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3/7

ほほう、そうきたか。

鍵の壊れた、重い鉄の扉の前。


私は、これから扉の向こうで繰り広げられるであろう、血の雨が降るような修羅場に思いを馳せながら、大きく深呼吸をした。


この扉の一枚向こう側で待っているのは、秘密の告白現場を覗き見し、挙句の果てに逃亡した私を断罪せんとする、獲物を狩るハンター(桜凪さん)なのだ。


やはり、口封じのために消されるのだろうか。


というか、彼女はあの現場で、私のことを「私の恋人よ」などと、とんでもないデタラメをほざいていらっしゃった。

そんな危険極まりない思想を持った人間と対峙して、無傷で生きて帰れるとは到底思えない。


ああ、いかなる状況からも私の身を挺して守ってくれる、屈強なメイドが3人くらい欲しい。


でも悲しいかな。

現実世界には、メイドはおろか、殺されたとしてもゲームのようなリスタート機能も、HPを回復させる教会の儀式も存在しないのだ。


鉄扉一枚を挟んだ向こう側で、私は私の生死(社会的かつ精神的)がかかってる戦場を目の当たりにすることになる。


さあ、行こう、伏見あかね! 潔く散りやがれ!!


本日二回目。

キィィ……と、無駄に大きく、錆びついた金属音を耳障りに響かせながら、私は意を決して扉を開いた。

しかし、私の目に飛び込んできた光景は———。


「あれ……? 誰も、いない……?」


夕焼けに染まる4月の少し冷たい風が、優しく私の頬を撫でた。


鼻腔をくすぐるのは夕暮れ時独特の、どこか寂しくてそれでいて温かいお日様の匂い。


広い屋上のコンクリートの上には、人影一つ見当たらない。

もしかして、私が一番乗りだった……?

そんなことを考えながら、ぼーっと地平線に沈んでゆく太陽を眺めていると。


「ねぇ、春は嫌い?」


「………いたの!??」


不意に、上空から降ってきた静かな声に、私はビクッと肩を震わせ、周囲を見回した。


声のした方、屋上の中央にそびえ立つグレーの給水塔の上を見上げると、そこから桜凪さんがひょっこりと顔を覗かせていた。


どこからか風に吹かれて舞い込んできた桜の花びらを周囲に纏わせながら、夕日を背に受けて佇む彼女の姿は、まるで春の訪れを告げる美しくも儚い春の妖精めいていて、一瞬自分がファンタジー世界の入り口に迷い込んでしまったのではないかと錯覚するほどだった。


「えと、まあ、その、好きではない、と言いますか……あ、別に嫌いってわけじゃ、ないんですけどね!」


突然の質問に私はうなりながら、なんとか当たり障りのない返答を絞り出す。


「嫌いなのね」

「あっ、はい、ごめんなさい………」


一瞬で、私の拙い本音を見透かされてしまった。

どうやら私は、嘘を隠し通すにはあまりにも純真(というか、ただ単純で騙しやすい)な人種らしい。

これを世間では「ピュア」と呼ぶのではないだろうか! (違う)


「どうして……?」

「え?」

「どうして、春が嫌いなの?」


風に長い常盤色の髪をなびかせながら桜凪さんは淡々とした、しかしどこか引き込まれるような口調で私の言葉の先を促した。


「春って、出会いも別れもあるじゃないですか。良い人たちと出会えたらその年は天国みたいに楽しくなるし、逆に悪い人たちと出会っちゃったら、その後の1年間はずっと地獄みたいに重たいものになる。なんか、それって自分で選べない、強制的なギャンブルに参加させられているような気分になっちゃって。だから、この季節が来ると、どうしても心が憂鬱になっちゃうというか……」


一気に語り終え、恐る恐る顔を上げる。

夕日を浴びて澄んだカラメル色に輝く彼女の瞳が私の目をまっすぐに、そして執拗なまでに捉えていた。

その射抜くような眼光に、私は再び身をすくめる。


ひえっ、もしかして、回答を致命的に間違えた……?

「何センチメンタルなこと語ってんの?」とか言われて、物理的に私の首が飛んじゃう!?

膝の震えが止まらない。恐ろしい。


そんな極限状態の私に対して、目の前の美しき妖精——桜凪さんは、


「そ」


とだけ短く答え、ふっと私にその華奢な背中を向けた。

それからゆらゆらと髪を揺らしながら、給水塔のハシゴを驚くほど軽やかな身のこなしで降りてくると後ろで手を組んで私の目の前でいたずらっぽく微笑んだ。


「———じゃあ、私と付き合いましょ」


「……は、はあああああああああああああああああああああ!?」


何を、何を突拍子もないことを言うとんねん、このお方は……!


「だ、だれと、だれが……」

「私と、貴方が」

「いつから……」

「今、この瞬間から」

「何をするって……?」

「交際をするらしいわ」

「そ、それって、地球が何回周った日に成立するお話ですか……?」

「知らないわよ、そんなこと」

「えぇ……」


小学生の口喧嘩よろしく、語彙力のカケラもないアホ丸出しの質問を繰り出す私に対し、目の前の桜凪さんは、なぜか終始「ニコー」とした、完璧なお人形さんのような笑顔を浮かべたまま、完璧に応答するマシーンと化していた。


あれほど恐れていた彼女のオーラがなぜか急に薄れ、私の心からは恐怖心がすっかり消え去っていた。


それもこれもすべて私に対して、あまりにも理不尽で超展開な交際を要求してきた、この桜凪由奈という女の子のせいだ!!!


