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お千絵の隠密勤め 大奥御半下勤めの巻  作者: 開運満足 


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狂言芝居の最中に

 大奥に朝四つ(およそ午前10時)の太鼓が鳴り響く、表では老中が登城してくる刻限だ。


『ご老中水野忠邦様も、側用人式部仙十郎様をお供に、御出勤なさっていることでしょうね』


 仔牛命婦を見つけるためには、どうしても御台所の周辺の人物から聞き込みせねばならぬと思いながら、千絵は、40代半ばの働き盛りを迎えた筆頭老中とその側用人のことを思い浮かべた。


「梨雪殿になんでも相談役として頼るようにと式部様は仰ったのですが、御台所様の周辺に梨雪殿が聞き込みをするという名目で私が同席出来ないでしょうか」

 千絵は梨雪に聞く。



「将軍家が、朝、夕と訪れることで、

 成り立っている大奥の慣習としきたりなのですが・・・

 将軍家の代わりに御台所様が北の間で奥女中ら、

 御中臈様以上のご挨拶をお受けになるのが、

 近頃の総触(そうぶれ)の代わりとなっております」


「将軍家が大奥を訪れないからですね」


「はい、

 将軍家が来る来ないにかかわらず。

 御台所様は、お召替えをせねばならず

 張り合いがないこと、気の毒なくらいでございます。

 御台所様のお気を晴らしつつ、良き思案が・・・」


 しばらく御仏間の前で待っていると、雪乃を先頭に御中臈瀬津とその御次3名が現れた。

 これから長局から御台所様にご挨拶に上がるのである。


 雪乃に梨雪が耳打ちし、梨雪と千絵がその一団に付いて、御殿向きに向かう。


 千絵のような御半下が御殿に上がれる機会は限られる。それは主に水仕事や力仕事が必要な時で、なかでも、彼女らに大奥内で御乗物(おのりもの)と呼ばれる駕籠を担ぐ役割があった事は有名である。高級奥女中の儀式や大名姫君の訪問時には、彼女たちが担ぐ駕籠が大奥内の移動の手段として使われた。


 御殿に居るだけでも千絵は緊張しているが、ここは梨雪と雪乃を信頼して任せるべきと考えて割り切っている。


 御殿向きの北西にある新御殿の「上の間」には、すでに奥女中たちが集合しており、そのお付きの女中衆が「下の間」を埋めていた、雪乃の一団から御中臈瀬津のみが「上の間」に入り雪乃を含めた残りは「下の間」に残る。

 皆座って、御台所様を待つのである。

 千絵は「下の間」の手前の部屋、「次の間」に梨雪とともに待機した。梨雪はお目見え以上なので「下の間」に入れる。だが、千絵と密談の必要があって残った。


 やがて、御殿の居間とも言える「御座之間」から御台所様が上臈御年寄以下の近習を連れて出て来て「上の間」の上座に着座する。


 一同の着座が終わるのを待ち、御年寄衆が互いに目で合図して、一斉に


「御機嫌よう・・・」


 と挨拶しはじめると、皆が


「御機嫌ようございまする」


 と一斉に頭を下げる。


 御台所が


「うむ、みな、励んでおくれ」


 これで、御台所が「御座之間」に退出して儀式は終わる。


「うむ」だけで終わる場合もある。極めて簡単なものである。


 本来の将軍家の御成りに対する総触(そうぶれ)は、歴代将軍の位牌が並ぶ御清の間に入り、立礼し、こちらに振り返った将軍家に、御中臈以上の高級女中を従え座って待ち受けていた御台所が「御機嫌よう・・・」と挨拶し、将軍が「うむ」と応じる儀式だ。それをまねただけなのだから、簡単なのもやむを得ない。


 さて、御台所が退出し、続いて上臈御年寄、御上臈、御年寄、中年寄ら老女たち、次に御小姓らが退出する際に御中臈瀬津がその一人を呼び止め、耳打ちする


「芝居狂言で今評判の蜻蛉切(とんぼきり)を

 御台所様と御小姓の皆様にお見せしたいと

 お伝えください」


「今この場でですか」


「はい、皆さんが退出した後、

 御殿の上下の間が空きましたら、

 直ぐにお見せ出来ましょう」



 御小姓とは7~15歳までの少女で、御台所の小間使いをする役目を背負った高級旗本の子供たちだ。

 耳打ちされた御小姓は、十四五であろう、嬉しそうに笑顔を隠しきれず、急いで皆の後を追って行った。



「狂言芝居」とは、今でいう歌舞伎のことだ。当時は単に「芝居」ともいっていた。歌舞伎という言葉が普通に使われるようになるのは、もっと後世になってからだ。

 かっては、大奥女中が、御台所の代参で御使いに行った際の帰りには、芝居見物も黙認されていて、上級女中になると、桟敷席で弁当を使いながら楽しむこともあったと記録されている。


