彼女の正体
結局屋上で仮初めの契りを交わした直後、私は彼女の家へと直行することになった。
なんで利害関係の恋人なのに家までお持ち帰りされるんだろうって?私が訊きたいです。
なんでも彼女曰く、恋人は放課後にどちらかの家に寄り道して愛を育むのが一般的らしい。
一体どこの恋愛シミュレーションゲームだよ、桜凪さんにそんな偏見を植え込んだのは。
「うわぁ……でっか……。桜凪さん、あなた、お大名様か何かの末裔……?」
門の前に立った瞬間、私の顎はボゴォーーン!という効果音が似合いそうなくらいに外れかけていた。
目の前にそびえ立つのは、お城と見紛うばかりの、超ド級の巨大な豪邸。
こんなものを突然見せられて、普段通りの貧乏マインドを保っていられるほど、私は屈強な精神を持ち合わせていない。
というか、そういえばこの高級住宅街のエリアに、一際広い敷地を占拠している、要塞のような建物があったな…。
まさか、それが今までクラスメイトだった女の子というか、今日からの私の恋人というか、これからの潜在的な親友というかの、実家だったとは。
「何で、急によそよそしい敬語なのよ……。お金持ちなのは私ではないわ。ただ、親が少しばかり成功しているだけよ」
そう言って、桜凪さんは慣れた様子で、重厚な玄関扉の前に立つ。
アパート住みの私からすれば一般的な一軒家ですら貴族の館に見えるというのに、こんな歴史的建造物級の豪邸を見せつけられると比較して羨むという感情すら沸き起こらず、ただただ圧倒されるばかりだ。
と言いつつも、玄関に設置された顔認証、指紋認証、暗証番号キーとかいう、スパイ映画でしか見たことのないセキュリティ3種の神器を流れるような動作で突破していく桜凪さんの後ろ姿を見て、
「私だったら、3日で指紋の読み取りが面倒くさくなって、玄関の前で野垂れ死ぬな……」
という確固たる結論に達し、やっぱり我が家の、鍵を差し込んで回すだけの古き良きアパートが一番だ、と自分を納得させた。
それにしても桜凪さんの親御さんは一体どんな仕事をすれば、これほどの要塞を建てることができるのだろうか。
土地代と建築費を合わせれば、軽く数億円はくだらないはずだ。
超一流の外科医? それとも、大企業の社長?
……まさか、表沙汰にできない、闇の危険なお仕事!?
例えば、黒いスーツを着た怖いおじさんたちを束ねる、裏社会の総長とか……。
ヤクザの組長の娘と付き合っている(仮)という、あまりにも恐ろしすぎる脳内妄想が暴走し始めた私は、恐る恐る、彼女に尋ねてみることにした。
「そ、そういえば、桜凪さんのご両親って、普段は何のお仕事を……?」
「……あまり、他人に大声で言えるような職業ではないわね」
え、まさかの肯定!? リアルにそっちの界隈の人だったんですか!?
ということは、この桜凪由奈さんは、将来的にその極悪組織の跡目を継ぐ、次期極道総長ということ……?
このまま交際を続けていけば、私は自動的に組織の若頭か副総長に祭り上げられ、毎日金の刺繍が入った黒服を背負って街を練り歩く人生を送ることになるのか。
というかもし親に挨拶することになったら、なんて紹介すればいいんだよ。
『お母さん、こちらは私の最愛の恋人で、将来的にこのエリアの裏社会を支配する次期総長の桜凪さんでしっ!』
ヤクザの娘と、怒るとめちゃくちゃ怖い我が母という、世界の終わりみたいな究極の板挟み!
バッドエンド一直線だ! 全身の震えが止まらない。
「海外で、複数のIT企業を経営していてね。結構名が知られているから、不用意に住所や身元がバレると色々と面倒なことになるって、母さんが言っていたわ」
「あ……あぁ、なるほど。そういうことですか……」
まったく、ありもしない妄想をしていたのはどこのどいつだ。
若頭に就任して、毎朝組員たちから「おはようございます、姐さん!」と挨拶される未来なんてくるわけないだろ。
というか、体育の5段階評価で万年『2』、50メートル走を10秒台で走る私が、裏社会の幹部になれるわけがなかったのだ。帰れよ。
安堵のあまり大きく息を吐き出す私を、桜凪さんはどこか冷ややかな目で見つめてきた(気がする)ので、私は慌てて視線を泳がせ、豪華な天井のシャンデリアを見上げて誤魔化した。
「それにしても本当に広い……。掃除とかどうしているの?」
等間隔に配置された巨大な窓ガラスは、曇り一つなくピカピカに磨き上げられており、高級そうな大理石の床には、埃の一粒すら見当たらない。
こういう大邸宅のお約束としてゲームやアニメなら、主人の身の回りの世話から館の警備までを完璧にこなす戦闘能力付きの万能メイドを雇っているのが定番なのだが、悲しいかな、ここは現実の日本国である。
玄関を開けたところで「お帰りなさいませ、お嬢様、そして……そちらの不届きもの」などと言って、フリルのついた可愛いメイド服を着た女の子が出迎えてくれるわけではない。
「お手伝いさんの派遣会社と契約しているのよ。彼女たちが週に数回、定期的にここを訪れて、部屋の隅々まで完璧に掃除してくれているわ」
