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それから二週間。今回もブレーデンが主導となって日程など調整され、今日に至る。
相変わらずの仕事の早さにダリアはつい感心してしまうが、腹立たしい事には変わらない。
しかも今回はそれだけではなかった。
「“先生”だなんてそんな…恐縮です。まさか殿下の、ひいてはこの国の未来の為に役立てるなんて、大変光栄でございます」
そう言いながら、ダリアの横で微笑む女性。リーズリー国の元貴族令嬢であるダリアの母、リリアンヌだ。
今回ダリアは母親と共に王城へやってきていた。
リーズリー国の姫がこの国で生活していくにあたり、ジョシュアだけでなく実際に世話をする王宮メイドや侍女達にとっても、リーズリー国についての知識は必要だ。
ダリアはリリアンヌの英才教育のおかげで言葉は流暢に話せるが、文化や風習については浅い知識しか知らない。
そこでダリアは言語担当、リリアンヌは文化・風習担当と分かれ、ジョシュアと王宮の使用人達それぞれに対し、交代で簡単な講習を行う事になった。
「娘のダリアです。言語に関しましては、娘の方に任せますのでよろしくお願いします」
「分かった。ダリア嬢、よろしく頼む」
「よろしく、お願いします」
勿論ジョシュアとダリアは初対面という設定だ。
普段から人前に出る事の多いジョシュアは、とても自然な振る舞いが出来ている。それに比べてダリアは自分でも思うほどぎこちなかった。
そんな様子のダリアを見て、リリアンヌが微笑みながら言った。
「あなた緊張しているのね?無理もないけど」
リリアンヌから見ると、ダリアのぎこちなさはただ緊張しているだけに見えるらしい。ダリアはほっとする。
(それにしても、国の王子を目の前にしてもお母様はいつも通りなのね…)
ダリアが心の中で母親を尊敬していると、ジョシュアが微笑みながら言った。
「どうか肩の力を抜いてくれ。
次に姫と会う時までに、歓迎の挨拶くらいは出来るようにしたい。そのくらいだから」
「承知しました」
「娘を気遣って下さりありがとうございます。
ダリア、本当に気負わない事よ。お父様とワーノルドも手伝いに来てくれる予定なんだから」
「バッケン家は全員、リーズリー語を心得ているのか」
「はい。仕事で来られなかったのが残念です」
「それは頼もしい限りだ」
和やかに会話をしている二人を見て、ダリアは城から手紙が届いた時の事を思い返していた。
この国、ノルヴェイン国第一王子とリーズリー国の第一王女との婚姻は、ダリアが知ったその翌日に正式に発表された。
海を挟んだリーズリー国との交流が始まったのは、およそ三十年前。まだ歴史は浅いものの、両国は年に数回使節を送り合い、少しずつ友好を深めてきた。
交流を重ねるにつれ、両国の貿易は年々盛んになり、今では互いに欠かせない交易相手となっている。
この関係を将来にわたって安定させるためには、王家同士が婚姻を結び、同盟をより強固なものとする必要があると考えられていた。
その計画はまだ先の予定だったが、ジョシュアとリーズリー国の第一王女がともに婚姻適齢期を迎えた事と、先延ばしにする理由がなかったため、予定より早く実行に移されることとなったのだ。
婚姻発表から数日後に、バッケン家宛に城から手紙が届く。その手紙はダリアが把握している通り、殿下と王宮の使用人達にリーズリー国の事について教授してほしいという内容だった。
「…講師の依頼…だと?」
「まあ!!」
手紙を読んですぐに眉間に皺を寄せ、冷静に現状を理解しようとする父グラムに対し、手放しで喜ぶ母リリアンヌ。こういった場面を見るたびに、ダリアはつくづく自分は父親に似たんだなと感じる。
