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お千絵の隠密勤め 大奥御半下勤めの巻  作者: 開運満足 


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4/5

宇治之間

 千絵は、今、梨雪の案内で宇治之間に向かっている。

 歩きながら、宇治之間が、怪異が起きる「開かずの間」となった理由を考えている。

 部屋を出る前に梨雪から聞いた話である。


 第五代将軍綱吉の時代の話というから、千絵や梨雪の時代から百三十年ほど前になる。


 梨雪の説明は、十七の少女でありながら、さすがは御台所御用の御伽坊主と納得できる。知識は豊富で、話し方も十七歳の話し方ではない。


「綱吉公は第三代将軍家光公の四男としてお生まれになったので、

 本来将軍になるべき定めではありませんでした。

 兄の家綱公が第四代将軍となり、その家綱公に子が出来なかったのです。

 そのことが綱吉公の運命を変えてしまいました。

 綱吉公が家綱公の養子となり、その死後に将軍職を継いだのです。

 そして、その綱吉公にも跡継ぎとなる子が出来ませんでした。

 そのことが綱吉公とその御台所様の死に、

 理不尽な噂を纏わりつかせる原因になったのでございます」



「それがどのように、

 宇治之間で様々な怪異が起こるという話に・・・?

 宇治之間で何があったというのですか?

 なぜ『開かずの間』に?」


 千絵の方が、幼さを感じさせる話し方になっている。


「綱吉公が、御台所の鷹司信子(たかつかさのぶこ)様に

 宇治之間で刺し殺されたというのです・・・

 手を下した御台所様も、その場で喉を突いて・・ご自害なさったと。

 そんな、恐ろしい無理心中話が、

 本当にあった話として、語られるようになったのです。

 しかし、これは噂・・

 根も葉もない噂話でございます。

 とは言え、他聞をはばかりますので、

 お千絵様、

 くれぐれも、ここだけの話に・・お部屋の外では・・・」




 梨雪によると、心中の原因は色々言われているそうだ。

 ある者は、当時の将軍の御側用人柳沢吉保(やなぎさわ よしやす)とその側室飯塚染子(いいづか そめこ)の子として生まれた柳沢吉里(やなぎさわ よしさと)が、本当は、柳沢の子ではなく、柳沢吉保が染子を極秘に将(・)軍(・)綱(・)吉(・)に(・)献(・)上(・)し(・)た(・)際(・)に(・)出(・)来(・)た(・)綱吉の隠し子だったといい。そして、その隠し子を綱吉が将軍にしようと動き始め、それを諌止(かんし)しようとした正妻の信子に殺されたと言う。

 また、ある者は、綱吉は、父親の家光と同様に、男色趣味のため子作り自体が出来ず、それで夫婦の仲が悪かった、大奥の飾りびなより酷い扱いに、ついに信子が思い余って・・・と言っているそうだ。


 千絵は思う、

『今も昔も、世間は醜聞が大好きだ。

 複雑な現実や、人間の理不尽さを受け入れることが出来ず、

 ありきたりな原因と結果や、理解できる単純な動機を素直に受け入れる。

 真実らしく聞こえる単純明快な理屈、説明しやすい物語のほうが、

 ――本当はこういうことなのだ――と世の中には伝わりやすいのだ。

 自分の頭で納得できることが、その者の事実であり真実になりがちだ。

 下種は、下種なりに、下種の勘繰りこそが本当らしく思えるし、

 夢想家は、夢想家なりに、夢や理想を追求した話が本当らしく聞こえる』


 梨雪の斜め後ろを付いて行きながら、考え事をしているが、千絵はけっして注意は怠らない。

 夜、暗闇に閉ざされた広大な大奥の天井裏や廊下を縦横に行き来するために、柱と壁、曲がり角の位置等、襖の絵や引手の紋様や縁に使われている木の特徴、その全てを頭に入れている。


 長局の一之側から、いくつもの部屋の角を、左に抜け、右に抜けして、北西方向に進むと、呉服の間が右手にあって、多くの女中が行き交っている。未だ午前中の忙しい時間なのだ。