 この千絵の時代には、芝居見物はますます隆盛を極め、人々に欠かせないほどの娯楽として、流行っている。

 芝居見物だけでなく、芝居の名場面や役者の演技は浮世絵にもなり、芝居に用いる物語もたくさん作られ、鶴屋南北の四谷怪談やお染久松の演劇が大ヒットしていた。七代目市川團十郎の活躍もこの頃の話で、立ち回りで見せる芸のひとつ、蜻蛉切(とんぼきり)と呼ばれる宙返りは、やんやの喝采を浴びるほど評判となっていた。


 千絵や梨雪の時代から100年以上も前に起きた江島生島事件の後、表向きは、大奥女中誓詞に「物見遊山へまいるまじき事」と書かせ、たとえ宿下がり時にも芝居は見に行きませんと誓わせるほど、芝居見物を厳しく禁じた幕府であったが、実際には宿下がりの限られた自由を芝居見物に費やす女中は絶えなかったという。





 蜻蛉切を御台所様とその近習に見せて、聞き込みの端緒としようという話を梨雪に聞かされた千絵は意外に思った。


「芝居の真似事を大奥で?」


 と梨雪に思わず問い返した。


「宿下がりの折に芝居など見てはならぬと法度にはございます。

 ですが、浅草や木挽町の芝居小屋には、

 いかにも武家の娘らしい女客が少なからずおりますし、町娘も大勢。

  あれらの中に、本当に大奥勤めの娘が混じっていないとでも?」


「なるほど。 法度が厳しくなるのは、それだけ抜け道を辿る者が多いということですね」


「お上がこうしてはならぬと言えば、

 下々はこれならできると、工夫するものなのです。

 ただ、御台所様の周辺が外に出られる機会はほとんどありません。

 少しでもお慰めになりましたら・・・

 私が扇子を刀代わりに、お千絵様に斬り付ける演技をしましたら、

 お千絵様が宙返りするのは・・・」


「問題ありません、

 お芝居は好きで、何度も見に行っております」




 やがて御台所様、上臈御年寄、御上臈、御台所付き御年寄衆と御小姓という具合に、御台所の身内たちが部屋に戻って来た。

 御中臈瀬津が、「次の間」に、御伽坊主の梨雪と新たに自分の部屋子となった千絵と申す者がおり、この者たちが演じますと紹介し、即興劇が始まる。




 御中臈瀬津が進み出る。


「それでは、御台所様のお慰めに、

 つたない狂言芝居をお目に掛けまする

 即興狂言芝居

『消えた仔牛命婦の怪と秘剣偃月切(えんげつぎり)』始まり、始まりーー」


 御小姓たちが顔を見合わせて笑う。

 遊びたい盛りの少女たちだ。どんなものが見られるだろうと期待するだけで笑顔になってしまう。


 梨雪は扇を刀に見立て腰に当て、 大げさに肩をいからせながら、のっし、のっしと、芝居の舞台に見立てた「下の間」の中央へ。


 梨雪


「聞かれて名乗るもおくがましいが・・・、

 やあやあ我こそは、 大奥のおおーめーつけ、

 大奥に、その人ありと知られた切れ者、梨雪駄衛門!」


 上の間に居並ぶ一同、くすりと笑って、とんでもなく素人臭い演技に、苦笑している。とはいえ、好奇心には勝てない、忽ち引き込まれて行く。


「浜の真砂は尽きるとも、 菓子盗人の種は尽きまじ。

 姦しき女中の噂 その噂の元と、菓子のありかは、

 この梨雪 その全てを、何でも知ると 心得よぞ!」


 御小姓たちが、たまらず吹き出す。下手くそ過ぎるのだ。


 千絵


 何かに驚いて、慌てて、少し困ったふうに進み出てくる。


「大目付様、おおーめーつけ様、大変にござりまする。

 梨雪駄衛門様、一大事でござりまするー。

 仔牛命婦様が居なくなりましてござりまするー!

 お探しください。

 お願いにございます! 」


 こちらは、アンバランスにも、真に迫った演技だ。

 一同から「おおー」と声が上がる。不均衡の妙というものである。

 


 梨雪


「なに! それは、まさに一大事じゃ!

