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花泥棒に恋をする  作者: 柏木椎菜


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12/16

十二話

「……大丈夫? 少し休んだほうがいい?」

「平気だよ……歩ける、から……」

 僕は笑顔を作って答えた。トーラは心配そうに振り返りながらも、僕の先を歩き進んで行く――正直、平気じゃない。都まで歩いて来た疲れも相まって、この坂道や段差の多い道は体力を限界近くまで削ってくる。気を緩めればすぐにふらついて転びそうだ。対するトーラは平坦な道を歩くのと変わらない速さで進んでる。彼女だけじゃない。すれ違うエルフの人達は皆そうだ。まるで重力を感じてないかのように、すたすた歩いてる。これじゃ人間の僕だけ体力がないように見える。実際、僕を見かけたエルフは奇異な目で見てくる。人間自体も珍しいんだろうけど、一人ゼエゼエと荒い息で歩いてる姿は奇妙で不思議なことなんだろう。

「辛かったら言ってね。肩を貸すから」

「ありがとう。でも、大丈夫……」

 トーラの善意を断って僕は歩き続ける。彼女の前で弱音は吐きたくない。肩を借りてヨタヨタ歩くなんて、そんな情けない姿は見せられない……。

 魔法で作られたと思われる丸い光の街灯があちこちにあるおかげで、夜でも道を見失わずに進むこと十五分。トーラは駆け出すと一軒の家の前で立ち止まった。

「ファルク、ここが私の家よ。もうちょっとだから頑張って!」

 坂を上った左側に建ってる家……屋根や壁につたが這う、石造りの小さな家だ。そこがトーラの暮らす家か――ゴールが見えて僕は最後の体力を振り絞って足と松葉杖を動かした。

「はあ、はあ……やっと、着いた……」

「お疲れ様。さあ、中で休んで」

 扉を開けて、僕は部屋へ招かれる。トーラがランプに手をかざすと、部屋は瞬時に暖かな光で照らされた。

「好きなところに座って。喉が渇いたでしょう? 何か用意するから待ってて」

 自分も手伝う、と言い出す余裕もないほど疲れた僕は、促されるまま近くの椅子に腰かけた。机に松葉杖を立てかけて、そのまま両腕を置いてうなだれる。はあ、山を一つ登って来たような感覚だ。この疲れ、一晩休んで取れるかな……。

 しばらく待ってると、コップを持ってトーラが来た。

「これ、私の好きなハーブティー。疲れにもいいと思うから、飲んでみて」

 差し出された木のコップを受け取って中をのぞいてみる。薄緑色の澄んだ液体が爽やかな香りを立たせてる。僕が作るのと近い感じだ。そっと口に付けて飲んでみると、少しぬるめのお茶はほどよい苦味があって、喉の奥へ流し込むと自然を感じる香りと共に、かすかな甘味が舌の上に残った。

「……美味しいお茶だ。僕のハーブティーより美味しいよ」

「そんなことない。ファルクのもとても美味しかったわ。でも気に入ってくれたならよかった」

 トーラははにかんで言った。

「おかわりが欲しかったら言ってね。まだあるから」

「うん、ありが――」

 その時、ギュルルルと蛙の首を絞めたような音が鳴り響いて僕は固まった。トーラは目を丸くしてこっちを見てくる――間が悪過ぎる。空きっ腹にお茶を飲んだからか、腹の虫が騒ぎ始めたようだ。こんな恥ずかしい音を聞かれるなんて……。

「お腹も空いたよね。材料はあるから夕食作るね」

 笑いをこらえるような笑顔を見せてトーラは台所へ行った。料理までしてくれるなんてありがたい。この上なくありがたいけど、自分が恥ずかしい。顔、赤くなってないかな……。

 こぢんまりとした台所でトーラが材料を切ってる姿を横目にしつつ、僕は部屋の中を眺めた。ジロジロ見るのは失礼だけど、でもやっぱり気になってしまう。どんなものがあるのか、どんな趣味なのか、ちょっとだけでも知りたい。

 部屋の広さは、僕の家の一階より一回り小さいぐらいだろうか。印象としては、とにかく緑が多い。女性の部屋らしい可愛い置き物や小物類はあまり見当たらず、壁際の棚、台所の隅、奥に置かれたベッドの横など、あらゆる場所に植木鉢や観葉植物が置かれてた。僕のいる机の上にも、葉がしだれるように茂った緑が一つ置かれてる。これ全部トーラの趣味なんだろうか。それともエルフ族の部屋は皆こんなものなのか……。

