。


「メアリー……」


十年間。


ずっと知りたかった。


何度思い出しても、何度夢に見てもそこだけが分からなかった。


「メアリー・レオンハート……」


口にしてみる。


胸の奥が、じんわりと熱くなった。


やっと……やっと、名前を知ることができた。


「間違い……ないんですか?」


「ああ」


年配の騎士は頷いた。


「おいおい、長い赤髪で白いマント。《大スタンピード》で上位個体へ一人で向かうような女なんぞ、そう何人もいてたまるか」


少し呆れたような言い方だった。


でも、私にはそんなことはどうでもよかった。


「メアリー……」


嬉しい。


ただ名前を知っただけなのに、それだけなのに。


十年間、ぼんやりとしか見えなかった背中が、少しだけ近づいたような気がした。


「当時は《緋色のメアリー》とも呼ばれていた」


「緋色の……?」


「《スカーレット・メアリー》だ」


「スカーレット・メアリー……!」


思わず声が大きくなる。


二つ名まである。


やっぱり。


やっぱり、すごい人だったんだ。


私の英雄は。


本当に、英雄だった。


「それで! 今はどこにいるんですか!?」


「それは……」


年配の騎士が、わずかに言葉を濁した。


「分からん」


「え?」


「少なくとも、今の騎士団には所属していない」


「そんな……」


胸の奥に浮かんだ喜びが、ほんの少しだけしぼむ。


でも。


すぐに顔を上げた。


ここまで来たんだ。


十年間、名前すら知らなかった人の。


名前が分かった。


メアリー・レオンハート。


それだけでも、昨日までとは全然違う。


「ありがとうございます!」


私は勢いよく頭を下げた。


「お、おい。ちょっと待て」


「私、探してきます!」


「待て待て。まだ話は終わってない。メアリーは元々――」


「本当にありがとうございました!」


もう一度、大きく頭を下げる。


そして、そのまま扉へ向かって走った。


「おい!」


背後から声が聞こえた気がしたけれど。


今の私の頭の中は、それどころではなかった。


メアリー・レオンハート。


十年間。


何度思い出しても名前のなかった、あの人に。


やっと名前がついた。


「メアリーさん……!」


自然と頬が緩む。


今度こそ絶対に見つける。


私はその名前を何度も胸の中で繰り返しながら、騎士団の詰所を飛び出した。



◆



勢いよく扉が閉まった。


「…………」


「…………」


若い騎士と年配の騎士は、しばらく無言で扉を見つめていた。


先に口を開いたのは、若い騎士だった。


「……あの子、行っちゃいましたね」


「……行ったな」


「まだ何か話そうとしてませんでした?」


「してた」


「止めなくてよかったんですか?」


年配の騎士が、閉ざされた扉を見る。


「止まるように見えたか?」


「……見えませんでした」


「だろ?」


苦笑し、小さくため息をつく。


「名前が分かっただけで、あれか」


「十年探してたらしいですからね」


「十年、ねぇ……」


年配の騎士は、もう一度扉を見つめた。


その表情から、ほんの少しだけ笑みが消える。


若い騎士は気づかず、手元の資料へ視線を戻した。


「あ、そういえば先輩」


「なんだ?」


「さっき、何を言おうとしてたんです?」


「ああ」


年配の騎士が答える。


「メアリーが、どこの部隊にいたかだ」


「どこだったんです?」


「特務隊」


「……特務隊?」


若い騎士が首を傾げる。


「なんです、それ?」


「お前、特務隊も知らんのか」


「聞いたことないですよ」


「……時代かねぇ」


年配の騎士は苦笑した。


「じゃあ、《ナンバーズ》なら分かるか?」


若い騎士の表情が変わった。


「ナンバーズ!?」


「ああ」


「まさか……特務隊って」


「今の《ナンバーズ》の前身だ」


「前身……?」


「昔は《ナンバーズ》なんて呼び方じゃなかった。正式には王国騎士団特務隊。第一から第十まで、十人で編成された特殊部隊だ」


「十人……」


「今の《ナンバーズ》は、特務隊がなくなった後に制度を組み直して作られたものだ。似てはいるが、まったく同じものじゃない」


若い騎士が目を丸くする。


「じゃあ、メアリー・レオンハートは……」


「第一だ」


「……あの子、そんな人を探してたんですか?」


「ああ」


「それ、本人に教えなくてよかったんです?」


「だから教えようとしただろうが」


「……聞かずに行っちゃいましたね」


「行ったな」


「…………」


「…………」


若い騎士が、再び扉を見る。


「……あの子、またどこかで同じことやりそうですね」


「奇遇だな。俺もそう思う」


年配の騎士はため息をついた。


「それより」


若い騎士が資料へ手を伸ばす。


「そんな部隊なら、記録が残ってるんじゃないですか?」


「残っていたとしても、末端の俺たちが見られるのは大したところまでじゃないぞ」


「当時の所属者くらいなら分かるでしょう」


若い騎士は棚から古い資料を何冊か取り出した。


一冊。


二冊。


ページをめくっていく。


やがて。


「あった」


古びた一冊の名簿を引き出す。


「これですか?」


年配の騎士が、その表紙を見て眉を上げた。


「……まだ残ってたのか」


「所属記録だけみたいですけどね」


若い騎士がページを開く。


そこには第一から第十まで。


十個の欄が並んでいた。



第一特務 ████████

在籍記録 ――――


第二特務 ████████

在籍期間 ○年〜○年

以降記録 ――――


第三特務 ████████

詳細記録 閲覧制限


第四特務 ████████

詳細記録 閲覧制限


   ・