 いやいや、騒いではならぬぞ。

 落ち着け、落ち着けー!」


 深呼吸して、それから扇を額にコツコツと当て、思案顔で。


「さては、鬼ごっこをしておるのであろう!」


 千絵、ため息を吐く


「・・・違います」


 梨雪


「隠れん坊?」


 千絵


「まさか、あの大きなお体で」


 梨雪


「暴れん坊?」


 千絵


「大目付様、いったい、何をおっしゃっておられるのやら・・」


 梨雪


 やけくそ気味に

「嫁に行ったか!、駆け落ちか!」


 千絵


「それは、絶対に、違いまする!」


 ここまでに、堪え切れなくなった御小姓たちが、ゲラゲラと腹を抱えて笑い始めている。


 梨雪


「よろしい。 ならば本気で推理せねばならぬ・・・。

 おっ!そうじゃ、そうじゃ、

 わかった!」


 扇を高く掲げて、パッと広げる。


「大奥には三つの謎がある・・・」


 一本指を立て、御小姓衆を舐めるように見る。


「ひとーーつ! 菓子が勝手に減る!」


 幼さを残す一部の御小姓たちが、慌てて目を逸らす。


 二本目を立てる。


「ふたーーつ! 恋文が・・誰にも知られぬはずなのに、なぜか皆が中身を知っておる!」


 ここで、老女たちまでが、「おほほ、ほっ」と、声を立てて笑い始める。


 三本目。


「みっつ! 開かずの間で夜になると物音がするという」


 千絵


「では仔牛命婦様は?」


 梨雪


「その通り!」


 扇を前に突き出して。


「宇治の間で寝ておる!」


 千絵


「寝ておりません!」



「おらぬか、では御鈴廊下!」


 千絵


「上様の御成りの邪魔になります、おられません!」


 梨雪


「長局!」


 千絵


「いません!」


 梨雪


「では御膳所だ!

 そこで、つまみ食いをしておるのだ」


 千絵


「おりません!」


 梨雪


「ではどこだ!」


 千絵


「それを探しているのです!」


 一同、収拾がつかぬくらいの大笑いとなる。


 梨雪


「こうなれば、考えるより動くことだ。

 下手の考え休むに似たり、

 この梨雪駄衛門が、我が師から相伝した柳生流の秘剣、

 それで突破口を開こーうーーぞーー」


 扇で、刀を抜く所作をする。


「それ!鬼をも一刀両断の秘剣ぞ、人呼んで偃月切(えんげつぎり)だ!」


 シュッと刀に見立てた扇を、千絵の胴をめがけて、袈裟に振り落とす。


 扇子が千絵に当たる前に、千絵はくるっと前に宙返りし、 トンと音をたてて立つ。


 ちなみに、蜻蛉切とはとんぼ返りとも言い、この頃の芝居の立ち回りで使われ出した手法のことだ。手を床に付かずに行う宙返りのことである。宙返りすることを蜻蛉を切るという。


 さらにもう一回、梨雪の扇が振り降ろされ、千絵が今度は後ろに蜻蛉を切った。


 御小姓たちは大歓声である。老女たちも声を上げている。


「おおーっ!」


「もう一度!」


「見せて、見せて!」


 梨雪


「まだだ!」


 二度三度四度と扇を振る。


 千絵は後転、側転、前転して、また後転する。


 さすがは本職の忍びだ。宙返りで床に降りるたびに、トン、トン、トンと軽やかな音がする。

 その気になれば音もたてずに着地できることだろう。


 突然、梨雪が立ち回りをピタッと止めた。

 急に黙り込む。


 御小姓たちは「何が起きたのか」と思い、皆に沈黙が感染する。

 梨雪はその静かになった御小姓たちを、ずーーーっと見て、


「見たか!御小姓ども」


 と大声を上げる。


 御小姓たち、ばらばらに


「何を?」「えっ?」「何か見えた?」「わからない」


 梨雪笑顔で、


「今のごとく、 人は目の前で動いておる物しか見ぬ!」


 と「上の間」の一点を扇子で指し示す。


 盆に山盛りされた菓子の最中(もなか)が、いつの間にか御台所の前に置いてある。


 老中水野忠邦が大奥へ差し入れたものである。

 今朝早くに、式部仙十郎が御広敷役人に託して手配していたものだ。それを御広敷役人が御中臈瀬津の筆頭御次の雪乃経由で、奥御膳所の台所役人へ持って行き、奥御膳所から、御台所付きで毒見担当を兼ねた中年寄へ、そしてその中年寄の手でつい先程、御台所様が座る御座まで持ってきたのである。お菓子を差し入れるにも、大変回りくどく手間のかかることである。