そんな父娘をよそに、リリアンヌは両手を結んで興奮気味に言う。
「祖国との婚姻が発表されただけでも喜ばしい事だったのに、そのお手伝いが出来るなんて!」
「これは実に光栄な事だぞ!もっと喜べダリア!」
兄のワーノルドもリリアンヌと一緒になってその喜びを分かち合う。察しの通り、ワーノルドは母親似である。
「他にもリーズリー語を話せる人間はいるだろうに、なぜうちに…?」
「貴族令嬢だったのは、この国ではお母様だけだからじゃないかしら」
まさかそこにダリアが絡んでいるとは思いもしないだろうが、一応それなりの理由を準備しておいたダリアは、勘が鋭い父親にすかさず言った。
「いいじゃない!私達の所に依頼がきた。それ以上もそれ以下でもないわ」
「まあそうだな…」
疑問は持ちつつも、とても光栄な役回りをもらってグラムも嬉しかったのだろう。それ以上詮索される事なく、ダリアはほっとした。
(…引き受けた以上はしっかりやらないと)
回想を終えたダリアは改めて身を引き締める。
ダリアはそのままこの部屋に残り、リリアンヌは王宮メイドと侍女達が待機している別室へ向かった。
「殿下はリーズリー語の知識はどこまでおありでしょうか?」
「簡単な挨拶と、いくつかの単語くらいだな。文法に関しては全くだ。
いつもあちら側が通訳の人間を連れてきてくれて、それでコミュニケーションをとっていた」
「分かりました。
歓迎の挨拶をしたい、との事でしたが、具体的に内容は決めておられますか?」
「ああ。紙に書いてきた」
そう言って、ジョシュアが一枚の紙をダリアに差し出した。
「ありがとうございます」
「どうかな」
「…はい。少し難しい発音箇所もありそうですが、練習すれば問題ありません。
それとリーズリー国にはない表現がありますので、少しだけニュアンスを変えてもよろしいでしょうか?」
「よろしく頼む」
ダリアはリーズリー語で、ジョシュアの考えてきた言葉を別の紙に翻訳して書いた。
読めない事は承知の上だが、少しでもリーズリー語に慣れ親しんでもらうために、ダリアはあえてそうした。
「では一文ずつ、ゆっくりやっていきましょう」
言葉通りゆっくりなテンポで、ダリアがリーズリー語で挨拶原稿を読み上げる。
ジョシュアもそれを真似てダリアの言葉を繰り返し、アクセントやイントネーションなど、ポイントになる事はダリアが翻訳した紙にメモをしていく。
(さすが殿下…覚えが早いわ)
ダリアが想定していた以上の速さでジョシュアは学習していく。そしてあっという間に全文読み終えた所で、リリアンヌと交代の時間となった。
「ありがとう。またよろしく頼む」
そう言ってダリアに微笑むと、再びジョシュアはポイントをメモした紙に目を移す。
そして今し方習ったリーズリー語を呟き、復習し始めた。
「私が案内する」
ジョシュアの後ろで待機していたブレーデンがそう言ってダリアに手を差し出した。ダリアはその手を取って立ち上がり、ジョシュアの執務室を後にする。
部屋を出るや否や、ダリアは少し興奮気味にブレーデンに話しかけた。
「殿下は本当に優秀な方ですね。
まさか、今日だけでここまで進むとは思いませんでした」
ダリアの言葉に、ブレーデンはどこか誇らしげに目を細めて言った。
「幼少期から勉強漬けだったからな。要領を得ているのだろう。
それにイントネーションは違うが、我が国の言葉と発音が近いものがいくつかあった」
「…よくお気づきで」
ブレーデンは後ろで聞いていただけのはずだ。それなのにダリアが伝えようとしていた要点を、すでに理解している。
(…まただわ)
前回の旅でもそうだった。
ダリアが考えつく頃には、ブレーデンはもうその先を見据えていて、気付けばその流れに巻き込まれている。正直不服だった。