「というか、なんで、よりによって私なの……?」


一ノ瀬七海さんほど万人受けする華やかさではないにしても、桜凪さんもまた、学校の3大美少女に数えられるほどの超絶美人だ。


完璧に整った顔立ち、サラサラと風に流れる緑の美しい髪、そして陶器のように白く透明感のある肌。


その存在自体が、人類を誘惑するために設計されたのではないかと思えるレベルの美少女が、どうして私のような、冴えない、パッとしない、日陰のカビみたいな陰キャと付き合いたいなどと言い出すのだろうか。


どう考えても、裏がある。


「利害の一致、ってやつかしら」

「?????」


恋愛関係という極めてアオハルな関係にに対して、急に「利害」とかいう経済用語ブチ込んできたぞ、この人。


というか、私が日本語の辞書で知っているはずの交際という甘酸っぱいはずの単語に、利益だの損失だのとかいう、血も涙もない話が含まれていただろうか。


「私は、とある事情があって『恋人』という防波堤が欲しい。貴方は、この学校で『良い友達』と巡り合いたいと思っている。そして、私は客観的に見て、極めて『良い人』でしょう? 」


「それ、自分で言うんだ…」


「ゆえに、私と仮初めの交際をすることで、貴方は私の友人としてのスペックや人脈を知ることができる。それは、貴方にとって極めて有益な巡り合いだわ。つまり貴女の言う強制ギャルブルはさせられないわ。交渉成立じゃない」


言ってることはわかる。

お互いの異なる望みは交際という崇高で甘美な関係によって解消できる。しかし……


「それって要するに、ただのあなたの私利私欲に、私を都合よく巻き込んでいるだけじゃないですかー!」


私は都合よく利用されてるとしか思えなかったのだ。


「……? だから、最初からそう言っているわ」

「え?」


うそ、開き直った!!?

私の指摘に対しても、桜凪さんは眉一つ動かさず、当然のように頷いた。


一旦整理しよう。

どうやら彼女が恋人を欲しがっている最大の理由は、昼休みの中庭で目撃したあの告白劇が原因らしい。


あの一ノ瀬先輩からの執拗なアプローチを完全にシャットアウトし、今後二度と同じような面倒な事態を起こさせないための完璧な作戦として、偶然その場に居合わせかつ口を塞ぎやすい私が最高の身代わりに選ばれたというわけだろう。たぶん。


「やっぱり私、ただの都合よく利用されるだけの女だった!?」


私にとってのメリットなんて、あるようでないような、机上の空論のようなものじゃないか。


くそぅ、桜凪さんのやつ、見た目は妖精のくせに、中身は極悪な策士だ……!


と、そこまで脳内ツッコミを入れまくったところで、私の頭の中に、ある悪巧みのような、ずる賢いような閃きが走った。


「……待てよ。これって、逆にものすごいチャンスなんじゃない?」


私は高校デビューに完全に失敗し、このままだと、お先真っ暗なぼっちロードを直進する運命だった。


しかし、どうだろう。


もし、クラスの3大美少女の一人であり、周囲から一目置かれている桜凪由奈と「付き合っている」ということになれば、話は180度変わってくる。


それは、私のカースト地位を急上昇させる、最強のステータスバフ。


閉ざされかけていた陽キャへの道の扉を、再び力技で無理やりこじ開けることができるのではないか??


追い詰められたネズミは知恵を。

使えるものはなんでも、使ってやる。


こんな絶望的な状況であるにもかかわらず、私の胸の奥に眠っていた、あのアオハルへの野望が、再びパチパチと音を立てて燃え上がり始めた。


そうなれば、私の取るべき行動は、ただ一つ。


「……いいでしょう、桜凪さん。その取引、乗った!!」

「ふふ、そう来ると思ったわ」

「ただし! 私からも条件がある!」

「なにかしら?」

「この偽りの恋人関係を解消した後は、私と『本当の親友』になること! これが条件だよ!」

「……分かったわ。というか、逆にそんな些細な見返りでいいのかしら?」

「私にとっては、命の次に大切なことなの!」


よし、交渉成立!


桜凪由奈は、私に「恋人」という名の都合の良い仮面を求め、その対価として、私は関係解消後の「親友」という、カースト上位へのパスポートを手に入れる。


これぞ完璧なwin-winの関係だ。


「んじゃ、早速帰るわよ」

「え?」

「恋人同士は、放課後に手を繋いで帰るものでしょう? それくらい、私だって知識としては知っているわ」


そう言うや否や、桜凪さんは私の言葉を待たずに、すべすべとした冷たくて細い指先を、私の手のひらに滑り込ませ、ぎゅっと絡めてきた。


うわ、なんか……冷たくて柔らかくて、ちょっとえっちな感じがする……!

というかこの人、距離感のバグり方が尋常じゃないんだけど!?


波乱万丈という言葉すら生ぬるい私の新生活の展開は、まだまだ加速していくらしい。

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