「ねえトーラ、ここにはたくさん植物があるけど、世話するの大変じゃないの?」

 背中を向けて料理する彼女に聞くと、その顔がちらとこっちを向く。

「忙しい時はそうだけど、でも私が好きで置いてるから」

「エルフの部屋は皆、こんなに緑が多いものなの?」

「人によるけど、私の部屋は多いほうかも」

 じゃあこれはトーラの趣味なんだな。

「基本的に、私達エルフは緑に囲まれていたいのよ。神話では、聖樹に宿った神から生まれたのがエルフ族だと言われてて、つまり私達は樹木から生まれたとされてるの。だから母なる緑があると精神的にも落ち着けるのよ」

「へえ、そんな神話が……都中が緑に覆われてるのも納得だな」

「私ほどじゃなくても、人間も緑や自然は好きでしょう?」

「うん、好きな人は多いと思うよ。でも、屋根や壁につたが這ってるのは、どうだろうな……」

「私達は全然気にならないけど……その辺りがエルフと人間の感覚の違いね。この料理も、あなたの口に合うといいんだけど……」

 そう言われて僕はふと気付く。エルフって普段、どんなものを食べてるんだろうか。聞いたことないな。

「トーラの作ったものなら絶対美味しいと思うけど……ちなみに、どういう料理を作ってるの?」

「それは、できてからのお楽しみよ」

 ニコッと笑みを見せてトーラは手元に集中する――自然派な種族だから、やっぱり野菜を使ったものが多いのかな。でも彼女が作ったものであれば、僕は何でも嬉しいけど。

 楽しみにしながら待ってると、皿を持ったトーラが机にやって来た。

「お待たせ。はい、蛙肉入りのオイル蒸し野菜よ」

 丸い木皿に盛られたカラフルな野菜、キャベツ、ニンジン、パプリカ、玉ねぎ、赤かぶ……パッと見ただけでも五種類も使ってるなかなか豪華な蒸し野菜に、小さく切られた蛙の肉が控え目に混ざってる。この料理は初めて見るけど、予想通り野菜を使ったものだったな。自分が野菜嫌いじゃなくてよかった。

 トーラも自分の分を持って来て、僕の向かいに座った。そして興味津々にこっちを見つめてくる。

「美味しいかどうか、食べてみて」

 いつも以上にキラキラした目が、僕に対する期待を見せてた。きっと彼女の自信作に違いない。人間の僕でも美味しいと感じる料理であればいいけど――フォークを握って、まずは手前にあった赤かぶを突き、口へ運んだ。

「……どう?」

 よく噛んで味わって、飲み込んでから言った。

「……人間もエルフも、味覚には違いがないみたいだ。うん、美味しいよ」

「本当? はあ、よかった……」

 一安心の息を吐くと、トーラもフォークを手にして食べ始める。小さく頷いて自分の出来に満足してるようだった。その様子を見て、僕は若干の迷いを覚える――野菜は柔らかいし、オイルも絡んでて美味しいことは間違いない。ただ、味付けを忘れたのかと思うほど薄味過ぎて、僕はそこだけが引っ掛かってた。自分で食べたトーラが何も言わないということは、味付けはこれで合ってるんだろう。決して忘れたんじゃなく、これが完成形。彼女は素材の味をそのまま味わうタイプなのかもしれない。あるいはエルフは薄味を好む種族なのかも……どちらにせよ、味が薄いなんて面と向かっては言えない。食べられないほどじゃないし、何より彼女の手料理を食べてるんだ。こんな幸せなことはない。注文なんて付けたら罰が当たる。ここは黙ってありがたくいただいておこう。

「……もう一人暮らしは長いの? ご両親はいるんだよね?」

 沈黙を埋めるために僕は話を振ってみた。

「ええ。両親も都にいるわ。もっと上のほうに住んでる。一人になってからは、まだ三十年ぐらいしか経ってないと思う」

 三十年……僕が生まれる前から一人暮らししてるってことか。エルフにとってそのぐらいの年月は〝まだ〟の感覚なんだな……。

「じゃあ、そんなに寂しくないね。すぐに会えるし」

「そうだけど、向こうも滅多に会いには来ないから。私達って親元を離れると、祭事以外では関わりが薄くなるの。だから寂しいって感覚も、もともとそんなにないのよ」

「親子なのに関係が希薄なんて、何か、人間の僕からすると不思議な感じだな」

「人間は血のつながりを重視するって聞いたことがあるけど、私達は血より種族そのものを重視するの。自分の親とか子供だとか、そういうことはあまり考えずに、エルフ族としてのつながりのほうを大事にしてる感じね」

