第8話「先生は逃げた」
USBをパソコンに挿したのは、午前二時だった。
フォルダ名は日付だけ。
2011_0214。
クリックした。
写真。
二十七枚。
動画。
六本。
最初の動画を再生した。
画面が揺れている。
笑い声。
藤堂。
久我。
石田。
村瀬自身の声。
そして相沢。
『やめて!』
十五年前の声だった。
俺は停止した。
手が震えていた。
続きを見る勇気が出ない。
それでも再生した。
相沢が藤堂に食ってかかっている。
その奥。
美咲がいた。
俺はそこで再び止めた。
息ができなかった。
映像は荒い。
だが十分だった。
美咲は明らかに怯えていた。
十五年間、
頭の中で何度も想像した。
でも映像は違った。
想像よりずっと普通だった。
普通の小学生。
だからこそ苦しかった。
まだ何も知らない顔。
その数十分後、
人生が変わることを知らない顔。
俺は机から離れ、
吐いた。
翌朝。
相沢真奈を訪ねた。
勤務先の相談室。
受付に名前を告げると、十分ほど待たされた。
扉が開いた。
「三上君?」
相沢はすぐに俺を分かった。
三十五歳になっていた。
でも目は変わっていなかった。
「久しぶり」
俺は答えなかった。
相沢の顔から笑顔が消えた。
「……美咲ちゃんから聞いた?」
「一部だけ」
俺はUSBを置いた。
相沢の顔色が変わる。
「村瀬に会った」
「そう」
「佐伯がいたって本当か?」
相沢は目を閉じた。
そして言った。
「本当」
十五年前。
相沢は美咲から手紙を受け取った。
『お兄ちゃんを助けてください』
最初は意味が分からなかった。
だがすぐに蓮のことだと気づいた。
相沢は俺がいじめられていることを知っていた。
「なんで何も言わなかった」
「怖かった」
「またそれか」
「うん」
相沢は逃げなかった。
「怖かった。だから私は最低だった」
言い訳しなかった。
それが逆に苦しかった。
「でも美咲ちゃんから手紙をもらって……このままじゃ駄目だと思った」
相沢は美咲と会う約束をした。
人目につかない場所。
それが空き家だった。
「なんでそんな場所を?」
「私が指定したんじゃない」
「じゃあ誰が?」
「美咲ちゃん」
意外だった。
美咲は友達から聞いた場所だったという。
誰も使っていない。
大人に見つからず話せる。
子供らしい発想だった。
「翔太たちはどうやって?」
相沢は俯いた。
「私の手紙を翔太に見られた」
「俺宛ての?」
頷く。
「あの頃、私……三上君が好きだった」
十五年遅れの告白。
何も感じなかった。
感じる余裕がなかった。
「翔太はそれを知ってた」
藤堂は相沢に好意を持っていた。
相沢が俺に書いた手紙を奪い、
返事が届く前に隠した。
それが、卒業アルバムに挟まっていた手紙。
「美咲ちゃんからの手紙も見られた」
そこから場所が漏れた。
そして空き家へ藤堂たちが来た。
「佐伯は?」
相沢の手が震えた。
「私が呼んだ」
「何?」
藤堂たちが現れたあと、
相沢は隙を見て外へ出た。
当時はスマホを持っていなかった。
近くの公衆電話から学校へ電話した。
警察ではなく、
学校へ。
「どうして警察じゃなかった」
相沢は泣きそうな顔をした。
「子供だったから」
その一言で何も言えなくなった。
教師なら助けてくれる。
それが普通の子供の発想だった。
佐伯は来た。
午後五時前。
空き家へ入り、
藤堂たちを見た。
美咲も見た。
相沢は言った。
『先生、警察呼んで』
だが佐伯は――
『ちょっと待て』
と言った。
「何を待った?」
「翔太から父親の電話番号を聞いた」
俺は黙った。
「先生は警察じゃなくて、藤堂正臣に電話した」
「なんで」
「分からない」
相沢が泣いた。
「私、先生に怒鳴った。でも先生は『大事にするな』って」
そして佐伯は一度外へ出た。
正臣を迎えに。
その間に、
状況はさらに悪化した。
「戻ってこなかったのか」
「戻った」
「いつ」
「正臣さんと一緒に」
佐伯。
正臣。
二人の大人が空き家へ戻ってきた。
美咲の姿を見た。
そして。
警察ではなく、
子供たちに口止めをした。
「先生は泣いてた」
相沢が言った。
「何で?」
「分からない」
『俺のせいじゃない』
佐伯は何度もそう言っていたという。
「俺のせいじゃない?」
俺は呟いた。
その言葉が引っかかった。
まるで――
それ以前に何かしていたような。
相沢は俺を見る。
「三上君」
「何」
「復讐しようとしてる?」
俺は答えなかった。
「やめて」
「なんでみんな同じこと言うんだ」
「美咲ちゃんが望んでないから」
「俺が望んでる」
相沢が黙った。
自分の口から出た言葉に、
俺自身が少し驚いた。
俺はもう、
美咲のためと言わなかった。
「俺が望んでる」
もう一度言った。
相沢の目から涙が落ちた。
「じゃあ、もう美咲ちゃんを理由にしないで」
胸に刺さった。
「復讐するなら、自分のためにやって」
「……」
「そして、自分で責任を取って」
俺は立ち上がった。
USBを持つ。
「佐伯に会う」
「待って」
「まだ何か?」
相沢は迷った。
そして言った。
「先生があの日、最初に空き家へ来た理由」
「お前が呼んだからだろ」
「それだけじゃない」
「何?」
相沢は言った。
「私が学校に電話したとき――」
一度言葉を止める。
「先生、もう場所を知ってた」
背筋が冷たくなった。
「どういう意味だ」
『青葉町の空き家です』
そう伝えた瞬間、
佐伯は答えた。
『やっぱりそこか』
「やっぱり?」
「うん」
相沢は十五年間、
その言葉を忘れられなかった。
俺も忘れないだろう。
佐伯は、
事件が起きる前から――
何かがあの空き家で起こると知っていた。
――第8話 END