   ・

   ・


第十特務 ████████

詳細記録 閲覧制限



「……名前、全部伏せられてるんですね」


第一から第十まで。


本来なら所属者の氏名が記されていたはずの場所は、すべて黒く塗り潰されている。


「当然だ」


年配の騎士が答える。


「特務隊は普通の騎士団とは違う。特殊任務にも就いていた。昔の所属者の実名まで、誰でも見られる記録に残しておく必要はない」


「なるほど……」


若い騎士は納得したように頷く。


名前が分からない。それ自体は、おかしなことではない。


だが、ページを眺めていた若い騎士の目が、最初の欄で止まった。


「……あれ?」


「どうした?」


「第一です」


若い騎士が指を置く。



第一特務 ████████

在籍記録 ――――



「これ……なんか、変じゃないですか?」


「何がだ?」


「名前が伏せられてるのは分かります。でも――」


指が下へ移る。



第二特務 ████████

在籍期間 ○年〜○年

以降記録 ――――



「第二には、少なくとも在籍していた期間が残ってる」


「そいつは途中で特務隊を離れてる」


「《大スタンピード》より前に?」


「ああ」


「理由は?」


若い騎士が関連する記録を探す。


しかし。


「……ここから先は閲覧できない」


「だろうな」


「じゃあ、第二が誰だったのかも?」


「お前の権限じゃ分からん」


「なんなんですか、この部隊……」


年配の騎士が小さく笑った。


「だから昔から、そういう連中だったんだよ」


若い騎士は納得していない顔のまま、その先へ目を走らせる。


氏名はすべて黒塗り。


詳細記録は、すべて閲覧制限。


だが、記録そのものは存在している。


「……第三から第十まで、全部?」


「ああ」


「なんでこんなに?」


「特務隊にいた連中は、その後も国の中枢や重要な役職に関わった者が多い」


年配の騎士が答える。


「特殊任務の内容、能力、戦闘記録。そんなものを誰にでも見せられるわけがない」


「なるほど……」


「今となっては、あいつら自身が国の重要情報みたいなもんだからな」


若い騎士は頷いた。


それなら説明がつく。


第三から第十は。


記録がないわけじゃない。


自分には、見る権限がないだけだ。


けれど、第一だけは――。



第一特務 ████████

在籍記録 ――――



「……やっぱり、第一だけ異常ですね」


「ああ」


「見せてもらえないんじゃない」


若い騎士の声が、少しだけ低くなる。


「……記録そのものが、ない?」


年配の騎士は答えなかった。


「それなのに先輩は、第一がメアリー・レオンハートだって知ってる」


若い騎士が顔を上げる。


「どうしてです?」


しばらく。


年配の騎士は黙っていた。


やがて。


「記録で知ったんじゃない」


静かに答える。


「俺が覚えてるだけだ」


「……覚えてる?」


「ああ」


年配の騎士の目が、少しだけ遠くを見る。


「十年前、俺も騎士だった」


そして。


「忘れられるような女じゃなかったからな」


若い騎士は何も言わなかった。


もう一度、名簿へ視線を落とす。


メアリー・レオンハート。


その名前は。


どこにもない。


「……変な話ですね」


「何がだ?」


「記録から名前が消えてるのに」


若い騎士は空白の第一を見つめた。


「覚えてる人はいる」


年配の騎士は答えなかった。


しばらくして。


若い騎士が、ふと顔を上げる。


「……あれ?」


「今度はなんだ」


「メアリー・レオンハート」


「ああ」


「《スカーレット・メアリー》……《緋色のメアリー》って呼ばれてたんですよね?」


「ああ」


「スカーレット……」


赤。


赤い髪。


十年前。


《大スタンピード》。


若い騎士の表情が、少しずつ変わっていった。


「……待ってください」


「なんだ?」


「俺、似たような話を聞いたことがあります」


年配の騎士は何も言わなかった。


「《大スタンピード》の時……血まみれになって、それでも魔物と戦い続けていた赤髪の騎士がいたって」


「…………」


「生き残った人たちの間で、そんな話が残ってるって」


年配の騎士の表情から……わずかに笑みが消えた。


若い騎士の声が小さくなる。


「確か、その騎士の呼び名……」


思い出した。


「《クリムゾン・ブラッド》」


沈黙。


若い騎士が、ゆっくりと年配の騎士を見る。


「……もしかして」


息を呑む。


「あの《血濡れのメアリー》ですか?」


年配の騎士は答えなかった。


けれど……その沈黙が。


何よりの答えだった。


「……同じ人なんですか?」


「…………」


「《緋色のメアリー》と、《血濡れのメアリー》が……?」


やがて。


年配の騎士が静かに答えた。


「あぁ、お前の言うとおり同じだよ」


「え……」


「《緋色》も」


一度、言葉を切る。


「《血濡れ》も」


少女が出ていった扉へ視線を向ける。


「どちらも、メアリー・レオンハートだ」


若い騎士は何も言えなかった。


年配の騎士は、閉ざされた扉を見つめたままだった。


十年間。


名前さえ知らず。


それでも、あの少女は彼女を探し続けたという。


きっと少女の中では今も。


白いマントを翻し、赤い髪をなびかせ誰かを守るために剣を握る。


そんな騎士なのだろう。


「……願わくば」


年配の騎士が、小さく呟いた。


「あの子の中にいる《緋色》が――」


ほんの少しだけ、目を伏せる。


「《血濡れ》に、塗り潰されないことを祈るよ」


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