「へえ。でもそれもいいかも。種族を重視すれば、身内をひいきすることもなくて、何事も公平に進みそうだ。人間はそうはいかないよ。目立とうとするやつとか、私利私欲に走るやつが多くて……」

「私達にだってそういう人はいるわ。だけど、特に多いのは周りの目を気にして流されちゃう人かな。間違ってても、自分の声が出せない人……種族のつながりが強いと、多数からの同調圧力があって、不本意でも従うしかなくなってしまうの。もちろん公平な面もあるけど、いいことばかりじゃないわ……」

 うつむいて、つくづくと話すトーラの様子に僕は聞いた。

「何か、それに関して嫌なことでもあったの?」

 え? と顔を上げたトーラはすぐに笑顔を浮かべた。

「別に、ないけど……どうして?」

「随分と深刻そうな表情になってたから、嫌な思い出でもあるのかと思って」

「何もないわ。何も。ただそういう人がいるって話なだけよ。そこはエルフも人間も変わらないところね」

 ふふっと笑い、トーラは自分のハーブティーに口を付ける――ちょっと微妙な空気になったな。ここは明るい話題に変えないと。

「許嫁とは一緒に住まないの? 夫婦になるんだから今から住んでも――」

 話した途端、トーラはゴホゴホと急にむせて口元を手で押さえた。

「だ、大丈夫?」

 コップを置くと、トーラは片手を上げて大丈夫と示す。

「ゴホッ……ええ、ちょっと、勢いよく飲んじゃっただけだから、平気よ」

 胸を押さえて落ち着かせると、微笑んだトーラは僕を見た。

「……それで、何の話、だっけ」

「あ、ああ、その、許嫁と一緒に住まないのかなって……」

「彼とは婚姻を結んでから住むつもりでいるわ。それまではまだ……」

「そうなんだ。その婚姻の予定日はもう決まった? 前はまだ決まってないって言ってたけど」

 これに彼女は苦笑いを見せる。

「それが、決まってなくて……」

 驚いて僕はトーラを見返した。

「まだ決まってないの? 前に聞いた時からそれなりに時間が経ってるけど……」

「私も彼も忙しくて……顔を合わせて話し合う時間がなかなか取れないのよ」

「でも、同じ職場にいるんだろう? 話すことは――」

「同じ職場でも、仕事する場所も内容も違うから、すれ違いが多いの。無理にでも時間を作れればいいんだけど、それも難しくて……」

 困り果てたように話すトーラを見ながら、僕は首をかしげた。いくら仕事が忙しいからって、そんな大事な話を後回しにするのは婚約者としてどうなんだろうか。もしこれが人間での話なら、間違いなく結婚詐欺を疑うところだけど……。許嫁はレイダルといったか。彼はトーラを愛してるんだろうか。僕は彼の人となりはまったく知らないけど、忙しさを理由に予定も決めない態度は、少なくとも愛する彼女への態度とは思えない。そう言えば、僕の家で許嫁の話をしてたトーラはあの時、なぜか暗い表情で嬉しそうじゃなかった。何か問題でもあるのかと聞いたら、彼女は心配いらないと言ってたけど……本当はやっぱりあるんじゃないんだろうか。心に隠した悩みや何かが……。

「ねえトーラ」

「何……?」

 こっちを見る緑の瞳を見据えて、僕は言った。

「彼は、君と結婚する意思が本当にあるの?」

 瞬間、彼女は小さく息を呑んだようだったけど、すぐさま困惑の笑みを見せた。

「もちろん、あるに決まってるじゃない。じゃなきゃ婚約なんてしてないわ。変なことを聞くのね」

「だけど――」

「もうお腹はいっぱい? フォークが止まってるわ。温かいうちに食べたほうが美味しいわよ」

 笑顔でそう言って僕の言葉をさえぎってくる。もうこの話はしたくない、か――仕方なく僕は食事に集中して野菜を口へ運んだ。彼との間にはやっぱり、何か問題がありそうだ。僕でよければ力になってあげたいけど、無関係の人間じゃ打ち明けづらいだろうか……。