「おおー!」


 御小姓たちも老女たちも、心憎い演出に拍手喝采である。



 千絵


 前に出て一礼をしながら、


「だから、隠したいものを隠そうとする者は、

  皆がいつも見ているところに、皆の隙を見て隠すのでございます。

 人は人の中へ、物は物の中へ」


 梨雪


「おお、その言葉は、おそれ多くも、かしこくも権現様の名言だな」


 千絵


「いえ、 私が、今さっき、思いついたばかりの戯言(ざれごと)にございます」


 菓子の差し入れで、大喜びの皆は、再び大笑いだ。


 梨雪


 御台所様の方を向き。


「されど大奥という所、 人も噂も、そうは簡単に消えはいたしませぬ」


 静かに続ける。


「誰かが知り、 誰かが見ておりまする」


 千絵


「人は知っていると知らず、見たと知らず、

 知り、見ているはずなのに、

 知らない、見ていないと錯覚するものでございます。

 一見、仔牛命婦様と関係なさそうでも、

 いつもと違う『何か』を見たり、聞いたりした方がおられましたら、

 どうぞお力添えを」


 梨雪と並んで、一緒に深々と頭を下げる。


 ここで芝居は終わりだ。


 見物の皆がそれぞれに声を出す。


「お見事でした」


「あれが蜻蛉切ですか、蜻蛉切(宙返り)など初めて見ました」


「昔は、御台所様の代参であれば、堂々とお芝居も見られたものですが、

 その時代に蜻蛉切はなかったですよ」


「梨雪殿の大目付役、可愛らしく、見とれました」


「わたしは、昔、宿下がりの折に木挽町で見たことがございましてよ」


「まあ」


「羨ましいこと」


 その中でひとりが、声を出す。


「そういえば、仔牛命婦様も芝居がお好きでしたね」


 などと何気なく声を出し、それに釣られた誰かと誰かが、


「そうそう、江戸でもなんとか見に行きたいって、おっしゃていましたよ」


「伝手が出来たって、だから今度行く、とか・・・」


「御錠口番やら・・、東叡寺やら」


「いやいや、もう見に行ったとか、言っていたような」


「最中も大好物でしたよ。その最中、笹屋のものでしょ。

 男衆の御使いに、いつも頼んでいたのでは?」


「いつもご相伴にあずかっていた人がいましたよね」



 梨雪が狙っていたのは「これ」だ。気持ちのゆるみから自然発生的に漏れる真実。



 千絵は、大勢が一斉に口を開くざわざわと言いう混沌の中で、誰が何を話したか、しっかり聞き分けて、顔と共に記憶にとどめているのであった。






 さて、老女たちも御小姓たちも、最中が気になってしょうがない。


「仕方がありませんね」


 と御台所が先ず最初に手を出す。


「皆、いただきましょう。

 飛鳥井殿も、姉小路殿も、

 大津、皆に配っておあげ」


 菓子を盆に入れて持ってきた中年寄・大津が盆を持って皆に配り始め、御小姓の番になると、少女たちが群がって手を出す。皆楽しそうだ。



 御台所様が、その光景を見ながら、微笑んで言う。


「皆に菓子がいきわたる前に、もう一度蜻蛉切を見せておくれ」


「はい」


 と二人が、息がそろった返事をする。


 梨雪と千絵がもう一度演じる。今度の蜻蛉切も、飛ぶたびごとに一同から大喝采だ。


 本当にうれしそうな御台所が、あどけない表情で


「もう一度、お願いしても・・・」


「はい、何度でも」


 千絵と梨雪は今度も息を合わせようとしたわけでもないが、打てば響くように応える。



『梨雪さんの言う通りです、御台所様は、本当にさみしい思いをしている。

 梨雪さんは、その思いに真摯に応えようとしたのですね。

 お役に立てて・・・

 嬉しそうなお顔を見られて、千絵も、とても幸せな気分です。

 こんな私でも、人のお役に立つことができる。

 そんな人の幸せを見て感じる幸せもあるのですね』


 梨雪と御台所様の笑顔を見て、改めて、省吾の言葉を思い出す千絵であった。


「千絵、立ち止まってはならぬ。希望を持って生き抜くのだ」


 





 お千絵の隠密勤め 大奥御半下勤めの巻 (つづく)

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