ただ、ダリアは一つ気づいた事がある。
ブレーデンの行動は、その全てがジョシュアを中心に回っているという事だ。
ダリアがジョシュアを褒めた時に見せた、あの誇らしげな表情。
あれを思い返すと、ブレーデンは本当にジョシュアを敬愛し、支えたいと心から思っているのだと分かる。
(ただの理屈人間じゃないって事ね)
そう思うと、不思議と先ほどまで感じていた悔しさは少しだけ薄れていた。
そしてあっという間に、ダリアが講師を務めはじめて一週間が経った。
『まだ至らる点もございますが…』
「殿下、『至ら“ぬ”』です」
『至ら、ぬ』
「そうです」
「またここか…。ゆっくりだと言えるんだが」
「この発音は難しいですから」
ジョシュアはあっという間にリーズリー語の挨拶文を暗記してしまった。
あとは発音やイントネーションを整えるだけだ。やはりジョシュアの学習能力は凄まじい。
だがジョシュアは随分と悔しそうな様子で、指摘された箇所を何度も小声で練習する。その様子を見て、ダリアは堪らず声をかけた。
「まだ始めて一週間です。
むしろ想定以上の速さですよ。まだ時間はありますから焦らなくても大丈夫です」
ダリアの言葉にジョシュアの動きがぴたりと止まる。そしてゆっくりと顔を上げて言った。
「…そうだ、まだ始めて一週間だ。それにしては俺は優秀な方だろう?」
「…?は、はい…」
いつも謙遜するジョシュアの珍しい発言に、ダリアは驚く。ジョシュアは苛立たしげに言った。
「ブレーデン、後半の所を言ってみろ」
ここで突然、ジョシュアの後ろに立っていたブレーデンに白羽の矢が立つ。
状況が理解出来ないダリアが眉を顰めていると、ブレーデンはゆっくりと口を開いた。
『少しでもあなたが不自由なく過ごせるよう、私もリーズリー国の文化や言葉を学び、皆と共に準備を進めてまいりました。
まだ至らぬ点も多いかと思いますが、これから共に歩み、お互いを知っていければ幸いです』
何とブレーデンの口からすらすらと綺麗な発音のリーズリー語が出てきたのである。ダリアは驚きで目を瞬く。
そんな様子のダリアを見て、ジョシュアはうんざりした様に言った。
「こいつは俺より早く暗記して、もうここまで話せる様になったらしい。しかも後ろで聞いていただけでな」
「殿下が遅い訳ではありません」
全くフォローになっていないブレーデンの言葉に、ジョシュアの眉がぴくりと動く。
「…時々お前のその優秀さに、ものすごく腹が立つ時がある。正に今だ」
そして恨めしそうにブレーデンを睨んだ。
「お前、俺が何度も詰まっている姿を見て、何を思っていたんだ?」
「これで十回目だな、と」
「ほう…数えていたのか」
「……っ」
(…いけない。笑いそうになっちゃった)
ダリアは誤魔化す様に咳払いをする。一方二人はまだ言い合いを続けていた。
「お待ち下さい。私は殿下に聞かれた事、言われた事に答えただけです」
「そうだ。俺は冗談で…そう、冗談で!お前の事だからもう暗記したんじゃないか?と聞いたな。
そうしたらお前はまあ自慢げに、俺の挨拶文をペラペラと…」
「自慢げというのは殿下の主観では?」
「そうだよ!」
「っふふ…」
そしてとうとう吹き出してしまう。ダリアは慌てて口元を抑えたが、ジョシュアが見逃すはずがなかった。
「…まさか、ダリア嬢まで俺に呆れて」
「ち、違います」
そうは言ったものの、耐えきれずダリアはまた吹き出してしまう。
「…違わないじゃないか」
「いえ!私はただお二人のやり取りが面白くて…」
そんなダリアの姿を見たブレーデンが、肩をすくめて言った。
「私はただ、事実を言っているだけなのだが」
「お前なあっ!」
ジョシュアの大声でダリアは堪えきれなかった。