「――ふう、ごちそうさま。お腹いっぱいだ」

 料理を一足先に平らげた僕は、ハーブティーも飲み干して席を立った。

「食器は台所で洗えばいい?」

「洗うのは後でまとめて洗うから、置いといてくれればいいわ」

「うん、わかった」

 右手に松葉杖、左手に重ねた食器を持って台所へ向かう。その調理台の隅に置いて戻ろうとした時、あるものが目に入って思わず止まった。枯れてシワシワに色あせた白っぽい花。すぐ側には透明な液体が少しだけ入った小さな瓶がある――

「トーラ、これってもしかして、君が作ってる香水……?」

 振り向いて聞くと、トーラは食べる手を止めてこっちを見た。

「あ、それは……ええ、そう。あなたの花で作った香水……」

「少ししか入ってないけど……」

「作り途中だから」

「花が足りないの? それならもっと――」

「足りないわけじゃないわ。ちょっと、上手く作れてないだけ。私、自分で思うより不器用みたいで……」

 そう言って笑う表情は硬く引きつってた。確か香水は結婚する前に相手に贈るものだったはず。予定日に続いてこれも進んでないなんて、二人の結婚は一体どうなってるんだか。許嫁が本気で結婚したいのか、ますます怪しく思えて……いや、トーラの香水作りに彼は関わってないんだ。終えてないのは彼女自身の問題……あれ? 僕は許嫁のほうに問題があると思ってたけど、実際は違うのか? 香水を作り終えてないのも、予定日を決めてないのも、それはトーラの意思だったりするのか……?

「ど、どうしたの? また手伝うとか言う気じゃないでしょうね。駄目よ、香水は私の手で作らないと――」

「トーラはその香水を、ちゃんと作る気があるの?」

「え……? どういう、意味?」

 戸惑い、いぶかしむ目が見つめてくる。これ以上言ったらきっと気分を悪くさせるとわかってるけど、それでも確かめたい僕は彼女の視線に怯まず聞いてみた。

「君は、許嫁の彼と、本当に一緒になりたいって思ってる?」

 僕とトーラの間の空気が止まったようだった。真ん丸な瞳がわなわなと震えながら、吐き出す言葉を選んでる――怒らせてしまったと思った。すぐに後悔して謝ろうとしたけど、目の前の異変に僕は絶句してしまった。

 目を見開いてこっちを見つめる大きな瞳……それが滲み出た涙で濡れてた。やがてたたえ切れなくなって、ポロッと雫が頬を伝う。な、泣かせてしまった……!

「ご、ごめん! 馬鹿なこと聞いて……僕が、悪かった」

 慌てて謝ると、トーラは涙を拭いながらぎこちなく笑った。

「違うの。そうじゃないの……あなたは何も悪くないから……」

「悪いに決まってる。君を泣かせるなんて、最低なことを言った……本当にごめん」

 トーラはブンブンと首を横に振る。

「謝らないで……そんなことしなくていい。私が勝手に泣いたことなんだから」

 そう言うとトーラは食べ切ってない料理を残して立ち上がった。

「食事をして、おしゃべりもしたし、そろそろ休みましょう」

 自分が泣いてることなんてまったく気にしてない素振りで、トーラは平然と食器を運ぶ。

「えっと、その――」

 何か言わなきゃと話しかけようとしたら、その前に彼女がにこやかに言った。

「ファルクは奥のベッドで休んで」

「え? だ、駄目だよ。君のベッドなんだから君が――」

「私はあの長椅子で寝るから大丈夫。時々うたた寝して朝まで寝てることもあって慣れてるから」

 壁際に置かれた長椅子を示してトーラは言う。

「それなら僕がそっちで寝るよ。椅子じゃ身体が痛くなる」

「だから慣れてるから平気よ。あなたは私より疲れてるんだから、柔らかいベッドでぐっすり眠って」

「だけど……」

 ためらいが消せない僕を見て、トーラは行きましょうと背を押してベッドまで僕を連れて行く。

「遠慮なんていらないわ。あなたは私のために、危険な目に遭いながらも材料を持って来てくれたんだから。さあ、休んで」

 松葉杖をそっと取り上げられた僕は、これ以上拒むこともできず、仕方なくベッドに腰を下ろした。少し幅広なベッドは寝返りが悠々と打てそうで、毛布と敷布の感触もフカフカしてて、いい眠りが取れそうではある。

