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ーーもう…私とは、会ってくれないの?
聞いたことのなかったダリアのか細い声が、何度も頭に浮かぶ。
顔は見られなかった。だから背を向けたまま答え、逃げるようにその場から去った。
ブレーデンは、自分がこんなにも臆病な人間だとは思わなかった。
どれだけ努力を重ね、多くの信頼を得ても、結局本質は変わらないのだと突きつけられたような気がする。
与えられた職務を放棄し、初めて愛した人も傷つけて、何もかも中途半端な自分に、ブレーデンはひどく嫌気が差していた。
今日は、ノルヴェイン国に帰る日だ。
とにかく今は、ジョシュア達を無事に送り届ける事に集中せねばならない。ブレーデンは部屋を出る前に、自分の手の平に親指で三回円を描いた。
それは兄から聞いた、母親が兄達にやっていた安心するまじないだった。
「ブレーデン」
部屋を出ると、アダラントと鉢合わせた。ブレーデンは頭を下げる。
「そんなに畏まらなくていい。殿下の事を頼んだぞ」
「はい」
およそ親子の会話ではないものを交わし、二人はそれぞれの方向へ進む。
ただアダラントだけが途中で足を止め、そっと振り返る。そしてブレーデンの背中を黙って見つめていた。
『ご報告致します。港の警備にあたる騎士達は、定刻通りに出発しております。荷物の方も馬車に積み終わりました』
『報告ご苦労。では予定通りの時間に出発する』
ブレーデンがそう言うと、リーズリー国の騎士は頭を下げ、去って行った。
今回、ブレーデンがこれほどスムーズに事を進められたのは、リーズリー語を覚えていたおかげだった。
そして、そのきっかけをくれたのは、他でもないダリアだった。
(…与えられてばかりだな)
またダリアの事を考えてしまっている自分にブレーデンは気付く。もはや苦笑するしかなかった。
ブレーデンはジョシュア達を馬車に乗せ、港へと向かった。ここに来た時同様、多くの民衆と楽隊が二人を盛大に送り出そうと集まっていた。
馬車から降りるなり、声援と演奏が始まる。二人は笑顔で手を振って応えながら乗船した。
あとは無事にこの海を渡るだけとなり、ブレーデンはほっと息を吐く。ジョシュア達を待機室へと案内しようとした時だった。
「ブレーデン、少し話がしたい。二人だけで」
ジョシュアがそう言った。ブレーデンは一瞬戸惑ったが、もちろん了承した。
とりあえずエマリエルを待機室へと案内し、ジョシュアと二人だけで空いていた部屋に入室した。
「何とか日程をこなせたな。ありがとう、ブレーデン」
「身に余るお言葉です」
「本当にお前にはいつも感謝してるんだ。たまにむかつく事もあるけどな」
そう言ってジョシュアは笑う。ブレーデンも思わず笑みが溢れた。
ジョシュアはその表情を見て微笑み、少し視線を落として言った。
「お前のおかげで今の俺があると思っている。だが、たまに思うんだ。俺がお前を側近にしたいと言ったせいで、お前を縛ってしまったのだと」
ブレーデンは目を見開く。
「その様に思わないでください。私こそあなたのおかげで、今の自分がいるのです。あなたに出会えなければ、私は何者にもなれなかった」
「なあ、ブレーデン。もうよせ。そんな風に自分を貶めるのは」
ジョシュアはブレーデンを見つめて言った。
「お前はどんな立場だったとしても、絶対に輝いていたよ」
「そんな事はありません」
「いや、そうだ」
「いえ、ありません」
不毛なやり取りに、ジョシュアは苦笑する。
「まったく、過去に遡って証明してやりたいよ。
だがそうやって、恩義に感じてくれているのは俺も嬉しかった。そうだな…ある種誇りにも感じていたかもしれない」
自分で言いながら、ジョシュアは気付いた。
ブレーデンをこうさせたのは、アダラントだけでなく、ブレーデンの恩義を甘んじて受け入れていた自分のせいでもあるのだと。
(これを言っても、こいつには伝わらないだろうな…)
この虚しさは、ジョシュアにしか分からないだろう。だからこそ、ジョシュアはブレーデンの幸せを願う。
「ブレーデン。俺という存在が枷になっている今、どんな事をしてでもお前を救いたい。
俺は幸いにも影響力のある人間だ。ずっと頑張ってきたんだ。一つくらいわがままを言ってくれ」
「何を仰っているのですか…?」
見た事のない、どこか怯えた様な表情をするブレーデンに、ジョシュアは優しく言った。
「愛する人がいるんだろう?」
「……っ」
返事はない。少し間を空けて、ジョシュアは続ける。
「ハノーヴァー家から出ていけと言うのなら、そうすればいい。俺が絶対にお前を守ってやる。
アダラント卿と対峙するのが怖いのなら、俺が説得する。お前は何もしなくていい」
ブレーデンは何か言いたげに口を開いたが、結局閉じた。その表情を見て、ジョシュアは安心した様に微笑んだ。
「これは答えとして受け取るぞ。お前が言葉を失うなんて、見た事がない」
それでも何も言わないブレーデンにジョシュアは肩をたたく。すると、ブレーデンがようやく口を開いた。
「…殿下」
「何だ」
「私は…ダリア・バッケンを愛しています」
ジョシュアは目を見開いた後に、優しく細める。
「ですが殿下に仕えていきたいのです。どちらかを手放す事なんて出来ません」
「ああ、俺もお前がどちらかしか選べないなんて、おかしいと思う」
ブレーデンはジョシュアを見つめて言った。
「父を…説得して下さいませんか」
初めて聞いたブレーデンの頼みに、ジョシュアは喜んで答えた。
「勿論だ」