 呉服の間の奥は御台所の住む御殿向(ごてんむき)、あるいは新御殿と呼ばれる場所である。


 右前方に中庭がチラッと見えた、と思ったら今度は左に曲がった。複雑に入り組んでいるのが大奥だ。

 今曲がった、その曲がり角が御仏間(みほとけのま)だった。そのひとつ先の部屋が目的の宇治之間だという。


 考え事をしている千絵は、自分を周囲の空気と同化させている。目立たないように、空気のように存在を隠して、気配を消している。

 誰の目にも映っているはずなのに、 千絵を意識する者は誰一人いない。これを隠遁の術と言う。意識せずに自然にできる千絵であった。


 宇治之間へ向かう廊下は、左側にのみ部屋が続いて、どこか乾いた匂いがする。長局の廊下とは違い、湿度が低いからだ。

 西側(右側)が庭に面している。

 宇治之間の向こう側は吹き抜けの廊下になっていて、中庭が見える。松が何本も生えている。

 その手前の宇治之間は、障子越しに初夏の光が白く差し込み、その光が黒光りする廊下の板目を淡く照らしている。明るそうな部屋だ。


 梨雪が御仏間の横を歩きながら、ぽつりと言った。


「・・・宇治之間は、女中たちに怪異が出ると怖がられておりますが、

 怪異など起こりそうもない、こんなに明るい場所にあるのです」


 千絵は横目で梨雪を見る。


「明るい部屋なのに怪異を見るものが多いと・・・?」


「はい。

 御仏間の隣にあって、

 将軍様が御台所様に挨拶をなさる御清之間(おきよのま)にもほど近く、

 上の御鈴廊下の御錠口(おじょうぐち)からは、すぐそこにあるのです。

 だから、将軍様が大奥への御成りになる際に、必ず横を通る、

 そんな場所にある、まことに清浄なはずの部屋なのです」


 将軍家は、いつでも好きな時に大奥に入れるような印象があるが、実際には、慣例やしきたりに縛られた生活を送っている。夕七つに大奥に入るのもしきたり、今日の御伽の相手を決める時も、そうでない時も、必ず、歴代の徳川将軍の位牌が並ぶ御清の間に入り、御台所様の挨拶をお受けになられるのも、またしきたりだ。


『今の将軍様は、夕七つ(およそ午後四時)の大奥入りを避けておられるという。

 その時刻に入御なされるのが、動かせぬほどの慣例なのに、

 御清の間で御台所様の挨拶を受ける習わしが、問題なのだそうだ、

 御台所派と本丸派の御年寄たちが、誰がその場に居合わせるかで争っているそうな・・・

 将軍家と言えど、大奥の御年寄合議の慣例を「こうせよ」と変えられぬとは、

 なんとも、不便で、ご不自由で、可哀そうなこと・・・』




 梨雪は宇治之間の前まで来ると立ち止まった。

「このお部屋が宇治之間でございます」


 梨雪は、障子越しの光を見つめる。

 向こうの吹き抜けから、廊下に初夏の風が入って来る。

『こんなに明るく爽やかな場所なのに』と言うように。


 千絵に手でその方向を指し示しながら、


「この廊下を突きあたって、右に曲がると、

 上の御鈴廊下に繋がっております。

 左に曲がると、お渡りになった将軍家が、今夜の伽を決める御対面所。

 同じく御二之間、御三之間と、左横奥の方へ続いております」



「宇治之間と、御対面所との間にも廊下がありますね。

 その廊下は、御二之間、御三之間の裏を通って、どこに繋がるのでしょう」

 と聞きながら、さりげなく千絵は梨雪の前に出て、膝を折り身を縮め中腰になる。


「千鳥の間、奥御膳所、御祐筆の間、御使座敷、御広座敷へと続いております」



 梨雪の前に出て来た千絵は、中腰のまま、今度は後ろを振り返りながら、

「そして今やって来た方向へ、途中を曲がらずに、そのまままっすぐ行くと、

 御台所様ご支配の御殿向、新御殿になるのですね」

 と言い、梨雪の体にピタリと身を寄せた。隠れたのである。


 すると、いつの間にか、後ろの方で宇治之間の前に立つ二人を興味深げに見ていた女中たちが、梨雪につられて、新御殿の奥の廊下方向に、一斉に首を向け「私たちの後ろに何かがあるのかな」と後ろを見る。


「はい、その通りです。

 あちらは新御殿です。

 この通り、明るい場所なので、

 とても怪異など、信じがたいのです」

 と梨雪が返事をして振り返ると


『いない!』


 千絵が忽然と消えた。




 千絵は、目に留まらぬ速さで、襖を開け閉めして、その音もたてずに宇治之間に入ったのだ。


 梨雪は思わず息を呑んだ。

 キョロキョロと後ろを向いたり前を見る。


 宇治之間と御対面所の間の廊下、後ろの新御殿と、順番に目を向けていた一瞬間のできごとだった。


 後ろでは呉服の間詰(ごふくのまづめ)の女中が、こちらを見て話をしている。その奥の向こう側にも御殿向の女中らが廊下に立って、こちらを見ている。誰も千絵が消えたことも、いたことにも気づいていない。


 そこに人がいると感じさせないようにする、人の意識の外になろうとして、そうなってしまえる。そんな気配を消している存在は、そこに見えていてもいないのと同じで、一瞬で存在を忘れ去られる。