「もう!あなたのせいで何も出来なかったではないですか!」
「君が笑うからだ」
その後なんとか立て直そうとしたが、完全にツボに入ってしまったダリアは笑いが止まらず、何も出来ないまま交代の時間となってしまった。
「手を叩いて笑っていたな」
「誰のせいで…!」
あんまりダリアが笑うからか、最後のほうには、二人はわざと言い合いをしてダリアを笑わせにかかっていた。
(…全く、仲が良いんだか悪いんだか)
ダリアは笑いすぎてこわばった頬を両手でほぐしながら、次の部屋へ案内するブレーデンを睨む。
「次からはやめて下さいね」
「殿下が勝手に突っかかってくるんだ」
まるで子どものような言い方に、ダリアは呆れた。
「昔からなんですか?ああやって言い合うのは」
「そうだ。俺の努力が霞むからやめろ、とよく言われる。やめろも何もないんだが」
「でもあなた、わざとけしかけてますよね?」
「……」
「やっぱり」
(案外子どもっぽい所があるのね)
ジョシュアを心から敬愛しつつ、張り合う所は張り合う。そんな二人の姿を見れば、主従という言葉だけでは表せない関係なのだと分かる。
「この様に形容していいのかわかりませんが、お二人は仲の良いご友人の様ですね」
「そうだろうか」
「きっと誰もがそう思うと思いますよ」
ダリアがそう言うと、ブレーデンは小さく肩をすくめた。
(はっきりと否定しない辺り、本人達もきっとそう思ってるのね)
ダリアは思わず微笑む。
そんな二人の関係は、とても素敵だと思えた。
それから一ヶ月後にある顔合わせの日まで、ダリアとリリアンヌはほぼ毎日城へ通い、途中グラムとワーノルドも補助として参加してもらいながら、無事に講師としての務めを果たした。
今回は正式な依頼であるため、給金も支払われている。
ジョシュアは、ようやく形として礼を示せたことを嬉しそうにしていた。実際、働いた分の対価を受け取れるのは、ダリアにとってもありがたいことだ。
だからこそ、その報酬に見合う働きをしたいという思いは強かった。
その甲斐あって、ジョシュアは歓迎の挨拶だけでなく、簡単な単語や言い回しまで覚え、ゆっくりであればリーズリー語を交えた会話ができるようになっていた。
「ありがとう、ダリア嬢。おかげで明日は大丈夫そうだ」
「いえ、殿下の努力の賜物です」
ダリアは心からジョシュアにそう伝えた。
実のところ、ジョシュアがここまで上達したのは、ダリアの指導力というより、ブレーデンへの対抗心のおかげと言っていい。
あの言い合いの後も二人は何度となく競い合い、最初は笑っていたダリアも、最後の頃には呆れていた。
しかもあまり大きな声では言えないが、ブレーデンはすでに日常会話なら難なく聞き取れるほどになっている。
(ハノーヴァー卿の優秀さが時々腹が立つとおっしゃっていたけど、何だか分かる気がするわ…)
それでも、ダリアにとってジョシュアはすっかり自慢の生徒だった。ダリアもまた、ジョシュアに負けないくらい明日を楽しみにしていた。
「じゃあ明日はよろしく」
「はい」
そう言ってジョシュアは、打ち合わせの為に執務室を後にした。
「城の外まで送る」
「ありがとうございます」
ダリアも片付けをして、ブレーデンと共に部屋を出る。
城のあちこちで明日に向けて準備をする人達と、ダリアはすれ違う。
(リーズリー国側は、まさかここまで準備されているとは思わないでしょうね)
リリアンヌの文化・風習講習のおかげで、顔合わせの段取り、装飾、食事内容などリーズリー国にも配慮されたものに変更されている。
ジョシュアだけでなく、国王まで協力的だったおかげだ。
ここまでしたのだ。明日は成功するに違いない。
そう思っていたダリアだったが、その結果は意外な方へと転がった。




