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「到着は明日の朝だと思っておりました」
「今夜の予定がなくなって、夕方の便で来たのだ。
おかげでお前が、職務を疎かにしていた事を知れた。わざわざ予定を切り上げて来た甲斐があったというものだ」
男が皮肉げに言うと、ブレーデンが小さく「…申し訳ございません」と言った。
その男ーーブレーデンの父親であるアダラント・ハノーヴァーは、ノルヴェイン国の宮内卿である。
国王の要請により、急遽リーズリー国へ向かう事となったアダラントは、最近妙な噂を耳にしていた。
王子の側近である我が息子が、最近とある令嬢と一緒にいる姿をよく見かけるというものだ。しかもその令嬢は王子の妃にも気に入られており、リーズリー国への帯同を望まれ一緒に行っているという。
何か嫌な予感がしたアダラントは、予定を早めてリーズリー国へと出立した。
そして到着するなりすぐにパーティ会場へと向かった結果、アダラントの予感は的中した。
王子の側に居なければならないはずの息子が、件の令嬢とダンスを踊っていたのだ。アダラントは静かに怒りを募らせ、会場を出た二人を追いかけたのだった。
「お前は結婚をしないのではなかったか」
「はい」
「先ほどの令嬢を、好いているのか」
「…いえ、その様な事はありません」
やや間があった。それだけで十分だった。
そもそも、先ほどの息子の表情を見れば明らかだ。あのような目で令嬢を見つめておいて、好意を持っていないなど、どう考えてもあり得ない。
アダラントは頭を抱えて、ため息をついた。
「お前のような出来損ないを、殿下は選んでくださったのだ。そのご恩に報い、忠誠を貫くために、一生独り身でいる道を選んだ。そうであっただろう?」
「はい」
「私は強制などしていない。お前が言い始めたことだ。なのにお前は殿下のそばを離れて、令嬢に現を抜かし、自分が立てた誓いさえ崩れかけている…お前は一体何を考えているのだ」
ブレーデンは押し黙ることしか出来なかった。
だが皮肉にも、このような状況になったからこそ、ようやく自覚した。
自分は、ダリアを愛しているのだと。
「もしお前が結婚という道を選ぶのなら、私は喜んで受け入れよう。だが分かっていると思うが、何の繋がりもない子爵家など許すわけにはいかない。
ハノーヴァー家との縁を求める貴族が、どれだけいると思っている。忘れるな」
アダラントの言葉が、ブレーデンの胸に重く沈む。
「もうあの令嬢に近付くな。分かったな」
「………」
ブレーデンの喉が張り付いて、声が出ない。アダラントは呆れた様にもう一度「分かったな」と言った。
「……はい」
ブレーデンは絞り出す様に、何とか返事をした。
一方ダリアは、呆然とした様子で立ち尽くしていた。しばらくすると、ブレーデンの言う通り護衛の騎士がダリアを迎えにきてくれた。
部屋までの道中、ダリアはブレーデンの父親の名と、その人物が宮内卿を務めている事を知る。そしてどうやら、先程ダリアとブレーデンがダンスをしている所も見ていたらしい。
(あからさまに…私達の事を認めない空気を感じたわ)
その理由は、やはりダリアがただの子爵令嬢だからなのだろうと、直感した。
そこでようやく、ダリアは自分が大切なことを見落としていたことに気付いた。
例えブレーデンが自分を想ってくれたとしても、ハノーヴァー家の当主である父親が認めない限り、二人が一緒になることはできないのだ。
しかも、先ほど垣間見た二人の親子関係は、バッケン家とはまるで違っていた。
あの規律に厳しい態度こそ、ブレーデンの父親らしいともいえる。けれど、親子の間にあるはずの親しさはほとんど感じられなかった。
まるで父と息子ではなく、上司と部下のようだ。
その様な関係性で、ブレーデンが父親に強く出られるとは思えなかった。
「ありがとう、送ってくれて」
「いえ。お疲れ様でした」
部屋に戻ったダリアは、鏡台の前に腰を下ろした。イヤリングを外し、ネックレスも外し、最後にブローチに手をかける。
「………」
ゆっくりと外したそれをしばらく見つめる。そして、そっと両手で握りしめた。
(…明日、会えるよね?)