「勝手に来ておきながら、ベッドを使っちゃって、何か、申し訳ないよ……」

「そんなふうに思わないで。私はファルクが来てくれて、すごく嬉しいんだから」

「君を泣かせたのに、嬉しいなんて嘘は言わなくていいから」

「嘘じゃない。私は、本当に嬉しいの……」

 そう言いながらトーラは僕をベッドに寝かせると、毛布を静かにかけてくれる。

「それじゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ、トーラ……」

 僕達はしばし見つめ合った。その目は何か言いたげだったし、僕も何か言いたかった。でも言葉が出て来ず、見つめ合うことしかできなかった。もしかしたらお互いがお互いの言葉を待ってたのかもしれない。だけど結局静寂しか作れず、微笑みを残してトーラはベッドを離れて行った。視界の外でガサガサと音が聞こえて、やがて部屋を照らしてたランプの明かりがパッと消えた。窓からほのかに差す光が完全な暗闇にはしてない。木の梁と石が重なった天井を見ながら、僕は瞼を閉じて完全な暗闇に入り込んだ。脳裏にはすぐにトーラの姿が浮かんでくる。トーラ……彼女を泣かせるなんて本当に最低なことをしたと思ってる。でもあの涙はどういう涙だったのか。許嫁への気持ちを疑われて、普通は怒るものだと思うけど、トーラは涙を流した。質問がただ悲しかったから? それだと聞いた僕は悪くないなんて言わないだろう。あの様子から察して、許嫁か彼女、そのどちらかに問題がありそうではあるんだけど、部外者の僕じゃどうにもできない。祝われるべきことなのに、何でトーラは幸せそうに笑えないのか。僕に助ける機会はないものか――あれこれ考え続けるも、頭の疲れも限界に達して、僕は毛布を被って眠りについた。ベッドに埋もれると、太陽を浴びた草花の香りがして、深い眠りに心地よく落ちて行った。

 次に目を開けると、部屋には暗闇はなく、明るい光が広がってた。その眩しさに何度も瞬きをして僕は身体を起こした。

「……もう、朝か……」

 窓の外は日の光で満ちてる。毛布をめくってベッドから降り、靴を履いて松葉杖を握る。トーラも起きてるだろうか。

「……あれ? いない……?」

 壁際にある長椅子には丸まった毛布が置かれてるだけで、トーラはいなかった。部屋を見回してみても、姿はどこにも見当たらない。どこかへ出かけたんだろうか。それとも仕事に行ったのか? だとしたら何か書き置きとか残しておいてもいいと思うけど――そう思ってふと机を見れば、そこに一枚の紙が置かれてるのを見つけた。側にはいい香りを漂わせるスクランブルエッグのような料理もあった。とりあえず紙を手に取って見てみる。そこには細く流れるような文字で、壊された松葉杖を作ってもらいに行くとあり、朝食はそこにあるものを食べてと簡単な文章で書かれてた。彼女は僕のために出かけたようだ。しかも朝食まで用意してくれて。これを作ってる姿を想像するだけで胸が喜びでくすぐられる。ああ、こんな幸せな朝を迎えたのは初めてかもしれない。

「ありがたく、食べようかな」

 椅子に座って、僕はフォークで料理をすくう。ゴロゴロある黄色い塊は卵だろう。その中に刻まれた野菜や菜っ葉が混ぜられてて少しカラフルな見た目になってる。その一つを食べてみると、やっぱり味はかなり薄かったけど、卵と野菜の風味は存分に感じられた。朝食ならこれぐらいでもいいかもしれないな。

 トーラの手作り料理を黙々と噛み締めてると、コンコンと玄関の扉を叩く音がして僕は手を止めた。……お客さん? どうしよう。僕が勝手に出ていいものか。だからって無視するのもな――迷ってると、急かすように再び叩く音がする。まあ、トーラは出かけてると言って出直してもらえばいいかと、僕は立ち上がって玄関へ向かった。

「はい……」

 ゆっくり扉を開けると、それを待てないかのように外から強引に押し開かれて、僕は危うく後ろへ転びそうになった。

「ちょっ、ちょっと! 急に危な――」

 よろけながら相手を見た瞬間、息を呑んだ。スラリとした金髪の男前が僕を見下ろしてる。その整った顔を見るのはこれで二度目――トーラの許嫁、レイダルが目の前に立ってた。

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