第7話「午後五時八分」
写真に表示された時刻は、午後五時八分。
十五年前。
美咲があの空き家にいた日。
俺が到着する一時間近く前に、藤堂正臣はそこにいた。
スマートフォンを握ったまま、俺は眠れなかった。
母さんが何度話しかけても、返事をしなかった。
午前四時。
知らない番号へメッセージを送った。
『誰だ』
既読。
返事はない。
『写真を撮ったのはお前か』
既読。
五分後。
一件だけ返ってきた。
『そうだよ』
俺はすぐに電話した。
出ない。
もう一度。
切られた。
そしてメッセージ。
『今夜十一時。青葉駅北口。昔ゲームセンターがあったところ。』
『一人で来い。』
指定された場所には、コンビニが建っていた。
十五年前にはゲームセンターだった。
俺は十一時ちょうどに着いた。
十分。
二十分。
誰も来ない。
からかわれたのかと思ったとき、
後ろから声がした。
「三上」
振り返る。
男が立っていた。
太っていた。
髪も薄くなっている。
でも分かった。
「……村瀬」
村瀬和也。
いつもスマホを持っていた男。
俺が殴られる姿を撮り、
笑っていた男。
俺の拳が自然に握られた。
村瀬はそれを見た。
「殴りたいなら殴れよ」
「……」
「俺は逃げない」
その言葉が気に入らなかった。
「十五年前は逃げたくせに」
村瀬が俯いた。
「そうだな」
近くの公園へ移動した。
村瀬はベンチに座った。
俺は立ったままだった。
「写真は?」
「俺が撮った」
「なんで正臣があそこにいた」
「翔太が呼んだ」
「何のために?」
村瀬は口を閉じた。
「答えろ」
「……俺たちも、あんなことになると思ってなかった」
胸の奥が熱くなった。
「その言い方やめろ」
「三上」
「お前らがやったんだろ」
「違うとは言わない」
「じゃあ何だよ」
村瀬は両手で顔を覆った。
「最初は、脅かすだけだった」
その言葉で吐き気がした。
美咲は小学生だった。
あいつらは中学生だった。
「妹を?」
「相沢が三上の妹と会ってるって翔太が知った」
「それで?」
「翔太が怒った」
「なんで?」
「相沢のこと好きだったから」
十五年前。
俺は何も知らなかった。
相沢が俺に手紙を書いたこと。
藤堂が相沢に執着していたこと。
そして美咲が俺を助けるため相沢へ連絡したこと。
全部が繋がっていく。
「空き家に行って、相沢を怖がらせる。それだけのはずだった」
「美咲は?」
村瀬が黙った。
「答えろ」
「久我が……面白がった」
拳に力が入った。
「石田も笑ってた」
「お前は?」
村瀬が俺を見る。
「撮ってた」
一瞬、
目の前が赤くなった。
俺は村瀬の胸ぐらを掴んだ。
「なんで止めなかった!」
「怖かったんだよ!」
「誰が!」
「翔太じゃない!」
また同じ言葉だった。
佐伯も言った。
藤堂が怖かったんじゃない。
村瀬も。
「じゃあ誰だ!」
「正臣さんだよ!」
公園に声が響いた。
村瀬の顔が歪んでいた。
「途中で翔太が親父に電話したんだ」
「なぜ?」
「相沢が暴れたから」
相沢は美咲を庇った。
大声で助けを呼ぼうとした。
藤堂は焦った。
そして父親に電話した。
正臣は十分ほどで現れた。
「来て、止めたのか?」
「……一応な」
「一応?」
「翔太を殴った」
俺は少しだけ意外だった。
村瀬は続ける。
「でも、その後だ」
正臣は美咲を見た。
相沢を見た。
息子を見た。
そして最初に言った。
『誰か外に連絡したか?』
美咲の心配ではなかった。
救急車でもなかった。
自分たちがバレているか。
それだけだった。
「俺のスマホを取り上げた」
村瀬は言った。
「写真も動画も全部消された」
「じゃあ、あの写真は?」
「別の端末だ」
当時、村瀬は古い携帯も持っていた。
親に隠して使っていたもの。
正臣はその存在を知らなかった。
「俺、怖くなって……外から撮ったんだ」
午後五時八分。
空き家から出てきた正臣。
証拠だった。
「なんで警察に出さなかった?」
村瀬は笑った。
弱々しい笑いだった。
「俺も加害者だったからだよ」
「……」
「警察に行けば、自分も終わる」
最低だ。
でも十五年前の俺だったら、
同じように怖がったかもしれない。
そう思った自分がもっと嫌だった。
村瀬は鞄から小さなケースを出した。
USBメモリ。
「何だ」
「残ってる全部」
「動画も?」
頷いた。
「なんで今さら」
村瀬はしばらく黙った。
「娘がいる」
俺の表情が固まった。
「今年、小学五年になった」
美咲と同じ歳。
「学校から帰ってきて、『クラスの子がいじめられてる』って言ったんだ」
村瀬は震えていた。
「俺、娘に言ったんだよ」
『先生に言え』
『見てるだけでも駄目だ』
その夜。
自分が言った言葉で吐いたという。
「俺には言う資格がなかった」
俺はUSBを受け取った。
「警察に行け」
「……え?」
「俺じゃなくてお前が行け」
「三上」
「十五年間逃げたなら、せめて最後くらい自分でやれ」
村瀬は何も言わなかった。
俺は背を向けた。
すると。
「三上!」
呼び止められた。
「動画を見るなら、一つだけ覚えとけ」
振り返る。
「何だ」
村瀬は真っ青な顔で言った。
「あの日――」
「……」
「正臣さんより先に来てた大人がいる」
俺の心臓が止まりそうになった。
「誰だ」
村瀬は答えた。
「佐伯先生だ」
担任。
俺たちを助ける立場だった男。
「でも変なんだ」
村瀬は続ける。
「先生は美咲ちゃんを助けに来たんじゃない」
「じゃあ何しに?」
「分からない」
そして――
「正臣さんが到着する前に、一度帰ったんだ」
十五年前。
午後五時八分より前。
あの空き家には、
子供たちだけではなかった。
教師もいた。
そして教師は、
美咲を置いたまま――
その場から去った。
――第7話 END