ブレーデンとのダンスは、人生で一番幸福だったと言える時間だった。それが今はもう、遠い昔の事の様に感じた。
翌朝、予定通りエマリエルによる王宮案内が行われた。
エマリエルは昨夜の事は特に触れずに、いつも通りの様子でダリアに接した。おかげでダリアも暗い気持ちを引きずらずに、純粋に楽しみながら回っていく。
最後に辿り着いたのは、大きなステンドグラスが貼られた図書館だった。
「ここは週に一回、一般開放しているの。これを見たら願いが叶うと言われていて、解放日は多くの観光客が来るのよ」
「願いが…叶う」
それはこの城を題材にしたもので、青い空に映える様に、深い緑の山に聳え立つリーズリー城。そこに一筋の光が差し込んでいる、美しく壮大なステンドグラスだった。
目を輝かせながらダリアが見ていると、エマリエルは呟く様に言った。
「…私は信じていないけどね」
「なぜです?」
「一つも叶わなかったもの」
ダリアは、幼い頃から何度もこのステンドグラスに祈る、エマリエルの姿が頭に浮かんだ。
今回の事で王族が抱える運命を知ったダリアは、胸が切なく震える。だがエマリエルが思いついた様に「あ、でも」と言った。
「一つだけ叶ったわ。素敵な人と巡り会えます様にって願ったの。おかげであなたに出会えたんだわ」
そう穏やかに言ってくれたエマリエルに感謝しつつ、ダリアはにやりと笑う。
「そう言っていただき大変嬉しいのですが…それは私ではない方なのでは?」
「…何を言って」
ハッとしたエマリエルの顔が徐々に赤くなる。そして「いいから、ダリアも何かお願い事してみなさい」と、誤魔化す様に言った。
ダリアは微笑みながら、胸の前で手を結ぶ。
そして一つだけ、願い事をした。
エマリエルに別れを告げ、部屋に戻って昼食を摂った。
そして図書館で借りた本を読んでいるうちに、夕方が迫る。
ダリアは身支度を整え、今日もあのブローチもつけた。
カチッカチッと時計の針だけが響く部屋の中、ダリアは一人ブレーデンを待つ。
すっかり陽が落ちた頃に扉のノック音がした。
「……っ!」
ダリアは返事もせずに扉の方へ向かい、勢いよく開けた。
「わあっ!」
「…ジェドイック卿」
そこにダリアが望んでいた人物はいなかった。
「ごめんなさい、返事もせずに」
「いえ、大丈夫です」
しん、と静まる。ジェドイックは気まずげに目を逸らした後、口を開く。だが言葉を発する前にダリアが言った。
「ハノーヴァー卿は、来られないのですね?」
ジェドイックは一度口を結んだ後、静かに言った。
「はい。行けなくなってしまい申し訳ない、との事です」
「…そうですか」
ダリアは俯く。でもすぐに切り替えて、何でもない事の様に気丈に「お伝え頂きありがとうございます」と言った。
ジェドイックは何か言いたげだったが、ダリアはそれに気付かない振りをして、微笑みを続ける。
ジェドイックはそれ以上何も言えず、「…失礼します」と言って、頭を下げた。ダリアはもう一度感謝を述べた後に、扉を閉める。
ゆっくりと歩を進めて鏡台の前に立ち、胸についたブローチを見つめた。
「…やっぱりあのステンドグラスの迷信は、ただの迷信ね」
そう呟いた後に、一筋の涙が頬を伝う。
自分はもう、ブレーデンに会えないのかもしれない。
そんな気がしてならなかった。