「えぇ……。さ、さすが本物のお金持ち……」
「そーそ。ま、すごいのは私じゃなくて私のお母さんだけどね。本当に尊敬しているわ」
そう言って少し誇らしげに答えてくれる桜凪さん。
お手伝いさんが働いているという事実に、もはや「は、はぁ…」と困惑を含んだ声で感嘆することしかできない私を気にする様子もなく、彼女は「ついて来なさい」とでも言わんばかりに背を向けてすたすたと広い廊下を進んでいく。
迷路のような廊下を迷うことなく進む彼女の後ろ姿を追いかけていると、やがて彼女は廊下の突き当たりにあるひときわ頑丈そうな扉の前で足を止めた。
「ここは……?」
「私のゲーム部屋兼、寝室よ」
『恋人の寝室』という、脳内ピンク色になりそうな甘酸っぱくて少しドギマギする響きを持った単語と、
「え、桜凪さんって、ゲーム好きなの!?」という、オタク特有の強烈なシンパシーの芽生えによって私の脳内キャパは一瞬で最大許容量を超えそうになっていた。
そしてそんな私のそぶりを気にすることもなく、桜凪さんがドアノブを回し、扉を開け放った、その先には――。
「え、何この、全ゲーマーが一生かけても辿り着けない、オタクの聖地みたいな神部屋は!?」
広い部屋の壁際に設置されたデスクの上には、巨大なウルトラワイドモニターが3台、横一列に美しく並べられていた。
ピンクと白を基調とした、女の子らしいデザインのカスタムキーボードと、高性能なゲーミングマウス。
プロ仕様のコンデンサーマイクに、配信用と思われる複数の機材。
そしてデスクの下で、怪しい七色のLED光を放ちながら静かに駆動しているのは、軽く見積もっても100万円は下らないであろう、超ハイスペックな水冷ゲーミングPCだ。
心なしか、そのすべてが光を放ってキラキラと輝いているように見える。
さらに、私の目を釘付けにしたのは部屋の中央に置かれためちゃくちゃでかいサイズのベッドの上に、これでもかと敷き詰められた、大量の愛らしいぬいぐるみたちだ。
彼らは、主人の帰還を歓迎しつつも、その後ろから侵入してきた私に対して、「おい、何だその見慣れん奴は。早く外へつまみ出せ」と言わんばかりの、見えない敵意をビシバシと向けてきている気がした。 これはお前の気のせいだ、あかね。
私がかつて実家のアパートの自室の隅っこで、お菓子の空き箱とゲームソフトを並べて作った、涙ぐましい「オタクの秘密基地」が、あまりにもちっぽけで惨めなものに思えてきて、もはや劣等感すら湧いてこない。
そんな中、私の視線は部屋の壁一面に貼られた、とあるキャラクターのポスターへと吸い寄せられた。
そこに描かれていたのは、天真爛漫な笑顔を浮かべ、
「君のチェリーを鷲掴み♡」
というキャッチフレーズでお馴染みの、今をときめく超人気VTuber『cherry-yuna』の姿だった。
清楚担当にして、みんなのアイドル。
驚異のチャンネル登録者数100万人を突破した、VTuber界のまさに「生ける伝説」
何を隠そう、この私———伏見あかねも、毎晩の不登校時代に、薄暗い一人孤独な部屋の中で彼女の癒やしボイスの配信だけを唯一の救いとして生き延びてきた、熱狂的なリスナー(※通称チェリーズ)の一員なのだ。
本当に大好きな配信者だからこそ、同じものを好きな桜凪さんに強い親近感を覚える。
壁一面に貼られた、yunaちゃんの直筆サイン入り(印刷)ポスター。
棚にぎっしりと、美しくディスプレイされた、限定缶バッジやアクリルスタンド、そしてミニぬいぐるみたち。
まさか、桜凪由奈も、私と同じ『cherry-yuna』の熱狂的なファンなのだろうか?
もしそうだとすればこの部屋は、オタクにとっての聖地エルサレム!!
「まさか、同じクラスの美少女と、同じVTuberを推しているという奇跡の共通点を見つけてしまうなんて……。神様今ここで私の心臓が止まったとしても、私は一切の文句を言いません。チェリーズよ、私の屍を超えてゆけ…なむなむ」
と、そこまで脳内追悼式を執り行ったところで、私はある奇妙な違和感に気がついた。
棚に飾られているアクリルスタンドの、キャラクターの立ち絵のポーズ。
壁に貼られた、超大型ポスターの、100万人記念特別イラスト。
そして……。
今、私の目の前で、ゲーミングチェアにすとんと腰掛け、
「ふぅ、やっぱりこの椅子が一番落ち着くわね」
と、ため息を吐き出した、桜凪由奈の、完璧すぎるプロポーションと、どこか聞き覚えのある声。
桜凪由奈。
cherry-yuna。
サクラ……。
チェリー……。
由奈……。
yuna……。
「……あれ?」
私の貧弱な脳内CPUが、かつてない超高速で演算を開始する。
導き出された計算式は以下の通り。
桜=サクラ=チェリー
由奈=yuna
声が、完全に一致
「さ、桜凪さん……もしかして……本物の、cherry-yuna、だったのぉぉぉぉぉぉっ!?」
あ、やべ。