 千絵は、人の意識の中でいつでも存在を消せる「薄い影」や「無」になれるのだ。


 女中たちは、挙動不審な御伽坊主が宇治之間の前に立って一人でブツブツ話をしていると思っているらしい。そして他には誰もいない。


 襖の裏から千絵の声がする、

「梨雪殿、こちらです。宇治之間に入りました」



 幸い、御伽坊主は何処にでも入室できる特権がある。

 梨雪はゆっくりと襖を開けて入ってゆき、後ろ手で襖を閉めた。


 梨雪が閉めた襖には、 見事な襖絵が描かれていた。


 廊下に面する中央に4枚、左、右それぞれ2枚で8枚、鴨居部分も小さな襖があって同じように8枚を用いて「宇治の茶摘の絵」が描かれていた。

 絵の中では、春の光を受けて、若い娘たちが籠を抱え、柔らかい葉を摘んでいる。

 美しい金と緑の色彩と構図が目を惹くが、今は陰気な暗さの中にいる。


 千絵は宇治之間全体を見渡した。

 光が差し込めば明るいはずなのに、部屋の奥は暗い。

 右(南)の廊下に続く障子の紙は新しいのに、どこか波打っている。

 畳は表面が乾いているのに、踏むたびに「しゅーっ、しゅーっ」と湿りを感じさせる音がする。

 部屋全体が、 西の廊下側に描かれた襖絵を守るために、 湿気と薄暗さを保っているようにも感じられた。


 梨雪が、いま閉めたばかりの襖を、再び部屋の内側から開けた。

 不自然な湿っぽさと、部屋の陰気さの圧迫感に耐えかねたのだ。


「思ったより、暗く湿っぽい部屋でございますね」


 西から午前の鈍い光が差し込むと、光の鈍さにもかかわらず、襖絵は逆光で良く見えない。

 しかし、部屋の奥は相変わらず影が濃いままで、襖を開けた効果はあまりなさそうだ。


『この部屋は、

 廊下を隔てて御対面所に接している、

 将軍が今晩の御伽の相手と一緒に御対面所から、

 廊下を横断して、宇治之間に入って来るように作られているでは?

 そうです、南面の障子を開け、さらには御対面所の裏の襖も開けて、

 光と風を入れるように作られているのでしょう。

 西面の廊下から襖を開けて入ってしまっては、駄目なのです。台無しなのです。

 見事な襖絵が隠れてしまいますし、

 西日が入る時間にそんなことをしたら、襖絵が痛みます。

 だから、きっと昔から「決して、開けてはならぬぞ」と

 理由を告げずに、上級女中たちが、一般の女中に言い聞かせてきたのでしょう。

 今では、御伽の世話をする御年寄衆だけが、知っている秘密に違いありません。

 軽々しく女中が入らないように、体よく「開かずの間」にしている・・、

 そうに違いありません』



 そう結論付けながらも、膝を曲げた低い姿勢で、千絵はゆっくりと首を左右に振りながら、畳の上に仔牛命婦失踪の「事件の痕跡」が残されてないかを探っている。無言のままである。




 その時、軽い足音をさせて、宇治之間に近づいて来る者がいた。

 誰であろうか?



 千絵が、片手で畳を押すような仕草をすると、千絵の体が宙に浮き、一回転して、箪笥の上に、そして天井の梁の上に飛んだ。千絵は、音もなくその上に立ち上がると、着物姿を天井に隠した。



 そして「見つけた」とほほ笑んだ。省吾に愛された天女の笑みだ。


 見つけたのは開かずの間の声や音の犯人の痕跡だ。

 見つけたのは仔牛命婦に繋がる痕跡だ。


 その天井の、梁の上に──

 油紙包みの食料、髪の束、小さな布の端切れ、

 そして、誰かが這い回ったような擦れ跡。




 下では、梨雪が一人の女中を相手にしている。


「あのぅ、梨雪様が、ひとり、この部屋に・・・、

 宇治之間に入るのが見えたものですから、

 何事かと思ったのと・・・

 ひとりで宇治之間にお入りになるのは、居心地が良ろしくないに違いない、

 そう思いまして、

 御付き添い出来るなら・・した方が良いのではないかと」


 若いが、梨雪より数歳は年上に見える。

 つっかえながらも、ねっとり甘えるような声を出している。


「はい、春殿、いつものように、御台所様の御用です。

 誰もいないはずのこの部屋で深夜に声を聴いた者がいると、

 それを調べろとのことなのです。

 春殿、御三の間から呉服の間にご出世なさったばかりで、

 私に会おうと御用を抜け出して・・・、

 開かずの間にいたと知れたら、お叱りを受けますよ。

 御伽坊主にはどこにでも入れる特権があるのです。

 心配はいりませんよ」


「春は、私は、梨雪様のお顔を拝見できるだけで良いのです。

 それが・・仕事の励みになるんです。

 梨雪様の凛々しく可愛らしい姿が・・励みなのです・・。

 それでは・・これで失礼いたします。

 宇治之間の怪異が、梨雪様に悪さをしませんように・・・」



 千絵にも、下の会話は筒抜けである。


『なるほど、女の園、花園ですね。梨雪さんは人気がありそう』



 春という呉服の間詰の女中が宇治之間を出て、遠ざかったのを確かめてから、梨雪が襖を閉める。

 千絵が梁の上で見つけた証拠を持って、音(・)も(・)な(・)く(・)飛(・)び(・)降(・)り(・)て(・)言う。


「上に、梁の上に、このようなものが、

 それに誰かが争った跡が・・・」


 と油紙包みの食料、髪の束、小さな布の端切れを見せる。


「・・・どうやら、開かずの間の物音というのは、

 怪異の仕業ではなくて、

 人のせいのようでございますね」


 と梨雪は言った。



「梨雪殿、もうひとつ確かめてみましょう」


 そう言うと、千絵は、南側一面の障子戸を全開にして見せる。


 隣室の御対面所は、女中衆が拭き掃除中で、開け放しであった。

 その事実を、千絵は天井裏で既に確かめている。

 他にも、千絵が天井裏で確かめたことが、いくつかあるようだ。


 光が南向きの御対面所から柔らかく入って来て、

 風が、東西に抜ける廊下から、御対面所へと吹き抜けて行く、

 みるみる、宇治之間の不自然な湿気と暗さを奪っていく。


 今は、西面の宇治の茶摘みの絵が輝くばかりにきれいに見える。

 絵の茶摘み娘の一人が、腕で額の汗を拭きながら、

 光が眩しいと、その目が訴えている。

 娘の籠からは柔らかい茶の葉の香りが漂ってきそうなくらいだ。

 絵が生き返った。


 御対面所を掃除している(御三の間と呼ばれるお目見以下の)女中衆は、開いているのが宇治之間の南面と気付いて、小さく、それぞれが声を上げる。


 梨雪が落ち着いて、優しく声をかける。

「御台所様御用である。心配するでない。

 空気を入れ替えているだけのこと。

 騒がず、自分の御用に専念しなされ」

 


 千絵は、梨雪に近づいて耳打ちする。

「梨雪殿、西側の襖を開けてならないのは、

 南から入るように部屋が作られているからです。

 将軍家が御対面所からこの部屋に入れるようにです。

 諸般の事情で、御対面所を使う機会が減ったのでしょう。

 そのせいで、宇治之間が『開かずの間』になったようです」


 梨雪にはこの説明で充分だったようだ。

 理由が口止めされているのには。理由がある。分かったからと言って、誰にでも教えるというわけにはいかない。そのように千絵は判断した。将軍家や御台所の健康や性生活に関係することがらは、大奥の機密中の機密なのだから。



 梨雪が千絵に言う

「襖絵を守るための開かずの部屋。

 しかし、陰謀を巡らす者たちにとって、

 噂は、利用価値がある。

 何かを隠し通すために、新たに何かが、語られたものかもしれません」


 千絵は静かに頷いた。


「誰かが、噂を用いてでも、隠したい何かが、ある・・・

 そして仔牛命婦は、その何かの正体を見てしまったようですね」


 その瞬間、

 御台所の御用の鈴が「チリ、チリ、チリ……」と鳴った。

 長局で聞く鈴の音と違い、大きく聞こえる。


 光の中で鳴るその乾いた音は、

 宇治之間に隠された謎、落とされた証拠の意味を、早く解けと言っているように思えた。




お千絵の隠密勤め 大奥御半下勤めの巻 (つづく)


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【ご参考】「徳川実紀」に記される「史実」によると、綱吉は年末に江戸市中で流行していた麻疹にかかり、正月の城中行事を取りやめ療養し、1月10日(宝永6年1月10日は西暦1709年2月19日)に麻疹の為に亡くなったとされる。噂が広がったのは正妻鷹司信子が後を追うように続けて亡くなったと後の人が感じたことが原因らしい。

しかし、正妻鷹司信子が亡くなったのは宝永6年2月9日(西暦1709年3月19日)で、綱吉死のひと月後で原因は、綱吉と同じく麻疹でした。そんなに早くはありませんね。たぶん、城内で感染したのでしょう。

また、綱吉は、信子と御台所付御年寄・伊豆局の手によって殺害され、信子はその後自害したという俗説(『日光邯鄲枕』)も残っています。それも、いまのところは、信憑性はあまりなさそうと言えます。


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